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対人記憶の障害性

「悠介さん、昨日いただいた原稿なんですけど……。」

「ん、あの原稿がどうかしたかい?」

「僕の思い違いだったらごめんなさい、あの原稿、読んだ事があるような気がして、全然違うって言われたらそこまでですし、本当に僕の思い違いだったら申し訳ないんですけど……。なんだか、昔を思い出すんです。」

「よく覚えていたね。俺が丁度デビュー十年だから、って言う理由で、昔書いてた物をリテイクして提出しよう、って言う話になってたんだよ。吉野さんには話を通してあったけど,そう言えばあの頃って言うか、施設にいた頃に書いた作品だったね。あの時の原稿、残ってるよ?」

「そうだったんですか!だから見覚えがあったんだ……。凄いです、悠介さん。あの頃は私小説だ、って言ってましたけど、こうしてプロデビューされて、こうして書かれてるなんて……。僕が憧れたのは、やっぱり間違いじゃなかったですね!」

「ありがとう、浩介君。それで、原稿に目を通したって言う話で良かったのかな?」

「はい!今は吉野さんが読まれてて、これから会議にかけるっていうお話です!僕も会議に参加させてもらえるっていうお話で、楽しみにしてます!」

 浩介君と再会を果たした次の日、浩介君から早速ラインが来て、電話がしたい旨を言われたから、思考を少し止めて電話をしてる。

 って言っても、原稿を仕上げた直後だから、何日かはプロットを考えたり、昔の原稿を洗う時間に充てるつもりだったから、別段今は忙しくはない、むしろ、浩介君の方が忙しいのかもしれない、なんて事を考える。

 そんな中で、原稿の感想を伝えに来てくれるって言うか、それを電話で話してくれるっていうのは、この子は素直で良い子なんだろうな、って言う印象だ。

 作品の感想を貰うって言うのは、作家にとっては大事な事だ、大事な事って言うか、原動力にもなる事だ。

 だから、吉野さんは原稿を読むと必ず電話を掛けてくれるし、それに従ってるって言うか、そうしたいからそうしてるのかもしれないけど、でもそれは有難い話だ。

「それで、これからのお話とかは考えられてるんですか?あの原稿って、未完成だって仰られてた様な……。それに、なんだか途中で終わってしまっている風にも見えて……。」

「そうだね、これから後編に取り掛かるか、それとも一旦別の原稿に手を出すか、そんな感じかな。あの頃は前編部分しか書いてなかったから、後編に関してはこれからの完全オリジナルって言う事になるのかな?あの頃の俺が書いた物と、現在の俺が書ける物を、合体させて完成させようか、って吉野さんとは話をしてたんだよ。」

「そうだったんですか、それで……。でも、なんとなく今の悠介さんが続きを書かれても、違和感はないと思います!なんだか、あの頃を思い出すって言うか、暖かい文章を書く人だ、って言う印象って、ずっと変わらないんですよね。悠介さんは友達がいないから、ってずっと言ってましたし、僕にも関わっても良いことはないよ、って言ってましたけど……。でも、悠介さんの書かれる文章って、暖かいんですよ。なんて言えば良いのか、って言うのがあんまりわからないんですけど、とっても暖かいんです。」

「そうかなまあ確かに、作品は理想を語ってる部分があるというべきかな、作品に掛ける想いって言うのは、俺がこうあれたら、どうあれたら、って言う理想を描いている部分が大きいからね。そう言う所が、何物にもなれないっていう人達から嬉しい事だ、って読んでもらえてる部分もあるかな。でも、俺はこうも考えてる、何者にもなれない人間なんていない、誰がどう生きたとしても、その主人公はその人で、その責任はその人にしか取れないんだ、って。ある意味での、人間賛歌とも言えるのかもしれないね。」

「ある意味での人間賛歌……。そうですね、悠介さんって、俺は人間関係を築くのが出来ない、って言いながら、でもずっと人間の可能性を信じてるって言う文章を書かれてましたもんね。……。懐かしいです、あの頃、まだ小学生で何も知らなかった僕に、そう言う意図が無かったとしても、色々と教えてくれて。あの頃、僕はもう泣いちゃいけないんだ、悲しんじゃいけないんだ、父ちゃんと母ちゃんと悠治が死んじゃって、自分独り遺されて、それで、笑って生きていかなきゃならないんだ、ってずっと思ってて……。でも、悠介さんは、そんな僕に、泣いても良いんだよ、って言ってくれたの、覚えてますか?僕が無理をして笑ってる事、みんな知ってて、でも誰も何も言わなくて、言えなくて、そう言う空気がずっとあって、その中で悠介さんは、僕に泣いていいよ、て言ってくれたんですよ。あの時、僕は嬉しかったですよ。」

 覚えてない、って言うか、俺がそんな気の利いた事を言えるのか?って言う疑問がある、けど、浩介君がそう言ってるって言う事は、それは事実なんだろう、昨日会った感じ、嘘をつくタイプには見えない、吉野さんも言ってた、この子は実直で素直なタイプだろう、って言う意見は、俺と吉野さんの共通項だろう。

 そんな子が嘘をつくとは思えない、俺も人間関係を構築するのが壊滅的に苦手で、苦手なりに人間観察をするのが好きって言うか、それとも癖って言うべきか、そういう目はあると思ってる方だ、じゃなかったら、友達の一人もいない人間が青春の文学を書けるわけがない、それだけ他人を観察し続けて、俺とは合わないなって言う結論を、それだけの数出し続けてきたんだから、それなりに人を見る目はある方だ。

 その浩介君がそう言ってる、って言う事は、俺が覚えていないだけで、浩介君にそう言う言葉を掛けたんだろう、どういう意図だったのか、どういう想いだったのか、それを思い出せないけど、浩介君の中で、それを取っておいてくれた事なんだろうな。

「肝心の俺が覚えてないって言うのが、俺の責任感のなさだろうなぁ。そう言う事を言った覚えが無いって言うか、多分日常の一コマとしか認識してなかったんだろうな。……。それが、浩介君にとって大切な言葉であってくれたのであれば、それは嬉しい事だ。ただ、俺にとっては対した事でもなかった、って言うだけだな。」

「あはは……。本当に嬉しかったですよ。あの頃、誰もかれも腫れもの扱いをしてきて、色んな事情があって施設で過ごす子達がいるんだから、そう言う話をしてもいけないって言う空気があって、苦しかったんです。痛みを分かち合う、じゃないかもしれませんけど、それぞれが辛いんだから、支え合う事をしても良かったはずなのに、って。そんな時に悠介さんは、俺はそう言うのを気にしないから、泣いたっていいんだよ、って言ってくれて……。嬉しかったんです、不幸な子達の集まりだから、自分だけが泣いてちゃいけない、って言う意識があったので、悠介さんが同室で、夜泣いてる僕を見て、頭を撫でてくれて、そんな人が、人間関係を構築するのが出来ないって言われた時には、驚いたんですよ?施設を出る直前に、困った顔をして、僕が会いに行きたいって言ったら、俺は人間関係を構築することが壊滅的に苦手だから、って言う答えが帰ってきて……。僕、驚いたんですよ。あんなにも優しくて、想いにあふれてる人が、人間関係を築く事が出来ないって言うのは、何かに呪われてたりするんじゃいか、とまで思ってましたよ。」

「呪い、の類だったらもしかしたら説明が着くのかもなぁ。でも、俺は生来の気質だと思ってるよ。俺は人間関係の構築が壊滅的に苦手、それが家族であったとしても、同級生だったとしても、同じ職場の同僚だったとしても、一線を越える事が出来ないって言うかな、友達になりたいだとか、仲良くなりたいって言う感情が何処にもないんだ。誰かに何かを言われただとか、誰かに虐められてきただとか、そう言う事でもないんだけどな。でも、俺は不思議とそれが当たり前で、だから記憶があんまり残ってないんだろうな。……。浩介君にとっては大切な記憶だったとしたら、それは申し訳ない事をしたな。あの頃の事、俺は殆ど覚えていないけど、浩介君はずっと覚えててくれたんだろう?それは有難い話だ、嬉しい事だ、感謝すべき事柄だ。……。ごめんよ、覚えていなくて。浩介君にとっては大切な言葉だったのかもしれないけれど、俺にとっては、それは日常のひとかけらだった、その違いがあるんだろうね。……。だけど、覚えてくれていて嬉しい、俺は、誰かに認知される事もなく、誰かに記憶される事もなく、誰かと触れ合う事もなく生きていくんだ、ってずっと思ってたから。吉野さんが編集として関わってくれているって言っても、それ以上の関係値って言うのが、俺の中ではなかったから。」

「悠介さん……。」

「さ、そろそろ会議の時間じゃないかな?吉野さんはいつもこの時間に会議だって言って、離席するけれど。」

「あ!そうですね!じゃあ、またお電話しても良いですか?仕事って言うのももちろんなんですけど……。でも、旧知の仲として、悠介さんともっと話がしたいんです。」

「それ位であれば、いくらでも。」

「ありがとうございます、それでは。」

「はい、またね。」

 電話が切れる、俺にとって浩介君は過去に触れた事がある気がするだけの後輩、素子て浩介君にとっては、俺って言う存在がどれ位の大きさなのか、についてはわからない。

 ただ、それなりに大きい存在として認識されてる、そんな気がする、気がするだけなんだけど、気がする。

 じゃなかったら、一年半って言う短い間同室だっただけのお兄さん、をこんな風に覚えてるとは思えない、だから、浩介君の中ではそれなりの関係だったんだろう、俺が認識できていないだけ、認識できていなかっただけで、それなりの存在ではあったんだろう。

 だとしたら、俺は今まで人間関係を構築できなかった、って言うのも違ってくるのかもしれない、俺がそう「思い込んでる」だけで、本当は人間関係として構築した関係性があったのかもしれない、それに俺が気づいていなかったのか、それとも目を背けてたのか、それ以上の何か、例えば浩介君が言った様に、呪いでもあったんだろうか、そう言う話は眉唾だと思ってるから、別段信じてる訳でもないけど、もしかしたら誰かに呪われてそう言う認識しか出来なくなった、って言う馬鹿げた話なのかもしれない、なんて想像をする。

「ふー……。」

 ハイライトに火を点けて、一服しながら記憶を思い出そうとする、かつての記憶、忘却してしまった思い出、俺が記憶出来ていなかっただけで、そこには存在していたはずの記憶、それを思い出そうとする。

 浩介君との話の中であった、泣いても良いんだよ、って言う言葉、それを俺は思い出せない、言った記憶がない、話したんだとしても、俺の中でそれは他愛のない話であって、別段感謝される様な事柄でもなかったんだろう。

 ただ、記憶の片隅にある気がする、泣いていた小さな子供の頭を撫でた記憶、それが浩介君だったとしたら、あの子の言葉に偽りはないんだろう。

「ふー……。」

 煙を燻らせながら、過去の記憶なんて思い出せないと投げやりになる。

 投げやりになって、浩介君を傷つけるのは本望じゃない、って言うのはある、編集さんとしても、既知の仲としても、やっていきたいと思う気持ち自体はある。

 ただ、それだったとしても、思い出せない事は思い出せない、記憶が欠落してるみたいに、俺は要所要所の事しか覚えていない、何処がターニングポイントだったのかとか、そう言う事ですら覚えてないんだから、日常の一コマなんて覚えてる訳がない。

 小説に関する事だけは覚えてる、この小説を書いた時はどんな感情だったか、どんな想いを籠めて小説に認めたか、そう言う感情に関しては忘れた事はない、俺の主義主張が一貫してるって言うのもあるのかもしれないけど、俺は小説に関する事だけは、記憶力が良い。

 拘り、と言い換えても良いのかもしれない、俺は人間関係の代わりに、小説に執着している。

 それが人間として間違っている事だとしても、それが人間として異常な精神性だったとしても、俺はそれをやめないだろう、それを止めないだろう、それを諦めないだろう。

 諦めなんてとっくのとうに通り過ぎた、俺は人間としては異端で、異常で、それが当たり前だったから。


「……。」

「坂崎君、そろそろ会議が始まるよ?」

「あ、はい!」

「坂入さんの事で悩んでいるのかな?」

「え?えっと……、はい。」

 悠介と電話をしていた浩介だったが、そろそろ編集会議が始まる、という時間になって、手を止めて考え事をしていた。

 そこに吉野が浩介を呼びに来たのだが、浩介は眉間にしわを寄せて、何かを考えている。

 吉野は、それを悠介の関係だと考えた、浩介が会社で何かを悩んでいるとしたら、それは自分の事か悠介の事だろう、と。

「悠介さんは、ずっとああいった感じなんですか?」

「ああいった感じ、というと、人間関係の事かな?そうだね、坂入さんの担当編集になって八年が経つけれど、坂入さんはずっと変わらない人だね。友達がいるだとか、何処かに遊びに行くだとか、そう言った類の話を一度も聞いた事がない程だよ。施設にいた経験がある、とは言われた事があったけれど、私も必要以上には踏み込むのは信条に反する、と思っているからね。坂崎君からしたら、昔から憧れていた人の、見ていなかった一面を見てしまった、それにショックを受けている、という所かな?」

「ショックというより、悲しいんです。……。悠介さんは、あんなにも魅力的で、素敵な人で、今では色んな人に希望を与えてて、僕もその一人で……。それなのに、人間関係の構築が出来ないから、って言って、心を閉ざしてしまっている様に見えるんです。あの頃、僕達が一緒に施設にいた頃は、友達の少ないお兄さんなんだな、程度の認識だったんですけど……。それが、独りもいないってなると、悲しいなって。だって、分かち合う事を出来ないんでしょう?喜びも、悲しみも、怒りも、苦悩も、幸福も、きっと誰かと分かち合う事で、人間は生きていくんだ、って、悠介さんの文章には書いてあって……。だから、それに憧れ続けて、いつの日か諦めたんじゃないかなって……。」

「心を閉ざしている人が、あんな文書を書くのかな?私から見れば、それは憧れの塊の様にも見えるけれど。」

「憧れ……?」

 吉野のセリフ、その意味がわからないと浩介は考える、悠介の言葉を聞くのであれば、悠介は人間関係を構築する事を諦めている、それが高校時代からの悠介の在り方だと思っていた、悠介がかつて言っていた、俺は何の為に小説を書くのか、と問われたら、どう答えればいいんだろうな、という発言からも、過去の悠介からしても、今の悠介からしても、人間関係を円滑に構築したいから執筆している、は無理筋だろう。

 ただ、吉野はそうは考えていていなかった、悠介は、人間関係を構築する事を諦めた訳ではない、と作品の原案を読んでいて考えていた、それを浩介は感じ取っていたからこそ、悠介の発言から、それが違うとしたら、という悲しさが生まれてきていたのだろうが、吉野からしたら、悠介はそう言った事柄に対する憧れが、羨望が、強すぎる程度には強い、と感じていた。

「憧れって、悠介さんは何に憧れているんでしょう?」

「そうだね、作品を通して感じた事、だから坂崎君とそこに関しては齟齬があるのかもしれない、私は坂入さんの過去を知らないから、八年間かかわっていたとしても、それは現在の坂入さんを知っている、というだけの話、作品を通して、こういう方だ、という認識を持った、と言う、ただの感想に過ぎない。坂崎君からしたら、過去の坂入さんを知っている君からしたら、物事は別の側面を見せてくるのかもしれない、それを前置きにするとして、坂入さんは表向き、友達を必要としていない、と言うね。ずっと友達が出来なかった、もうここまで来て友達が出来るとも思わない、だから、それで良いと。でも、どうしてだろうか、坂入さんの作品は、何時だって友がいて、愛があって、情に溢れていて、そう言った人間賛歌の作品を、十年間ずっと書かれてきた。その事の意味する意味は、坂入さんはまだ諦めている訳ではない、という答えなんだよ、坂崎君。」

「だから、諦めてない……。」

「まあ、坂入さんの原案と、出ていく作品では齟齬があるから、坂入さんの作品を読んでいたとしても、そう言う考えになるかどうかはわからないけれどもね。少なくとも、原案に書かれている文章は、そう言う想いが沢山籠められていると思うよ。さ、会議の時間だ、そろそろ行かないと、編集長に怒られてしまうよ?」

「あ、はい!」

 デスクから立ち上がって、編集会議に参加するべくメモを持つ浩介、まだまだ新人で研修中な自分が、メモを取らない方がおかしいだろう、と浩介は積極的にメモを取っていて、それをスマホで纏めて後から見返す、という事を繰り返して、仕事を覚えていた。

 そんな浩介が、仕事として悠介と関わる意味、仕事以外として抱いていた感情、それに関しては、今は悠介に伝えるべきではないのだろう、悠介に伝えても、茶化していると言われてお終いだろう、と考えを纏めていた。

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