第7話 前妻は出席しません
婚約披露への返事は、短く書いた。
『出席いたしません。今後も協力するとのご挨拶はできませんので、私の名前をお使いにならないでください』
ベルトラム様への封筒を閉じ、もう一枚、便箋を出す。
フェンヤ様にも、招待を辞退したことを伝えた。
添え書きで求められた挨拶には同意していないことも、忘れずに記した。
彼女からは、翌日に返事が届いた。
『承知いたしました。伯爵には、オルネラ様の協力を前提としない約束を、あらためて確認いたします』
私は読み終えた手紙をしまった。
あとは、あのお二人で決めることだ。
そう思っても、招待状をすぐには片づけられなかった。
日時の下に書かれた自分の名前へ、目が戻る。
当日、皆様が集まったところで、私がいないと困るだろうか。
使者が来るだろうか。
私は招待状を裏返した。
引き受けていない。
返事も出した。
それ以上の準備は、私のすることではなかった。
*
昼食会の当日、ベルトラムは玄関へ続く廊下を何度も見ていた。
招いた親族は揃い、フェンヤも到着している。
料理の支度ができたという知らせを受けても、彼はすぐに席へ案内しなかった。
「まだ、どなたかいらっしゃるのですか」
フェンヤに尋ねられ、ベルトラムは笑みを作った。
「いや。始めよう」
オルネラは来ないと書いていた。
それでも当日になれば、顔だけでも出すと思っていた。
親族が集まる席を放っておける彼女ではない。そう考えて、席も一つ用意してある。
昨日フェンヤには、取り決めどおり自分が引き受けると答えた。だが、親族にも以前どおりだと伝えておけば、相談はまたオルネラへ届く。彼女も一件ずつは断り切れないだろう。
そんな考えを、まだ捨てていなかった。
誰も座っていない椅子が、ひどく目についた。
食堂では、ディートラがその席を一瞥し、ベルトラムへ視線を移した。
彼は目を合わせず、卓の上の杯を取った。
「本日は、私たちのためにお集まりいただき、ありがとうございます」
挨拶を始めれば、普段どおりに話せた。
フェンヤを紹介し、今後も親族との付き合いを大切にしたいと続ける。
離縁の後、自分へ直接届くようになった相談を、早く落ち着かせたかった。
婚約披露が無事に終われば、新しい暮らしも形になる。
「なお、オルネラは急な用で欠席しておりますが、今後も変わらず力を貸してくれます。ご相談は、これまでどおり――」
「そのお話は、違います」
隣から、静かな声がした。
ベルトラムはフェンヤを見た。
彼女は杯を卓に戻していた。
「オルネラ様は、出席しないと事前にお返事をなさっています。協力のお約束も、されていません」
食堂が静まった。
「いや、今はまだ気持ちの整理が――」
「私が昨日確認した際には、あなたがすべて引き受けると、お答えになりましたね」
ベルトラムは杯を持ち直した。
「もちろん、責任は私が持つ。ただ、慣れた者の助けを借りたほうが、皆も安心するだろう」
「その方が、助けるとお返事をなさったのですか」
フェンヤは声を上げなかった。
彼が答えるのを待っている。
「頼んではある」
「お返事は」
ベルトラムの視線が、空席へ動いた。
「……来ないと」
「協力については、何と?」
招待への返書を思い出した。
出席しない。挨拶もしない。名前を使うな。
曖昧なところは、一つもなかった。
「引き受けないと、書いてあった」
自分の声が、食堂の端まで届いた気がした。
フェンヤは一度目を伏せた。
それから、隣に立つ男へ向き直った。
「では、私にも皆様にも、事実と違う説明をなさったのですね」
ベルトラムは何か言おうとした。
だが、オルネラが頑固だからと言えば、自分の説明が正しくなるわけではない。
ディートラが口を開いた。
「あの子からは、離縁のときに、今後の用件はあなたへ直接伝えるよう頼まれています。私も、そのとおりにしてきました」
叔母は、空いている椅子を見た。
「ここにいない人へ、引き受けたことにして渡してはいけないわ」
ベルトラムは杯を置いた。
祝うための言葉は、もう続かなかった。
*
フェンヤは、別室で話したいと申し出た。
親族を席に残し、二人は小さな応接間へ移った。
扉が閉まると、ベルトラムはすぐに口を開いた。
「皆の前で言わなくても、よかったじゃないか」
「皆様へ、間違った連絡先をお伝えになったからです」
フェンヤは椅子へ座らなかった。
「黙っていれば、私も承知していたことになります」
「少し行き違いがあっただけだ。私から、もう一度オルネラに話す」
「私は、オルネラ様を説得してほしいとは申し上げておりません」
ベルトラムは黙った。
「ご自分で引き受けるというお話を信じて、婚約をお受けしました。難しいのであれば、人を雇うことも、役割を相談し直すこともできたはずです」
臨時の人員を雇う案は、すでに家令から出されていた。
断ったのは自分だった。
「これから、そうすればいい」
「その前に、ご承諾のない方の協力を、また約束なさいました」
フェンヤの指が、手提げの留め金に触れた。
「結婚してからも、私の知らないところで、私の返事をなさるのではありませんか」
ベルトラムは否定しようとした。
だが、先ほどまで、その方法で前妻を働かせようとしていた。
「この婚約は、解消させてください」
今度は、はっきりと聞こえた。
「待ってくれ。これから改める」
「先日、私が確認したときに、そうしていただきたかったです」
フェンヤは頭を下げた。
声には怒鳴る勢いも、相手を負かした喜びもなかった。
「頂いた品はお返しいたします。婚約に関する書面の整理も、あらためてご相談いたします」
ベルトラムは扉の前へ出かけたが、足を止めた。
彼女を留めるための言葉が見つからない。
フェンヤは自分で扉を開け、部屋を出た。
*
その日、二人は婚約解消の意思を確かめ、後日、書面も取り交わすことになった。
昼食会は、婚約披露としては終わった。
ベルトラムは食堂へ戻り、縁談を取りやめることになったと自分で伝えた。
事情を並べてフェンヤを責めることはできなかった。親族は、その直前の説明を聞いていたからだ。
用意した食事は、そのまま出してもらった。
料理人にも使用人にも、不手際はない。
食事の終わりに、ディートラがベルトラムへ手紙を一通渡した。
「あなたが引き受けていた、次の集まりの希望日よ。今後どうするか、皆へ返事をお願いね」
彼は反射的に、空席を見た。
誰もいない。
叔母へ目を戻し、手紙を受け取った。
「……分かりました」
客が帰った後も、片づけることは残っていた。
披露の費用。変更した料理と菓子の代金。先に発注した婚礼用の品の取り消し。
自分が注文した分は、自分で支払う。
家令が持ってきた書付を確かめると、当面は狩りや夜会に使う金を減らす必要があった。
支出を確認する声を煩わしく思い、気楽な暮らしを望んだはずだった。
机の上には、返事を待つ手紙が並んでいる。
ベルトラムは、オルネラの残した帳面を開いた。
以前は細かすぎると思った記録を、今度は最初から読んだ。
*
その日の午後、私は窓際で刺繍をしていた。
庭園で見た鳥の羽を思い出し、灰色の隣へ細く青い糸を入れる。
少し鮮やかすぎるかもしれない。
顔を離して眺め、もう一針だけ足した。
使者は来なかった。
針を置いたとき、私は昼食会が始まる時刻を過ぎていることに気づいた。
自分で淹れたお茶を飲む。
私は出席しなかった。
それでも、この午後を過ごしてよかったのだ。
婚約が解消になったと知ったのは、数日後だった。
ディートラ叔母様が、私へ新たな用件が回ってくることはないと知らせてくださった。
手紙を読んだ私は、長く息を吐いた。
胸が晴れるというより、ずっと気にしていた扉に、ようやく鍵をかけられたようだった。
さらに一週間が過ぎた。
ベルトラム様からの手紙が届いたのは、クレーメンス様への短い返事を書いているときだった。
次に庭園へ行くときには、刺繍した鳥を見ていただきたい。
そんなことを書きかけていた。
見慣れた筆跡に、また用事だろうかと思った。
私は自分の返事を最後まで書き、乾かしてから、届いた封を切った。
親族の予定も、婚約の後始末も、書かれていなかった。
『君と、もう一度やり直したい』
私は、その一行を見つめた。
あれほど待っていた言葉だった。
けれど、読んだ瞬間に思い浮かんだのは、戻る支度ではなかった。
どうすれば、この人に終わったのだと伝えられるだろう。
私は、自分の気持ちが変わっていたことを知った。




