独白
今、私はかつて愛した彼に抱かれている。女であっても、性の快感からは逃れられない。憚らずに言えば、私は彼に抱かれることにこの上ない幸せと快感を感じていた。
単純に行為による快感が好きなわけではない。そもそも、私は行為自体、取り立てて好きというわけではない。彼が特別だからだ。私の最愛の彼だからこそ、抱かれることに、この上ない幸せを感じることができる。
すっかり彼のことを覚えてしまった私の体は触れられる度に、かつて何度も体を重ねていた生前の頃を思い出す。彼はすっかり十年分歳を重ねているが、私は死んだ当時の若さの姿のままだ。私を求める彼の甘い声が、愛おしそうに触れてくる手が、狂おしいほど私の心を燃え上がらせる。
燃え盛るような行為は一晩中続き、私達は眠ることなく朝まで快楽に耽り、快楽を貪った。だが、生前の時とは比べることができないほど体を動かした彼は、さすがに疲れが出てきたのか、最後に私の中で果てた後、気絶するように眠りについた。
私はそんな彼の寝顔を見ながら余韻に浸り、頭を撫でる。私が大好きな人。彼は私にずっと会いたかったと言ってくれたが、それは私も同じ気持ちだった。
胸がズキっと痛む。これは、罪悪感の痛みだ。脳裏に死んだ後の記憶が蘇り、心が掻き乱される。そして、その心の痛みはまるで波紋のように心に静かに広がっていく。
こういう時は、何か温かいものを飲むのがいい。心を落ち着かせてくれるから。それに、飲み物を作るという行動が、余計な雑念を払ってもくれる。
私は服を着て、台所へと向かいお茶を淹れる支度をする。紅茶を淹れてみたのだが、その芳醇な香りと味も、久しぶりに味わった。私が縁結びの女神として彼と共同生活をしていた時にも、時に応じて食事や酒を味わってはいたが、やっぱり生身で味わう方が断然味が良い。いくら神様であっても、肉体がなければ本当の味を味わいきれないというのは発見だ。
紅茶を口に運びつつ、私は彼との今後の生活に想いを馳せた。もう、季節は秋を過ぎ、冬を迎えようという季節。彼の余命も残り半年を切っている。部屋の壁に月毎に貼られたカレンダーの並びも随分と見慣れたけれど、これが彼の残り時間だと思うと、胸が締め付けられる。この感情の揺らぎも、あちらの世界よりこちらの世界の方が断然感じられる。これも、生きているからこそ味わえる類のものということかしら。
胸がズキズキと痛み、大神様の言葉が頭の中で何度も繰り返される。私が貯めてしまった罪と穢れ。これを私は払わなければならない。
私の穢れ。それは、死してなお、彼に未練があり、執着してしまったこと。
私の罪。それは、彼に取り憑き、あるはずの縁を奪ってしまったこと。
胸の疼きがさらに強くなり、心臓が握りつぶされるようだ。頭では理解していても、自分がしでかしたことの重さで、魂が押しつぶされてしまいそうだ。そう、私はとんでもないことをしてしまった。
あれは、私が事故で死んだ時の話になる。私は彼と一緒に雪道を歩いていた時、スリップした車に背後からはねられ、事故死した。
撥ねられた瞬間の衝撃は、今でも覚えている。ものすごい衝撃を背中に受け、弾き飛ばされたにも関わらず、不思議と痛みはなかった。一瞬視界が黒くなったと思った次の瞬間には、雪道に一人立ちすくみ、自分の亡骸を見下ろしていた。
どくどくと頭から血を流し、折れ曲がった腕や足を見て、あっ、これはもうダメだと、何故か自然に理解し、自分は死んだのだと淡々と理解している自分に気づいた。そして、聞こえてきた声。天を仰ぐと、光の玉のような物が宙に浮き、私を呼んでいた。
今思えば、あれは大神様の声だった。とても優しい声で私を呼び、あの世へと誘おうと声をかけてくださっていた。でも、私は彼の呻き声を聞いてしまった。彼はまだ生きていた。意識があるかどうかよく分からなかったけど、痛みに苦しみ、もがいていた。
その姿を見た瞬間、私は我に返り、彼の元へと駆け寄ったけれど、どれだけ声をかけても反応は返ってこない。大声を出しても聞こえない。体に触れようとしても、私の腕は彼の体を通り抜けるばかりで触ることができない。何度やってみても、彼に触れることができずに泣き崩れていると、騒ぎを駆けつけた近所の人が現れ、救急車を呼び、私の亡骸と彼が病院へと搬送されていった。
肉体から抜け魂だけの存在になると、物理的な制約は極端に無くなるらしい。誰の目にも映らない私は、当然その場に置き去りにされたものの、彼のことを想えば、どれだけ離れていても、まるで瞬間移動のように彼の元へと移動することができた。お陰で彼が手術をしている時も、無事に手術が成功して入院している間も、ずっと彼のそばにいることができた。
でも、私の声は届かない。これが、どれほど辛いか身に染みて知ったのは、彼が意識を取り戻してからのことだった。私の死を知った彼は、意識を取り戻してからというもの、すっかり塞ぎ込んでしまっていた。死者の声は届かない。私は彼に元気を取り戻してほしい一心で、ずっとそばで声をかけ続けた。安心してね。私はここにいるよ。元気を出してね、と。
私の声は彼には届いていなくとも、想いは通じているのではないか。そんな考えが頭に浮かび始めたのはこの頃だった。仕事に邁進し順調に出世し、仕事を頑張る彼の姿を見て、私はすっかり思い違いをしてしまった。
それからというもの、私はさらに想いを込めて彼に声をかけるようにしたけど、すると頭上から大神様の声が聞こえるようになってきた。はじめは小さな声だったので、あまり気にせず、私は相変わらず彼を励まし続けていた。
ただ、私が大神様の声を無視して彼を励ます日々が何年にもわたって続くと次第にその声の大きさは増し、それでも励ますことを辞めなかった私は、ついに彼が余命宣告を受けたその日に、大神様からお叱りを受けることになった。
もうやめなさい。あなたの言葉が呪いと化している。遂に姿まで現し、私に立ちはだかってそう仰るのだった。私はこの言葉に、初めは愕然としたが、次第に怒りが込み上げてきた。私の彼に対する想いを、いくら神と名乗る存在から叱られたとはいえ、呪いとまで言われて黙ってはいられない。
食ってかかる私に、大神様は丸い鏡を取り出し、私に見せた。そこには、過去私が彼に寄り添っていた姿が映り出されていたが、そのおぞましさに絶句した。
私の彼に対する想いは、邪気を孕み、ドス黒い霧のように彼を包み込んでいた。まるで私の邪念が彼を手放すまいと邪念で囲っているように見えた。
大神様は私をそっと諭した。はじめは純粋だった想いが次第に執念へと変質してしまっていた。それだけにとどまらず、私が放っていた邪念は無意識に彼の生気を蝕み、様々な人との縁を遠ざけ、孤独に陥らせてしまっていたのだ。
私は愕然とした。そして、その罪の重さに戦慄し、絶叫した。私が彼を死後ずっと呪い続けていたなんて思いもしなかった。それでも、大神様は過ちを正す機会を授けてくださった。それが、大神様に仕えることで縁結びの権能を賜り、彼の願いを叶えることで贖罪をすることだった。そして、大神様に願った。罪を贖い穢れが払えたならば、もう一度彼と直接会って話がしたい、と。大神様はこの願いを聞き届けてくださり、私は縁結びの神に仕えし一柱となった。
本来であれば、彼はもっと違った人達と出会っていたのかもしれない。もっと違った生き方ができたのかもしれない。その機会を私は奪ってしまった。
だから、私にとってこの一年は、贖罪の一年だ。そして、つい彼に向かって口にしてしまう。ごめんなさいと。
「お〜い、姫子。どうしたんだ、遠い目をして」
いつの間にか彼はベッドから這い出て私の隣に座っりキョトンとした目で私を見つめている。
「久しぶりにいい汗かいたから、ちょっとボーっとしてたの」
笑って答えると、彼もまた笑顔を返すのだった。贖罪こそが、今の私が生きる意味。決して忘れてはならない。




