第16話 ギラつく、恋の伝説
「うらぁああああああああっ!!」
高校生初の体育祭。
その火蓋は、2年女子によるイス取り合戦によって切られた。
椅子取り合戦とは、中央にまばらに置かれた椅子を自分の陣地に多く運んだほうが勝ちというシンプルな競技である。
が、シンプルが故に、力の差ははっきりと現れる。
「す、すごい……!」
猛々しい雄叫びと共に、体格のいい女子生徒が椅子を2個抱えて、それにしがみつく相手の女子生徒ごと自分の陣地に引きずっていく。
そのなりふり構わぬ勇姿と、圧倒的な力量差にみんな引いてすらいた。
「……負けられないわね」
「え?」
「……だね!」
「え?」
しかし、それに感化された者もいたようで、僕の前の席では大内さんが秘めたる闘志をギラつかせながらそう呟く。と、向井さんもそれに呼応した。
それから体育祭は幸い怪我人も出ることなく、1年生選抜のムカデ競争、2年生クラス対抗の大縄、1年生の100M走、2年男子のしっぽ取り、3年生女子の棒引きなど順調に進んでいく。
そして、午前の部で1年生最後の種目『綱引き』が始まろうとしていた。
グラウンドでは、3年生男女選抜の大玉転がしが終盤戦を迎え、1学年男子に集合のアナウンスが入る。
その言葉に準じて僕が入場ゲートに向かうと、そこにはすでにそこそこの人が集まって来ていた。
そして、僕はそんな白砂の砂塵と人混みの中に、一際目立つ赤い髪を見つけた。
「あ、赤城くん! いよいよ出番だねー……。って、これは?」
僕は駆け寄るなり、赤城くんにそう尋ねた。――――尋ねざるを、得なかった。
なぜなら、そこにはそんな打ち合わせなど一切していないのに、
「しゃあっ! 行くぞ、てめえら! 目指すは優勝だ!!」
と、上裸になって円陣を組み、初夏を吸収したグラウンドの土よりも熱く燃え上がる同じクラスの男子たちを見つけたから。
「恋の噂というか、伝説というか、それのせいでああなっちまって……」
その光景を見ながら、赤城くんがやや呆れ気味にそう説明する。
「恋の伝説?」
「ああ。……まあ、体育祭実行委員の先輩が言ってたんだよ。1年の体育祭は活躍したやつに恋人が出来るって」
「……なんというか、すごいありきたりな噂だね」
「ま、盛り上げるための嘘がそうなってたんだろうな。――――でも、実際に何人も付き合ってきたらしい。去年も少なくとも5組は生まれたんだってよ。まだあんまりお互いを知らない段階だから、活躍してたとか、かっこよく見えたとか、そういう一瞬の印象で惚れられやすくなるらしい」
「だとしても、なんで上裸に……?」
「あー……。っと、向こう側の1組が見えるか?」
そう言って、赤城くんが指差す。
そこには、僕らのクラスの男子と同じように上裸になっている赤のハチマキをした集団がいた。
「あのクラスの体育祭実行委員が、その噂を話して焚き付けたみたいでな。これ見よがしに円陣を組んだり罵声というか嫌味なことを言ってきて、それでこっちも負けじと……」
「それで、上裸?」
「ま、気合が入ったら上裸になるわな」
「え?」
「ん?」
気合が入ったら上裸に、そう言った赤城くんは真っ直ぐな目をしていた。
「……ああ、赤城くんもスポーツマンでしたね」
「? おう?」
その時、ワッと歓声が上がって、それから放送が入る。
『――――続いては、1学年男子によるクラス対抗の《綱引き》です。選手入場』
どうやら3年生の大玉転がしが終わったようで、僕らの番がやって来た。
「さ、俺らも行くか」
そう言って、赤城くんが僕の背中を押す。と、僕も半ば強制的にその円陣に加わった。
「いいか、てめえら。ここから俺たちの青春が始まんだ」
クラスの坊主頭の男子が開口一番、目をギラつかせて言った。
「モテたいってのは別に悪いことじゃない。普段女子と話そうが話さまいが、目立とうが目立つまいが、太っていようが痩せていようが、文化部も運動部も帰宅部も、バカも天才も恋の伝説にはそんなの関係ねえ。想像しろ、自分の好きな子が『お疲れ様』と言って駆け寄ってくれる姿を、『かっこよかったよ』と少しだけ照れながら褒めてくれる姿を」
皆、その言葉に目を閉じて、生唾を飲み込む。
「――――みんな、勝ちたいか?」
その疑問に、皆は目を開いて、強い意志を持った眼差しを互いに交わす。
もう、言わんとしていることは分かっていた。
「俺は勝ちたい! そして、モテたい! みんな、今日だけは素直になれ! あの勝ち誇ったような態度の1組をぶっ倒して、決勝に進むのは俺たちだ!!」
すると、円陣はその熱気に釣られるようにして、グッと下に沈む。そして……。
「――――2組、行くぞおッ!!」
その言葉と共に、みんなは猛々しく叫びながら空に拳を突き上げた。
「……何これ?」
そう呟く、僕を置いて。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふぬっぎぎぎぎぎぎぎぎっ!」
人の目は前についているというのに、どうして後ろに進まなければならないんだろう。
ただし、真ん中で釣り合っている荒縄は、そんな文句を聞いちゃくれない。
綱引き。
1人が踏ん張るのを止めれば、均衡は崩れて徐々に敗北に引きずり込まれてしまうだろう。
すると、拮抗した状況を見かねてか、1組の男子の1人が盤外戦術を仕掛けてきた。
「おい! 2組の猿ども!! お前ら後からやる気になってんじゃねえよ! 譲れや!」
「ああ!? 元からやる気じゃ!! お前らがこれ見よがしに上裸になるから、俺たちもお前らが浮かないように合わせて脱いでやっただけじゃ!!」
「はっ! よく言うわ! モテたいだけじゃろお前ら!!」
「お前らが言うんか!! モテたくて何が悪い!!」
そう叫びながら、手に持っている荒縄がなければ確実に倒れているであろう体勢になりながら、滑りやすい白砂の上を力の限り地面を前に向かって押し出す。
歯茎を剥き出して食いしばるその表情は、まさに鬼の形相であった。
(……しかし、果たしてこの顔で勝ったところで本当にモテるのだろうか)
そんなことを少し冷めた頭で考えている。と、そこに観客席からは檄が飛んでくる。
「ちょっと男子! そんなもん!? もっと力いっぱい引きなさいよ!!」
「ふぁいとぉー」
それは大内さんとリッチーの姿だった。
それに続いてクラスの女子も黄色い声援を上げる。
それだけでも、我がクラスの男子はグッと気合が入った。――――が、何より僕らを奮い立たせたのは、
「2組―! 頑張って! いける! いけるよ!!」
と、縄が動くたびに一生懸命声援を送る向井さんの姿だった。
健気で陽気なその声や表情は、その汗すら宝石のように一際輝いて見える。
「みんな、頑張って!」
その一言で、男子一同はふんすと鼻息を荒くする。
そして、先頭の男子生徒が言った。
「……てめえら、俺たちの夢はなんだ」
目の前にニンジンがぶら下げられていたら、どこまでも走り出してしまうのが男子高校生というもの。
僕も現金なもので、その向井さんの姿を見ると、みんなと同じようにふんすと鼻を鳴らし、歯茎を剥き出しにしながら今日1番の大きな声で、
「「「モテ! たい! モテ! たい!」」」
と、僕らはアーティスティックスイミングの選手もびっくりするほどの息ぴったりなかけ声を夏空に響かせた。
「……なんかうちの男子たちの掛け声、変じゃない?」
「んにゃあ、こんなもんじゃない?」
観客席では、必死に応援する向井さんを尻目に大内さんとリッチーが言葉を交わす。
すると、そこから数秒もしないうちに、
――――パンッ、パンッ、パンッ!
と、勝敗の決定を告げるピストルが、3度撃たれた。
先ほどまでの非力はどこへやら、僕らはあっという間に相手のクラスをこちらの陣地に引き摺り込んでしまった。
「見たか、ゴラァッ!!」
「どんどんかかってこんかい!!」
勝って早々に雄叫びを上げ、男子一同は筋肉を見せつけるようにポーズを決める。
それは相手を煽るためではなく、観客席に向けてだったけど。
「優勝行けるぞ!!」
円陣で話していた男子がそう叫び、「よっしゃあ!」と士気が高まる。
白い肌の上も焼けた肌の上も、皆一様に青春の汗が伝っていた。
すると、さらに火を加えるように、
「良いぞー! 2組男子―!!」
と、大内さんの声が届く。
その隣では、向井さんが嬉しそうに手を振り、口の横に手を当てて「お疲れ様」と労ってくれていた。
「さあ、決勝の相手は誰だ!! 誰が来ようと……」
僕らはそんな声援を背に、啖呵を切って振り返る。
が、次の瞬間、頭上に浮かび上がった人影が太陽から僕らを隠した。
――――ドシャァァァァァッ!!
足元に何かが滑ってくる。
が、それは物ではなく人だった。
もっと言えば、緑のハチマキをした4組男子だ。
僕らはバッと顔を上げて、グラウンドの砂塵の向こう側に鎮座する影。
その正体を見つめる。
そこに立っていたのは、3組の黄色のハチマキを巻いた力士のような巨漢を持つ4人の男だった。
「おいおい、うちに相撲部はないはずだぜ……」
赤城くんが、すでに敗者に成り下がったかのようにそう呟く。
が、それは僕も同じ気持ちだった。
たとえあの肉塊の全てが脂肪だったとしても、あれにはとても勝てそうにない。
なのに僕らの背後からは、呑気な女子たちの声援が聞こえてきている。
「……そうだよなぁ。勝てそうにねえよなぁ。だけど、だけどよぉ、もしあいつらに勝てたとしたら?」
しかし、そんな中、男子の1人がニヤリと笑った。
すると、
「試練とは、乗り越えられる者の前にしか現れない、と言いますからねぇ」
と、クラス1の秀才風メガネ男子が呼応する。
その会話を聞くと、僕らは互いの顔を見合った。見合って、笑った。
そして、誰が言い出したでもなく自然と円陣を組んだ。
「相手が巨漢4人? それがなんぼのもんじゃい!」
「私たちの覚悟は、あの4人よりも揺るがないものです」
「恋の伝説……。信じてないけど、ただ負けるのは癪だよね」
それぞれが思い思いに言葉を口にしていく。と、それは赤城くんも同じで、
「ま、俺もみんなで騒ぐのは嫌いじゃねえ。いっちょやったりますか」
と、みんなを奮い立たせる言葉を吐いた。
「しゃあ! 俺たちはここを勝つ! そんで、彼女を――――」
「「「――――手に、入れんぞおおおおおおおおぉッ!!」」」
そうして、僕らは決勝の舞台へと足を踏み入れた。
――――パァンッ!
2組対3組、決勝戦の火蓋が切られる。
僕らには、期待感があった。
何者にも負けない、そんな心の騒めきが。
僕たちは予想と違って一気に引き摺り込まれるということはなく、縄は中央で釣り合っているように見えた。
「いっ、行けるぞ……!」
赤城くんがそう口にするまでもなく、僕らの胸の希望はどんどん勝気になっていく。
そして、それはより一層大きな掛け声となって、僕らを奮い立たせた。
「「「モテ! たい! モテ!! たい!!」」」
汗が染み込んで、ぎゅうっと手の骨に縛り付くように荒縄が皮膚に沈んで少し痛む。
しかし、軋む身体も踏ん張りも報われると、僕らは信じていた。
――――そう、それが淡いものだとは知らずに。
縄が、ある地点でぴたりと止まる。
すると、
「……むっ、これは本気出すべな」
と、相手の巨漢の1人が口にした。
「よっさ、いくべおめえら」
「あいよお」
「ガッテン。せーの……」
次の瞬間、僕らは1回戦のリプレイを見るかのように、
「「「「どっこいしょ〜!!」」」」
相撲部が息を合わせて縄を引いた勢いで、身体が宙に浮かび上がった。
「……へ?」
青空に大縄一本で連なる僕らは、まるで時期外れの鯉のぼりだった。
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