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余命一年恋物語  作者: 榊 珠江
四の御縁 縁結びの女神

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思い出の海

「今日は何をしたい?」


 唐突に、彼は私に尋ねてきた。夜通し私を抱いたくせに、朝から元気なことで。


 窓の外を眺めてみると、雲ひとつない青空が見える。差し込む陽光に部屋は温められ、二度寝するのも悪くない気もしたが、彼がお誘いをしてくれているわけだから、応えてあげたい。


 どこへ行きたい、か。パッと思い浮かんだのは海の景色だ。私と彼が出会ったあの海。潮の香りや風の感触さえ思い出され、なぜだか無性に行きたくなってきた。


「・・・海に、行きたいかな」


「海ね、よし分かった」


 彼は言うなり、早々と出かける支度をしている。その後ろ姿がなんとも楽しそうで、見ている私もつい笑みを溢してしまう。


「姫子も早く準備して。今日はお出かけ日和だ」


 まるで子供のようにはしゃぐ彼を嗜めながら私も支度を整え、海へと向かった。


 海へと向かう道中、私は真っ青な空を助手席の窓から見上げながら自分の過去をぼんやりと振り返っていた。彼と出会った当時の私は、新社会人として世間の荒波に揉まれに揉まれ、いっそ闇落ちしかけた真っ黒な心も、もみ洗いしてしまおうと海に繰り出していた。


 ストレスを言い訳に糖分マシマシのクリームパンを片手に、海辺をてくてくと歩いていくと。目の前で急降下するトンビを目撃した。


 トンビは一直線に降りてくると、目の前にいた男の人からおにぎりを奪い去っていったのだ。マンガのような鮮やかな盗みっぷりには感動すら覚えるほどだったが、何より面白かったのは、その男の人の盗られっぷりだった。この男が、彼だ。


 あの慌てふためきよう・・・。トンビにおにぎりを盗られたことでテンパリ、動きも声も驚きを隠せず派手に慌てていた姿がまるでコントのようにすら見えた。この時点で腹筋が限界を迎えそうだったが、極め付けは男の人の情けない顔だ。おにぎりを惜しむ哀愁漂う顔を見て、私は思わず指を差して大笑いをしてしまった。


 だって、この世に私より不幸なように見えたから。


 新社会人だった私は、社会からの洗礼でもみくちゃにされ、さも自分が世界で一番不幸な人間だと思っていた。けれど、目の前には自称不幸な女より、今まさに不幸のどん底の人を前にして、私だけが不幸に見舞われているわけじゃないことがわかり、気が抜けてなんだか可笑しくなってしまった。


 次の瞬間、今度は私のパンがトンビに盗られた。一瞬の出来事で、はじめは何が起こったのか理解できず、トンビの足に掴まれ飛んでいく糖分マシマシのパンが目に映り、私は一気に現実に引き戻された。


 やっぱりは私は不幸な女だ。自称ではなく、客観的な事実になってしまった。その現実を目の当たりにして、私はその場であられもなく泣き出してしまった。


 本音を言えば、私は罰を受けたのだと思う。目の前のどこの誰だかわからない人の不幸を笑い、即座にバチが当たったのだ。


 ところが、私が指を差して笑った男の人は、私にかけよると、大丈夫ですかと優しく声をかけてくれたのだ。それどころか、私をパン屋に連れて行き、新しいパンを買ってくれさえした。なんて優しい人がいるのだろうと驚いたけれど、この出来事がきっかけで、私たちは付き合うことになったのだから、ご縁というものは摩訶不思議なもの。


「着いたよ。懐かしいね、この海で俺たち初めて会ったよな」


「えぇ、そうね」


 彼の言葉に、思い出から現実へと引き戻され、目の前には懐かしの海が広がっていた。


 車を停め、浜辺へと歩いていく。久々に歩く砂浜を歩くのは難儀だったけれど、彼の手を取りながら海に向かって歩いていく。一歩一歩進んでもまっすぐ足を下さないと足がどんどん沈んでしまう。


 波打ち際へときた私たちは、浜へと座り込み二人並んで海を眺めた。太陽の光が反射された海は、キラキラと輝いている。


「海ってのは、いつ見ても変わりませんねぇ」


「そうだね。あの頃と何も変わらない。長く続いた海岸線、白い砂浜、そして空にはトンビが飛んでいる」


「あっ、ほんとだ」


 海風に乗って宙を舞うトンビが何羽も見える。あのトンビ達の中に、私たちから食べ物を盗んだ不届きものも混じっているのだろうか。いや、むしろ私たちの縁を結んだのだから、功労者というべきか。


 ぼんやり空を飛ぶトンビを眺めていると、彼が跪き私に子綺麗なケースを差し出し蓋を開けた。中には、綺麗な指輪が収まっていた。私はこの指輪を見たことがある。私が縁結びの女神に変身していた時に、彼が昔話で元カノ、つまり私の話をした時だ。


 あの時は思わず変身していることを忘れ、指に嵌めようとして止められちゃったけど、ということは、これはひょっとして、ひょっとするのか?


「結婚してくれ、姫子。君に、この想いをずっと伝えたかった。例えあと数ヶ月しか一緒にいられなくても、俺は君と過ごしていたい。愛し合う夫婦として」


 顔を真っ赤にしながら話す彼の言葉が、私の胸を貫いた。波の音すら聞こえず、彼の言葉だけが私の耳に響く。


 景色がぼやけ、目頭が熱くなる。嬉しい。本当に嬉しい。でも、私に彼の気持ちに応える権利があるのかしら。私は知らず知らずのうちに彼を呪ってしまった身。罪悪感と幸福感がドロドロに混ざり合い膿ののようにジクジクとした感情が胸に溢れる。


「大神様は、姫子に罪や穢れがあると言ったが、気にするな。人間は間違いをするもんだ。それも含めて、俺は姫子と一緒になりたい。幸せにしたい。どうか、この指輪を受け取ってくれ。俺は、ずっとこの瞬間ときを待っていたんだ!」


 今まで見たこともないような彼の本気の顔に、今度は吹いてしまった。だって、あまりにも必死だったから。こんなに必死な顔は初めてみた。


「はははは!」


 またやってしまった。彼がおにぎりをトンビに盗られた時のように、盛大に笑ってしまった。


「え〜・・・。そんな笑うことないじゃない」


「ごめんなさい。でも、こんなに必死で真剣なあなたの顔、初めてみたらつい」


「俺も、姫子がこんなに笑った顔を見るの、ずいぶん久々だ。笑われるのは癪だけど、悪くないな。というか、とりあえず答え教えてくれよ。一応これ、一世一代のプローポーズの真っ最中雨だぜ?」


 彼は改めて指輪を差し出してきた。腹の底から笑ったら、なんだか罪だの穢れだの考えるのがバカらしくなってしまった。大神様は私に彼に支えよと言ったことだし、彼の想いを受け入れることに何も問題ない。


「よろしくお願いします」


 私は恭しく頭を下げた。そして彼に左手を差し出す。


「あなたが指輪をはめて。私もずっと夢見てた」


 頷く彼は静かに私の薬指へと指輪をはめてくれた。ひんやりと冷たい感触が指に伝わる。でも、私の心はじんわりと温もりが広がっていく。


 彼と一緒に幸せに過ごしたい。たとて、残された時間が短くても、私は彼の伴侶として、共に在りたい。そう、心から願った。

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