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第3話:綻びる運命

その日の夜。軍司令部の地下に設けられた薄暗い会議室には、重苦しい空気が澱んでいた。

 長方形の堅い木製テーブルを挟み、バドバル・フォン・ボルドス伯爵と、数名の王国軍幹部、そして一人の白髪の老魔導師が座っている。


「……で、あるか。エレナ・ローゼンバルドとその部隊を、本格的に排除したい、と」

 老魔導師が、皺だらけの指でテーブルを叩きながら確認した。

「そうだ。あの女、最近調子に乗りすぎだ。前線で結果を出し、兵士たちの支持を集めるなど、貴族に対する反逆にも等しい。女が指揮棒を振るうこと自体が我が王国の秩序を乱しているのだ。早急に、かつ完全にその芽を摘まねばならん」


バドバルは冷酷な笑みを浮かべ、手元に置かれた書類の束を指差した。

 そこには、黒鴉部隊の各小隊の配置図、活動記録、そしてエレナの個人的な身上調査書が含まれていた。


「だが、ただ排除すればいいというものではない。あの女は戦場での実績が強すぎる。下手に粛清すれば、前線の兵たちが納得せぬ。反乱でも起きれば、それこそ帝国に付け入る隙を与えることになる」

 別の幹部が眉をひそめる。

「だからこそ、もっともらしい『理由』が必要なのだ。……例えば、『裏切り』などというものが最適ではないか?」


バドバルの言葉に、会議室の空気が凍りついた。

 裏切り。それは軍において最も重い罪であり、名誉を重んじる軍人にとっての最大の汚点である。


「エレナの部隊に、帝国と内通している疑いがある……という筋書きだ」

 バドバルは、不敵に口角を上げた。

「奴らは平民の集まりだ。金で転ぶ動機はいくらでも捏造できる。……特に、あの副官アルベルト。最近、エレナの右腕として鼻息が荒い。あいつに『帝国の密偵と接触していた』という濡れ衣を着せれば、エレナは必ず抵抗する。その抵抗こそが、彼女を『反逆者』として裁くための絶好の口実となるのだ」


会議室の全員が、醜悪な笑みを共有した。

 エレナがどれほど国のために戦おうとも、彼らにとってはただの『駒』に過ぎない。しかも、言うことを聞かない、扱いにくい駒だ。ならば、壊して捨てればいい。それが、この腐敗しきった王国上層部の論理だった。



同じ頃、前線から少し離れた黒鴉部隊の駐屯地では、エレナが一人、自室で地図を広げていた。

 蝋燭の小さな灯りが、彼女の横顔を怪しげな影と共に照らしている。濡羽色の髪は先ほどまでとは違い、緩く肩に流され、緋色の瞳には疲労と焦燥が混じり合っていた。


(補給が滞れば、防衛線は一ヶ月と持たない……)


エレナはペンを走らせ、戦力計算を行う。しかし、どの数字をどう当てはめても、戦力不足という結論しか出てこない。

 王国の支援は期待できない。帝国の攻勢は日に日に激しさを増しており、他の貴族部隊は軒並み後退している。このままでは、黒鴉部隊は孤立し、全滅させられる。


「……やはり、このままではいけないわね」


彼女は独りごちた。

 これまで彼女が王国に留まっていたのは、亡き父の遺志と、行き場のない部下たちの居場所を守るためだった。だが、今の王国は、もはや彼女が守るべき価値を失いつつある。


その時、部屋の扉が乱暴に叩かれた。

「隊長! 大変です!」


入ってきたのは、顔面蒼白になったアルベルトだった。彼の肩は震え、その手には一通の封筒が握られている。

「……どうしたの、そんなに慌てて」

 エレナは冷静に問いかけたが、アルベルトのただならぬ様子に、胸の奥が冷たく締め付けられるのを感じた。


「……軍法会議の招集命令です。それも……宛先は、俺個人名義で」

「なんですって?」


エレナは地図から視線を外し、アルベルトに歩み寄った。

 アルベルトから封筒を受け取り、その封蝋を解く。そこには、信じがたい内容が記されていた。


『第8独立魔導部隊、副官アルベルト・フォン・クロイツに対し。貴官には帝国軍との内通および、極秘情報の漏洩の疑いが掛けられている。本日未明、軍司令部にて軍法会議を開く。速やかに出頭せよ』


エレナの緋色の瞳が、怒りでわずかに揺らぐ。

 内通? 漏洩? そんなことは絶対にあり得ない。アルベルトは誰よりもこの国を、そしてエレナを守るために戦ってきたのだ。


「……笑わせるわね」

 エレナの声は低く、そして静かだった。

 怒りを超えて、それはすでに殺意に近い感情へと変質していた。

「アルベルト、貴方が帝国と内通している? そんなもの、誰が信じるというの」


「俺も分かりません……! 心当たりなんて何一つ! でも、もし出頭すれば、どんな罪を着せられて、そのまま消されるか……」

 アルベルトの瞳に、絶望の色が浮かぶ。

「隊長、俺は……俺はただ、隊長と一緒に戦いたかっただけなのに!」


エレナはアルベルトの肩に手を置いた。その手は冷たかったが、アルベルトを安心させるかのように優しく、しかし確固たる意志を込めていた。


「大丈夫。貴方には、指一本触れさせないわ」


エレナは部屋を見渡し、自分の愛剣を手に取った。

 鞘の魔導合金が鈍い赤色の光を放ち、彼女の決意を映し出す。


(バドバル、貴方はついに一線を越えたのね)


エレナの頭の中で、これまで耐えてきた屈辱、亡き父への思い、そして部下たちとの絆が、一つの線として繋がった。

 彼女はアルベルトを振り返り、部隊全体を見渡すかのように、凛とした声で命じた。


「アルベルト、部隊全員に戦闘準備を命じて。荷物は最小限でいいわ」

「……隊長? それはどういう」

「私たちは、もうこの国を守る必要なんてないのよ」


エレナは緋色の瞳を炎のように燃え上がらせ、静かに、しかし決然と告げた。


「この王国は、私たちの忠誠に値しない。……さあ、蹂躙を始めましょう。まずは、あの無能な将軍の鼻を明かし、貴方をあそこから救い出すことから始めるわよ」


ついに、氷の女将軍がその静かな怒りを解き放つ。

 王国と、彼女の部隊との、決して引き返せない運命の歯車が、狂ったように回り始めた。

 外では雷鳴が轟き、まるで彼女の覚悟を祝うかのように、激しい雨が大地を叩き続けていた。

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