姫子の話 1
自宅へと姫子を伴い帰宅した。姫子は早速部屋の奥へと消え、着替えをしたいとの事だ。彼女がゆっくりと着替えてもらっているうちに、俺は食事の支度をすることにした。
怒涛の展開ですっかり忘れていたが、俺たちはまだ食事らしい食事をとっていなかった。とっくに昼は過ぎているし、かといって夕食には早い。というより、もはやおやつの時間を迎えようとしている。
だが、体は正直だ。さっきから腹が鳴りっぱなしでしょうがない。着替えのために部屋の奥からも大きな腹の虫が鳴いているのがよく聞こえる。
「今の聞こえちゃった?」
「そりゃもう、しっかりと」
顔を赤らめ、頭を抱えながら姫子は部屋の奥から出てきた。すっかり現代風の服装に着替えたことで、ようやく風景に馴染んできた。袴姿も悪くはないが、やっぱり日常生活の場であの服装は浮いてしまう。ありふれた現代の服装に身を包んだ姫子を見て、俺もようやく落ち着いて彼女の姿を見れる。
「ひとまず、何か食べようか。何が食べたい?」
「なんでもいいけど、冷蔵庫に作り置きのおかず入とか余ったご飯があるから、それを食べましょう」
「そっか、そういえば色々残ってたな。よし、俺が支度するから、姫子は座って待ってな」
「いいよ、なんか悪いし。それに、今となっては私の方がこの家の台所事情は把握しているのよ?それに、今までだって、私が色々準備してたじゃない」
「そういえば、そうか。いや、今思うと、やっぱあれ甘え過ぎてたか?」
「いいのよ、私が好きでやていたことだから。気になるなら、一緒に支度する?」
「それがいい。二人で支度をしよう」
思い出されるのは、岩女が我が家に住み着くようになった頃だ。何かと俺の世話を焼き、最終的に日常生活のほぼ全てを岩女が世話をしてくれるようになっていたが、俺はそのあまりの居心地の良さにすっかりあぐらをかいてしまっていた。だが、そのあぐらをかかせてもらっていた岩女の正体が姫子だったとは思いもしなかったが。
まるで現実感がない。死んだはずの彼女が黄泉帰りを果たし、俺の隣で一緒に食事の支度をしているなど、夢でも見ているかのようだ。
だが、こうして隣にいるだけでも、彼女の気配や息遣いを感じる。思わずじっと見てしまし、視線があった時にニコッと笑って見せる彼女の姿が、妄想ではなく現実で、目の前に存在しているということが、まだ心の中で受け止めきれていないのだろう。
俺は夢見心地のまま、彼女と食事を済ませ、ようやく体も心も落ち着きを取り戻し始めていた。落ち着いた所で、頭の中で引っかかっていた疑問が次々に浮かび上がってくる。どうしても聞きたいことがいくつかあったが、特に聞きたいのは、なぜ姫子は縁結びの神として俺に他の女性との縁を結ぼうとしたのかだ。さて、どう切り出したらいいものか。
食後のお茶を姫子に出しつつ、ソファへと並んで座り、話すタイミングを測る。
「なぁ、姫子。答えたくなければ答えなくてもいいんだけどさ。もしよければ、姫子が縁結びの神様とどんな感じで出会ったかとか、聞いてみたいんだけど」
作戦その一。まずは聞きやすい話題から振ってみる。
「前にも聞かれたけど、あの世のことに関しては教えられることと、教えちゃいけないことがあるのよ?ま、本当に教えちゃいけないことは口にすることすらできないけど」
「そういえば、以前俺が質問した時に、物凄いむせてたことがあったな」
「そういうこと。でも、その話なら少しはしてもいいかな?私にとっては、とても思い出深い話よ。あれは私が事故で死んだ時の話から始まるけど、その点は大丈夫?」
「あれは今だにトラウマだよ」
「そうだよね。あの時はほんとごめんね。一人だけ死んじゃって。でも、事故の時は痛みとか苦しいことは何もなかったの。一瞬、何かがぶつかって、吹き飛ばされた感覚は覚えてるんだけど、それだけ。気がついたら、私は道路に立ってて、車に轢かれた自分の体を眺めてた。もう、頭真っ白だったよ。何が起きてるの?って感じで」
「あの時は俺も意識を失ってたから、あとから聞いた話だけど、たまたま事故に居合わせた人が救急車を呼んでくれたらしいね。救急車がもう少し早く到着したら、結末は変わってったのかな?」
「そこは関係ないかな。即死だったし。私も、事故現場で自分の体を見下ろしてた時、これはもうダメだなって直感あったから」
あの事故がそもそもの元凶だ。あの事故さえなければ。何度そう思ったことか。あの事故の話を思い出すたびに、心の古傷が疼き、吐きそうなほど気持ち悪くなる。だが、姫子はというと、割とあっけらかんとしている。彼女にとっては、あの時の悲劇もすでに過去の体験の一つとして心の整理できているということだろうか。
「でも、あなたはそうじゃなかった。意識はなかったけど、息をしてるのは見えた。だから、私は君に縋り付いて泣きながら声をかけたの。大丈夫、すぐに助けが来るからね、って。でも、反応はなかった。そうだよね、こっちは死んで魂だけの状態になってるから聞こえるわけもない。でも、君のことが心配でずっとそばにいた。そしたら、大神様が現れたの」
「へぇ〜。いわゆるお迎え的な感じできたのかな?」
「それもあるって言ってた。大神様と私には魂レベルのご縁があるんだって。私はそんなこと全然分からないんだけど、大神様にとっては放っておくことができなかったって言ってたわ。でも、私はあなたに執着していて、わがままを言ったの。せめて彼の怪我が治るまで、そばに居させてほしいって。そしたら、一ヶ月経ち、半年経ち、一年経ち、気がついたら、あなたが余命宣告を受けた頃までずっとそばに居ることになってしまって・・・。一年前に見兼ねた大神様が、そのへんにしておきなさいって、仕事の手伝いに連れて行かれた感じ」
「大神様も大胆なことなさる。でも、姫子は死んだあともずっと俺のそばにいてくれていたのか。じゃあ、案外気のせいじゃなかったのかもな。俺には霊感はないけど、あの頃は、いつも誰かに見守られているような気がしてた。それが姫子だったなら、それは嬉しいことだ」
姫子は急に顔を伏せてしまった。出てくる言葉は謝罪の言葉ばかりだ。そんなに謝ることだろうか。むしろ、今感じているのは喜びと感謝だ。ずっと孤独だと思っていた過去の生活が、実は愛する人に見守られていたなんて素敵なことじゃないか。俺がその嬉しい気持ちを彼女に伝えると、また静かに彼女は涙を流すのだった。




