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向井綾菜とカケル日々 - 日替わり欠損体質な彼女は -  作者: 誰時 じゃむ


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第2話 陽だまりの影で


「いやー、1限の体育の後の現代文はきちいって! まじ寝ちまうよー」


 褪せた緑色の階段に、まばらな足音が響く。

 1年C組の教室に向かって、時に女子の目を気にしてわざとらしくはしゃぎながら、いわゆる1軍と呼ばれるような集団が移動していた。


「――――んで、さっき言ってた店30センチくらいの串ブッ刺さったバーガー出てくるんだけど、お前30分でいける?」


「……いけるね」


「いやいやいや、バンズがマジでパンケーキぐらいあんのよ」


「いけるね」


「嘘こくなよ、お前! え? いけんのね? なら、今日の放課後行こうぜ」


「ごめん、部活あるわぁ」


「はい、逃げね。逃げ1だわ。もうこれぺナルティだから」


「ペナルティ?」


「窓の下に白いワゴン見えるだろ? あれに2階から飛び降り」


「出来るかぁ! 頭湧いてんのか、てめえ」


 1軍集団の先のほうでは、男子生徒たちが馬鹿話をしていた。


 そして、僕は集団の進みの遅さに小さな憤りを覚えながらも、その後方をやや俯きながら少し離れて歩いていた。


 すると、そんな僕を見かねてか、集団の1番後ろにいた赤と黒の混じった癖毛の男が僕に声をかけてくる。


「今日、やばかったな! 顔にボール当たってたけど、大丈夫だったか?」


 男はそう言って、ニカッと笑う。廊下に差し込む光と重なって、ちょっと眩しかった。


 声をかけてきた男の名は、赤城(あかぎ)といった。

 赤城くんは185センチもあって、僕より何回りも大きかった。


 しかし、その整った顔や柔らかい表情、男女問わず話しかける人懐っこさから来る爽やかな印象とによって、誰にも威圧感を感じさせなかった。


 僕も、彼のことを嫌だと感じることは一切なかった。


「……あ、うん。ちょっと眠くて、ぼーっとしてた」


 僕は赤城くんにそう答える。が、そんな言葉とは裏腹に、


(本当は、朝の向井さんとのやり取りが何度もリフレインしてきたせいで、集中できてなかっただけなんだけど、ね……)


 と、誰にも聞こえないよう心の中で呟いた。


 しかし、そんなことはつゆ知らず、赤城くんは僕の言葉を素直に受け取ると少しだけ安心した表情を見せる。


「そっか。あれだったら、保健室行っとけよ? 俺が伝えとくからさ」


「うん。大丈夫。ありがとう、赤城くん」


 僕はこうやって感謝を言葉にするずっと前から、赤城くんに感謝していた。


(……本当、ありがたいな。同じ学校の出身もいなくて、独りぼっちの僕に入学早々話しかけてくれて。おかげで、クラスメイトとも普通に話せて仲良くなれたし)


 僕は、心の中でそのありがたさをしみじみと感じ、うんうんと頷く。


 すると、そんな赤城くんを、前の方にいた1軍の誰かが呼んだ。


「赤城、次の小テストの範囲覚えてる?」


 赤城くんは、その声に反応してすぐに前に向き直る。と、その背中は無意識に、僕を頭から覆う大きな影を作り出した。でも、そんな彼の影が、僕にとっては居心地が良かった。



 ――――しかし、だからだろうか。



 赤城くんの向こうから飛び出してくる影に、気がつくのが遅れたのは。


「向井! 次、現代文だぞ」


 階段の先、窓の奥に広がる青空から差し込む光の中、階段をいくつも飛ばして向井さんが現れる。


 そして、ゆっくりと動く時間の中で、青空を引っ張ってきたような水色のインナーカラーが僕の横を通り過ぎて行った。



 直後、赤城くんにすれ違いざまに声をかけられた向井さんは、踊り場で少しだけ立ち止まって何かを羽織るような仕草を見せる。


 が、それからすぐに踵を返すと、僕には一瞥もせずものすごい勢いで再び階段を下っていった。


「……忘れ物か? 元気だな」


 赤城くんが、そのドタバタぶりを見てヘラッと笑う。

 その後ろで、僕はただただ向井さんの背中を見送っていた。


「赤城、行こうぜ」


「……おう!」


 男子生徒の1人が赤城くんの名を呼んで、集団がまた教室に向かって動き始める。僕ももちろんそれに続いて歩き出す。


 だけど、そんな中で僕は少しのモヤモヤとした気持ちと格闘していた。


 僕と向井さんの関係は、ただ隣の席。

 それだけ。


 もちろん廊下ですれ違っても挨拶はしない。


 窓の外を眺めながら、もしも教室にテロリストが来たらとか街にいきなり隕石が降ってきてゾンビウイルスがばら撒かれたらとか、そういうことばかりを考えている平凡生徒Aが、その翡翠色の瞳に映ることはない。


 それでも、声をかけられもしないとなんだか寂しい感じがするのは、僕も向井さんに惹きつけられた1人だからなんだろう。


(こう、アイドルにファンサを貰えなかった観客、的な……?) 


 そもそも僕が向井さんを気にし始めたのは、その上品とは言えない豪快な笑い方と明るさを、彼女が入学してすぐ取り繕いもなく人目に晒していたからだった。


 そして、その明け透けな人柄を通して生まれる陽だまりは、多くの人にとって心地良いものだった。



 きっと僕は臆病な人間だから、赤城くんや向井さんのように陽だまりの人間に執着して寄生して生きていくことが心地いいんだろう。



 思春期特有の自虐と捻くれ。僕は未だ続く馬鹿話を尻目に、そんなことを考えていた。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ――――ガラガラガラッ! バンッ!


 教室に戻って5分ほどが経った頃、勢いよく教室の後ろ扉が開かれた。


 みんなは先生の誰かが怒りで扉を勢いよく開けたのかと、その唐突な衝撃音に驚き、身体をビクッと硬直させる。



 が、そこに立っていたのは、ジャージを頭から被って息を切らす向井さんだった。



 みんなが向井さんを見て、教室一帯が静かになる。


 しかし、当の本人はそんな視線を気にもせず、ジャージを頭からするりと下ろして顔を露わにすると、乱れた髪を直しながら自分の席に座った。


「なんだ、綾菜かー」


 扉をいきなり強く開くなんて行為は、大抵の人が行えば少しは陰口をささやかれそうなものを、向井さんと分かれば教室の雰囲気はすぐにワッと和らぐ。


 そして、すぐに向井さんは女子生徒たちにぐるっと囲まれてしまった。


 人気者の向井さんは、いつも違う誰かといるようにも思える。


「ってか、今日の体育の綾菜、ガチ忍者だったよねぇ。いつも騒がしいから目立ってるけど、今日はまじでどこから現れるか分からんかったぁ」


 女子生徒の1人が言う。


《それな!》


 向井さんはそう言う代わりに、友達を両手の指鉄砲で指した。


 今、向井さんは【声(・)】を失っている。


 しかし、それでも周りに人は集まるのはきっと、向井さんにおける【声】は向井さんという存在を外に発するただの手段の1つでしかないんだろう。


 ――――ガラッ。


 今度は教室の前の扉が開いて、次に授業をする教師が入ってくる。


 僕は、向井さんの席から散っていく人たちの背中を見て、またそれに向かって笑顔でひらひらと手を振る向井さんの姿を見て、そう思った。 



 2時間目の授業を行うのは、40代ぐらいの現代文教師だった。


 名は堺(さかい)といい、現代文教師なのに生活指導やるくらいには厳格であった。

 そして、授業は何より退屈だった。


(赤城くんの友達も言ってたけど、体育の後にこれはきついな……)


 瞼にかかる重力が、いつもよりも強い。

 意識の境目も曖昧だし、皆、首をガクンガクンと縦に揺らしている。


 中には、突っ伏している者もいたが、そういう生徒は例に漏れず「堺砲(さかいほう)」と呼ばれる大声で起こされ、手元にある成績表で容赦なく評価を下げられていた。



 しかし、そんな魔の時間を1人、楽しんでいる者がいた。



 ――――そう、向井さんである。



 向井さんは一見、教科書類を机の上に広げ、真剣に授業を聞いているように思える。


 が、その実、机の上に置かれた右腕の袖の隙間からは、まるでマジシャンのミスディレクションのように教卓からは影になるところでスマートフォンが顔を出しており、さらに反対の左腕で机に肘をついて耳元を押さえると手の隙間からはワイヤレスイヤホンが見え隠れしていた。



 向井さんは授業中に、それも学校で1、2を争う厳しさを持つ授業中に、動画を流し見していたのである。



 さらに声が出ないのを良いことに、時々、向井さんは顔を伏せてケタケタと笑う。


(――――リスキーすぎるよ! っていうか、表情でバレるって! こんなクソ面白くない授業、ただでさえ真面目に聞いてる人が目立つのに、笑ってたらもっと目立つって……!!)


 僕は、その光景にただただ愕然としていた。――――その時だった。



 堺が息を吸い込む。そして、丸められた教科書をメガホン代わりに、



「――――おはようございます!!」


 そう、寝ていた生徒に向かって叫んだ。そして――――。


(――――まずい! 堺がこっちに来る!)


 そこで、僕は気がついた。


 しかし、そう思った時にはすでに、教室を音読をしながら巡回する堺はこちらに顔を向けていて、向井さんに声をかけることも出来なかった。


 もし堺がこちらを見ている中、僕が何かして、それで向井さんのことがバレてしまえば本末転倒だ。


 呑気に動画を見ている向井さんをよそに、堺は1歩また1歩と迫ってくる。


(――――どうする!? 向井さんを……!)


 堺の歩みにつられて僕の鼓動は早くなっていく。


 助けなくたっていい。

 そんな理性とは裏腹に焦りは募り、全くその光景から顔を背けられない。


 そして、ついに堺が向井さんの隣の席に達した時だった。


「――――せ、先生!」


 僕の手は自然と動き出していた。


(向井さん、なんとか僕が堺を引きつけてるうちに!)


 目立つのは好きじゃない。

 だけど、持ちつ持たれつが学生というものだろう。


 祈るような思いで、僕は向井さんにテレパシーを送る。


 ――――が、しかし、手を上げかけた、そのわずか1秒後のことだった。


 向井さんは僕の願いが届くどころか、堺(・)が(・)振(・)り(・)向(・)く(・)よ(・)り(・)も(・)早(・)く(・)指をクイっと動かすとスマホを袖口にしまい、代わりに手元に落ちていたシャーペンを握り、同時にイヤホンを慣れた手つきでしれっと左耳から外し、握り込んで隠す。



 そして、何事もなかったかのように知らん顔で前を向いた。



(……って、ええええええぇっ!? そんなに手際よく、収納出来るんかいぃぃぃっ!!)



 僕が手を挙げるタイミングと向井さんが堺を察知して偽装工作をするタイミングが交差し、すれ違う。

 今、僕はただ授業中に手を挙げた人になり、僕の焦りは宙ぶらりんになっていた。


 一方、教室では僕が質問した拍子に何人かがビクッとして、また何人かが迷惑そうにこちらを見る。


 そして、それは堺も例外ではなく、不快そうにこちら下ろしていた。


「……なんですか」


「あ、こ、この『偏在化(へんざいか)』って言葉の意味が、わ、分からないんですが……っ!」


 身体の側面を、かいたことのない種類の汗が伝っていく。


 向井さんの予想外の裏切りによる動揺と、授業中に発言することに慣れていないせいで声が吃った。


「……それは後で聞いてください」


「ひっ! す、すいません……」


 そうですよね、と、心の中で泣きながら僕は呟いた。

 その冷たい目に睨まれて、少し背が縮んだような気すらする。


 それから堺は他に何も質問がないことを確認すると、僕と向井さんの間を通過する中で不機嫌にため息をついた。そして、それが僕の心にとどめを刺した。



 ――――ゴツッ。



 僕は、朝の向井さんとのやりとりで生じた爽やかで気恥ずかしい『照れ』とは違い、今度は顔から火が出るほどの痛々しい『恥』で火照った顔を、恥ずかしさのあまり机にぶつけた。


 冷たい板に、おでこから身体の熱がじんわりと逃げていく。

 それでも、内側からは次々に行き場のない感情が湧き上がってきた。


(あぁぁぁぁぁぁっ……! なんだって質問しちゃったんだ!!)


 叫びたい。叫びたくてたまらない。


 だけど、そうしてしまったらもっともっと変な奴になってしまうから、僕はなんとか地団駄を踏みたがる足を押さえて、代わりに「でも、これでいいんだ。向井さんが怒られなかったなら」と自分に言い聞かせた。



 それから少しして、僕は目を閉じたままコテンッと首を横に倒す。


 すると、そんな僕のおでこを、折り畳まれた何かがトンッとノックした。



 目の前に落ちたそれは、折り畳めれたメモ用紙だった。

 そして、その先にはこちらをニヤニヤと見つめる向井さんのしたり顔があった。



《助けようとしたんでしょ》



 開いたメモ用紙には、そう書かれていた。


「違っ……!」


 いや、違くはないのだけれど、僕はその余計なお世話をしたという気恥ずかしさから、それを否定しようとする。


 しかし、向井さんは見透かしたように「ふーん」と言うような態度で小さく何度か頷くと、再び千切ったノートに何かを書き始めた。


《見たかった? 一緒に》


 再びメモ用紙が飛んでくる。

 僕はそこに書かれた内容にびっくりして向井さんのほうを見ると、向井さんがイタズラっぽく笑って小さく手を振るように右腕の袖口からスマホを覗かせた。



「――――あ」



 が、そんな時だった。



「……向井さん」



 その一声で、向井さんは肩をビクッと跳ねさせ、身を固める。


 そして、油の切れた自転車のようにギギギギッとゆっくり振り返り、目を瞑った。


「授業中のスマホの使用は禁止ですよおぉぉぉぉぉぉっ!!」



 次の瞬間、圧縮された堺砲が向井さんの耳を貫く。と、向井さんの袖口から、スマホが引き抜かれた。



「没収です。放課後、反省文と共に取りにくるように」


《YES!》



 向井さんは事前に用意していたスケッチブックを取り出し、そう書かれたページをチョイスして堺に見せる。


 凝った装飾のされたその文字が、余計に虚しさを増していた。


 ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


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