縁結びの神社
俺が願掛けをした縁結びの神社は海岸沿いに位置し、烏帽子のようにせり立つ岩山に位置している。あまり有名でもなく小じんまりとした知る人ぞ知る神社だが、山の威容は神聖さを感じさせる。しかも山頂に鎮座する社には、傾斜が強い山道を登っていかなければならない。この不便さや大変さが、よりご利益をいただけそうな神社だったのでお参りしてみたのだが、霊験あらたかなのは俺のこの余命生活の中で充分に実証された。
山の麓の駐車場に車を停め、早速願掛けをした山頂の社へと向かうが、境内入り口の鳥居から、見上げなけれないけないほどの傾斜のある石段を見て唾を飲み込む。
おまけに、石段は一段一段が幅が狭い上に奥行きもない。つま先立ちで登るようにしなければ足も置けない。よくこんな道を登って行ったなと、過去の自分を褒めてやりたい気分だ。
山には松が生い茂り、その松林の間からは青い空と海が目に映る。押しては返す白波と波の音が耳に届き、ほのかな潮の香りが鼻の中に広がる中、俺は息を切らし一歩一歩足を進める。
季節は夏を過ぎたとはいえ、山を登っていくとなると、体はどんどんと熱を帯び、汗をかいてしまう。おまけに、石段は途中までしか置かれておらず、途中からは木の根が走る山道へと変わり、道幅も狭く歩きづらい。膝に手をつき、一息入れながらではないと、運動不足のこの体では体力が持たない。
額や背中に流れる汗を感じ、上着を脱ぎ薄手の格好になっても火照った体はすぐには冷えない。こんなことならしっかり準備を整えてくるべきだったと後悔をし始めた頃、山道の脇に松林が開け一休みできる場所が見つかった。
そこは潮風がよく通り、火照った体を冷やすには丁度いい具合だったが、それにもまして良かったのは景色の良さだ。開けた松林の間から海を拝めそうだ。休憩がてら海を見ようと前に出ようとした時、潮風に混じり女の声が聞こえてきた。
「それ以上先は崖になってるわよ」
岩女の声だ。ハッとして、周囲を見渡すと、松林の影に岩女の姿が見えた。松に身を委ね、まるで廃人のように地に座り、海を眺めている。
「あっ!いた!見つけた!」
岩女は俺を一瞥しただけで、また、ぷいと海へと視線を海に戻してしまった。若干不貞腐れた態度にイラッとくるが、そもそもの原因は俺にあるのだから、ここは苛つきをぐっと押さえ込む。
「あんな手紙残されたら心配するだろうが」
「心配ご無用。腐っても神なんだか。もっとも、出来の悪い神様ですけどね」
そう言うと岩女は膝を抱え、頭を膝へと埋めてしまった。だいぶいじけている。
「そんなこと言うなよ。なぁ、女神よ。俺に怒ってるんじゃないのか?情けないと思ってるんじゃないのか?」
「どうして?」
「だって、俺はお前が結んでくれた縁を成就することができなかった。それどころか、女神の神助を無駄にした。挙句、神頼みした俺の願いがそもそも俺の本心でないことにも気がついちまった。こんなしょうもないオチ、申し訳ねぇよ」
「それはいいのよ。私は今、自分が情けなくなっているだけだから」
「どういうことだ?お前は俺のためにあんなに頑張ってくれたじゃないか」
「そんなのは神として当たり前なの、問題はそこじゃない。私はあなたの本心に気づけなかったのが悔しい。何より、あなたの本当の願いを知ったにも関わらず、その願いが叶えてあげられないことが何より悔しいし悲しい」
「でも、それは仕方ないだろう。どうしようもないことも、世の中にはあるだろ。でも、お前が俺にくれた縁は、俺に大事なものを気づかせてくれた。お陰様で死ぬ前に大事なことに気がつけてよかった。これで心置き無く逝けるってもんだ。ありがとうな。あと、神の助けを無駄にして、ごめん。」
俺の言葉に、岩女はすすり泣くばかりだった。この時、俺にはもうなんと声をかけていいのか分からなかった。ただ、岩女の隣で泣き止むのを待つしかなかった。
ひとしきり泣き、落ち着きを取り戻した岩女は、ごつい手で顔をゴシゴシと拭いながら、ゆっくりと立ち上がり、歩き始めた。
「おい、どこいくんだよ」
「帰るの。もう少し歩けば社に着くから」
「そうか。なぁ、俺も行っていいか?縁結びの大神様に、お礼参りしないとだ。あと、謝罪も」
「・・・そうね。私も大神様に謝らなければいけない。この不始末、なんとお詫びをすればいいのか」
「じゃあ、二人で謝るか。俺も一人よりかよっぽど気楽だ」
岩女は静かに頷き、再び歩き出した。程なくして、俺たちは山頂にある社の前に着き、正対する。社は潮風から御神体を守るためか、前回参拝した時も戸が閉められていたのだが、その戸が勝手に開き、中に鎮座している御心境を目にした。
御心境はにわかに光を帯び、一瞬閃光のように眩く光ったと思ったら、目の前には天女のような格好をした女性が宙に浮き、俺達を見下ろしていた。その姿は、まさに神々しいとしか言い様がなかった。女性の輪郭をなぞるように太陽のように明るい光に包まれているにもかかわらず、眩しさを感じることはない。その明るさで顔立ちがよくは見えなかったが、溢れ出る気品と気高さは言葉ならずとも自然に心に染み渡って行くかのようだった。
「大神様、わざわざご降臨していただけるとは・・・」
岩女は地に額ずき、恭しく座礼をしている。俺は目の前でなにが起きているのか混乱していると、岩女に力づくで引きずり倒され、同じく座礼をするように頭を押さえられてしまった。
「姫よ、よく参りました。縁結びのお役目、大変ご苦労様でした」
大神様は、岩女に労いの言葉をかけた。その言葉は慈愛に溢れ、叱責をしようなどという気配は微塵も感じない。
「大神様、私は失敗しました。この者の縁結びの願いを聞き入れたはずが、本願を見誤り、縁を何度も結び間違えてしまいました。縁結びの女神の一柱として、あってはならぬことです。如何様にも罰をお受けいたします。どうか、御沙汰を」
大神様は沈黙しているだけだった。その沈黙に耐えかね、俺も謝罪の言葉を述べた。
「俺、いや、私がそもそも悪いんです。余命宣告されたことを言い訳にして、下品なお願いをしてしまいました。神助までいただいたにも関わらず、願いも成就できず、本当に申し訳ありませんでした」
大神様は、沈黙を貫いたままだった。気まずい。非常に気まずい。いたたまれず、さりとて頭を上げることもできず、平伏し続けることしかできない。山の麓から聞こえてくる波の音がこの気まずい空気を満たしている。
「二人とも、面をあげなさい」
恐る恐る、顔をあげると、宙を浮いていた大神様は静かに社の中に降り立ち、座した。
「私はあなた方を咎めることは致しません。ただ、あなた方の幸せと、今後の発展を願うのみです。ですが、そのためには、二人に修行を課す必要がありました」
大神様は静かに首を俺に向けた。相変わらず光に包まれていて顔立ちどころか視線も見えにくいが、確かに俺を見据えていた。
「私は、あなたの本願を最初から気がついていました」
胸が締め付けられるように、心臓の鼓動が跳ね上がった。続いてどんな言葉が出るか、恐ろしくてたまらない。
「到底叶わぬ願いと知りながら、心の傷から目を背け偽りの願いを口にしたこと。褒められることではありませんが、それを咎めることは致しません。人は罪穢れをためていくもの。ですが、あなたは女神が結んだ縁を、己が欲望を満たすのではなく、縁を結んだ相手にとって良きものとなるように計らいました。よくぞ、悩める者たちを救いましたね」
「えっ?いや、それは単に私がやりたくないことを、やらなかっただけでして・・・」
「それが、あなたの禊となり、また徳を積むことにもなりました。素晴らしい働きです」
「は、はぁ・・・」
突然褒められたが、正直困惑してしまう。褒められるのは悪い気はしないが、大神様は何を言いたいのだろうか。俺を見据える大神様の声には澱みも曇りもない。何を意図しているのか理解が及ばない。
「男や、そなたの働きをもって、あなたの心願をここに成就させましょう。そして、姫神よ。そなたの罪、穢れは十分に祓われたとはいえない。そなたには、まだやらねばならぬことがある。この務め、果たす覚悟はありますか?」
隣で恐怖に震えている岩女は、静かに頷く。
「よろしい。ならばそなたに新たなお役目を与えます。姫神よ、その仮初の姿を脱ぎ捨て、この男が命尽きるまで仕え、もって心願成就せしめなさい」
「!!大神様。それだけは、どうかご勘弁を!!」
岩女はなりふり構わず大神様に慈悲を乞うている。今のやり取りを聞く限り、大神様は俺の願いを叶えるために、岩女を俺にあてがうつもりらしいが、いや、ちょっと待った大神様。俺は岩女とのイチャイチャは求めてませんが?!しかも、元の姿ってどういう意味だ?とりあえず、なんか不安!
「大神様!お言葉ですが、俺はこの岩女とイチャイチャしたいわけではありません!そりゃ、今まで共同生活みたいなことしてましたけど、それはあくまで神と人としての間柄でして、仮にも女神といちゃつくなんて、恐れ多いです!」
隣で岩女も首がもげる勢いで、首を縦に振っている。俺とイチャつくのがそこまで嫌なのかと思うと、それはそれで若干イラっとくるが、だが、実際お互い望んでいるわけではない。ここはいかに大神様相手といえど断固拒止せねば。
だが、大神様は暖かい眼差しを送るのみで、俺たちの言い分を聞き入れることはなかった。
「姫神よ、この男は春が立つ頃には命が尽きる。残された時は短いが、よく考え、見事この務めを果たしてみなさい」
大神様が言葉を発すると、岩女が眩い光に包まれ、その間、野太い断末魔のような岩女の声が山にこだまするが、その声は次第に若い女性の声へと変じ、光の玉も女性の人型へと変化していった。
光が収まる頃には、いつの間にか大神様がおわした社の戸は固く閉ざされ、残るは巫女服を着た歳若そうな女性が地に伏せているのだった。




