第6話 では、ご自分でお願いします
『私が引き受けると、フェンヤには伝えた』
ベルトラム様の手紙は、その一文から始まっていた。
『そのため、いくつか確認したいことがある。明日の午後、屋敷へ来てくれ』
私は便箋を裏返した。
裏にも、質問が続いている。
ディートラ叔母様の誕生祝いに招く親族について。
会食を頼む料理人について。
それから、婚約披露の昼食会について。
それぞれの希望を聞き、返事をまとめ、都合をつけてほしいという内容だった。
確認ではない。
私が以前していた仕事を、そのまま頼んできている。
『君が間に入ってくれれば、話が早い』
最後に、そう添えてあった。
手紙を持ったまま、しばらく窓の外を見た。
断っても、出ていっても、あの人の頼み方は変わらない。
明日の午後は、家の支出を整理するつもりだった。
誰かと会う約束があるわけではない。
だから行ける、と考えかけた自分に気づく。
私は机へ座り、返事を書いた。
『親族の皆様へのご連絡と、婚約披露のご準備は、お引き受けいたしません。明日も伺いません』
用事があるから、とは書かなかった。
別の日ならよいと思われるだけだ。
『必要な記録と依頼先は、お渡しした帳面にございます。今後の予定は、ご自身でお決めください』
そこまで書いて、封をした。
あの人の再婚のために、私が親族へ頭を下げて回る。
そんな役目は、もう引き受けない。
*
ベルトラムは返書を読み、机へ置いた。
親族への対応は自分が担い、前妻の協力は求めない。その取り決めを記した書面を渡し、フェンヤから婚約の承諾を得たばかりだった。
親族への説明も訂正すると約束している。いまさら彼女へ手伝ってくれとは言いにくい。
帳面には、確かに連絡先が載っていた。
だが、それぞれへ使者を出し、返事を待ち、食い違えば調整する必要がある。
普段の仕事を終えてからでは、まとまった時間を取りづらかった。
家令に相談すると、催事の手配に慣れた人間を、一時的に雇う案が出た。
見積もりも取れるという。
「会食が二つあるだけだろう。そこまで費用をかけるのか」
先日の宿泊費と馬車代は、すでに支払っている。
さらに臨時の人員まで雇うことに、ベルトラムは気が進まなかった。
机の上の予定を並べて、考える。
叔母の誕生祝いと、自分の婚約披露。
招く親族は重なっている。
「同じ日にまとめればいい」
二度呼ぶより、親族も助かるはずだ。
料理も席の準備も、一度で済む。
そう考えて、ベルトラムは料理人へ変更を伝えさせた。
昼食会の献立を華やかなものに変え、卓を増やす。フェンヤへは、叔母の祝いも一緒に行えば親族との距離も縮まると説明した。
叔母にも、同じように知らせればよい。
そう思って出した手紙に、本人が返事を携えて訪ねてきた。
「私の誕生祝いは、取りやめにしてちょうだい」
ベルトラムは椅子から腰を浮かせた。
「なぜです。祝わないと言っているわけではありません」
「あなたの婚約披露を祝いに来た方々へ、私の誕生日まで祝っていただくつもりはないわ」
「ですが、せっかく皆が集まるのですから」
「あなたが、久しぶりに身内だけでゆっくり話そうと言ってくれたので、お願いしたのよ」
そう言ったことは覚えていた。
叔母が喜んだことも。
「同じことではありませんか」
「違います。話す相手も、その場でするべきことも変わるでしょう」
ディートラは静かに答えた。
「婚約披露には出席します。お祝いもいたします。でも、私の会食は別の機会にします」
ベルトラムは口をつぐんだ。
叔母は彼を叱るために声を荒らげているのではなかった。
知らないうちに変えられた、自分の予定を決め直している。
「もう料理の変更を頼んでしまいました」
「私へお尋ねになる前に?」
返事ができなかった。
誕生祝いのために頼んでいた菓子は、すでに材料の手配が済んでいた。
変更した料理を戻すにも、費用がかかる。
別に用意する婚約披露の支度は、そのまま必要だった。
「では、ご親族への訂正は……」
言いかけると、叔母が彼を見た。
「あなたから、お願いね。私の祝いも兼ねるとお知らせしたのでしょう」
ベルトラムは頷いた。
自分で手紙を書き直し、予定を変更した事情を説明しなければならない。
費用を惜しんでまとめた二つの会食は、手間だけを増やして別々に戻った。
*
クレーメンス様と庭園を歩く約束の前日、私は机の上の書類を見て、小さく息をついた。
紹介で引き受けた返書の文面確認に、思ったより時間がかかっていた。
明日の昼までには仕上げると、自分から約束している。
夜通し書けば、間に合うだろう。
けれど、何度も読んだ行をまた読み直していることに気づき、ペンを置いた。
私は見積もりを誤ったのだ。
クレーメンス様へ、待ち合わせを一刻遅らせていただけないかと手紙を書いた。
お詫びの後に、埋め合わせとして何かできることはないかと書きかけ、手を止める。
結局、お約束した日の翌日にも時間を取れることと、どちらも難しければ別の日を相談したいということだけを添えた。
返事が届くまで、落ち着かなかった。
せっかく誘ってくれたのに、もう会わなくてもよいと思われたかもしれない。
日が暮れる前に届いた便箋を、立ったまま開いた。
『では、一刻遅くいたしましょう。私もその時刻なら都合がつきます。門の前でお待ちしています』
短い返事だった。
読み終えても、しばらく便箋を閉じられなかった。
*
翌日、庭園の門で待っていたクレーメンス様へ、私は頭を下げた。
「お時間を変えていただいて、申し訳ありません」
「仕事は、無事に済みましたか」
「はい。おかげさまで」
「それはよかった」
彼は門の内側へ目を向けた。
「池のほうへ行ってみますか。少し遠回りになりますが」
私は、もう一度謝りそうになった口を閉じた。
「……はい。歩きたいです」
並んで歩き出す。
木々の間から射す光が、道の上で揺れていた。
石段を下りた先で、小さな鳥が枝から飛び立った。
灰色だと思った羽が、光を受けて青く見える。
「いまの鳥は、何というのでしょう」
尋ねると、クレーメンス様も枝を見上げた。
「分かりません。実は、鳥にはあまり詳しくなくて」
「そうなのですか?」
「庭園にいることは知っていました。よく通りますから」
こちらへ顔を向け、少し照れたように笑う。
「お誘いする理由に使いました」
私は足元へ目を落とした。
石畳の継ぎ目を、やけに丁寧に確かめてしまう。
「では、鳥の名前を覚えてこなくてもよかったですね」
「調べてくださったんですか」
「少しだけ。お話についていけないと困ると思って」
彼が小さく笑った。
「私も、何か調べておくべきだったでしょうか」
「二人で覚えたことを順番に話すのでしたら、散歩ではなく勉強会になりそうです」
言ってから、私も笑った。
クレーメンス様は、まだ楽しそうな顔でこちらを見ていた。
池のほとりの腰掛けに座る。
しばらく話さずに水面を眺めても、何か用件を探す必要はなかった。
「私、昨日のお返事を何度も読んでしまいました」
気づくと、そう話していた。
「何か、分かりにくいことを書きましたか」
「いいえ。時間を変えてもよいと、それだけでしたから」
クレーメンス様は少し考えた。
「都合が悪ければ、別の日をお願いしました。今日は空いていましたし」
「お詫びに何かしなくては、と考えておりました」
彼は首を振った。
「私も会いたくて来ています。埋め合わせが欲しくて予定を変えたわけではありません」
まっすぐに言われて、頬が熱くなった。
昨日まで考えていたお詫びの言葉が、ひとつも出てこなくなった。
「ありがとうございます」
私は、水面から彼へ目を戻した。
「来られて、よかったです」
立ち上がる前に、今度は私が尋ねた。
「クレーメンス様は、お休みの日に何をなさるのがお好きですか」
「古い旅の記録を読むのが好きです。遠出はなかなかできないので、本の中で」
「どんな場所のお話を?」
彼は少し考え、雪で閉ざされる峠を旅した商人の記録を挙げた。道の話から宿の食事の話になり、いつしか私は、次はどうなったのかと身を乗り出していた。
彼が楽しそうに話すのを見るのも、好きだった。
*
家へ帰ると、玄関に手紙が届いていた。
厚い紙に押された封蝋を見て、私は立ち止まった。
ベルトラム様の家の紋章だった。
封を切る。
婚約披露の昼食会への招待状。
日時と会場の下に、私の名前が書かれていた。
折り込まれた別紙には、彼の筆跡で短い添え書きがある。
『君が出席してくれれば、フェンヤも親族も安心する。これまでどおり力を貸してくれると、皆の前で一言伝えてほしい』
私は招待状を机に置いた。
ただ出席してほしいのではない。
あの人の説明を、本当だったことにしてほしいのだ。




