月雫草を求めて
タイトルつけてみました!!
センスないとか言わないで!!!それでは20話おたのしみください!
しばらくして、扉が静かに開いた。
「……大丈夫そうです」
戻ってきたルミエラさんは、さっきより少しだけ落ち着いて見えた。けれど、声の奥に張りついた緊張までは消えていない。
「今は眠っています。起こさないようにしていただけるなら……」
「はい」
「わかったわ」
僕と姉さんが頷くと、ようやくほんの少しだけ微笑みが浮かぶ。
「では、こちらへ」
席を立ち、その背を追った。
応接室を出た先の廊下は静かで、さっきまで聞こえていた子どもたちの賑やかな声も、今はずっと遠い。いちばん奥の部屋の前で足が止まり、細く息を整えてから、そっと扉が開かれた。
寝台に横たわっていたのは、十歳にも満たないくらいの小柄な女の子だった。
額には濡らした布が乗せられ、浅い呼吸に合わせて小さな胸がかすかに上下している。熱のせいか頬だけはわずかに赤いのに、顔色そのものは悪く、その赤みさえ痛々しく見えた。
思ったより、ずっと小さい。
「この子が……」
「はい。セシルです」
眠ったままのその子は、僕たちが入ってきたことにも気づかない。苦しそうに身じろぐこともなく、熱の底に沈んだまま、細い息を繰り返していた。
「発作のように苦しむことは、あまりありません」
抑えた声が静かな部屋に落ちる。
「ただ、ずっと熱が続いていて……起きている時間も、日に日に短くなっています」
「食事は?」
「少しだけ。取れる時と取れない時があります」
「水は」
「それも、無理のない範囲で」
問い返すたびに返ってくる声は落ち着いていた。慣れている、というより、そうしていなければ保てないのだろう。乱れを押し込めたまま話しているのが、聞いているだけで分かった。
一通り様子を見たところで、これ以上長居するとセシルが起きてしまうからとそっと促される。僕たちは小さく頷き、音を立てないように部屋をあとにした。
応接室へ戻ってからも、すぐには言葉が出てこなかった。
「……アトラ?」
隣から聞こえてきた声に、はっとして顔を上げた。
「そんな顔して、どうしたのよ」
「……うん」
うまく言葉にできなくて、少しだけ視線が落ちる。
「もう少し元気なら、魔法を教えてあげられたのになって思ってた」
「……」
その一言を聞いたあと、姉さんはすぐには何も言わなかった。短く息を吐いて、少しだけ考えるように黙り込んでから、まっすぐルミエラさんを見る。
「なら、あたしたちが月雫草の依頼、受けましょ」
顔が上がる。揺れた視線が、すぐには言葉にならない戸惑いをそのまま映していた。
「で、ですが……」
「今いちばん必要なのは、それなんでしょ?」
唇がわずかに開き、返す言葉を探すみたいに閉じる。
「そんな、ご迷惑を――」
「迷惑じゃないわよ」
「あたしたちが助けたいの」
「キャトラさん……」
そこで一度、ちらっとこっちを見る。
「アトラも、そう思ってるんでしょ?」
「うん」
頷くと、今度はまっすぐこちらへ視線が向いた。
「ちょうど、カイルたちに魔法を教えてほしいって頼まれてたところでもあるんです」
「魔法を……?」
その言葉に反応したみたいに、廊下の向こうで小さな物音がした。
振り向けば、案の定、聞き耳を立てていた三人がそろって顔をのぞかせている。
「それ、本当か!?」
飛び出してきたカイルの後ろで、ミリアが呆れたように額へ手をやり、ランはおろおろと肩をすくめていた。隠れていたつもりなのだろうけど、あれでは気づかない方が難しい。
その様子を見て、張りつめていた空気がほんの少しだけほどける。
「また聞いてたの?」
「だ、だって気になるだろ!」
「気になるだろ!じゃないわよ」
「でも……」
勢いよく出てきたわりに、最後はしぼむような声になる。その横で、ランも遠慮がちに口を開いた。
「セシル、助かるのかな……」
「助けるわ。絶対に。」
迷いのない言い方だった。
目の前の三人と、寝台に横たわっていたセシルちゃんの姿が、頭の中で自然につながる。あの子たちにとってもかけがえのない家族なんだ。当然だろう。
「ほんとうに……いいんですか」
ルミエラさんから出てきた声は、まだ信じきれていないみたいにかすれていた。
「ええ」
「はい」
僕と姉さんが頷くと、しばらく言葉もなく見つめ返してくる。迷いと申し訳なさ、それでも縋ってしまいそうな気持ちが、伏せかけた目元にそのまま滲んで見えた。最後まで聞かなくても十分だった。
「……ありがとうございます」
返ってきたのは、今にもほどけそうな小さな声だった。
「お礼は月雫草を取ってきてからでいいわ」
「そうですね。まずは、セシルちゃんが少しでも楽になるようにしましょう」
それが今、いちばん先にやるべきことだった。
すると、カイルがぎゅっと拳を握る。
「俺も行く!」
「行かせないわよ」
「なんでだよ!?」
「なんでだよ、じゃないわよ!」
即答した姉さんに、カイルが不満そうに顔をしかめる。
「死にかけたばっかりでしょ」
「でも……!」
「でもも何もないわ。今度はちゃんと待ってなさい」
「うっ……」
言い返したいのに返せないらしく、唇を尖らせたまま黙り込む。その隣で、ミリアが小さくため息をついた。
「ほら見なさい。だから言ったでしょ」
「うっせー……」
「うるさくないわよ」
いつもの調子で言い合いながらも、どこかほっとしているのが分かる。
姉さんが僕の方を見る。
「じゃ、決まりね」
「うん」
月雫草の場所は、もう一度きちんと確認した方がいい。あのフードの男のことも、少し引っかかる。
やることが決まれば、あとは動くだけだった。
僕たちは孤児院をあとにした。
ーーーーーーーーーー
翌朝。
宿を出た時、空気はまだ少しだけ冷たかった。
朝の王都は人通りこそあるものの、昨日の夕方ほどの賑わいはない。店を開ける準備をしている人たちの声や、荷車の音が石畳の通りに静かに響いていた。
その中を、僕と姉さんは冒険者ギルドへ向かって歩いていた。
「とにかく、まずは聞いてみましょ」
「うん」
森へ入るにしても、手がかりなしで探し回るのは無駄が多すぎる。
ギルドへ入ると、朝の空気の中にも独特の熱気があった。
依頼票の前にはすでに何人か集まっていて、受付でも数人が順番を待っている。
昨日までとは違って、こっちも少しだけ慣れてきた気がした。
カウンターへ向かうと、メレナさんがこちらに気づいて、すぐに微笑んだ。
「おはようございます、お二人とも」
「「おはようございます」」
姉さんと並んで挨拶を返す。
「今日はどうされましたか?」
「月雫草について聞きたくて」
そう言うと、メレナさんの表情が少しだけ変わった。
「月雫草……ですか?」
「はい」
頷くと、そのまま少し考えるように目を伏せる。
「採取依頼を受けようと思ってるんですけど、場所や特徴を知らなくて」
「なるほど……」
メレナさんは小さく頷いてから、声を落とした。
「月雫草は、風渡りの森の奥地に自生していることが多い薬草です」
「奥地……」
思わず、その言葉を繰り返していた。
姉さんも横で目を丸くする。
「そんな奥にあるの?」
「ええ。中層でも見かけることはごく稀です。市場にもほとんど出回らないので、必要な時は依頼を出して採ってきてもらうのが基本ですね」
やっぱり、という思いと、嫌な確信が同時に胸に落ちる。
「外縁部で見たって話を聞いたんですけど……」
「ありえません」
姉さんの問いにかえってきた答えははっきりしていた。
「外縁部で自生することはまずありません。」
「……そうなんですか。」
姉さんがじろっと床を睨む。
「やっぱり、あの男……」
「何かありましたか?」
メレナさんの問いに、僕は少しだけ言葉を選んだ。
「昨日、孤児院の子たちがギルドで月雫草の依頼を相談していた時、フードを被った男に“森の外縁部で見た”って教えられたみたいなんです」
「……っ」
その瞬間、メレナさんの顔つきが変わる。
「それで、あの子たちが森へ?」
「たぶん」
「……そういうことですか」
気にはなった。
でも今は、そこに引っかかっている場合じゃない。
まずは月雫草だ。
「奥地って、やっぱり危険ですか?」
「かなり」
即答だった。
「風渡りの森の奥地には、Aランク指定の魔物が出ます。運が悪ければ、Sランク指定の個体と遭遇することもあります」
「Sランク……」
姉さんが低く呟く。
「その強さって、どのくらいなんですか?」
「Sランクの冒険者パーティーで討伐可能なレベルです」
それを聞いて、さすがに気が引き締まる。
「ですから、見つけたら無理に相手をしないでください」
「……はい」
「逃げられるなら、それが一番です」
そう言いながら、メレナさんは奥へ引っ込み、一枚の紙を持って戻ってきた。
「こちら、月雫草の特徴と簡単な見分け方です」
「ありがとうございます」
受け取って、姉さんと一緒に覗き込む。
紙には簡単なスケッチと説明が書かれていた。
細い茎に、夜露を含んだような半透明の青白い花。
朝夕の光を受けると、雫のように淡く光ること。
群生している場合は、湿った岩場の近くに生えていることが多いこと。
一本じゃ足りないかもしれない。
せめて十本。
それくらいは見つけて帰りたい。
「気をつけてくださいね」
「はい」
「行ってきます」
ギルドを出ると、朝の空気はもう少しだけやわらいでいた。
「行きましょ」
「うん」
石畳を蹴るようにして、僕たちは風渡りの森へ向かった。
ーーーーーーーーーー
「昨日より、ずっと気ぃ張るわね」
「今日は戦うのが目的じゃないから」
森へ着くと、すぐに自分たちの気配を消す。
月雫草があるのは奥地。
そこまでたどり着く前に消耗するわけにはいかなかった。
僕たちは互いに目を合わせ、小さく頷く。
足音を殺し、呼吸を浅くする。
風の流れに自分たちの匂いと気配を紛れ込ませるように、慎重に森の奥へと進んだ。
昨日の戦いで分かったことはいくつもある。
相手に見つかってからどう動くかも大事だけど、そもそも見つからないことの方がずっと大事だ。
枝を踏まないように。
茂みを不用意に揺らさないように。
視線は前だけじゃなく、上にも横にも配る。
姉さんも今日は無駄口が少ない。
こういう時、ほんとうに頼りになる。
中層に入る頃には、光はかなり細くなっていた。
木々の幹は太く、根は複雑に地表を這い、湿った土の匂いが濃くなる。風はたしかに吹いているのに、その流れさえどこか重い。
「……あった」
先に気づいたのは姉さんだった。
視線の先、岩陰のそばにひっそりと揺れる青白い花。
細い茎と、露を含んだみたいに透ける花弁。ギルドで見せてもらったスケッチとよく似ていた。
「うん、たぶんこれだ」
そっとしゃがみ込み、根を傷めないよう慎重に摘み取る。布に包んで袋へしまったところで、姉さんが小さく息を吐いた。
「一本目ね」
「ちゃんとあってよかった」
それだけのことなのに、少しだけ肩の力が抜ける。
二本目を探して歩き出してすぐ、前方の茂みがかすかに揺れた。反射的に身を低くする。姉さんも何も言わず、隣の木陰へ滑り込んだ。
数拍遅れて、鈍い唸り声。
木々の間を、灰色の毛並みが横切っていく。
中層で見るには大きすぎる四足獣だった。Aランク指定なのか――そこまでいかなくても、まともにやり合えば面倒な相手なのは間違いない。
息を殺したまま通り過ぎるのを待つ。
やがて気配が遠ざかり、姉さんがフーっと息を吐く。
「……心臓に悪い」
「まだ序盤だよ」
「分かってるわよ」
そこから先も、緊張の連続だった。
二本目は倒木の陰。
三本目は湿った窪地のそば。
四本目は細い沢の近く。
見つけるたびに袋の中身は増えていく。
でも、その一本一本が楽に手に入ったわけじゃない。
魔獣の縄張りらしい場所を迂回し、上空を旋回する影に身を隠し、気配を殺したままじりじりと進む。
視界の端で大きな尾が揺れた時には、さすがに背筋が冷えた。
「今、何本?」
「四本」
「まだ半分もいってないのね……」
「焦らない方がいいよ」
「分かってるけど!」
唇を尖らせながらも、声を張らないあたり、ちゃんと分かってはいるのだろう。
五本目を見つけた頃には、木漏れ日がだいぶ傾き始めていた。
奥地へ近づくほど、月雫草は見つけやすくなった。
その代わり、森そのものがこちらを拒むみたいに濃くなる。
空気が重い。
風の通り方が変わる。
耳を澄ませば、どこか遠くで低い唸りが重なっていた。
「六本目」
「七本目」
「……八本目」
数を口にするたび、少しだけ希望が形になる。
でも、九本目を見つけた時には、さすがに二人とも疲れが出ていた。
「あと一本……」
姉さんが額の汗をぬぐう。
ずっと気を張り続けていたせいで、僕たちは思った以上に消耗していた。それでも、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
最後の一本を探して、さらに少し奥へ足を踏み入れる。
そこで、不意に目に飛び込んできた。
岩壁の裂け目。
そこに溜まった水のすぐそばで、青白い花が風に揺れている。
「あった!」
「ほんと!?」
姉さんもぱっと顔を上げる。
「十本目!」
「やった……!」
思わず声が弾んだ。
ここまで長かった。一本目を見つけた時より、ずっと大きく息を吐く。姉さんも明らかに気が緩んでいた。
「これでとりあえず持って帰れるわね」
「うん。セシルちゃんに――」
そこまで言いかけた時、ぞわり、と背筋を撫でるような圧と風の音が消えた気がした。
いや、違う。
森そのものが、何かを前にして息を潜めたみたいに静まり返ったのだ。
姉さんの顔から笑みが消える。
「……アトラ」
「うん」
小さく答えながら、視線を上げる。
岩の上。
そこにいたのは、見たこともない魔物だった。
目が合っただけで分かる。
さっきまで避けてきた魔獣たちとは、存在の重さがまるで違う。
姉さんが、ごくりと喉を鳴らした。
「……うそでしょ」
恐らく――Sランク指定の魔獣
僕と姉さんはほとんど同時に身構える。
せっかく十本見つけた十本目の月雫草が、すぐ横でかすかに揺れていた。




