第17話 意気消沈
――――ズーン。
2組男子一行は、意気消沈していた。
退場する際の駆け足もまばらで、どこか元気がなかった。
そして今、皆は椅子に座ってがっくしと肩を落としている。
「……あんなに落ち込むかね」
そんな様子を見て、観客席の外れのほうで突っ立っている赤城くんが呟いた。
「まあ、ただの噂じゃなくて、一応実績のある伝説だったからね」
僕もその隣で、みんなには聞こえないように囁く。
「そんなに欲しいか? 彼女」
すると、円陣を取り仕切るなり積極的に声をかけるなりして1番張り切っていた男子生徒が、耳をヒクッとさせる。
そして、顔を伏せたまま立ち上がると、ズカズカと赤城くんの目の前までやって来て、
「分かんないでしょうねえ! お前みたいにいつでもモテるやつにはよぉ!!」
と、半泣き半ギレ状態で赤城くんに食ってかかった。
「お、お、お、落ち着け……!?」
「赤城、水とジュース普段どっちを選ぶ!?」
「は?」
「良いから答えろ! 味のしねえ透明の水と甘くて色もついてるジュース、どっちだ!?」
「……それは、ジュース?」
「そうだよなぁ!? 別に好き好んで飲みやしねえよなぁ! 俺もそうだよ! じゃあ赤城、目の前に水があったら飛びつくか!?」
「……いや?」
「じゃあ、限定品のジュースだったら? そうでなくても、自分の好みのジュースだったら!?」
「ま、少なくとも買おうとはするかもな」
「そう! ジュースには味という付加価値がある。好き好みもある。だが、水はどこまで行っても水だ! たとえ10円だろうが、3000円だろうが飛びつくには値しない!」
「いや、3000円なら、逆に興味……」
しかし、そう言いかけた赤城くんを遮って、男子生徒は続ける。
「だが、水にも付加価値がつくときがある。例えば、今ここが砂漠だとしよう。そして、お前は喉がカラカラだ」
「……カラカラ」
「そんな時、お前はたまたま地面に刺さったペットボトルを見つける。そこらへんの自販機にも売っているような水の入ったペットボトルだ」
「いや、砂漠にペットボトルがあるなんてことは……」
「今はそこじゃない! そんな時、お前は飛びつくか!? その水に!?」
「……お、おう。カラカラだしな」
「そゆこと!」
そこで、赤城くんに必死に訴える男子生徒は指をパチンと鳴らした。
「では、赤城が足を怪我したとしよう。傷口は泥まみれ、早く何かで洗わなくちゃならない。そんな時、目の前には水とジュースが。さあ、お前はどっちで足を洗う?」
「それは、水だな。ジュースは洗うのに適してないし、傷に滲みるかもしれないし」
すると、男子生徒はもう1度指をパチンと鳴らした。
そして、語り出す。
「普段は見向きもされない《水》、しかし、それが時には飛びつかれることもある。――――そのシチュエーション全てに共通するのは、通常状態ではないということ。つまり、非日常だ。――――そして、この体育祭は学生にとってその非日常なの! チャンスなの! 唯一、飛びつかれるかもしれないチャンス!」
そう言って男子生徒はグラウンドを指差す。
グラウンドでは、2年生の男女選抜による二人三脚が行われていた。そして、目の前には3組の男女ペアが。
「もー! ちゃんと歩いてよ!」
「そっちが合ろよ!」
「俺が合わせるから、大丈夫。頑張ろうぜ」
「うん……!」
「……もうちょっとこっち寄れよ。走り辛いだろ」
「……良いけど。変なことしないでよね」
これは友情なのか、恋心なのか、憧れなのか、それとも気の迷いなのか、そんな曖昧な感情で揺れる恋愛で1番楽しい時間を各々のペアが各々のやり方で過ごしていた。まさに、青春である。
「で、でも、イベントならこれからもあるし……」
「……ッ、があぁぁぁぁぁッ!! これだから!! イケメンは!! ボロが出るだろうが! ボロが出始めたら、俺たちは泥水なの! 排水溝を通っていく、飲むなんて思考が一度たりとも頭を過らない泥水!! 水でいられる保証はないの!!」
そう言って、男子生徒は赤城くんの肩をガタガタと揺らす。
赤城くんはその悲哀を全て受け止めるようにされるがままで、「あら、あら、あらららららら……」と言って前後に身体を振られていた。
すると、それから少しも経たないうちに、遠くでピストルの音がした。
そして、間もなく、
『これより、お昼休憩です。午後の部の再開は1時からになります。生徒の皆さんは、それまでに自分の座席に着席しているようお願いします。また昼食時のお手洗い等につきましてですが――……』
と、お昼を告げるアナウンズが入る。
どうやら、午前中最後の競技が終わりを告げたようだった。
僕はその放送を聞くと、赤城くんに尋ねてみる。
「あ、そうだ。赤城くんお昼なんだけど一緒に……」
しかし、その言葉の途中で前を見たままの赤城くんは、ハッとした表情を見せた。
「……赤城くん?」
「伝説か……」
僕に構わず赤城くんはそう呟くと、男子生徒を振り返らせて、その背中を押していく。
そして、去り際に僕の肘を赤城くんの肘が小突いた。
「トイレ行ってくる。席で待っててくれ」
赤城くんはそうはにかんで、男子生徒ともに観客席とは真逆の体育館のほうへと行ってしまった。
「え? え?」
僕は、いつもとは違って少しそっけない赤城くんの態度に驚いている間に、一人ぼっちになってしまった。
(……赤城くん、そんなにトイレに行きたかったのかな。なら、席に戻っておこうかな。あ、でも僕もトイレに行っておこうかな)
僕は、その背中を見送りながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
が、しかし、次の瞬間のことだった。
――――ギュゥゥゥゥッ!
僕は背後から突然、左の二の腕をつままれた。
「――――いっ、いっ、いっ、痛ぁッッッ!!」
さっきまでの考えごとはどこへやら。
僕は咄嗟に右手で左腕を押さえ、スペシウム光線を放つかのような格好になって、赤くなった皮膚に息を吹きかける。痛みをどこかへ消し飛ばすかのように。
そして、横目で振り返って、その犯人を探った。
「……え? 向井さん?」
「……」
そこに立っていたのは、無言の向井さんだった。
それも、顔面蒼白とは言えずとも、かなり無表情に近い。
――――“本来、綾菜ってすごく緊張しいだから”
その表情を見ると、僕の頭の中にはそんな大内さんの言葉が思い出される。
「えっと……」
僕から何か話すべきだろうか。
だが僕はびっくりしすぎて、言い淀んでしまう。
すると、その間が気まずくなったのか、向井さんは目を合わせないまま首元に右手を回そうとした。
だけど、そこで右手は停止する。
そして、その代わりにもう一度――――今度は僕の右の二の腕をつねった。
それも、さっきよりも少し長く。
「痛ッ! 痛たたたたッ! なっ、何!?」
痛みを逃れようと、僕の腕は脊髄反射で跳ね上がる。と、その時、向井さんは痛がって上がった腕の下にスルッと自分のつむじを滑り込ませた。
――――ポスッ。
重力に従って、僕の右手が向井さんの頭の上に落ちる。
まるで、頭を撫でるような体勢だが、向井さんはその頭の上の手を受け入れると、目を閉じながらぶつぶつと言葉を吐き始めた。
そして、それから一呼吸入れると、目を開いて、
「最後のダンス合わせ、行ってきます」
と、笑顔でも強張ってもなく、真っ直ぐな瞳で僕を見た。
僕はさっきまで、向井さんにかける言葉を探していた。――――だけど、今は違った。
「行ってらっしゃい」
僕は、向井さんにその一言だけを告げた。
きっと、その一言だけで良かった。
意味不明な行動を問いただすことも、心配もしなくていい。
ただ、笑顔で送り出してあげれば、それで。
黒髪とインナーカラーの水色が揺れる、いつもと少し違うポニーテール。
足早に校舎裏に向かっていくその背中を見て、僕はそう思った。
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