第八話 梅雨の一時
雨がしとしとと降り続いている。紫陽花は見頃を過ぎたようだが。まだまだ美しい花を咲かせ、俺の目を楽しませてくれる。こうした季節の移ろいにいちいち心打たれるのだが、それもそのはず、俺の命はもう残り少ない。余命一年を宣告されてからすでに四分の一が過ぎ去ってしまった。
ベッドで横になりながら薄暗い空を眺める。雨の雫が一つ、また一つと音もなく落ちていく、このなんともいえないジメジメと陰鬱な気分を味わうのもこれが最後だ。最後だと思うと途端にこの暗い気分ですら感じられることに愛おしさすら感じてしまう。
ただでさえ感傷は人を詩人へと変えるというのに、余命も宣告されている身だから、余計に輪をかけてセンチメンタルポエミーおじさんと化しているこの俺だ。気持ち悪いったらない。
梅雨を楽しみ自虐も楽しんでいる俺をよそ目に、岩女はソファで読書に耽っている。晴耕雨読とはよく言ったもので、梅雨を迎えた岩女は晴れの日は俺と出かけたり一緒に家事をこなしたりとこの世の生活を満喫し、雨の日はこうして俺が代わりに借りてきた図書館の本をひたすら読み続けている。
実に優雅な生活ぶりだ。いかに神といえど、ここまでお気楽な生活をしていられるものなのか。神にも仕事があるらしいことは、俺に甲斐甲斐しく世話してくれている縁結びの女神のように実に様々なお役目があることは分かっている。
八百万の神々が手分けしてお役目を全うしているのだろうが、神社で願いを聞くだけでも多忙を極めそうなものだ。こんな呑気に本を読んでいいのだろうかと不思議に思う。いや、逆に八百万も神がいるのだから、たまにはこうしてのんびりできるシステムが、ひょっとしたら神の世界にあるのかもしれない。
そんな事をぼんやりと考えながら読書に耽る岩女を眺めていると、その視線に岩女は気付き「なに見てんのよと」嫌がるわけでも怒るでもない声で言った。
「いや、所作が綺麗だなと思って」
「褒めたってなにもでやしないわよ?」
「別に、ただそう思っただけだよ」
「変な人」
そう、この岩女は見た目こそ筋骨隆々でタッパのあるたくましい姿形をしている。顔も顔面の筋肉のせいかゴツゴツとしているので目元が暗く陰って目が見えない有様だ。
そんな体つきの岩女だが、この上なく気品漂う所作を読書で見せているのだ。背筋が綺麗に伸び、一枚一枚ページをめくる手つきでさえ、絵になる。優雅にお茶を啜っていればまさに貴婦人そのものに見えていただろうが、生憎と岩女の筋肉の前ではせっかくの品の良さもどこかへ吹き飛んでしまう。おまけに、読書のお供に飲んでいるのはお茶ではなく熱燗だ。真昼間からなにしてやがる。
「読書は楽しめてるのか?」
「おかげさまでね。それに今の時期は読書にもってこいの時期よ。湿気は嫌らしいけど、雨の音を聞きながら本を読むのはなかなか乙なもの。あなたも何か気になった本を読んでみればいいじゃない」
「俺はどうせ読むなら漫画の方がいいな。わかりやすくて頭も疲れない」
「漫画もいいけど、小説もおすすめよ。私は小説は作り手と読み手が一緒に物語を紡げるところが気に入っているわ」
「え?どういうこと?小説だって読む側はひたすら本を読むだけじゃないのか?」
「あなたも好きな短編小説があるって言ってたじゃない。あの天使の話。あなた、天使はどんな姿をしていると思う?」
「天使の姿かぁ・・・。確かに、あまり考えてなかったなぁ」
俺は短編の物語を頭の中で思い返す。物語の流れや登場するキャラクター達の特徴もバッチリ頭に入っているが、物語の中ではより細かいキャラクターの特徴は断片的にしかなく、どんな姿かと聞かれれば、俺が想像した天使の姿を語るしかない。
なるほど、作り手の頭の中の物語をよりダイレクトに覗けるのが漫画で、情景や登場人物を想像する楽しみがあるのが小説というわけか。
「想像するって、頭使って疲れるけど、案外楽しいのかもな」
「あら、思った以上に理解が早いのね」
「なぁに、元カノも本が好きで、似たような事を言っていた気がしたからな。本好きは似たような思考になるのかもな」
「そうね、そういうことはあるかもね」
岩女は再び本に目を落とし、読書に耽る。あまり、邪魔をしても申し訳ない。俺は新しい酒を用意してやろうと冷蔵庫に向かい、酒を見繕う。真昼間から酒を飲むなんて普通に考えたらありえないのだが、なんせ相手は神様だ。御神酒代わりだと思うことにしよう。
ただでさえ、縁結びの神のくせに俺の日常生活にまで世話を焼いてくれているのだから、たまにはこうして労雨ことも必要だろう。
「女神様よ、話は変わるが質問いいか?」
「唐突に、なにかしら?」
「神様って普段なにしてるんだ?仕事とかしないのか?」
率直な疑問を投げてみる。それに、あちら側の世界は今の俺にしてみればとても興味関心の高い話だ。神様になるわけじゃないが、そのうちそちら側へと移り住むことになるのだから。
「あのね〜。私たちにも言えることと言えないことがあるんだからね。でもまぁ、私の仕事に関してなら少しは言ってもいいかしら」
「是非とも聞かせてくれ」
「私は縁結びの大神様に仕えし女神の一柱。ってのは知ってるわよね。これは単に私が大神様に奉仕しているだけではなく、縁結びの神に成るための修行でもあるわけよ。今回、私があなたにここまで世話を焼いてるのも、その一環というわけ」
「へ〜。実地研修みたいなもんか」
「まぁ、わかりやすくいうとね」
「ちなみに、なんで俺だったんだ?縁を結びたがっている人間なんて大勢いるじゃないか。わざわざ俺を担当した理由って何かあるのか?」
「それはねぇ・・・。それは言えないわ。私たちにも守秘義務ってものがあるから」
「おぉ、そんなものが神の世界にもあるのか」
「当然よ、本来こうやってわざわざ顕現してまで縁を結ぶことだってしないのよ。特例なのよ、あなたの場合」
「マジで?なんでそんな特別待遇?ありがたいけどさぁ」
「それは勿論私が・・・」
突然、岩女は尋常ではない勢いで咽始め、大きな咳を撒き散らかした。
「おいおい、大丈夫かよ。酒の飲み過ぎか?水を持ってくるから待ってろ」
「神がこの程度の酒でむせるものですか。でも、ちょっとしくじったわね。言ってはいけないことがあると、こうやって無理やり話を止められることがあるのよ。でも、おかげで秘密は・・・」
先ほど以上の勢いの咳を再び撒き散らかした。鼻水や涙を流すほどの咳き込みとは、よほど神様は秘密を守りたいらしい。だが、こうも露骨に秘密の存在を匂わされると逆に気になりもするが。
「この話は辞めにしましょう。私の体が保たないわ。それより、あんたもあのお嬢さんとはどうなの?」
「あぁ、今のところ続いているよ。あのお嬢さん、見かけによらずお転婆だな。実際にトレーラーハウスの話からアウトドに話はとんで、今度キャンプに行くことになったよ」
「随分とお元気なこと。でもいいじゃない、たまには自然と触れ合うのも。あなた、キャンプはしたことあるの?」
「ないよ。おかげで、今姫乃咲さんにあちこちアウトドアショップに連れて行かれて色々と道具を見せられてるとこ。こっちはあと何回使うかわからない道具は手元に置いておいても仕方ないんだけどなぁ」
「その割には、よくあのランプを使っているじゃない」
岩女は本棚の上に置かれているオイルランタンを指差した。
「これはいいんだよ。暗くなってからテラスでコーヒー飲むにはちょうどいい明るさだ。暗くもなく雰囲気もあって申し分ない」
このオイルランタンはアウトドアショップで見つけた一品だ。特に、日が沈み残光が照らす夕方の時間帯にランプをつけながら飲むコーヒーは格別だ。大した事をしているわけではないが、時間を気にせず沈みゆく夕陽をただ眺めるのは、これほどまでに心に豊かさをもたらしてくれるとは思わなかった。死ぬ前に、気づけてよかったと思う。
「そういえば、女神はあんまりテラスに来ないよな。なんで?」
「そりゃあなた、独りの時間を邪魔しちゃいけないでしょに。側から見てると、随分と楽しんでるように見えるわよ?」
「そうか。意外と、俺にもアウトドアの素質があるのかもな。でもさ、せっかくだから女神もテラスに出てくればいいじゃないか。夕陽を眺めるのもいいもんだぜ?」
「そんな気を使わなくていいのよ。でも、どうしてもというのなら、酒とつまみを用意してくれれば付き合うわ」
「任せろ。お供え物は常備してるからな」
俺たちは示し合わせたように親指を上げる。すっかり、不思議な同居人と化した女神に、俺は随分と愛着を感じていた。勿論、こんなナリをしているし、そもそも神様だから下心は一切ない。気が許せる友人、そう俺は思っている。
しとしとと降り続いていた雨が止み、陽光が窓へさしていく。




