第7話 体育祭がやってくる
「さて、6月28日は体育祭ですが、もう1ヶ月前になります!」
総合の時間、クラスに漂う怠慢な空気に喝を入れるように体育祭実行委員が言う。
その声の主は、向井さんの友達でもある大内亜未という薄紫のボブの女子生徒だった。
ちなみに、男子の実行委員は赤城くんだ。
噂によると、大内さんは赤城くんのことが好きらしい。
確かに、僕の色眼鏡かもしれないけど、やけに気合が入っているようにも見える。
テキパキと進む進行は、早速、誰が何に出るかの種目決めに入った。
細かい点数配分などの話もあったけど、興味がないから全く耳に入ってこない。
そして、種目決めといえば言及しなければならないことがある。
「――――んで、綾菜はどうしよっか」
そう、向井さんの体質である。
向井さんは当日どうなるか分からない。
だからこそ、比較的難しい動作のいらないものにする必要がある。
ちなみに、今日の向井さんは味覚が欠けているらしい。
(乗り気じゃない僕からすればありがたい話だけど、でも……)
この間の帰り道で話したところを見ると、向井さんは身体を動かすのが好きな方だろうから、ちょっと気の毒だった。
それも、こうやって晒し上げるように名指しされるのは。
「んー、借り物競走とか? 騎馬戦とかはなぁ……。あとは全員参加でしょ?」
向井さんが明るさを保ちながらも、いつもより1トーン落ちた声で答える。
「ん、了解。じゃあ、借り物競走と……。あ、なら障害物競走は? 出られなくなっても、別に点数低いから問題ないし」
「あ、うん。じゃあそうする」
「おっけ!」
僕らの学校では、基本的に《1人2競技》か《1競技+リレーで2回出走》をしなければならないという決まりがあった。
僕らのクラスは他クラスと人数を合わせるため、1人だけ2回走る必要があり、それに向井さんは選ばれた。
向井さんが決まると、それぞれが立候補して、被った場合はじゃんけんをし、話し合いが進んでいく。
最終的に、僕は全員リレーに2回出走とムカデ競走、赤城くんはムカデ競走と全学年選抜の騎馬戦、大内さんは応援合戦と僕と同じく全員リレーで2回出走することになった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その日の帰りの廊下、僕は心の中で安堵の息をつく。
(……ふう、なんとか応援合戦を回避出来て良かった)
応援合戦、というのが僕らの学校にはあった。
普通は応援団が行うものだろう。
が、僕らの学校では、各学年・各クラスの6〜12人が何かしらを披露する。
つまり1学年4クラスなので、12クラスが何か見せ物を披露すると言った具合だ。
持ち時間は3〜5分。
内容はなんでも良かった。
基本は、チア風ダンスが多いらしい。
あとは、体力に自信がなかったり激しい出し物をしたくない人たちは演奏をしたり、凄い年ではアニメやドラマなどのパロディ演劇をやったクラスもあるらしい。
僕は、とにかくそれが嫌だった。
だから、今日の朝から、それだけにはならないよう祈り続けていた。
まあ結局は、率先して吹奏楽部の人や軽音部の人たちが「演奏のほうが楽だから」と枠を埋めてくれたから、そこまで必死に祈らなくてもよかったのかもしれないけど。
(……でも、勝ちは勝ちだ!)
僕はグッと拳を握り密やかな勝利を喜ぶと、顔を上げて前を向く。
すると、少し遠くのほうに、窓際に背を預けながら、手持ち無沙汰で何かを待っているような向井さんの姿があった。
向井さんはこちらに気づくと、フリフリと手を振る。
僕は向井さんの元へ行くと、何をしているのか尋ねた。
「亜未を待ってるんだ。ほら今日、誰が何に出るか決めたでしょ? 亜未、体育祭実行委員だから、その集まりでそれを報告してるんだって」
「向井さんと大内さんは、前から友達なの?」
「あー、うん。中学から学校は違うんだけど、ダンススクールで一緒で。お泊まりするくらいには仲良いよ」
僕は、行事ごと以外で誰かとお泊まりなんてしたことがなかったから、本当にそう言うことがあるんだな、と、少し驚いた。
東京でも家に人を招くこともなく、こっちではまだ赤城くんくらいとしか遊んだことがないから特に。
「ってことは、赤城くんもか……」
僕は何の気なしにそう呟く。
すると、ぼーっとしている僕の横で、向井さんが複雑そうな表情で聞いてきた。
「……あー、知ってる? 亜未が赤城くんのこと好きって噂」
「え、あ、うん。なんとなくは……」
話の舵を予想外の方向に切られ、僕はしどろもどろになりながら答える。
僕の返事を聞くと、向井さんは少し黙り、それから目を伏せたまま呟くように言った。
「誤解、しないでね」
「え?」
「亜未はね、推薦をもらうために体育祭実行委員になったんだって。赤城くんのことが好きだからとか、そういう不純な動機じゃなくて、だから……」
そこで、ようやく気がついた。
赤城くんの名前を何も考えずに挙げてしまったせいで、僕も他の人たちと同じように、大内さんに良くない印象を持っていると思われていることに。
「あ、ち、違うよ! そういう意味で言ったんじゃ……! 僕はただ、赤城くんと仲良くさせてもらってるから、泊りの話のはずみでつい名前が出ちゃっただけで……」
「そっか。なら良かった」
向井さんが笑う。
そこで大内さんの話題になってから、ようやく向井さんと目が合った。
「でも、推薦か……。凄いね、今からそんなこと考えてるんだ」
時たま、すでに塾に通って志望大学に向けて勉強をしている人やそういう内申点を稼ごうとしている人を見ると、自分のちっぽけさや将来のビジョンの無さを実感する。
「応援合戦を選んだ理由も、リーダーとしてみんなを纏めて優勝したっていう、少しでも面接とかで話せることを増やすためみたい」
その話の途中で、僕はふと種目決め中の向井さんの曇った顔を思い出した。
「……そういえば、良かったの? 向井さんはあれで」
「良かったって?」
「出る種目」
「あー……」
向井さんは言い淀んで、目を伏せる。
「良いんだよ。私、当日は参加できないかもだし、なるべく迷惑かからないようにしたいから……」
そして、自身の首元に手を回し、無理に作った笑顔を向けてきた。
(……そうか。そういうこともあるのか)
僕は、自分の興味のために考えなしに残酷なことを聞いてしまったようで、すぐに申し訳なくなった。
(――――って! 全く、僕ってやつは何してんだ!!)
無言になってから、僕はすぐに烈火の如く自分を責める。
(この間の帰り道があって、すぐこれか!! これじゃあ、みんなの前で向井さんを名指しした大内さんと何ら変わりないじゃないか!!)
心の中では、小さな自分が頭を抱えてのたうち回り、自分で自分を何度も殴った。
それでも、目の前の気まずい空気が払拭されるわけではない。
すると、「どうしよう、どうしよう」と問答を繰り返す僕を救ったのは、意外な人物だった。
「あ、綾菜! 終わったよー! 帰ろ!」
薄紫の髪が、風に弾む。
廊下の先から現れたのは、大内さんだった。
続いて、赤城くんが姿を現す。
「よっす」
赤城くんは目が合うと、手を挙げて挨拶をしてくれる。僕も、手を挙げてそれに返す。
すると、すぐにそれを遮るように、視界に影が入り込んできた。
「……なんで、あんたが綾菜といんのよ」
僕が赤城くんに目をやっている隙に、いつの間にか大内さんは僕と向井さんの間に割り込んでいた。
大内さんは僕の顔をじーっと見つめると、不機嫌な顔のままで迫ってくる。
「綾菜、無理矢理話しかけられたなら、無視しても良いんだよ? こういうのとつるむタイプじゃないでしょ?」
そう言うと、大内さんはパッと顔を振り返らせて向井さんのほうを見た。
「いやいや、普通に話してただけだから……」
過保護な親を宥めるように、向井さんが言い返す。
「そうそう。無理矢理話しかけるようなやつじゃねえよ、こいつは」
すると、それに赤城くんも続いて擁護してくれた。
2人の言葉で、少し救われる。
が、しかし、疑念が晴れないのか、大内さんは向井さんのことを抱き抱えると、再び紫の髪を勢いよく振ってこっちを向く。
そして、頬を膨らませ、こちらを探るような視線で上から下までなぞると、
「……行こ、綾菜。期間限定の桃のやつ終わっちゃう」
と、何かを押し殺したような低いトーンでそう言って、向井さんの背を玄関口のほうへ向かって押し始めた。
「余計なちょっかいかけないで。どうせ、綾菜を傷つけるだけなんだから」
すれ違いざま、大内さんは僕の耳元でそう呟くそのきつい目つきで見つめられると、視線の先がヒリヒリとしてきて煙が上がりそうだった。
「――――あ、ご、ごめんね。じゃあ、また明日!」
それが聞こえてか聞こえなかったか、向井さんが押される力に抗いながらそう謝ると、2人は段々と廊下の向こうへ消えていってしまった。
結局、その場に残っているのは、僕と赤城くんだけになった。
「向井と仲良かったんだな」
「……たまに話すくらいだよ。隣の席だし」
「そっか。んじゃ、せっかくだし一緒に帰ろうぜ」
先ほどまでの僕と大内さんのやり取りを気にも留めず、赤城くんが呑気そうに言う。
僕は、その誘いに「うん」と応えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――――いやー、楽しみだな! 体育祭!」
校門を出るなり、赤城くんが屈託のない笑顔でそう言った。
誰かと並んで帰るのは、向井さん以来2人目だった。
「ところで、赤城くん。今日は、テニス部はいいの?」
「ああ。実は、体育祭実行委員会の担当が顧問の先生でな。今日は忙しくて面倒見れないから無しだって。みんな喜んでたなぁ。専用コートだから練習ほとんど毎日あるんだよ、俺たち」
赤城くんがサイダーの泡が弾けるように爽やかに笑うと、夕凪が赤城くんの赤と黒の混じった癖毛を撫でていく。
この清涼感は、そのテニス由来なんだろうか。
「赤城くんも、練習は嫌い?」
「うーん。面倒臭い日もあればって感じだな……。あ、OB来る日とか、あと雨の日なんかは室内練習で筋トレが多いから」
赤城くんは顔を顰めて答える。
それだけで、本当に嫌だという気持ちがひしひしと伝わってきた。
「テニスって、オリンピックとかだと個人戦のイメージがあるんだけど、部活とかの大会もそんな感じなの?」
「んにゃ、団体戦もあるぞ。テニスには、1人で戦うシングルスと2人で戦うダブルスってのがあって……。ほら、卓球とかも『なんちゃらペア』みたいに言ったりするだろ? テニスもあんな感じの2人で戦うやつがあんだよ。で、団体戦はダブルス2回やった後にシングルス3回して、勝ち星の多いチームの勝ちって感じ。5対0で勝つ時もあれば、3対2で勝つ時もあるな」
「へえ……」
赤城くんの説明を受け止めると、僕はぽつりと呟くように聞いた。
「……ねえ、やっぱり誰かと優勝を目指すとか、何かをするって楽しい?」
「おう! ――――あ、もしかして、なんか部活やりたいのか!? テニス部ならいつでも……」
「ああ、いや! 僕じゃなくって、友達の……」
しかし、僕の口はそこでボロを出すまいと、端を結ぶ。
赤城くんには、なんでも言ってしまいそうになる謎の受容力があった。
「ねえ、赤城くんはさ、性格とかじゃなくて、もっとこう根本的なところで輪に加われない人がいたとしたら、どうする?」
「……何かあったのか?」
赤城くんが声の明暗をぱちっと切り替えて、真剣な表情で聞いてくる。
きっと赤城くんに全てを打ち明ければ、向井さんが納得いくような形でなんとかしてくれるだろう。クラス中を巻き込んででも。
――――“私、当日は参加できないかもだし、なるべく迷惑かからないようにしたいから……“
だけど、その時、廊下での向井さんの表情が頭を過った。
「……いいや、大丈夫。これは僕の身勝手な問題だから」
そう、これは向井さんに頼まれたことでもなければ、僕が勝手にやるせなくてモヤモヤしているだけのこと。
(……きっと、これは向井さんが当たり前に諦観するようになるくらいには、何度も悩んできたことなんだろう。なら、勝手に外野の僕が騒ぎ立てるようなことはしたくない。する必要も、ない)
僕は臆病だから、友達の話だとか例え話だとか言って誤魔化すことも出来たのに、こんなことも相談できずにただ自分の中にそっとしまってしまう。
だけど、僕はまだ自分の不満足を飲み込む器用さも覚えられてはいなかったみたいで、その日の帰り道、僕は赤城くんと一緒だったというのにぶすくれた顔をして、ちっとも楽しさを感じることはなかった。
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