第11話 だって今、伝えたかった
静かな自室。
熱が出て重たい頭。
憂鬱さを責めるように、窓に雨粒がぶつかる。
――――バツバツッ……! バツバツ、バツッ!!
雨音がヒステリックに鼓膜を叩く。窓の外を見れば周りにはいくつも家があるのに、顔を上げられなくて目の前は真っ暗、どこまでも孤独な気分になる。
そして、その音に押しつぶされてしまいそうになった時――――。
――――ピンポーン。
私の意識を掬い上げるように、インターホンが鳴った。
「――――あ、向井さん! ごめん、起こしちゃった?」
扉を開けるなり、私は面を喰らった。
それもそのはず。
だって、ここは私の家で、道草がてら様子を見にくるには、隣の席の彼の帰り道からは大きく逸れたところにあった。
「な、んで……、ここに……?」
「あー、えっと、何から話すべきか……。えっと、まずはごめんなさい!」
「へ?」
いきなり謝られたことで、間抜けな返事をしてしまう。
「その、聞いちゃったんだ、大内さんから。昔、向井さんがダンスで失敗しちゃったことを向井さんの知らないところで勝手に。だから、謝っておきたくて」
「……それは随分、タイムリーな」
「え?」
「ああ、いやなんでも。っていうか、いつの間に亜未と仲良く?」
「……いや、仲良いってわけじゃないんだけど。なんていうか、協力関係?」
「協力」
「あ! それで、そのことでお願いがあるんだけど……。向井さん、応援合戦を手伝ってくれない?」
「……手伝う? 応援合戦を?」
その時、胸にちくりとした嫌な予感が生まれる。
だって、応援合戦は大半の場合、ダンスを……。
「そうそう。たぶん、踊ってもらうことになるんだけど……」
そして、それは的中した。
今まで、無責任な言葉を投げかけられることは多々あった。
それでも私は、私のことを理解出来ない人はそういうことを言ってしまうよね、と受け流して来られた。
だけど、これは違う。
私の核にある、ずっとずっと繊細な部分。
「ごめん。それなら私、出来ない。聞いたんでしょ、亜未から。なら、分かるよね。今日みたいに、私は当日に参加出来なくなっちゃうかもしれないの……!」
少し言葉が強くなる。
心の刺々しさを、自分の中だけでは閉じ込めて置けない。
「自分が残酷なこと言ってるの分かる……!? 当事者になってないからそう言えるの!? もし、またみんなと踊ったとして、それでまた失敗したら、私、今度こそダンスを嫌いになっちゃう……」
私は、まるで食事の最中に子供が手で離乳食を掴みぐちゃぐちゃと悪戯するように、心を親切心の欠片もなくかき混ぜられ、最悪の気分になった。
「私は、まだダンスが好き……! 好きなままでいれてるの!! だから、これ以上、ダンスを嫌いになりたく……」
「――――そうじゃなくって!」
そして、言葉が止まらず、その悲哀の棘で思わず相手も刺してしまいそうになった時、彼は私の手を取って、顔を上げさせた。
「向井さん。振り付け、やってみない?」
「振り、付け……?」
「と言っても、全部っていうよりかは意見がもらいたくて! 今、実は応援合戦の演目で演奏かダンスかで揉めちゃってるんだけど、その説得のために簡単だけど見栄えのいい具体的な振り付けがあればなーって……。だけど、僕じゃ思いつかないから……」
彼は目を伏せ、掴んだ手を握ったまま、2人のおへその間あたりに下げる。と、それからゆっくりと語り出した。
「ほら、前に『いつかみんなと大きい舞台で』って言ってたじゃない? 振り付けなら、間接的にだけど集団ダンスに関われるし……。それに、もし本番に参加出来なくなっちゃったとしても……」
その瞬間、彼と目が合った。
「向井さんの生んだダンスが、たくさんの人の元に届くんだ。それって、すごく素敵なことじゃない?」
私の身体は、その手に引っ張られるように少し浮つく。
彼の黒目を伝って、私の瞳に光が入ってくる。
私の網膜は、彼の瞳が反射した光でいっぱいだった。
(届く。あの日、画面の前にいた私のように、私のダンスが誰かに……?)
その言葉を、私はなかなか噛み砕けない。
すると、彼は優しい声で続けた。
「その、全部じゃないけど、向井さんがたくさん傷ついてきたことも、いっぱい悩んだってことも分かる」
彼は、一度言い淀む。
「……でも、もう1回。もう1回だけで良いから、諦めるんじゃなくて、手を伸ばしてみない? 今度は、向井さんに合ったやり方で」
が、もう一度向き直ると、しっかりと目を見てそう言った。
彼の握った私の手に、グッと力がこもる。
すると、そこでようやくずっと手を握っていたことに気がついたのか、彼は握っていた手をパッと離した。
「あ、もちろん、大内さんも他の人たちもいるよ! それに、ダンスになるかは実際話し合ってみないとだし……」
そして、そのまま両手を後ろに回して隠すと、彼はまた慌てたように話し出した。
私はこの短時間で、彼に心をかき乱された。
心は弱っているし、身体だって弱っている。
「……やってって。やって欲しいって、言って?」
だけど、自然とそんな言葉が出た。
それは、さっきまでの棘ついた言葉とは違う。
――――“諦めるんじゃなくて、手を伸ばしてみない? 今度は、向井さんに合ったやり方で”
微かだけど、君の言葉に希望を見た。
自分を許せそうになる淡い期待を。
だけど、私にはまだ立ち上がる勇気はない。
(勇気は、ない。だから……)
ずるいけど、言い訳にしちゃうね。
「――――やって欲しい。向井さんの振り付けが見たい」
君が、私にそう言ったからって。
「……分かった。やる。やってみる。やってみたい」
一度言葉にすると、身体の内側の方からは暗闇を追い出すように次々と明るい気持ちが溢れてくる。
私は、やっといつものようにニヒッと笑えた。
すると、それを見た彼も、安心したように笑い返す。
そうして、いつもの空気が2人の間に戻ってくると、私ははたと冷静になって疑問をぶつけた。
「……っていうか、なんでびしょ濡れなの?」
「ああ、走るのに傘が煩わしくって……」
「なんで走ってきたの? 明日、学校で言ってくれても良かったのに」
「……あれ、なんでだろ」
私は、他人事のようにぽかーんとしているその間抜けさが面白くて笑ってしまう。
「ふふっ、変なの! せっかくなら、上がっていく? せめて乾くまで」
「……いやいやいや! お構いなく! 寝ているところ起こしちゃっただろうし、しんどいだろうし、親御さんが不在なのだとしたらそれはそれでまずいし、万が一のことが合ったらまずいし! いやいやいや!! そんな気は微塵もないですけどね!?」
彼は否定のために、その残像で腕が曲がって見えるほど素早く激しく壊れたロボットのように右腕を横に振ると、「でも……」と言いかけた私を玄関先に置いて、
「お構いなくぅうううううううっ……!!」
と、走り去ってしまった。
「……ぁ」
外は、雨。
町は、灰色。
そう思っていたのに、彼の背中を追ってその先の遠くの空を見ると、もう雨は止んでいた。
雲の隙間からは、太陽が顔を出し始めている。
私はその空を見上げながら、温かさの戻った自分の手を軽くさすった。
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