終の御縁 岩永姫子
「おい、女神!大丈夫か?!」
声をかけるが、地に伏せた岩女は、袖で顔を隠したまま微動だにしない。
「体起こせるか?」
肩を掴み抱き起こそうとすると、岩女は抵抗を示した。相変わらずすごい力だ。俺の力では到底抱き起こせそうにない。だが、これだけの力が込められるのなら、体は大丈夫そうだ。
恐る恐る岩女は袖を下げ、ようやく俺に顔を見せた。
「・・・。お前、その顔・・・」
髪は絹のように透き通った光沢のある長い白髪だ。その美しい白髪から覗かせた顔を見て、俺の胸は高鳴った。
あの子だ。あの子の顔だ。もう二度と会えないと思っていた、俺の最愛の人。
「姫子だよな?どうして、お前がここに・・・」
岩永姫子。十数年前に事故で死別した彼女の姿がそこにはあった。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
涙ながらに謝る彼女を、俺はただ抱きしめた。彼女の、温もり、やわらかさ、匂い、全てが懐かしい。まさかこんな事が起きるなんて。驚きで真っ白だった頭に、色彩が戻り、目頭が熱くなる。腹の底から湧き上がるり胸いっぱいに広がる暖かさが喉を通り越して嗚咽として溢れ出す。
「会いたかった。ずっと、会いたかった!」
こんなに嬉しくて泣きじゃくるなど、未だかつてあっただろうか。姫子に縋りつき、力一杯抱きしめ、ただ泣くことしかできない俺を、姫子はそっと抱き返してくれている。
「奇跡だ。これこそ、俺が願ったことだ。まさかこんな願いが叶うなんて!」
「ごめんなさい。今まで正体を隠してて・・・」
「そんなことはいい。そんなことはいいんだ。俺は、姫子に会えただけで、もう死んだっていいくらいだ」
「死ぬな、馬鹿者」
姫子は優しく、コツンと俺の頭を拳骨で殴った。この懐かしい感じ。あの頃を思い出す。そして、岩女に感じていた既視感の正体も今ようやくわかった。まるで、過去どこかで同じようなやり取りをした事がある気がしたが、岩女が姫子であったのなら納得だ。
「なんだか、とても懐かしい。そういえば、こんなやり取り結構してたっけなぁ〜・・・」
「そうね。私もとても懐かしい。まさか、こんな事が許されるだなんて。でも、怒ってない?ずっと私が姿を隠してそばにいただなんて」
「そんなことで怒るもんか!俺は、会えて本当に嬉しいよ。そうだ!家に帰って、何か美味しいものでも食べよう。昔みたいに、話をしながらさ」
「いいわね。そうしようかしら。あっ、山を降りる前に、ちょっといいかしら?この社の先に小さいけど、展望台があるの。とても眺めがいいのよ?海を見てから、あなたの家に帰りたいな」
俺はすかさず快諾し、姫子の手をとって展望台へと向かった。人一人通れるくらいの狭い階段を上がると、これまた柵に囲まれた狭い展望台が現れた。俺と姫子が一緒に上がれるくらいの広さしかないが、この展望台から見渡せる景色は絶景だった。
見渡す限りの海。潮の匂いや穏やかな風が吹きつけ、波の音がよく聞こえる。そういえば、姫子は海を眺めるのが好きだったな。
「ここから見える景色は最高でしょ?私、神様に仕えている時も、よくこの展望台で海を眺めてたわ」
「たしかに、この眺めは絶景だ。ずっと見ていられそうだ」
「ずっと思ってた。この素敵な景色があなたと一緒に見れたらなって。まさか本当に叶うとは。世の中、何が起こるかわかりませんねぇ」
うっとりと海を眺める彼女の横顔に、俺の心はときめいている。そうだ、俺は彼女が海を眺める横顔が好きだった。この幸せそうな笑顔を見たくて、守りたくて、だからこそ、俺は彼女にプロポーズしようとしたのだから。
そっと、彼女の背中から抱きしめる。姫子も、俺の腕にそっと触れ、身を寄せてくる。
「本当に、会えてよかった」
「・・・わたしも」
見つめ合えば、自然と唇が唇へと吸い寄せられていく。願いというものは、叶ってしまえば呆気ない気もする。今までの苦労や、夢が叶わない焦りも、全てが報われたこの瞬間、俺はたしかに生の実感を全身で感じていた。
俺は、彼女の手を取り山を降り始めた。繋いだ手の温もりが嬉しい。ぎゅっと手を握ると、彼女もまた、俺の手を握り返すのだった。
山を降りる途中、参拝者とすれ違った。挨拶をしてすれ違うが、しきりにこちらを振り返ってくる。どうしたのかと思ったが、姫子を見ると顔を紅潮させ顔を伏せていた。
「なんだろう、あの人達、こっちを見てきたけど」
「しまった、忘れてた。今わたし、姿を隠せないんだった」
「え?どういうこと?」
「あのね、今の私、完全に受肉してる状態なの。つまりはその、生き返った状態なのね。だから、もう姿を隠したり、宙を飛んだりもできなくなってるの。だから、さっきの人たちも、私の姿をバッチリ見てあの反応だったんだと思う」
なにそれ。大神様、大盤振る舞いじゃん。手を握ったりキスしたりと普通にできたから特に気にしなかったけど、まさか完全に生き返っていたとは。
いや、待て。そうすると、今の姫子の格好はとにかく目立つ。巫女装束のように綺麗な朱色の袴に白衣姿。そんな格好で山を歩けば思わず見てしまうのも頷ける。
「なんだか、この格好が恥ずかしくなってきちゃった」
「そ、そうか。たしかに、山を歩く格好には見えないな。よし、任せろ。降りたら服を買ってやるよ」
「・・・あと、下着も」
「へ?なんて?」
「下着も買って」
「え?!まさか何も履いてな・・・」
「言うな!あっちの世界じゃ下着なんて着る必要なかったんだから、仕方ないでしょ?!」
「そ、そうか・・・。なんかエロいな」
割と強めに拳骨をもらってしまった。だが、生き返ったとなると、服以外にも日用品が必要になるだろうな。ともかく、早いところ山を降りて車に乗らなければ。
山を降りきり、そそくさと車に乗に込んだ俺達は、一路服屋へと車を走らせ、よくあるファストファッションの店へと向かった。必要な買い物品のリストは道中に姫子がメモに書き記してくれたが、いざ店に入り買い物をするとなると、女性コーナーに突撃する必要があった。
姫子はどうしても恥ずかしいと言って車から降りたがらず、致し方なく男一人で女性物の服を買い漁る羽目になってしまったが、考えてもみてほしい。男一人、女性コーナーで服から下着からカゴに入れていく時の視線が痛い。周囲の女性から白い目で見られ、いたたまれない。レジがセルフだったのがせめてもの救いだったが、寿命が縮む思いをしてしまった。
車へ帰ると、申し訳なさそうに車の後部席で小さく体をまとめている姫子に早速服を渡す。
「ほら、言われたもの買ってきたよ」
「ありがとう。ごめんね、一人で行かせちゃって。でも、店員さん事情を察して手伝ってくれたんじゃない?」
「店員?いや、俺は一人で買い物したが?」
「嘘ぉ!一人でって、下着コーナーもあなた一人で突撃したの?店員さんに事情説明して用意して貰えばよかったじゃない」
「あっ!そんな手があったのか!」
盲点だった。買ってきてくれと言われて、そのまま律儀に買い物をしてしまっていた。頭を抱えて反省している俺に姫子は「素直な人だねぇ」とクスッと笑いをこぼした。




