女神の計略
ここにきて、今後予想される展開に俺はどこか恐れを抱いていることに気がついた。あれだけイチャイチャを願ったはずなのに、いざその展開が見えてくると怖気ずいている自分がいたのだ。辰姫さんに女性として魅力を感じていないわけじゃ無い。むしろ逆だ。
恋愛経験の不足もある。土壇場での度胸の無さもある。だが、それだけではない、もっと根本的な俺の問題がある。それに向き合おうとすると、腹の底からモヤモヤと黒い煙が湧き上がるような感覚が体の中で広がり、胸が苦しくなっていく。神が直々に縁を結んでくれたというのに、この体たらくでは岩女に申し訳ない。
「あら、あなた。顔色が悪いけどどうしたのかしら?」
「!!まさかこんなところにまで出てくるとは・・・」
突然の岩女の登場。今までトイレや風呂といったプライベートな空間に出てこなかった岩女が今日に限って出てくるとは。
「驚かすなよな。まじで心臓止まるかと思っただろ。それに、まさかここまで堂々と風呂覗かれるとは思わなかったわ」
「だから、こうして袖で見えないようにしているじゃない」
確かに岩女は袖で顔を隠し顔を背けてはいる。だが、そういう問題ではない。神とはいえ、プライバシーの尊重は要求したい。
「まぁいい。こんなところにまで出たってことは、何か伝えたいことがあるんだろ?何かあったのか?」
「いいえ?ただ、おめでとうを言いたくてね。三度目の縁結びにして、ついに本願成就を迎えられそうだから。これで私も縁結びの女神としてようやくその務めを果たすことができて嬉しいわ。あとこれ、お守りね」
「おいおい、風呂場でお守りなんか渡すなよ。濡れちまうだろうが。まっ、嬉しいけどな・・・」
渡されたお守りは、正方形の銀色のビニールに紐の円環のような物がパックされていた。これはいわゆる、避妊具コンドームではないか。
「おい!なんてもん渡すんだよ!」
「三度目の正直よ!ここまでお膳立てしたんだから、さっさといてこませ!」
「それが女神の言うことかよ!」
俺の方こそ、破廉恥な神頼みをしておいて言えたセリフではないが、縁結びの女神が、それも今回は岩女だけではなく、そのさらに上の立場の女神様のお力添えもあるわけで、ここで決めないのはあまりに申し訳が立たない。
「もぅ、わかったから!今日こそは必ずイチャついてみせる!女神よ、御照覧あれ!」
岩女は満足そうな顔を見せると、親指を立てスウっと消えていった。そうだ、神頼みしたとて己が行動を起こさずば、願いが成就することなどあり得ない。行動こそが現実を変える。ならば、今夜俺がやるべきことは一つ。決意を新たに、俺は揚々と浴室から出た。
部屋へ戻ると、食欲をそそる匂いが充満していた。テーブルには綺麗に盛り付けられた料理が並び、酒やグラスが並べられている。台所では辰姫さんが「シャワー長かったね〜」と俺に声をかけながらフライパンで何か料理をしているようだ。
「簡単なものばかりで悪いけど、すぐできるから、そこに座ってて」
言われるがまま椅子に座り、俺は台所に立つ辰姫さんに見惚れていた。台所で料理する女性はどうしてこうも魅力的に見えるのだろうか。辰姫さんは俺の視線に気がつくと、恥ずかしそうにチラチラとこちらを見てくるのも、これまた可愛い。
辰姫さんは完成された料理をテーブルに運び、平皿へとよそる。何を作っているのかと思ったら、大盛りのミートソースパスタだった。見渡せば、サラダ以外にも肉料理が並び、体を動かした後にはとてもありがたいメニューだ。
「それじゃぁ、まずは乾杯からいきますか。畑の復活を祝して、乾杯!」
俺たちはビールを注いだグラスで乾杯し、一気に飲み干す。
「いや〜、仕事終わりのビールはたまらないね〜」
「まったくですね。この一杯は癖になります」
ビールの後は並べられた料理を次々と口に運んでいく。料理の店も出したというだけあって、短時間で作った割にはどれも本格的でとてもうまい。思わず無心で食べ続けてしまうほどに、箸が止まらない。
「君の食いっぷりを見てると、作った甲斐があるってものよね」
「あっ、すいません。つい夢中になっちゃいました。でも、本当にどれも美味しいですよ」
「そうでしょ。うちの自慢の畑で採れた新鮮野菜をふんだんに使ってるからね。腹一杯食べな」
「それでは、遠慮なく。それにしても、本当においしい。こんな美味しい料理が食べられるなんて、人生そうあるもんでもないですよ」
「君、それは言い過ぎってもんよ」
謙遜しながらも、まんざらでもない表情だ。辰姫さんも中々の酒豪なのか次々にビールの缶を開けてはグラスに注いでいく。食事と酒を楽しみながら、俺たちはこの一ヶ月間の思い出話に花を咲かせた。
振り返ってみれば、本当に濃密な一ヶ月間だった。今まで経験し得なかった体験ばかりで、色褪せかけていた余命生活に色彩が戻った感覚さえした。
それに、ずっと心につかえていた畑の件も辰姫さんのおかげで解決したし、今日は久々に晴れやかな気分だ。となれば、自然と酒も進む。空腹も相まって、テーブルには完食した皿と空の酒が山と積まれていった。
「いや〜、満腹満腹。久々にこんなに食べたよ」
「お陰様で俺も満腹です。ご馳走様でした」
「お口に合って何より」
「少し食休みしたら、片付け手伝いますよ。それが終わったら、今日のところは失礼して、また俺からも改めてお礼をします」
「そんな気にしなくていいよ。うちらの仲じゃないか。それに、こんだけ酒飲んで車で帰るって、君、飲酒運転するような人だっけ?」
「えっ?・・・ああああ!!」
すっかり失念していた。いつも俺は車で辰姫さんの家に行き、合流してから一緒に畑へ行っていた。酒を飲んでしまっては家に帰れないじゃないか。
ふと、思い至る。この一時的な健忘、まさか岩女の仕業か?頭の中を駆け巡る考えに嫌な予感を感じていると、辰姫さんの影からぬっと人影が現れた。岩女だ。岩女が辰姫さんの影で親指を立てている。
やりやがったな、岩女め。ここまでお膳立てするとは、確かに気合いの入り方が違う。
「そんな焦んなくてもいいじゃない。酒のじゃったわけだし、今夜は泊まっていきなよ」
「とっ、泊まり?!いや、しかし、それは・・・」
「ベッドなら、あたし大きめの使ってるから、二人で寝るなんて余裕だし」
「いや、そういうことじゃなくて・・・」
ここに来て、俺は一体何を躊躇しているのだろうか。ここまできて怖気付くとは、奥手にも程がある。縁結びの神々の力まで使っていよいよ念願成就しようかというのに、このままでは本当に申し訳が立たない。だが、今日でなければダメなのか?もう少し時間をかけてステップを踏むことはできないだろうか。
「代行に電話して、今日は失礼します。今日は本当にありがとうございました」
お礼を言いつつ、立ちあがろうとしたが、酔ったせいでバランスを崩し、テーブルに足の小指をぶつけてしまった。声にもならない声で悶絶する俺を見て、辰姫さんは「大丈夫?!」と慌てて俺に駆け寄ってきたその時だ。
ズボンのポケットに入っていたお守りが、ぽろんと床に落ちた。
静寂と静止。終わった。全てが台無しになってしまった。辰姫さんは目を見開いたまま、俺のお守りを見ている。見ているどころか拾い上げ、まじまじと見ている。
「・・・これ、何?」
どうか目を見開いたままこちらを見ないでください。とても怖いです。
「これは、その、お守り・・・です」
「お守り、ね・・・」
次々溢れる言い訳の言葉が脳内を駆け巡るが、そのどれもが白々しい。なんと申し開きをすればいい。こんな終わり方は俺は望んではいなかったというのに。見てみろ、辰姫さんがお守りを凝視したまま動かない。
「君、私をそういう風に見てたの?」
「・・・?!」
おや?辰姫さんは顔を赤らめ、恥ずかしそうに横目で俺をチラチラと見ている。元ヤンらしくブチギレられるのかと思いきや、一体どうしたというのか。
「こういうの用意してるってことはさ、私の事、女として見てくれてるって事でいいのかな?」
おやおやおや?話が大きく変わってきた。視界の端にいる岩女が、辰姫さんの反応を見てほくそ笑んでいる。




