【第3話】駆け抜ける「なめくじ」
今日の会議は17時スタートである。16時30分に会議室を覗いたら、やっぱり臼杵さんがせっせと机を並べている。なぜか7つに分けてあるようだ。この間は36人で、ちょうど割り切れたのに...私は何も見なかったふりをして、通り過ぎた。
さて、17時になった。グループは6つに戻っていた。幻だったのだろうか。
「ハイハイハイ、えー、お集まりいただきありがとうございます。えーと、おとといのですね、マルバツサンカクを点数化してみました。評価軸が13あるので、8点満点が9項目と、えーと、あ、ハイハイ、7点がー4項目ね。ハイ。100点満点としました。マルが満点、サンカクが6点、シカク、あーイヤイヤイヤ、バツが4点。えー、ハイ。」
こういった手法は一見、客観的でいいように思うが、いくつか問題がないわけではない。ひとつは、突出した良い点を強く評価することができないこと。もうひとつが、この配点。差をつけるならばバツは0点とすればいいし、8-6-4のような等間隔もあまりよくない。私なら最低でも8-3-0ぐらいにするかもしれない。100点満点にすることにもこだわらないし、特に重要だと思う項目については、配点を上げる。どうやら臼杵さんが会議を翌々日にしたのは、こういった異論を挟まれることなく作業をやりたかったかららしい。
15あった候補のうち、「富士」はやはりトップになっていた。トップになっていたのだが、同率73点で5つの候補が並んでいた。ちなみに最低点は62点。凄く狭い範囲にひしめき合っている。
「えー、どうしましょうかね、これ...」
臼杵さんの勢いが止まった。濱田部長は誰かに呼ばれたのか、会議室を出ていった。
黒木さんはさっきからずっとノートPCでなにやら調べ物をしているようだったが、急に手を止めてニヤリと笑った気がした。私はそれを見逃さなかった。
「なんか見つけたの?」
「いや、『スーパーなめくじ』って愛称、あり得るんですね。」
みんな頭に「ハテナ」が浮かんでいた。
「お、デゴイチか。」
浅間さんだけは、いつになく楽しそうにしている。
ほとんどの人が2人の会話の意味を理解しようとするわけでもなく、しばらく沈黙が続いた。やがて静かになった会議室に、バタバタと遠くから走ってくる音が聞こえてきた。
「あ、すみません、これ参考になるかな?」
濱田部長が戻ってきた。5階にあるこの会議室まで、階段を駆け上がってきたようだった。手には車両のイメージスケッチのようなものを持っている。全員の視線がそこに注がれた。
丸みを帯びた先頭車両に、突き出た2本のアンテナのようなもの。逆に後ろの方は、妙に尖っている。16両編成のはずだが、クルマの間の境目はほとんど分からない。パンタグラフはなく、塗装はベージュか、カフェラテのような色をしている。見たこともないデザイン。でも、なにかどこかで見たことがあるような気がする、そんな不思議なデザインであった。
「おお、こりゃDDMだね。ついに実現したのか...」
浅間さんは、さっきよりもさらに楽しそうな顔をしている。
「ん?あ、なんの略だったかな。このアンテナみたいなやつのことだヨ。なんか、色んな機能があってさぁ。」
浅間さんが話し終えるのを見計らって、黒木さんが言う。
「こりゃもう、『なめくじ』じゃないですか。」
調べてみると、「なめくじ」は今から100年以上前、1935年から製造が始まった大型の蒸気機関車「D51」のうち、最初期の95両につけられた通称名であった。ボイラーの上に置かれた機器を覆う流線形のカバーが「ナメクジ」に似ていたことから、こう呼ばれていたらしい。カバーの長い「スーパーなめくじ」と呼ばれた形態もある。殊に「鉄道」という分野においては、ある意味伝統のあるネーミングなのである。
「試しに点数つけてみましょうよ。」
黒木さんは微妙に悪い人の笑みを浮かべながら提案した。
「『親しみやすさ』は、バツだろうか?」
「あんなにどこにでもいるのに?それに、『イメージ』とは区別して考えないと。」
「『機能』は?」
「滑らかな感じ。」
「じゃ、『勢い』は?」
「客観的に濁音系の有無だけで評価するって決めたじゃないですか。」
「『系統化』は?」
「実績のある『スーパーなめくじ』でいけます。」
「これって『ジェンダーフリー』なの?」
「雌雄同体だね。」
意外なほどにマルが埋まっていく。点数を足し合わせると、87点になった。13にまで増えた評価軸のうち、ナメクジの最大の弱点であった「イメージ」の配点は「たったの8点」しかなく、他にナメクジのネガティブな部分を減点できる評価指標が存在しなかった。
「ハイハイハイハイ、やりなおし!精査しましょう。」
「直感で」と言っていた、その本人が点数に疑義を唱える。濱田部長と、小声で会話しながら、全部の点数をつけなおす。いくつか評価が上下しているように見えるが、あまり大きく変わったところはないようだった。1時間ほど経っただろうか。首を何度も横に振りながら、臼杵さんが合計点をスコア表に書く。
「ハイ、88点です。」
この後も、様々な切り口から議論が続いた。しかし、考えれば考えるほど、これまでに議論したほぼすべての議論が「なめくじ」に味方していた。「なめくじ」に勝てるだけの、強い対案も出てこなかった。
「はい、じゃ、とりあえず『なめくじ』で。」
濱田部長の声で腕時計に目をやると、針は22時ちょうどを指していた。臼杵さんは「終電」とだけ言い残して、駅に向かい走っていった。
その後もしばらくの間、女性社員を中心に反対運動が起こっていたようだが、誰かが書いた「なめくじ」のイラストが社内に拡散するや、「キモかわいい」、「意外に悪くない」という意見が増え始め、いつしか反対する人はいなくなった。イラストの片隅には、小さく「Midori」とサインしてあった。




