久しぶりに何もない日
ここしばらくは忙しかった。
1日のほとんどを寝転がってすごすのが猫の生活なのに、ゴブリン騒ぎで長時間働かされたように思う。報酬は払われたので人間は満足しているようだが、私はお金をもらっても使う用がない。まあ、跳躍力は人間よりも上だし屋根の上を素早く走り回ったりできるので、私に仕事を頼みたいというのは分からなくもないが。
とはいえ、ゴブリンの件も一段落ついたので、しばらくは猫らしく1日中寝そべって過ごすことにする。
すっかり夏なので日が昇ると暑いのだが、今日は曇りということもありちょっと涼しい。中庭の木の枝の上で寝ることにしよう。
気持ちよく眠っていると、何かをたたく音で起こされた。さっきから白兎亭の中からも音が聞こえていたが、その音が大きくなった。何度も繰り返し叩いているようだ。目を開けてあたりをうかがうと中庭にギースがいて、ひっくり返したテーブルを棒のようなもので叩いている。
木の板を抱えた男が中庭に入ってくる。この男は大部屋に住んでいるやつだったな。
「家具屋と大工から余った板とか切れ端もらってきてやったぞ」
「おお、悪いな。助かるわ」
ギースが礼をいう。
なるほど。壊れたテーブルを修理しているのか。例の騒ぎで壊されたからな。
ゴブリン騒ぎでギースが白兎亭の警備をやるっていっていたそうなのだが、街に入ったゴブリンの内3匹が食堂に飛び込んで大暴れしてテーブルやら床、壁が結構壊れてしまったのだ。
激怒したアリナさんが、ゴブリンが食堂で暴れたのは警備を担当していたギースの責任だということで、こうやって修理をすることになったと聞いた。ただ、酔っぱらった剣士らが壊したものの方が多いんじゃないかということで、他の人間も手伝っているようだ。
見ると、中庭の建物の近くに壊れたテーブルが積み重ねられている。壁の穴や床にも穴が開いていたと思うが、そっちはどうなったのだろう。ここにいてもうるさくて眠れないので移動するか。
食堂に入ると、壁と床は直されたようだ。そこだけ木の色が違う。
朝食の時間も終わり、今は昼食に向けて準備中なので食堂には誰もいない。昼までテーブルの下にある荷物を置く台の上で寝そべるとするか。
しばらくすると、誰かが訪ねてきたようだ。話をしている声が聞こえる。まだ食堂は開いてないようだが。
この声はアリナさんとエルナか。目を開けるがテーブルの下からでは見えないので移動する。
「瓦版の売り上げもよくて、エルナさんところのは人気ですぐ売り切れるんですよね」
「そうなんですよ。今、印刷工房に私たちの会社も出資していて、もうすぐ大量に印刷できるようになりますから」
「そうなると、この棚も大きくするかもう一つ置いてもらわないと」
「そうですね、その時はよろしくお願いします」
仕事の話か。エルナもすっかりこの街になじんだようだ。
「あ、シイラちゃん」
エルナが私の方を見る。
「みゃあ」
やあ。
「それじゃあ、アリナさん。他にまわるところがありますので、失礼します」
「はい、今後ともよろしくお願いします」
出口に向かうエルナだが、途中で立ち止まる。
「シイラちゃん、一緒に来ない? これから他のお店とかまわるんだけど」
まあ、今日は曇りでそれほど暑くないし出かけるか。
「みゃあ」
そうだな。
と伝え、エルナが肩からかけている鞄に飛び乗る。
街の中心の広場につながる通りの入口のところで立ち止まるエルナ。
広場につながる通りは多いが、この通りはもっとも広くて人通りが多い。高級店や大会社の建物が並んでいるそうで、この街でもっともにぎわっているところだ。
「うーん。なんか日本の繁華街みたいな感じになってきたような...」
看板に広告を掲載するというエルナの案は評判を呼び、普通の建物に多数の看板が取り付けられるようになった。この通りに並ぶ商店は広告を出している方なのだが、広告を見た客が自分の店を見つけられるよう、目立つ派手な看板を取り付けるようになったと聞いている。
「中世ヨーロッパの街並みに派手な看板って、ちょっと罪悪感が...」
つぶやきながら通りを歩くエルナ。
「この感じは、なんか歌舞伎町だよね。ここはこの街の銀座みたいな通りなのに...」
ため息をつくエルナ。歌舞伎町といわれても何のことやらわからないが。
「まあ、ネオンがないだけましだけど、景観条例なんてまだないしね...」
聞いたことのない言葉が並ぶ。
「あ、エルナさん」
店の前に立つ男が声をかける。
「こんにちは、パトレンセさん」
エルナも挨拶を返す。
店を見ると、人間がお茶を飲むときに使うコップやお茶を作るための入れ物、なんといったか、がたくさん並んでいる。
「看板見て来たって客が増えててね」
「それはよかったです」
「今度、ライゼルで人気の急須が届くんで見に来てくださいよ」
そうだ、急須というんだった。
「そうですか。この前買った急須も気に入ってるんですけど、もうちょっと大きめのが欲しかったんです」
エルナの言葉を聞いて男がほほ笑んでいる。
「周りの店の看板がどんどん派手になってるもんで、うちの看板が目だたなくなってきててね」
そういうと男は通りに並ぶ看板を指さす。
「周りは赤とか黄色とか派手ですよねー」
エルナも通りの店の看板の方を見る。
確かに以前はこんなに目立つ色の看板はなかったように思う。
「例えば、こんな大きな急須を作って看板にくっつけるのはどうでしょう」
両腕を円を描くように動かすエルナ。
「斜めに取り付ければ、ここからだと形がよく見えて目立ちますよ」
「そ、それいいですね!」
ちょっと驚いたような店主の顔がすぐに笑顔に変わる。
「これは大工、いや家具職人、彫刻家か、とりあえず作れそうな人を当たってみますわ」
楽しそうな店主。
「落ちないように、固定はしっかりやってくださいね」
それからしばらくお茶の話をしたあと、この店を離れ通りを歩く。
「はあ」
ため息をつくエルナ。
「みゃあ」
どうかしたのか?
「道頓堀にありそうな立体の看板、提案しちゃったなー」
そういうともう一度ため息をつく。
道頓堀といわれてもな。エルナがしゃべる内容は知らない言葉が多い。
「まあ、既に歌舞伎町みたいな感じだし、今さら気にしてもしかたないんだけどねー」
つまり、すでに赤や黄色の看板が並んでにぎやかなところがさらに派手な看板を提案したことを気にしているということか。何が気になるのかさっぱりだが。
しばらく歩くと、デニス門が見えてきた。この街で最も大きな門だ。
「シイラちゃん、この看板すごいでしょ」
エルナが指さす方を見ると建物の壁に大きな看板が取り付けられている。建物の横幅すべてが看板で多数の広告が並んでいる。
「ライゼルとか大きな街から来る人はみんなここから街に入ってくるんだー。で、門を通り抜けた正面にあるこの大きな看板が目に入るってわけ」
以前ライゼルに行ったときもこの門から出たのだったか。戻ってきたときもこの門を通ったと思うが、その時はこんな大きな看板はなかったな。
「この広場はデニス門スクエアっていうんだ。その建物の左右で道路が分かれてるんだけど、大きな看板を設置するのにちょうどよかったから交渉して設置できたんだよ。ニューヨークのタイムズスクエアとか渋谷のような感じでしょ?」
といわれても何のことやら。
まあ、看板は大きくて目立ち、看板を見上げている人も多い。多分日本にも似たようなところがあったということなのだろう。
「街に来た人はまずこの大看板を見てから街の中に入る、って感じになってて、さっきの茶器の店の看板は7段目にあるんだよ」
そういうと看板を指さすエルナ。
見ると、この大きな看板は上に行くほど大きな広告が掲載されている。
一番上から3段目までは看板の端から端までを使った横長の大きな広告がある。4段目から6段目までは横に二つの広告が並び7段目からは9段目横に三つ並ぶ、というように下に行くほど細分化され、下の方はかなり小さな広告が多数並んでいる。
7段目の横に三つ並ぶ広告の真ん中がさっきの店の看板だろうか。パトレンセという男の名前と急須とコップの絵が描かれている。
「全部で100の広告スペースがあるんだ。下の方は手のひらサイズだけどねー」
そういうと両手の親指と人差し指で四角形を作るエルナ。
「最初は半分が自社広告だったんだけど、今では街を訪れる人が必ず立ち止まって見てくれるようになったおかげで、常に完売なんだー」
100全部売れたのなら儲かったのだろうな。
「上の大きなスペースは人気で最初は抽選にしてたんだけど、わいろを払おうとするところがでてきたから、9段目までのスペースはオークション方式に変えたんだー。特に上の3段は高額でね、会社の業績も絶好調なんだよ」
オークション方式というのはなんことかわからないが、高く売るための方法なのだろう。
広告を見るといろいろあるな。絵も多い。さっきの急須の絵の他にも服とか靴、帽子、武器の絵がいっぱいあるし、食堂とか宿屋を表す文字もいっぱいある。白兎亭の看板もあるのだろうか。ちょっと探してみるが見つからない。看板を出すにはお金がかかるそうだし、アリナさんがそんな金を出すわけないか。
「それと、あそこに街の地図があって、広告の店がどこにあるか確認できるんだー」
そういうと、大きな看板の近くに立ててある板を指さす。看板を見上げている人間は多いが、地図を見ている人間も多い。
「秋に収穫祭があるじゃない? なんか大きなお祭りらしいからうちの会社でも何かできないか検討したんだけど、聞いたところガイドブックみたいなのはどこも出してないみたいだから、うちで出すことにしたんだよ」
ガイドブックというが何かは知らないが、エルナの会社で出すということは瓦版のようなものか。
収穫祭というのは以前からよく聞く言葉だ。ギースも収穫祭に向けて金を貯めたいとかいっていたな。
気になったので収穫祭について話を聞いたところ、元は近隣の村の農家がその秋に収穫された野菜とかの販売を街の広場で行ったことから始まったものなのだそうだ。それから食べ物を売る屋台が並ぶようになると街の店も収穫祭に参加するようになり、ますます規模が大きくなっていったのだという。今では3日間にわたって行わるこの街一番の祭りということだ。そういえば、リスタの妹が収穫祭の時にこの街に来るといっていたな。
「人が大勢来るのにガイド本がないとか、この世界の出版業界はまだ始まったばかりの発展途上なんだよねー。私が知っている種類の雑誌や本も全然ないし。ここは中世くらいの時代だから、出版はこれからまだ200年は拡大を続けるはずなんだよね。観光ガイド本の未来は明るい。それに広告代理店の仕事もね!」
よくわからないが、うれしそうなので良い話なのだろう。
「ガイド本の構成も決まってるんだー。表紙をめくれば織り込みの街の地図、そして見どころの紹介が続いて後はショッピング、食事、宿泊等をジャンルごとに紹介するというお決まりの、まあ、この世界では誰もそんなこと知らないけど、という構成なんだー。シイラちゃんは観光ガイドとか見たことないかもしれないけど」
まあ、そうだな。以前いた日本では文字は読めなかったし。そもそもガイド本というのが何なのかもよくわかっていないが。
ここに来て人間の言葉の他に文字を読む能力もついたが、あまり本とかは読んでない。一度図書館に行ったが大変な目にあったし。
「で、ここはまだ写真がないから絵のうまい社員に写実的なイラストを描いてもらうことになったから、どんな絵を描いてもらうか決めないといけないんだよね。このデニス門スクエアの看板は表紙候補だねー」
絵というのは、文字ではないものを描いたものだったか。紙の上に目で見たいろんなものを小さく描くのだったな。
そういえば、エルナの会社がだしている瓦版も最近は絵が多くなったという話を聞いたな。ゴブリンの絵を見たが、実際よりも凶悪な感じになっていたが。
「私も一応へたうまな絵なら描けるんだけど、この時代には早すぎたようで採用されなかったんだよねー」
へたうまな絵というのは何のことかわからない。
「ということで、ガイド本に載せる店の紹介記事を書くため今日は1日取材なんだよねー。あ、しまった、さっきの店も取材するつもりだったのに、看板の話とか急須の話してたら忘れちゃった。もう一回行かないと」
なるほど。忙しそうだ。
「で、シイラちゃんが一緒にいるとみんなにこやかになるから、今日は日が暮れるまで付き合ってね」
「みゃあ?」
日が暮れるまで?
「時々話しかけるから返事してくれるだけでいいから。そうするとみんな笑顔になるんだよねー」
人間は猫の言葉は理解しないので適当に返事すればいいのだが、返事するには起きてないといけないじゃないか。
どうしたものか。今日は久しぶりに1日中寝そべって過ごそうと思っていたのだが。
断って逃げ出すか。いや、それはちょっと気の毒だな。同じ日本とやらの出身者だし。かといって夕方まで付き合うのも避けたい。
よし。エルナの鞄の上で運ばれてやるが、眠ることにしよう。猫は人間に好かれているので、返事しなくても寝ている姿を見せていれば十分なはずだ。




