第三話 私が好きな物語
「もしよければ、この本について語りませんか?私もこの短編集が好きなんです」
突然の申し出にドギマギするが、神紋が出ている以上断る理由などない。俺は快く承諾し、彼女と読書スペースへ向かった。俺が簡単に自己紹介すると、彼女も姫乃咲と名乗ってくれた。可愛い苗字だ。
俺は姫乃咲さんに促され席を並べて本を読む格好となった。いきなり隣同士で読むことに面食らっていると、彼女は失礼を詫びながら、でもこの方が一緒に読めますよと、なかなか積極的なアプローチとも呼べる行動をとってくる。さすが、縁結びの神様。言った通りイチャイチャしやすい相手を選んでくれたというわけか。
姫乃咲さんはゆっくりとページをめくりながら読書を堪能している。一文一文をしっかりと咀嚼しているかのようにじっくりと読んでいく彼女の眼差しはまるで文学少女を思わせた。一文字一文字をゆっくりと追っていく目の動きでさえも美しい。何より、その透明感に満たされた瞳に吸い込まれそうだ。
「私も天使の話が好きなんですけど、あなたは他に好きな話はありますか?」
姫乃咲さんからの質問されて、己の記憶を掘り起こす。さて、あの短編集で天使の物語以外に好きな話はあっただろうか?
「好きというより、切なくなって忘れられなかった話はありますね」
「ひょっとして、最後に載ってる物語ですか?」
「そう、それです。病気で死んでしまった女性が自暴自棄になってる恋人におじさんになって会いにいく、あの話です」
最初読んだ時は思わずクスッとした話だった。なんでわざわざ女性がおじさんに化けて会いにいく必要があったのかが物語の序盤では分からず、終始男とおじさんの笑いを誘うシーンで、実はこの物語は恋愛ではなくコメディ物の物語かと思ったほどだ。
物語でなぜ死んだ恋人がおじさんになって会いにいくかは最後に伏線を回収しつつ締めくくられるのだが、この話は、自分の正体を明かすことができず、それでもそばにいたいと願う者の気持ちを代弁しているかのような物語だった。
「あの話は切なくて、乙女心を揺さぶられる心地でした。俺、男ですけど」
「ふふ。やっぱり、あなたの感性って、面白いですね」
「気持ち悪いと思われなくてよかった」
「なんで気持ち悪いんですか?こんなに繊細な恋の物語で感じるものがあるって、それだけで素敵だと思いますよ」
「素敵、か。この本を読んだことを当時の男友達に言ったら、ずいぶん気持ち悪がられましてね。男のくせに恋愛小説読むのかよ、ってね」
「男のくせに、か・・・。僕は男も女も関係ないと思います。だって、恋愛は男女がする物です。ひいては人間がすることです。そこで感じる様々な感情は、男も女も関係ないと思います。嬉しいなぁ、こんな話ができる人に出会えたのは初めて」
うっとりとした表情で姫乃咲さんは俺の顔を見ている。胸がドキドキと脈打ち、たまらず顔を逸らす。それでもチラチラと横目で姫乃咲さんを見る俺を、彼女はくすくすと笑っている。
「本はお好きなんですか?」
「そこそこ、ですね。あっ、でも最近は画集とかの方が見る機会が多かったですね」
「へ〜、画集かぁ。いいですね。実は、僕も雑誌を探しに図書館に来たんです」
そういえば、この図書館にも雑誌コーナーがあったな。しかも、普段書店では見かけないようなニッチなジャンルもあった気がする。姫乃咲さんは一体どんな
「どんな雑誌を探してたんですか?」
「住居関連の雑誌なんですけど、トレーラーハウスってご存知ですか?」
「えぇ、今そのトレーラーハウスに住んでるので、そこそこ話できますよ」
姫乃咲さんは目を見開き、まるで煌めく星のように目を煌めかせていく。この反応、これはまさか、彼女も好きなのか?トレーラーハウスが。
「・・・。私、憧れなんです!トラーラーハウスに住むのが!」
「そ、そうなんですね」
ぐいっと顔を寄せ、近ずく姫乃咲さんに圧倒される。
「ついてきてください、こっちです!」
俺は姫乃咲さんの勢いに呑まれ、力強く手を引っ張られながら雑誌コーナーへと連行された。彼女が興奮しながら俺に見せたのは、トレーラーハウス関連の雑誌だった。バックナンバーもだいぶ揃っているようだ。
「これですよ!今日の僕のお目当て!いいですよね〜トレラーハウスって。本当に憧れます、こういうお家!」
「姫乃咲さん、ここ図書館ですから!静かにしましょう!」
さすがにこの場ではしゃぐのはマナーに欠ける。雑誌を受付に持って行き貸出の手続きをとり、一旦ラウンジへと移動する。そこからは、姫乃咲さんの独壇場だった。
自分が憧れるトレーラーハウス生活の夢を壮大に語り、かつ実際に住んでいる俺に生活ぶりを事細かに質問攻めしてくる。なるほど、相当に好きらしい。当然、俺もこんな珍しい家を好き好んで手に入れた人間だ。話に華が咲かないわけがない。俺たちは時間を忘れ、存分に語りあった。
「あっ、いけない。もうこんな時間」
時計の柱は間も無く正午を指そうかという時間だ。いつの間にこんなに時間が経ったのか。姫乃咲さんは、まだこれから用事があるらしく、借りた雑誌をまとめ帰り支度を始めている。
「今日はありがとうございました。こんなにトレーラーハウスの話題で盛り上がったのは初めてでした。よかったら、またお話ししませんか?」
「こちらこそ楽しかったです。またお話ししましょう」
「はい!あの、よろしければ連絡先を交換してもよろしいですか」
「喜んで」
トントン拍子に連絡先の交換まで辿り着けた。縁結びの女神のご利益は凄まじいな。まさかこんな美人と連絡先を交換する日が来ようとは夢にも思わなかった。
「あと、最後に一つ聞いてもいいですか?僕のこと、今日見かけた女性で一番綺麗というのは、本当ですか?」
改まって質問されるととても恥ずかしいな。だが、姫乃咲さんの表情は変わらず穏やかで和やかな笑みを湛えているが、目が笑っていないようにも見えた。まるで、何かを確かめるような目つきに、少しばかり身構えてしまう。
「えぇ、本当ですよ。やっぱり、失礼な言い方でしたでしょうか。だとしたら、ごめんなさい」
「あっ、そういう意味じゃないんです。ただ、その・・・嬉しくて。それだけです」
姫乃咲さんは丁寧にお辞儀をして、その場を後にした。俺は彼女を見送りながら、大きくため息をつく。
ようやく、緊張から解放された。女に縁がない男が、あれほどの美人を前に平成を装うことがどれだけ難しいか。よくがんばった、俺。今日は自分のことを褒めてあげようと思う。そして、身構える。そろそろ、あいつがやってくる頃合いだろう。
「ちっ。さすがにもう脅かすのは無理か」
「毎度同じパターンをやられれば、予想もつくし慣れもする」
「それもそうね。それにしても、いい感じだったじゃない。連絡先も無事ゲットしたようね」
「あぁ、お陰様であんな美人とご縁ができた。すごいな、女神」
「ふっふっふ。褒め称えなさい、奉りなさい」
「はは〜。ところで、傍に置いてある本の山はなんだ?お気に入りの本、見繕い終わったのか」
「そういうこと。なんだか生前を思い出したわ〜。図書館って楽しいわね。気になるの片っ端から選んできたのよ」
確かに、岩女の顔はとてもホクホクしていた。いつもは平行に伸びる太い眉ですらだらしなく垂れさっがている。よほど本が好きなのだろうか。
「おいおい、一度に借りれる数は制限されてるはずだろ?一体何冊用意したんだよ。ちゃんと厳選しなさい」
「え〜。勿体無い」
「もったいないじゃないよ。ほら、さっさと選ぶぞ。もう昼時だ。腹減ってきたよ、俺」
岩女と話しながら、どの本を借りていくか相談しながら、頭の奥の方で蘇る記憶があった。そういえば、元カノも本は好きだったな。よく本屋に一緒に行ってはお気に入りの本を大量に買い込んで荷物持ちにされたっけ。
とても懐かしい記憶に、心がじんわりと温まる。だが、反面もうあの人には二度と会うことができないという寂しさも、胸に込み上げてくる。
ふと熱くなる目頭に涙が溜まっていく感覚を覚え、俺は慌てて気持ちを抑え、本を厳選する作業に集中した。




