第七話 女の勘
「このコーヒーもやっぱり美味しい。弟が言った通りです」
「お褒めに預かり光栄です」
俺はルイさん同様、家の前のテラスにコーヒーを用意し、姫乃咲さんに差し出した。彼女は実に気品ある振る舞いでコーヒーを嗜む。それにしても、姫乃咲さんは意外と舌は庶民派なのかもしれない。差し出したコーヒーはどこにでも売っている普通のインスタントコーヒーなんだが、満足しているのならまぁ、良しとしよう。
「それに、やっぱり素敵なお家。弟に聞いていた通り、お兄さんセンス良いって言われませんか?」
「そうでもないですよ。ただ直感で選んだだけです」
「それがセンスあるってことですよ。でも、もったいないですね。こんな素敵なお家を手放すなんて。どこかに引越しでもするんですか?」
「まぁ、そんなとこかな。だいぶ遠くに行かなきゃ行けなくなって」
「そうなんですね。まぁ、人にはそれぞれ事情がありますからね〜。新天地、良いところだといいですね」
「あぁ、そう願ってるよ」
こういう時、言い訳に困る。本当のことなど言えるわけもない。言ったところで、相手に気を遣話せるだけだ。その結果、かえって必要以上に遠慮されるのも、あまり気分のいいものではない。
だが、困ったことに、俺は彼女の言葉に胸がざわついている。無邪気に話す彼女は俺の事情など知るはずもない。悪意がないのは明白なのに、ジクジクと胸の奥が腐っていくような気持ち悪さを感じる。
「ちなみになんですが、こんな一見して能天気な僕にも事情があるのです。と言ったらどうしますか?」
藪から棒に、一体何を言い出すのだろうかこのお嬢さんは。それに、これは一体何を求めての問いかけだろうか。しばし腕を組んで頭を捻る。考えてみても、何を意図しているのか分からない。ただ、身じろぎもせず真顔でじっと俺を見つめる彼女にまたも圧を感じて、俺はタジタジなわけで、非常に気まずい。
目を合わすのも気まずいが、ふとした瞬間、姫乃咲さんと目が合ってしまった。うん、とても可愛い。だが、その可愛い顔の眉毛は僅かに垂れ下がっているようにも見えた。
「普通〜に、返答に困ります」
誤魔化せるわけもないのだが、気まずさのあまり視線を外しコーヒーを啜ると、姫乃咲さんは声を上げ笑い出した。
「何それ、面白いですね〜。こういう時って、事情が分からないなりに気の利いた一言でも捻り出そうとがんばるとこじゃありませんか?」
悪意も敵意もない無邪気な言葉だ。
「普通はそうだと思います。でも、姫乃咲さんの言う通り、人には誰しも事情があると思います。他人ひとに言えることもあれば、言えないこともある。誰かの苦しみを共感することは難しいですからね。想像したってしきれるものでもないですし」
「へ〜、つまり、回答には慎重をきす、ということですか?」
「俺だったら、事情を知らないとはいえ、地雷を踏み抜かれれば、心穏やかでいられないですよ。なんてったって、俺の心は豆腐みたいに柔らかいものでして。しっかり掬い上げてもらわないとすぐ崩れちまいます」
「お兄さん、豆腐メンタルだったんですか。なんだか意外です。でも、だからこそ気遣いできるんでしょうね。私も、取り繕うようにフォローされるのは好みません。って、本当にわがままですよね、僕って」
「人間、そんなものじゃありませんか?誰にだって少なからず傷を抱えて生きているもんだと思いますよ。傷の種類によっては痛みも違うでしょう。だから、痛みを想像することは同じ痛みを経験していなければ、共感は難しいと思います。でも、理解したり、寄り添うことはできるかもしれない。もし、姫乃咲さんが何か聞いて欲しいことがあるなら聞きますが」
「お兄さんのその言葉に甘えてしまいそうになりますね〜。でも、僕もやっぱり躊躇ためらいがあります。お兄さんに」
姫乃咲さんの僅かに垂れた眉が、わかりやすくさらに垂れた。
「やっぱり、お兄さんは優しいですね。それに、気遣いができる。ひょっとして苦労人ですか?」
「なんで苦労人って思うの?」
「そんな配慮に満ちた言葉が、お兄さんの歳で出てくるなんて、きっと人生経験豊富なのかなって思いました。でも、なんか感動です。さすが、お兄さん。僕の目に狂いはなかった」
「今日はよく褒められる日だ」
「そんなお兄さんに、親愛の証として僕の事情ってやつを教えてあげようと思います!」
「まだ、会って二日目ですよ。お嬢さん」
「大丈夫です!お兄さんと僕がこんな短期間で仲良くなるなんて、きっと何かのご縁が繋がれているのでしょう。でなければ、こんなにすぐ仲良くなりません!」
仰々しくご縁と宣う彼女の言葉に、思わずコーヒーを拭いてしまった。ご縁とな?確かに、姫乃咲さんの見立ては図らずとも正鵠を得ている。彼女と俺の縁は縁結びの女神によって結ばれている。しかも、相性はとてもいいらしい。
目の端に岩女の姿が映った。家の中から出歯亀よろしく覗いていやがる。俺が岩女に視線を送ると、親指を立て、小さく頷き、他らしげな顔をしている。
まったくふざけたことをする。確かに岩女の成果は間違いないが、これ見よがしに誇られると少しイラッとしてしまう。
それにしても、俺はイチャイチャ相手を求めてご縁を求めた。であれば、ご縁の相手も同じくイチャイチャを求めている女性になるわけで、つまりは姫乃咲さんもイチャイチャ相手を求めているということになるのだが、まさにご都合主義の極み。据え膳も据え膳だ。
だが、こうもグイグイと来られると逆にこちらは引いてしまう絶妙な間合いをとりつつも過ごしずつ詰めていきたい。余命いくばくもない己が贅沢な事を言うのも詮方無い気もするが、恋に不慣れな俺にとっては心が追いつかないのだ。
「姫乃咲さん、嫁入り前の女性がやたらと独身の男との距離を詰めるもんじゃありませんよ。もしものことがあったらどうするんですか」
「おじいちゃんみたいなこと言いますね、面白〜い。でも、もしものことって、例えば?」
「例えば・・・?」
また人を試すような事を言いなさる。先ほどとは違い、小悪魔のような笑みを浮かべた美しい顔に、言葉は詰まり胸をギュッと締め付けられ肝が冷える心地だ。彼女は分かって俺を揶揄っているのは間違いない。
「そっ、それは・・・。俺は男で、姫乃咲さんは女性なわけでして、詰まるところ、そういうこととかと」
「どういうことですか?」
ニッコニコの笑顔で俺の回答を期待している。どうしても俺に答えさせたいらしい。
「だから、俺が姫乃咲さんを・・・!」
言えない。最後まで言えない。恥ずかしさが凌駕し、とても言えたものではない。誤魔化そうにも、すでに顔は自分でも分かるほど火照っている。こんな茹蛸のような顔をしてしまっている己の顔を想像して恥ずかしさのあまり今にも死んでしまいそうだ。いや、今なら死んでしまっても構わない。
「ははは!お兄さん、顔真っ赤!」
姫乃咲さんは声を出して笑い、涙まで流している。彼女は笑い涙を拭き終えると、そっとその綺麗な顔を俺に寄せ耳元で囁いた。
「お兄さん、可愛いですね」
その言葉に、また心臓がキュッと締まりながらバクバクと鼓動が跳ね上がっていく。小悪魔なだけじゃない。まるで、美少女漫画に出てきそうなイケメンの口ぶりに、俺は一体誰と話しているのか脳が混乱をきたしていた。
「僕、今日はこのへんで失礼します。また連絡しますね。お兄さんとは、まだまだお話したいことあるので、次にまた会えるのを楽しみにしています」
また笑顔の性質が変わった。今度は小悪魔ではなく、深窓の令嬢のお淑やかな笑みだった。




