第三話 森
翌朝、ミラは、ジモンを、森へ連れ出した。
「初依頼にちょうどいいの、見つけたよ」依頼の貼り紙を、ひらひらと振っている。
「薬草採りか。いきなり魔物退治じゃなくて、ほっとしたよ」ジモンは苦笑した。「昨日の今日で、また牙の生えたのと追いかけっこは勘弁してほしいからな」
「ふふ、最初はみんな、これからだよ。簡単、簡単。ついてきて」
森は、昨日とは、別の顔をしていた。
「青光草はね、こういう、湿った岩陰に生えてるの」
ジモンは、見よう見まねで、草を摘んだ。
存外、悪くなかった。土に膝をついて、草を探す。単純で、迷いがない。会社で、終電まで数字を睨んでいた日々とは、何もかも違った。
「ジモンさん、筋いいね」ミラが、感心したように言った。
「そうか? まあ、草むしりなら得意かもしれん」ジモンは肩をすくめた。「前の仕事じゃ、土どころか、お天道様を拝むこともなかったからな。こういうのも悪くない」
「ジモンさんの前の仕事って、なんだったの?」
「窓際の傭兵……かな」
「え。何それ? 戦うの?」
「いつも、眠気に負けてたっけな」ジモンは、おどけてみせた。
「あやしー」ミラは、唇を尖らせた。「ま、いいけど。あたしなんか、最初、根っこごと引っこ抜いて、バラッドさんに、こっぴどく怒られたもん」
「そりゃあ、災難だったな」
ミラは、よく喋った。ジモンも、いつのまにか、軽口を、返していた。
この村に来て、数日。張り詰めていた何かが、少しずつほどけてきている。そんな気がした。
ムニンは、ジモンの肩で、揺られていた。
何も言わない。ただ、時折、その黒い目が、森の奥へ、向けられた。
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籠が、半分ほど、埋まった頃だった。
ムニンが、肩の上で、身じろぎした。
『前方に、反応。』
頭の中に、声。ジモンは、足を止めた。
「どうしたの?」ミラが、振り返る。
『注意。人間複数。』
森の、ずっと先。木々の、その奥。言われてみれば、かすかに、声のようなものが、聞こえる気がした。人の話し声。ひそひそとした、押し殺した調子の。
「ミラ」ジモンは、方角を指差し小声で言った。「あっちに、何かあるのか?」
「え?」ミラは、きょとんとした。「あっちは、聖域に近いし。村の人は、近づかないよ」
「聖域?」
「青目様の、いる方。立ち入っちゃいけない場所なの」ミラは、声を潜めた。
ジモンは、答えなかった。
代わりに、足が、勝手に、そちらへ、向いていた。
「ちょっと、ジモンさん!」ミラが、慌てて、ついてくる。「だめだって、そっちは——」
「静かに」ジモンは、低く言った。
ミラは、ジモンの、その声に、何かを感じたらしい。口をつぐみ、頷いた。冒険者の、顔になっていた。
二人は、音を立てずに、木立を、縫った。
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開けた場所の、手前だった。
大きな岩の陰に、身を伏せる。その向こうに——いた。
三人の、男。
旅装の、商人風。だが、ミラが「商人」と呼ぶには、目つきが、鋭すぎた。一人が、地面に、何か図のようなものを広げ、残りの二人と、低い声で、話している。
一人が身じろぎした拍子に、外套の裾から、鈍く光る刃が、覗いた。商売道具では、ない。隠しているつもりだろうが、ジモンの目には、留まった。
そして、その三人と、向かい合うように——
村の、男が、一人、立っていた。
見覚えがあった。今朝、村の広場で、見かけた男だ。でっぷりと太り、身なりだけは、村でいちばん、よかった。たしか、村長に、しきりに、取り入っていた。
「……ゴルドさん」ミラが、息を呑んで、囁いた。「なんで、あの人が、こんな所に」
ゴルドと呼ばれた男は、しきりに、揉み手をしていた。媚びるような、卑屈な笑み。男たちに向かって、何度も、頷いている。
声は、切れ切れにしか、届かなかった。
「……だから、聖域の、警備は……夜は、誰も……」
ゴルドは、揉み手の合間に、「礼は」「約束は」と、しきりに、確かめている。
それに答える、男の声は、低く、乾いていた。
「……金など、どうでもいい。これは、世の、理を——」
その先は、風に、紛れた。
「……あれの、起こし方は……」
風が、運んでくる断片。意味は、繋がらない。
ただ、金など、どうでもいい、と言い切った、あの乾いた声。あれだけが、なぜか、ジモンの耳に、残った。
知ってはいけない類の話であることは、ジモンにも、わかった。
ミラの顔が、青ざめていた。
「帰るぞ」ジモンは、囁いた。
「で、でも、ゴルドさんが——」
「だめだ」ジモンは、ミラの腕を、軽く引いた。「どう見ても、まともな連中じゃない」
ミラは、唇を、噛んだ。だが、ジモンの言うことの、正しさは、わかったらしい。
二人は、来た道を、後ずさった。
そのときだった。
ジモンの肩で、ムニンが、ぴくりと、動いた。
『一人、接近。注意。』
足音。
岩陰の、すぐ向こう。男の一人が、見回りにでも来たのか、こちらへ、歩いてくる。あと、十数歩。隠れる場所は、ない。逃げれば、足音で、気づかれる。
ミラが、短剣の柄に、手をかけた。だが、その手は、震えていた。
ジモンの、頭が、冷えた。
不思議と、恐怖は、なかった。ただ、どうすればいいか、それだけを、考えていた。いや——考える、より、早かった。
足元に、石が、転がっていた。
ジモンは、それを、拾った。
そして、岩陰から、わずかに、身を、乗り出す。近づいてくる男の、その、さらに向こう。少し離れた木の、太い枝に、止まっていた、一羽の鳥へ——
指で、弾いた。
石は、見えない速さで、飛んだ。
枝を、撃つ。鳥が、けたたましく、鳴いて、飛び立った。葉が、ばさばさと、揺れる。
男の足が、止まった。
「……なんだ?」
男は、ジモンたちのいる岩陰ではなく、鳥の飛び立った方へ、視線を、向けた。舌打ちをして、そちらへ、数歩、近づく。何でもないと知ると、面倒くさそうに、踵を返し、仲間の方へ、戻っていった。
ジモンは、ミラの腕を引き、その隙に、岩陰から、離れた。
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森を、抜けるまで、二人とも、口をきかなかった。
浅瀬の、せせらぎの音が、聞こえる頃になって、ようやく、ミラが、足を止めた。
「……ジモンさん」ミラの声は、まだ、少し、震えていた。「今の、何?」
「何、とは」
「どうやったかわからないけど……鳥に、石を当ててなかった?」ミラは、ジモンを、まじまじと、見た。「あんな遠くのを、指で。あたし、投げる動きも見えなかった。気づいたら、もう当たってたんだもん」
ジモンは、自分の、手を、見た。
石を弾いた、その指を。
「……まぐれだ。本当に当たるとは思わなかった。」
本当に、そう思っていた。以前の感覚を思い出して試してみたのだ。
なのに。当たった。一発で。狙いすましたように。
「まぐれって」ミラは、信じられない、という顔をした。
「それより、今見たことは、村の連中には、言うな。」
「……でも」ミラは、不安げに、言った。「村長に、報せなくて、いいの? ゴルドさん、あの人たちと、何か、よくないこと——」
「報せて、どうなる」ジモンは、低く言った。「ゴルドは、村長に取り入ってる男だろう。俺たちが見ていたと知られたら、何をされるか、わからない。藪蛇だ」
ミラは、唇を、噛んだ。
「だが」ジモンは、続けた。自分でも、意外なほど、はっきりと、声が出た。「ナギに相談しよう。……何か、嫌な予感がする」
ミラは、ジモンを、見た。それから、小さく、頷いた。
ジモンの言うことは、正しかった。だが、正しいからといって、すっきりするわけでも、なかった。
「……ジモンさん、なんか、変だね」ミラが、ぽつりと、言った。「来たばっかりなのに、すごく、落ち着いてる。あんな、怖い男たちを見ても」
「そうでもない。俺も怖いさ。」しらばっくれた。
「うん。あたしの方が、よっぽど、震えてた」ミラは、少し、笑った。ぎこちない、笑みだった。「ジモンさんが、いてくれて、よかった。一人だったら、あたし、どうしてたか」
ジモンは、答えなかった。
ただ、肩のムニンを、ちらと、見た。
森を出ると、午後の日が、傾き始めていた。
籠の中の青光草が、夕日を受けて、淡く、青く、光っていた。
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村に戻ると、日が、落ちかけていた。
ミラが、夕餉の支度に、入る。その隙を見て、ジモンは、薪を割っていたナギの、傍へ寄った。
「ナギ。少し、いいか」
ナギは、手を止めず、ジモンを、ちらと見た。「なんだ」
「昼間、森で、妙なものを見た」ジモンは、声を落とした。「村の男が一人。ゴルド、とかいう太った男だ。森の奥で、余所者の男たちと会っていた。三人。商人を装っていたが、武器を持ってた。堅気じゃない」
薪を割る音が、止まった。
ナギは斧を下ろした。ゆっくりと、ジモンの方へ向き直る。その目から、いつもの飄々とした色が消えていた。
「……どの辺りだ」
「聖域に、近い方角だ。青目様の、いる方だ」
ナギは、しばらく、黙っていた。
それから、低く、聞いた。
「ミラには」
「口止めした。村長にも、言うなと」
「賢明だ」ナギは頷いた。
ナギは、割りかけの薪を、見下ろした。
「——爺ちゃん」
いつのまにか、ミラが、すぐ後ろに、立っていた。洗いかけの鍋を、提げたまま。話を、聞いていたのだ。
「あいつら、どう見ても、怪しいよ。村のみんなにも、知らせた方がいい。ゴルドさんのことも」
ナギの動きが、止まった。
「……余計なことに、首を突っ込むな」
ミラを、見ていなかった。
「どうして」ミラの声が、尖った。「村が、危ないかもしれないのに。なんで、爺ちゃんは——」
「ミラ、わしらは所詮、余所者じゃ。」
それきり、ナギは、口を、つぐんだ。割りかけの薪を、見下ろしたまま。
ナギの目が、ふと、村の中心の方——黒い巨体の、立つ方角へ、向いた。
何か言いかけて、やめる。
「……まあ、気のせいなら、それでいい」
低く、それだけ言った。ミラの問いには、とうとう、答えなかった。
その横顔に、ジモンの知らない、重いものが、よぎった気がした。ミラも、何か言い返そうとして——できなかった。ナギの、そんな顔を、見たことが、なかったのだろう。
ジモンは、その横顔を、見た。
夕闇の中、青目様の黒い影が、いつもと変わらず静かに立っていた。
なのに、ジモンの胸の奥では、あの小さな棘が、昼間より深く疼いていた。
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その夜、ジモンは、寝床で、天井を見ていた。
考えるのは、これからのことだった。
そもそも俺は何者なんだ? なんでこんなところに来たんだ? 何か意味があるのか?
それにこの村に、いつまでも、世話になるわけにはいかない。ここにいても何かわかるとも思えない。
ジモンは、決めた。
冒険者として、稼ぎ。力をつける。そして、大きな街へ、出る。そうすれば何かわかるかも。少なくとも、立ち止まっているよりは。
決めると、不思議と、気が、楽になった。
「ムニン」ジモンは、闇の中で、小声で呼んだ。「起きてるか」
足元で、黒い目が、二つ、灯った。
『常在戦場』
「……聞きたいことがある」ジモンは、身を起こした。「今日の、あれだ。石が、鳥に当たった。あれは本当に、まぐれか。……いや、違うな。森で最初に魔物に襲われた時も、おかしかった。俺は、躱せるはずのない一撃を、躱した。あんな芸当が、普通の人間にできるのか」
ムニンは、しばらく、沈黙した。
それから、言った。
『ジモン、身体能力異常。変態レベル』
「……え。それどう言う意味?」ジモンは、低く言った。
森で石を弾いた、あの時から。鑑定具が自分を映さなかった、あの時から。薄々、感じていた。自分は、なんかおかしい。普通の人間は、二十歩先の鳥を指で撃ち抜いたりはしない。
それが、嬉しいわけではなかった。むしろ——薄ら寒かった。自分の体の中に、自分の知らない何かが潜んでいるような心地。
ジモンは闇の中で、手を握った。開いて、また握る。何の変哲もない自分の手だ。だが、この手は時々、自分の意志より先に動く。
だったら、と、ジモンは、思った。
知ってやる。怖いなら、なおさらだ。この体が何をできるのか。自分が何者なのか。膝を抱えて震えているより、よほどましだ。
その夜から、ジモンの修練が始まった。
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人気のない、夜明け前の、森の外れ。
ジモンは、木立を相手に、体を、動かし続けた。
ムニンは、ジモンの動きを観察し、分析した。指摘するたびに、ジモンの動きから、ぎこちなさが消えていった。
驚いたのは、その、上達の速さだった。
普通なら何年もかかることが、数日で身についた。一度、体が覚えた動きは、二度と忘れなかった。まるで、最初からその動きを知っていたかのように。体が覚えていることを、思い出している——そんな感覚さえ、あった。
石を、弾く。狙った的に、寸分違わず、当たる。十発でも、百発でも、外さない。
予備動作を削る。構えてから動くのではなく、止まった状態から、いきなり最高速で動く。気づけば、ムニンですら、ジモンの初動を捉えきれなくなっていた。
研究所がくれた、あの恐ろしく切れるナイフ。それも扱いを覚えた。薄すぎて握りどころの難しい刃が、いつしか手の延長のように馴染んでいた。
ジモンは、自分が、変わっていくのを、感じた。
いや——変わっていくのではない。元からそうだった何かが、表に出てこようとしている。そんな感覚だった。
それが、頼もしくもあり、同時に、ほんの少し怖くもあった。
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数日後。
ミラと、二たび、青光草の依頼を、受けた。
森に入って、半刻と、経たなかった。
「……え?」
ミラが、籠を覗き込んで、間の抜けた声を、出した。
ジモンの籠は、もう、青光草で、いっぱいだった。
「な、なんで? あたし、まだ、これだけなのに」ミラの籠は、底が、隠れた程度だった。
「こつを、掴んだ」ジモンは、短く言った。
実際には、それだけではなかった。ムニンが、青光草の在り処を的確に感知し、ジモンが、無駄のない動きでそれを摘んでいく。二人がかりというより、一つの精密な機械のようだった。普段の十倍は速い。
「こつって……」ミラは、呆然としていた。「ねえ、ジモンさん。本当に、ただの初心者なの?」
ジモンは、答えに、詰まった。
その時だった。
藪が、揺れた。
一匹では、なかった。
四つ目の、裂けた口の獣——グナー・ハウンド。ジモンが最初に森で出会った、あの魔物。それが群れていた。三匹。いや、四匹。低い唸りを上げ、二人を囲むように現れた。
「っ、群れ……!」ミラが、短剣を抜いた。顔が、強張る。「ジモンさん、下がって! 群れは、まずいよ。一匹でも、Eランクが手こずる相手なのに、こんな——」
ジモンは、前に、出た。
ミラを、庇うように。
そして——動いた。
一匹目が跳んだ瞬間には、もう、その喉にナイフが吸い込まれていた。予備動作はなかった。立っていたかと思うと、次の瞬間には、魔物の懐にいた。刃が抵抗なく通り、魔物が声もなく崩れ落ちる。
二匹目には、石。指で弾く。眉間を撃ち抜かれた魔物が、横ざまに倒れた。
三匹目が、背後から。ジモンは振り向きもせず、身を半歩ずらした。牙が空を切る。そのまま流れるように、ナイフが首を薙いだ。
四匹目は——逃げた。
仲間が瞬く間に三匹、沈むのを見て、本能的に危険を悟ったのだろう。だが、ジモンの指から石が放たれる方が、速かった。逃げる後ろ脚を撃ち、よろめいたところに、追撃が首筋へ。
森が、静かになった。
すべて、十数えるほどの間の出来事だった。
ジモンは、ナイフの血を振るって落とした。
濃い血の匂いが、立ちこめている。なのに、息は、上がっていなかった。それが、かえって、不気味だった。
四匹の魔物。さっきまで殺気を撒き散らしていたものが、今は四つとも、地に転がっている。自分がやった。十、数えるほどの間に。
なのに——覚えて、いない。
どう動いたのか。どこを狙ったのか。気づいたら、終わっていた。体が勝手に、答えを出していた。ジモンはただ、それに乗っていただけだ。
手を見た。震えていなかった。これだけのことを、して。
——俺は、何を、してるんだ。
背筋を、冷たいものが、這い上がった。
肩の上で、ムニンが、身じろぎした。
『テッテレー……ジモンはレベルが上がった。』
頭の中に、ぽつりと、声が、落ちた。また、あれだ。ジモンの記憶の断片。よりにもよって、こんな時に。
「……何のだよ」ジモンは、小声で、返した。
ムニンは答えなかった。ただ、その黒い目が、ジモンの震えない手を、じっと見ていた。
「……ジモンさん?」
ミラの、声で、我に返った。
振り返ると、ミラが短剣を抜いたまま、固まっていた。一歩も動けていない。
「今の……グナー・ハウンドの群れ、だよ? それを、一人で、傷一つなく……」
ジモンは、ナイフを鞘に収めた。手のことを、見られたくなかった。
「……無我夢中、だった」
嘘ではなかった。本当に、覚えていない。だが、それをまぐれと呼ぶには——もう、あまりに何度も当たりすぎていた。
「無我夢中で、グナー・ハウンドの群れを……」ミラは、ぺたりと座り込んだ。腰が抜けたらしい。それから、力なく笑った。「……あたし、何のために、ついてきたんだろ」
ジモンは、その軽口に少しだけ救われた。苦笑して、手を差し出す。
ミラは、その手を、しばらく、見て——おずおずと、握った。
引き起こされながら、まじまじとジモンを見上げる。その目に、もう、昨日までの気安さだけではない色が混じっていた。
ジモンは、気づかない、ふりを、した。
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その夜。
ナギの家の、囲炉裏端。
ジモンが昼間の群れの話をすると、ナギは片眉を上げた。だが、ナギが気にしたのは、魔物のことではなかった。
「……まだ、いる」ナギは、低く、言った。火を、見つめたまま。「あの余所者どもだ。村を出ていった様子がない。畑の連中が、聖域の方で、夜中に灯りを見たと言ってた」
ジモンは、椀を、置いた。
「何を、する気だ」
「さあな」ナギの目が細くなった。「だが、ろくなことじゃない。明日、村長にそれとなく言ってみる。聖域の見張りを増やせとな。……聞く耳を持つかは、知らんが」
囲炉裏の火が、ぱちりと、爆ぜた。
その夜、ジモンは、なかなか、寝つけなかった。
胸の奥の棘が、疼いて仕方がなかった。何か大きなものが、もう、すぐそこまで来ている。理屈ではない。ただ、そう感じた。
この奇妙な「勘」が外れたことは——思えば、一度もなかった。
眠りに、落ちる、間際。
ジモンは、願った。
この勘だけは、外れてくれ、と。
——その願いが、聞き届けられることは、なかった。




