第二話 値踏み
ナギの家は、村の外れにあった。
斜面の一番下、畑も痩せた、村の縁。家は古いが、手入れは行き届いていた。土間に囲炉裏、奥に板の間。男二人と娘一人、それに鳥が一羽。狭くはあったが、雨風はしのげた。
その夜、ジモンは、久しぶりに、食事というものをした。
麦の粥に、干した肉、青菜を煮たもの。素朴な味だった。だが、培養槽の液体しか知らない体には、すべてが、目が覚めるほど旨かった。気づけば、椀を三杯、空にしていた。
「いい食いっぷりだ」とナギが、囲炉裏の火を見ながら言った。
「ろくなもの食ってなかったんだ。とてもうまかった。ありがとう」
ミラは、その間も、ジモンを質問攻めにしたそうな顔をしていた。だが、ナギに睨まれるたび、口をつぐんだ。代わりに、ジモンの食う様子を、頬杖をついて、飽きずに眺めていた。
ムニンは、板の間の隅で、丸くなっていた。眠るわけでもなく、ただ、じっとしている。時折、その黒い目が、囲炉裏の火を映して、光った。
「あんた、行く当ては?」
ナギが、火に薪をくべながら、聞いた。
「いや。正直この辺りに詳しくないんだ。ちょっと教えてくれないか?」とジモンは答えた。それから、少し迷って、付け加えた。「その前に——さっきの礼をさせてくれ」
ジモンは、袋に手を入れた。
袋から、金の小片を、二つ、取り出す。囲炉裏の火を受けて、それは、鈍く、黄金に光った。
「少ないかもだが、受け取ってくれないか」
板の間に、ことり、と置く。
ミラが、息を呑んだ。ナギの動きが、止まった。
「……おい」ナギの声が、低くなった。「あんた、これが、何だか、わかって出してるのか」
「いや。どれくらいの価値がある? 」
ナギは、しばらく、ジモンを、見ていた。
それから、金の小片を、一つ、つまみ上げた。火に、かざす。指で、その重みを、確かめる。歯を、軽く当てた。元冒険者の、慣れた手つきだった。
「……これは」ナギは、低く、唸った。「とんでもない純度だ。混ぜ物が、まるでない。こんな金、見たことがない」
ナギは、首を振った。
「やめておけ。これを、この村で、出すな」
「なぜだ」
「こんな村の店じゃ、釣りも出せん。それに」ナギは、声を落とした。「あまりに上等すぎる。出どころを勘ぐられて、悪い連中に目をつけられかねん。どっちにしろ、ろくなことにならん」
ジモンは、なるほど、と思った。研究所の機械が、よかれと思って、最高純度の金をくれた。だが、それが、かえって、厄介の種になる。
「じゃあ、どうすればいい」
「換金するなら、もっと大きな街だ。ここらなら、ラスリンだな」ナギは、金を、ジモンの方へ、押し戻した。「辺境じゃ一番の都市だ。商業ギルドもある。あそこなら、こういうものも、まともに値をつけて、買い取ってくれる。だが、それまでは、しまっておけ。礼は一つだけ、もらっておく」
「だが」
「残りはしまえ」ナギは、ぴしゃりと言った。それから、ふっと、表情を緩めた。「十分すぎる。」
ジモンは、金を、袋に戻した。
「それから、もう一つ」ナギは、ジモンの全身を、改めて、眺めた。「その服も、なんとかしろ」
「服?」
「目立ちすぎる」ナギは、率直だった。「タチの悪い奴に、目をつけられる前に、こっちの服に、着替えておけ」
ジモンは、自分の服を、見下ろした。
研究所が、一瞬で編んでくれた、灰色の衣服。確かに、暖かく、丈夫で、申し分ない。だが、ナギの言うとおりだ。これは、この世界の、誰のものとも、違いすぎる。
「……助かる」ジモンは、頭を下げた。「正直、それも、知らなかった。ありがたい」
「ふん」ナギは、そっぽを向いた。だが、満更でもない顔だった。「まずは、自分の身は自分で守れるようになることだな」
「稼ぐ、というと」
「ちょうどいい」ナギは、ミラを顎でしゃくった。「こいつが、ギルドに出入りしてる。明日、連れて行ってもらえ。冒険者にでもなれば、鍛えられるし、小銭も稼げる」
「冒険者ギルド、か」ジモンは、その言葉を、口の中で転がした。「すまないが、それも、知らない。どういう仕組みなのか、教えてもらえるか」
ミラが、待ってましたとばかりに、身を乗り出した。
「冒険者ギルド! いいよ、あたしが、ぜーんぶ教えてあげる。任せて!」
ナギが、深く、ため息をついた。
「……ほどほどにしておけよ」
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夜が、更けた。
ジモンは、板の間の隅に敷いた、薄い寝床で、横になっていた。長い一日だった。培養槽で目覚めて、森を抜けて、見知らぬ村に、転がり込んだ。疲れは、あるはずだった。だが、頭の芯は、妙に冴えていた。それでも、いつのまにか、ジモンの寝息は、規則正しくなっていた。足元では、ムニンが、火の名残を、黒い目に映している。
囲炉裏の、燃え残りの前に、ナギとミラだけが、残っていた。
「ねえ、爺ちゃん」ミラが、声を潜めた。「ジモンさん、変な人だね。すっごいお金、持ってて」
「ああ」ナギは、低く答えた。火箸で、炭を、つついている。
「どこから、来たんだろ」
ナギは、しばらく、答えなかった。
それから、ぽつりと、言った。
「ひょっとしたら……どこかの貴族かもな」声は、ジモンに聞こえないよう、低かった。
「ええ? うそ? 貴族様ってあんななの?」ミラが、目を丸くした。
「さあな。だが……あんな上等な服着てる市井の人間を見たことがない。」
ミラは、しばらく、寝ているジモンの方を、見ていた。
「ま、いいや」ミラは、伸びをした。「あたし、明日、ギルド、案内するね」
「ああ。……ほどほどにな」
火が、また一つ、小さく、爆ぜた。
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翌朝、ジモンは、ナギに借りた、古びた服に、着替えていた。
麻の、ごわついた上下。色は、褪せた茶。お世辞にも、着心地がいいとは言えなかった。だが、鏡——磨いた金属の板——に映る自分は、確かに、昨日より、ずっと、その辺の村人に、近かった。
「うん、いい感じ。それなら、そんなに浮かないよ」ミラが、太鼓判を押した。「昨日の服、すごく素敵だったけど。ちょっと、目立ちすぎだったもんね」
ジモンは、苦笑した。素敵、というより、厄介の種だ。
二人は、連れ立って、村の中心へ向かった。
朝の村は、思っていたより、活気があった。畑へ向かう者、家畜を追う者、井戸端で水を汲む女たち。それでも、ジモンが通ると、誰もが、一瞬、手を止め、ちらと、視線を寄越した。
服を変えても、余所者は、余所者だ。村の空気が、それを、教えていた。だが、昨日ほどの、露骨さは、なかった。少なくとも、上等すぎる服で、悪目立ちすることは、なくなった。ナギの助言は、正しかったらしい。
「あんまり、気にしないでね」ミラが、ジモンの視線に気づいて、言った。「こんな辺鄙な村、めったに人なんて来ないから。余所者ってだけで、つい、見ちゃうの。最後に来たのは……ああ、そうだ、つい先月、商人みたいな人たちが、何人か。でも、すぐいなくなっちゃった。変なの」
ジモンは、その言葉に、引っかかりを覚えた。
商人みたいな人たち。すぐいなくなった。
なぜか、頭の隅に、小さな棘のように、それは残った。
「その商人ってのは」ジモンは、自分から、聞いた。「どんな連中なんだ?」
「うーん、よく知らない」ミラは、首をかしげた。「あんまり、村の人とも、話さなかったし。なんか、こう……森の方ばっかり、見てたかな。すぐ、いなくなったから、忘れてた。なんで?」
「……換金出来ないかと思ってね。」ジモンは、上手く誤魔化した。自分でも、なぜ気になるのか、わからなかった。
歩きながら、ミラは、約束どおり、喋り続けた。
「あのね、ギルドっていうのは、冒険者の元締め。依頼を受けて、お金をもらうの。魔物退治とか、薬草採りとか、荷物運びとか……まあ、なんでも屋さん、かな」
「依頼を、受けて、報酬をもらう、か」ジモンは、頷いた。「元いた所の、仕事に、少し似てるな。その依頼は、どこで、見つけるんだ」
「ギルドに、貼り出されてるの。それを受けて、こなすと、報酬がもらえる。簡単でしょ?」ミラは、得意げだった。「冒険者には、ランクがあってね。上に行くほど、難しくて、実入りのいい依頼を受けられる。あたしは、まだ駆け出しのEだけど」
「ランク」
「強さの、目安みたいなもの。ギルドが、決めるの」ミラは、自分の腰の、革の札を、ちらと触った。「これ、ギルドカード。身分証も兼ねてる。これがあれば、よその街でも、冒険者だって、わかってもらえる」
ジモンは、頷きながら、聞いていた。
ランク、依頼、報酬。仕組みは、わかりやすい。元の世界の、派遣の仕事に、少し似ている。問題は、自分がそこに、すんなり収まれるか、だった。
「で、ジモンさんも、登録すればいいんだよ」ミラは、にっと笑った。「そしたら、明日から、冒険者。お金も稼げるし、身分証ももらえる。いいことづくめ!」
「登録に、何が要る」
「えっとね。ギルドに行って、登録料を払って……あ、お金、あるんだよね? 大丈夫。それから、鑑定を受けるの」
「鑑定?」
「うん。鑑定具っていう、魔道具があってね。それに手をかざすと、その人の、力とか、適性とかが、わかるの。それで、最初のランクが、決まる」ミラは、軽く言った。「ま、ジモンさんは、たぶん、最初はFかGだろうけど。気にしない、気にしない。みんな、そこからだから」
鑑定具。手をかざすと、力がわかる。
ジモンは、なぜか、その言葉に、ごく小さな、嫌な予感を覚えた。
足元のムニンが、一瞬、歩調を緩めた。だが、何も言わなかった。
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冒険者ギルドの村支部は、広場の一角にあった。
他の家より、少し大きい、石造りの建物。扉の上に、剣と盾を象った、古びた看板が掛かっている。中に入ると、ひんやりとした空気と、革と、埃と、酒の匂いが混じっていた。
奥のカウンターに、男が一人、座っていた。
四十がらみ。無精髭。片目に、古い傷跡。だらしなく頬杖をついていたが、ジモンが入ってきた瞬間、その目が、すっと細められた。値踏みの目だった。ナギとは、また違う種類の。場数を踏んだ者の、油断のない目だ。
「よう、ミラ」男は、しわがれた声で言った。「朝から、珍しいのを連れてるな」
「バラッドさん、おはよ! この人、ジモンさん。登録、お願いしたくて」ミラが、明るく言った。「ナギ爺ちゃんが、拾ったの。行く当てがないんだって」
「拾った、ね」バラッドと呼ばれた男は、ジモンを、上から下まで眺めた。「見ない顔だ。流れ者か」
「ああ。ジモンだ」ジモンは、自分から、名乗った。「こう見えても、昔、格闘技を、習っててな」
「ほう」
「通信教育だけどな」
「つう? ……なんだ、それ」バラッドが、眉を寄せた。
「……まあ、とにかく」ジモンは、咳払いをした。「冒険者として、登録したい。頼む」
バラッドは、片眉を上げた。余所者にしては、はきはきしている、とでも思ったのだろう。
「……ほう。話が早いな」
バラッドの片目が、ジモンの足元から首筋までを、すっと撫でた。
「いいだろう。流れ者の事情を、いちいち詮索しちゃ、この商売はやってけねえ」
カウンターの古傷を、指でなぞる。顎で、丸椅子を、しゃくった。
「座んな」
ジモンは、それに、腰を下ろした。
「説明は、ミラから、聞いたか」
「だいたいは」
「なら、早い」バラッドは、カウンターの下から、一枚の、薄い金属板を取り出した。手のひらほどの、くすんだ青銅色。縁は摩耗し、表面には、見たことのない文字と、幾何学めいた紋様が、びっしりと彫り込まれている。長年、人の手に触れられてきたのか、中央だけが、つるりと、艶を帯びていた。「これが、鑑定具だ。ここに手をかざせ。お前さんの適性と力量が出る。それで、初期ランクを決める。痛くも痒くもねえ。手を乗せるだけだ」
ジモンは、その金属板を、見た。
嫌な予感は、消えていなかった。むしろ、強くなっていた。
足元のムニンが、また、わずかに身じろぎした。頭の中に、声は届かない。だが、何かを、警戒しているのが、伝わってきた。
ジモンは、ためらった。
「……どうした」バラッドが、片眉を上げた。「手を、乗せるだけだ。取って食いやしねえ」
「ジモンさん?」ミラも、不思議そうに、覗き込んでくる。
逃げる理由も、断る理由も、ない。ここで拒めば、かえって、怪しまれる。
ジモンは、意を決して、金属板の上に、手をかざした。
鑑定具が、淡く、光った。
文字が、紋様が、青白く、明滅する。
そして——
明滅が、止まった。
光が、消えた。
何も、表示されなかった。
「……あ?」
バラッドの、頬杖が、外れた。
鑑定具を、覗き込む。叩く。裏返して、底を、布で拭く。もう一度、ジモンの手を、乗せ直させる。光は、また、淡く灯り、明滅し、そして——何も、出ないまま、消えた。
「おいおい、勘弁してくれよ」
バラッドは、舌打ちをして、鑑定具を、平手で、ばん、と叩いた。苛立っていたが、その苛立ちは、ジモンにではなく、手元の道具に向いていた。
「またか、このポンコツ。だから、新しいのを寄越せと、本部に言ってんだ」
「壊れてるの?」ミラが、覗き込む。
「さあな。湿気かもしれん。接点が、傷んでるのかもしれん。こいつは、村に来て、もう二十年もんだ。時々、こうやって、機嫌を損ねる」バラッドは、ぼやきながら、鑑定具を、軽く振った。「悪いな、兄さん。あんたのせいじゃねえ。道具が、いかれてるだけだ」
ジモンは、答えなかった。
そのときだった。
足元で、ムニンが、ほんの少し、羽を、震わせた。
ジモンには、それが、見えた。だが、他の誰も、気づかなかった。
そして、頭の中に、声が、届いた。
『ムニン処理した。もう一度ヤレ』
ムニンの、平坦な声だった。
ジモンは、意味を、測りかねた。だが、考えている余裕は、なかった。バラッドが、鑑定具を、もう一度、カウンターに置いたところだった。
ジモンは、もう一度、鑑定具の上に、手をかざした。
鑑定具が、光った。
明滅する。今度は——止まらなかった。
紋様が、流れるように、文字を、結んでいく。バラッドが、それを、覗き込む。
しばらくして、バラッドの肩から、ふっと、力が抜けた。
「……なんだ」彼は、安堵とも、呆れともつかない声を、漏らした。「出てるじゃねえか。さっきのは、何だ。接触が、悪かったのか? 古い道具だからな、こいつは」
「な、何が、出たんですか?」ミラが、覗き込む。
「大したもんじゃねえ」バラッドは、鑑定具の表示を、読み上げた。「祝福、あり。名は、ジモン。出身、不明——まあ、流れ者だ、よくあることだ。力量……ふん、ほとんど、平凡だな。魔力の素養は、ほぼ、なし。腕っぷしも、並。これじゃあ、Fが、せいぜいだ」
「あ、よかったあ」ミラが、胸を撫で下ろした。「びっくりした。一瞬、何も出ないんだもん」
ジモンは、無言で、自分の手を、見ていた。
何も、していない。ただ、手をかざしただけだ。なのに、一度目は、何も出ず、二度目は、平凡な記録が、出た。
その間に、起きたことは、一つしかない。
足元のムニンを、ちらと見た。ムニンは、何事もなかったかのように、丸い目で、ジモンを見上げていた。
「ま、Fからでも、真面目にやりゃ、すぐ上がる」バラッドは、もう、いつものだらしない調子に戻っていた。木の札を、一枚、削り始める。「登録料と、こいつ——ギルドカードだ。名と、ランクを、彫っとく。受け取りな。登録料は、銅貨で、十枚だ」
銅貨で、十枚。
ジモンは、困った。手持ちは、研究所がくれた、高純度の金の小片しか、ない。ナギには、こんな村で出すな、大きな街で換金しろ、と言われている。だが、登録料は、今、ここで要る。
迷った末、ジモンは、一番小さな小片を、一つ、カウンターに置いた。
「すまない。細かいのが、ない。これで、登録料を引いて、釣りを、もらえるか。両替の手間賃は、払う」
バラッドの目が、金を見て、一瞬、見開かれた。摘み上げ、重さを確かめ、歯を当てる。ナギと、同じ仕草だった。
「……上等な、金だな。こいつは」彼は、低く、口笛を吹いた。それから、探るように、ジモンを見た。「兄さん、こんなもん、どこで」
「まあちょっと、錬金術が得意な親戚がいてね……」ジモンは、適当なことを言って誤魔化した。
バラッドは、しばらく、ジモンを見ていた。それから、肩をすくめた。
「……まあ、いい。詮索はしねえ約束だ」彼は、金を、しまった。「だが、忠告だ。こんな上物、この村でちらつかせるな。村の連中はともかく、変な奴に目をつけられる。換金するなら、ラスリンの商業ギルドまで行きな。ここらじゃ、一番ちゃんとした街だ。釣りは——悪いが、ありったけの銅貨と、銀貨で、返す。それでも、足りねえくらいだ」
ナギと、同じことを言う、とジモンは思った。
どうやら、この金は、本当に、厄介なほど、上等らしい。
カウンター越しに、じゃらじゃらと、硬貨が、積まれた。ずっしりとした、銅貨と銀貨の山。生まれて初めて手にする、この世界の、金だった。
ジモンは、削りたての、ギルドカードを、受け取った。木の札に、「ジモン」「F」と、彫られている。それが、この世界で、初めて手にした、自分の身分の、証だった。
偽りの、記録の上に立った、身分だ。
外に出ると、ミラが、伸びをした。
「はい、これで、ジモンさんも、冒険者! ね、簡単だったでしょ?」
「……ああ」
ジモンは、ギルドカードを、握った。
簡単では、なかった。
一度目に、何も出なかった、あの一瞬。バラッドは、道具のせいだと、思ってくれた。記録が、ない。生まれてすら、いないみたいに——本当は、そういうことなのだと、ジモンだけが、知っていた。
そして——ムニンの、声。処理した。
ジモンは、隣を歩く、足元の鳥を、見下ろした。
聞きたいことが、あった。だが、ミラの前では、聞けなかった。
ムニンは、ただ、とことこと、ジモンの足元を、ついてくる。何も、語らずに。
その小さな背中だけが、ジモンの知らない何かを、確かに、知っていた。
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その日の夕方、ジモンは、村外れの、人気のない井戸端に、一人で来ていた。
水を汲むふりをして、あたりを、見回す。誰もいない。ミラは、ナギの家で、夕飯の支度をしている。聞かれる心配は、なかった。
ジモンは、足元のムニンに、小声で、問うた。
「ムニン。昼間の、あれは、何だ」
ムニンは、井戸の縁に、ちょこんと、止まっていた。黒い目が、ジモンを、見上げる。
『鑑定具。誤魔化した。』
頭の中に、いつもの平坦な声が、返ってきた。
「介入」
『あの道具、お前、鑑定不可。』
「鑑定不可?」
『だから——代わりに偽者にした。』
「俺の情報を偽装してくれたわけか。そんなこともできるんだ。スゲーな」
ジモンは、しばらく、黙っていた。
つまり、ギルドカードに彫られた「ジモン」も、「F」も、ムニンの作った、偽物の上に、乗っている。
「……それは」ジモンは、慎重に、聞いた。「ばれないのか。その、偽の情報ってのは」
『大丈夫だ、問題ない。』
ジモンは、その言葉に、引っかかった。今の言い回し。前の世界で、聞いた。ゲームか、何かの、決め台詞。記憶の隅に、確かにあった断片だ。
「お前……なんで、そんな言い方を、知ってる」
『不明』ムニンは、平坦に、返した。『お前のツラに書いてある。』
「……俺のツラ……?」妙にこの鳥に親近感が湧く。名前を付けた時からか……何かしらの繋がりを感じる。
ジモンは、なんとも言えない心地で、その黒い羽を、見た。自分でも忘れていた前の世界の欠片を、この鳥は、意味も分からず、喋る。
ジモンは、汲んだ水を、見つめた。水面に、自分の顔が、揺れて、映っている。見慣れた、自分の顔だ。
奇妙な、心地だった。
自分が、誰なのか。培養槽の中に、自分が、何だったのか。問えば問うほど、足元が、薄い氷のように、頼りなく思えた。
こんな小さな村では、答えは、出ないのかもしれない。
いつか、もっと大きな街にでも出れば——何か、わかるのだろうか。自分が、何者なのか。なぜ、生き返ったのか。
まず、生きること。食うこと。足場を作ること。答えを探すのは、その先でいい。
だが、今は、それを、深く考えても、仕方がない。
ジモンは、水桶を、持ち上げた。
「ムニン」
『なんだ。』
「助かった。」
ムニンは、答えなかった。
ただ、その繊維の羽が、夕日を受けて、ほんの少し、金色に、光った気がした。
それが、何かの、返事だったのかどうかは、ジモンには、わからなかった。
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水桶を提げて、ジモンは、家への道を、戻った。
ふと、昼間の、ミラの言葉が、蘇った。
先月、村に来て、すぐに消えた、商人風の男たち。村人とは、ろくに話さず、森の方ばかり、見ていた、という。
なぜ、そんな、どうでもいい話が、こうも、頭の隅に、引っかかるのか。自分でも、わからなかった。
ただ、胸の奥で、小さな棘のようなものが、ちりちりと、疼いていた。
まるで、まだ姿も見せない何かが、もう、すぐそこまで、来ているとでもいうように。
ジモンは、知らず、足を、速めていた。




