第18話 応援合戦
食事を終え、戻ってきたばかりの観客席は少しガヤガヤとしていて、競技中よりも緩んだ雰囲気が漂っていた。
すると、そこにアナウンスが入る。
『ここで、各クラスによる応援合戦です。1年生の皆さんは準備をお願いします』
ついに、この時間がやってきた。
お昼休憩が終わって1発目のプログラム。『応援合戦』だ。
発表は1年生から順番で、各学年ごとに優秀作品が決められた。
1年生の発表順は事前のくじ引きで、3組、1組、2組、4組と決まっていた。
だから今グラウンドでは、3組の生徒がクラスカラーの黄色い法被を着て、顔を伏せ、後ろに腕を隠し、仁王立ちをして音を待っていた。
前から1人、2人、4人と、審査員席から見て逆三角形になるような3列の布陣。
3組はうちとは違い、全員が男子だった。
――――ダンッ、ダンッ。
その時、スピーカーから荘厳な音楽と共に、バスドラムがグラウンドに響き渡った。
――――ダンッ、ダンッ。
今度はそれに合わせて、顔を伏せたまま足で3組の男子たちは地面を力強く蹴る。
そして、その感覚は追い立てるように盛り上げるように細かくなっていくと、最後はドルルルルルルルルッ……と、空に吸い込まれるように音を上げて立ち消える。
次の瞬間、スピーカーから流れ出したのは荘厳という言葉とは正反対の『お殿様タンゴ』という誰でも聞いたことのあるお気楽な和風タンゴだった。
――――タータラタラタ、ラッタッタタッタ。
すると、その音楽が流れ出すと同時に、先頭の1人が褐色肌に真っ白な歯を浮かべて、同時に手に持っていた黄色の紙を纏ったお祓い棒のようなものを左右に目一杯広げた。
――――タータラタラタ、ラッタッタタッタ。
さらに次の拍子では、その斜め後ろにいた2人の男子が同じように、おちゃらけた表情で目をバキバキに開きながら顔を上げる。
僕はこのまま、お調子者たちの学生特有の痛いお笑いの雰囲気が続くのかと思った。
――――タータラタラタ、ラッタッタタッタ。
しかし、最後に上がった3列目の男子たちの顔は、地獄のような表情をしていた。
――――タッ! タッ! タッ!
それは、恐れていた事態だった。
クラスのお調子者3人が審査員の前で面白いだろと言わんばかりの表情とコミカル風の動きを見せるものの、後方にいる4人は顔を伏せて明らかに恥ずかしそうに踊っている。
その後、3組は「舞えよ、タ・ン・ゴ! 鳴らせ、か・か・と!」という歌詞の「タ・ン・ゴ!」
「か・か・と!」の部分を「ファ・イ・ト!」と替え歌をしたり、歌詞のない場所に「フゥー!」と場末のバーレスクのように自分たちで歓声を飛ばしたりしていた。
そして、3分後。
――――タッ! タッ! タッ!
終わりを告げる音が鳴り響く。
その全てが終わった時、僕は拍手していた。
よくやり切ったと。
前にいた3人ではない。
後ろにいた4人に。
他にもまばらではあるが、観客席からは拍手が上がっていた。
『……はい、ありがとうございました。続きまして、1年1組の皆さんによる発表です』
そう促すように放送が入ると、3組のおちゃらけ男子たちはまるでアカデミー賞でも受賞したかのように最後までふざけながら観客に手を振り退場していく。
一方、その裏では、赤いネクタイをし、スーツを着た8人組がグラウンドで控えていた。
今度は、全員が女子だった。
「――――お、渡会じゃん」
すると、そのメンツを見て隣で赤城くんが呟いた。
「知ってるの?」
「知ってるも何も、あのセンターにいる女子。体育祭実行委員だからな。――――見ものだぜ、これは。なんでも全員ダンス経験者で、半分は今もダンス部らしいからな」
そう言うと、1組全員が開始位置に収まり、しんとした空気が辺りに満ちる。
そして、1音目がなった時、顔を上げたセンターの女の子の瞳の圧にやられて、僕はそのパフォーマンスに引きずり込まれた。
確かに「見もの」という言葉通り、1組の発表は直前の3組のパフォーマンスを一瞬で忘れてしまうくらい素晴らしいものだった。
一言でいえば、圧巻。
「……おいおい、大丈夫かよ。3組、これの次なんだろ?」
1組の発表が終わると、赤城くんが呟いた。
内容は、テレビで見かけたことのあるアーティスト性や作品性を重視したアイドルグループ。
そのコピーダンスだった。
それが応援合戦というものに相応しかったかと言われれば、素直に頷けはしなかった。
が、しかし、見事なまでに再現されたそのダンスは、一朝一夕では身につかない個々人のダンススキル、それを揃え1つの大きなものとして表現する統一感。
そして、何より気迫を兼ね備えており、観客席の僕らは5分という映画より何十倍も少ない時間にも関わらずそれに圧倒されてしまった。
「――――大丈夫だよ」
でも、それでも僕はそう即答できた。
「え?」
「大丈夫だよ、みんななら」
たとえ、どんなに圧倒されていたって。
(……そうだよね、向井さん。大内さん)
グラウンドには今、中央後方にマーチングのダンスには参加できないティンパニや大太鼓、ドラムセットなどの大きな楽器が、あらかじめセットされている。
その間も、観客たちは1組による感動と興奮を囁き合っていた。
やがてセットが終わると、辺りが静かになり始める。
僕は神に祈るように手を組んで、グラウンドを見つめていた。
――――パーッ、パパパパーッ。パパパーッ。パパパーッ、パパパパーッ。
すると、心に生まれ始めていた一抹の不安をかき消すように、グラウンドに唐突に高らかにトランペットの音色が響き渡った。
ショスタコーヴィッチの『祝典序曲』。
それは間違いなく、吹奏楽部のあの厳しい女子生徒のものだった。
それから大内さんのトランペットに続いて、他のトランペットやティンパニ、クラリネットなども加わり、音が厚みを増していく。
そして、ゆったりとした部分を抜け、曲が加速を迎えた時、その音に合わせてフラッグを持った大内さんと向井さんが先陣を切ってグラウンドに入場してきた。
3組応援合戦組一行は、フラッグを回したり踊ったりしながらグラウンドを1周すると、行進を続けたまま配置につく。
そこからが、今度はフラッグ組の練習の成果の見せ所だった。
フラッグ組が中央で、演奏組がその後方に広がって立ち止まると、今度はフラッグ組による集団行動とチアの間をとったようなダンスが始まる。ここは向井さんが振りをつけたらしい。
大内さんが以前言っていたように、手数自体は多くなくそれをフォーメーションや旗を動かすタイミングをまばらにすることで、なんとか作品として昇華されていた。
が、手数は多くないと言っても、その細部をちゃんと見れば、それはそれぞれが止まるべきところで止まり、動きに緩急をもたらせているからこそだということに気がつける。
旗を振り上げるようにターンをすれば、それは水面から飛び出す魚のように美しく勢いよく靡き、丁寧にしかし力強く旗を振り下ろせば、それは炎やそれを煽る風の迫力を感じさせた。
もう、誰も恥ずかしがって踊る者はいない。
それだけ、しっかりと準備をしてきたのだろう。
それから集団は扇状に開いた形に落ち着くと、その中央には向井さんと大内さんだけが目立つように残って、フラッグ組は一斉に顔を伏せた。
――――そこで、ダンスは一度停止。
すると、演奏が続く中、トランペット奏者の1人がギターの置いてあるテントエリアまで進み、テントの係員にトランペットを預けると、その手にギターを掴んだ。
――――ギュルルルルルッ!! ギュイィンッ、ギュイィンッ、ギュイィィンッ!!
次の瞬間、ギターのピックスクラッチを合図に弦の上をあふれんばかりの激情が迸り、音楽は朗らかなものから、ギター主体の体育祭の熱気にふさわしい荒々しく情熱的なものへと一気に転調する。
グラウンドの中央では、それに合わせてフラッグ組が顔をビタッと上げる。
と、向井さんと大内さんがダンスの形態をロックやジャズやヒップホップの混じり合った本格的なものへと切り替え、今度はバチバチに踊り出す。
(――――これが、この2人の本領か)
明らかに質が変わった。
まるで火が出そうなほどに腕を振り、回し、残像すら生み出すそのダンスを見れば、誰もがそう思わされただろう。
そして、2人のダンストラックが終わると、周りのメンバーも旗を捨て、生身で踊り始める。
それは振りだけで見れば、「大股に足を広げて膝に手をつき顔を下げる」や「身体の外側をなぞるように腕を持ってくる」「ポーズをとって止まる」「自身の前で腕を力強く組む」など、相変わらず簡単なものばかりだった。
が、しかし、その動きを揃えることでダンスは美しさを生み、タイミングをずらすことで間を彩りった。
大内さんのアドバイスから生まれたキレは踊りに説得力を持たせ、堂々とした表情が人を取り込み、何より大内さんと向井さんのダンスと混じり合うことで、こちらが息を呑むほどの迫力を放っていた。
大内さんと向井さんが、その中心で互いの意志をぶつけ合うように向かい合って踊る。
大内さんがバウンスやキレ重視のスパンコールのような火花を散らす爆発的で感情を訴えるようなダンスなら、向井さんの踊りはまるで身体を振るうたびに色とりどりの彗星を纏い、人を惹きつけるダンスだった。
言ってしまえば、大内さんは技術に裏打ちされた誰が見ても上手いダンス。
だが、向井さんはそれと違い、時折音楽を聞いたり絵を見たりした時にふと現れる「これが世間的に評価されるかどうかは分からないが、自分はこれを良いと思う」というような本能を突き刺すものだった。
星と火花がぶつかり合い――――スパークする。
足が細かく不規則な拍子で揃い、校庭中の視線が2人に収束していく。
大内さんと向井さんは互いに立場を入れ替え、背合わせになり、いくつもポーズを切り替えて、自分たちを囲うフラッグ組の生徒たちと目を合わせ、ポーズを合わせ、その熱を受け取っていく。
ダンスの中に渦が生まれ、目が合うたびに星が瞬き、流れ、巡り、消えてまた生まれる。
足並みが揃い、踊りが揃い、その星が校庭を巻き込んで2人を中心に小さな銀河生む。
曲は、速いテンポのジャズ調に切り替わる。と、トランペット、ギター、ドラム、それぞれが互いに主張しつつも共存し、ダンスは最終局面へ向かって温度を上げ始める。
もはや、そこにはフラッグ組も演奏組も境はなく、11人全員が大きな1つの激流となって観客の心に襲いかかっていた。
そして、曲はフィナーレを迎え――――。
――――ダンッ、ダンッ、ダダンッ!!
その最後に11人全員が足を力強く地面につき、仁王立ちで立ち尽くす。
と、校庭中に波紋が、星が、宇宙の風が、心を震わす熱気が飛び広がった。
僕らは彼女たちの息遣いが聞こえるほどの静寂を迎えた後――――今日最大の割れんばかりの拍手を応援合戦組11人に浴びせた。
「すげえな……!」
立ち上がって拍手をしたり指笛が飛んだりする中、心から思わず溢れてしまったかのように、驚きを赤城くんが口にした。
「でしょ!」
僕は、僕が何をしたわけでもないのについつい嬉しくなってそう口にする。
すると、
「丸井殿、まさかあんなに踊れるとは……! 素晴らしき!」
「てか、めっちゃトランペット上手くない?」
「それな!」
「大内さん、やっばぁ! 途中の腕ブンブン振り回すやつ、残像見えたんだけど!」
「えぐいよな!」
と、方々からも称賛の声がちらほら聞こえ始める。
「亜未〜!」
「わっ! ちょっと綾菜!」
その時、少し涙ぐんだ聞き覚えのある声が僕の耳に届いてくる。
退場口には、向井さんたちが帰ってきていた。
向井さんはアーチをくぐなり、一緒に倒れそうになるくらいの勢いで大内さんに飛びつき、強く抱きしめた。
大内さんはそれを諌めながらも嫌がりはせず、綿毛がポンポンと飛び出してきそうなその笑顔を見ると、微笑み、向井さんを抱きしめ返した。
すると、そんな2人の元へ、吹奏楽部の女子生徒がやってくる。
「……あ」
大内さんは女子生徒と目が合うとそう漏らして、向井さんとの抱擁を解き、向かい合った。
少しの静寂が辺りを包む。向井さんも少しソワソワとしていた。
「……楽しかったわ。やって、良かったと思ってる」
だけど、そこにはもう、以前のような刺々しい雰囲気はなかった。
女子生徒と大内さんはニッと笑い合うと、ハイタッチを交わした。
それから、女子生徒が吹奏楽部を引き連れて楽器の片付けに向かうと、その背中を見て大内さんの隣で向井さんが呟いた。
「良かったね、友達になれて」
「友達なんかじゃないわよ。ただ……」
「ただ?」
「お〜い、2人ともー。すごかったねぇ!」
すると、そこへ演者でもないのに、リッチーが駆け足でやって来た。
しかし、彼女の気持ちも分かる。観客席でじっと待っているには、あまりに受け取った感動が大き過ぎたのだろう。本当は僕だって、友達という大義名分さえあれば、今すぐにでも駆け寄りたいくらいだ。
(……だけど、僕が駆け寄ってもあの微笑ましい光景を見ることはできないだろうな)
僕はそう思って、グラウンドの方に顔を向ける。
目の端では、向井さんがまた、首が絞まるくらいぎゅっとリッチーと大内さんをまとめて抱きしめていた。
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