覚えていない、懐かしい顔
愛知らぬ獣に告ぐ挽歌。
愛する事は、こんなにも美しくて、尊くて、儚くて、素晴らしくて、そんな事を、俺は知らなかった。
知らずに生きていた、誰に愛された覚えもなければ、誰を愛した記憶もなかった。
だから、そんな事を教えてくれたお前がいなくなっちゃった事、それが怖い、前に進む足が竦んでしまいそうなくらい、悲しい。
もう一度だけで良いから抱きしめたい、温もりを感じたい、それが叶わない願いだったとしても、それを願わずにはいられないんだ。
……。
さようなら、世界で唯一、俺を愛してくれた人よ。
さようなら、最愛の人よ。
「ふぁ……。」
目が覚める、今日は仕事は殆ど休み、同僚と何処かに一緒に行くでもなく、俺は独り生活をしてる。
俺は、そうだな、作家としては売れている方なんだろう、印税だけで生活できる程度には稼いでるんだから、世間一般的に見れば、成功者の類なんだろう。
ただ、なんていうんだろう、絶望的に人間関係を築くのが苦手だ、嫌いなわけじゃない、苦手だ。
苦手過ぎて、三十を超えるって言うのに、童貞で恋人いない歴が年齢、友達を作る事もしなかったから、ラインを業務上必要な物、つまり編集の人と話す為に入れてはいるものの、その編集さんから連絡が来ない限り、スマホの通知すら来ない始末だ。
なんでだろう、って立ち返る事はある、なんでこんなにも人間関係の構築が苦手なんだろう、なんで友達の一人でも作ってこなかったんだろう、そう思わない事はない、ただ、それが当たり前として生きてきてしまったから、そうなったとしか言い様が無かった。
親との愛情、何てのを感じられる家庭でもなかった、義務としては育てられてきたけど、十四年前、高校二年生の頃に事故で両親は死んだ、それ以降本当に最低限の人間関係だけで生きてきた、それが三十になって、はてさてどうしたもんか。
人間模様を書くのは得意だ、ただ、それは虚構の人間関係であって、現実の対人関係とはかけ離れてる、そう言われた覚えもある。
だからこそ、ファンタジーを好む読者には受け入れられた、現実を忘れて没入したい人からしたら、それは助かる事なんだろう、実際、俺も小説を読むタイプだったから、色々とそこで学んだ節はある、人間関係のもろもろとか、そう言うのを描写する方法って言うのは、ヒューマンドラマ系の小説から学んだ。
ただ、それでしかない、現実において人間関係を碌に構築してこなかった人間だから、そう言うリアルがわからない、それが本音だ。
「ふー……。」
煙草を吸いながら、小説の末文を書く。
末文には何を書こうか、普段から悩む事だ、読者にとっては、これが物語の終わりである、って言う標なわけだし、俺にとっても、小説を一本書き上げるって言うのは、一つの区切りではある、だから、末文にはいつも困ってる。
煙草の吸殻、ハイライトの吸殻が、剣山みたく積もってて、俺は基本的に小説を書き上げるまでは吸殻捨てない人間だから、それだけ吸ってるのは自分でもよくわかってる、ただ、それをやめる気にもならない、俺は生涯煙草を吸い続けるんだと思うし、それが正しい形なんだとまで思ってる。
誰かと関わる事もなく、寂しい人生だと思うけど、それが俺にとっては当たり前で、そうだな……、そうあるべきだ、とも思ってる。
俺は独りであるべきだ、なんていう厨二臭い話でもないんだけど、俺の在り方って言うかな、そう言うのが、そうあるべきなんだと思ってる。
「ふー……。」
外を見ると、雪が降ってる、この前三十の誕生日を迎えたばっかりだと思ってたけど、もう一月だ。
三十路っていうのは、もうちょっと何か変化があるもんだと思ってたけど、そうでもなかった、それなりに変化した事もあったけど、概ね変化なく生きてる気がする。
変化って言う変化、感情って言う意味での変化はなかった、肉体的な変化は勿論ある、ジムにある程度通ってヘルニア対策をしてると言っても、老いてるものは老いてる、体は衰えてきてる、それは間違いない。
ただ、精神性の話をさせてもらうのであれば、そもそもが変わってない、が回答になると思う、学生時代から、群れる意味が分からなくて、と言うか、人間関係を構築するのが大の苦手で、学校では浮いてて、高校卒業から二年間はバイトをしながら、両親の遺産の残りで食いつないだけど、作家になるまでは誰とも仲良くならないで、もくもくとファミレスの厨房で働いてた。
だからって、人と話が出来ないのか?って聞かれると、それはまた違うと思ってる、相手がどう思ってるかはわからないけど、ある程度のコミュニケーションは取れてた覚えがある、今だって、編集さんとやり取りをしてて、不備があるのかって言われると、無いと思うし。
円滑なコミュニケーションの能力自体は以てる、ただ、それをしたとしても苦手意識が先行しちゃって、人間関係を構築できない、それが俺の中での俺の評価だ。
「まったく……。」
ならなんで人間模様が大切な純文学を書いてるのか、って言われると、それはわからない、適性があったから、としか言い様が無い気がする、ただ単に、俺が書きなれてたのが純文学で、書こうと思って書き始めたのが人間模様だった、って言うだけだ。
本当は、そう言うのに憧れがあるのかもしれない、ただ、俺は絶望的にそう言うのが苦手だ、それはわかってる。
諦め、じゃないけど、それに似た感情を以てる、それが正解だろうな。
「ん、ラインだ。」
夜が更けてきて、そろそろ飯を食べなきゃなってところ、末文を考えながら煙草を吸ってると、担当編集の吉野さんから、今電話を掛けても良いか、って言うラインが来た。
律儀な人だなっていうか、作家の集中を途切れさせたくないから、って言う理由で、電話をする前に一報入れる、それが癖だとかなんだとか。
「もしもし。」
「あ、坂入さん?新刊の調子はどうですか?」
「今、末文を考えてる所ですよ。それで、何か用事でも?」
「あ、はい。担当の変更と言いますか、中途採用で入ってきた新人がいまして、私が教育担当になったので、坂入さんにもご協力を願いたく。」
「この時期に新人さんって言うのは珍しいですね、それで、俺に協力って?」
電話を掛けて、担当の吉野さんと話をする、編集者に新人が入ってくる時期としては珍しい、中途採用って言っても、この時期に取る会社側も珍しいって言うか、決算が近い時期に新人を取るのって、どうなんだろう?とは思わなくはない。
ただ、編集さん達には向こうなりのやり方があるんだろうし、それに疑問を持った所で関係はない。
「坂入さんの編集として、つけさせていただけないかと。私が新人だった頃に、坂入さんの編集になってから数年経ちますが、やはり坂入さんは新人相手に優しくして頂けるので……。どうでしょう?また編集が変わるかもしれない、という話になってしまいますが、将来的にどうなるか、についてはまだ未定なのです。」
「良いですよ?ただ、俺がやりやすいっていうのは、どうなんでしょう?」
「坂入さんはやり取りがしやすい方ですよ、そこに関しては、疑問を持たれずとも良いでしょう。人付き合いが苦手、と普段から仰られていますが、けれどそれは、社会的な作法を身につけられている裏付けでもありますから。」
褒められても何も出てこないけど、吉野さんは今まで歴代で関わってきた人たちの中では、一番と言っていい程関わりやすい人だった、先代って言うか、以前の担当さんがちょっと灰汁が強いタイプって言うか、あんまり波長が合わないタイプの人だったから、次の編集である吉野さんは、やりやすいし有難い、俺が人間関係を構築するのが壊滅的に出来ないのを知ってて、それに合わせてくれてる、そんな人だから、俺も安心して作品を預けられる、そんな関係だ。
友達でも何でもないけど、ビジネスとしては信頼出来る相手、それが吉野さんだったから、そこからまた編集さんが変わって、って言うのはちょっと大変かもしれない、ただ、後進育成に関しては賛成って言うか、そう言うのは必要だと思ってるから、別段そこに関しては反対はない。
「大丈夫っちゃ大丈夫ですけど、以前の人みたいな方だったら俺担当変えてくれって言いますからね?」
「あぁ、園枝さんは退職されましたよ?なんでも、コンプライアンス違反が発覚したんだとか。」
「そうでしたか、あの人は俺は合わないだけだと思ってましたけど、世間的に見てもずれてる人なんですね。」
以前の担当編集さんである園枝さんは、壮年の男性だったんだけど、兎にも角にも偉そうな人で、ヒット作を生み出したんだか何だかで、俺の言う事を聞いてれば良いんだ!みたいなことを良く言ってる人だった、そんな人から、今の吉野さんに担当が変わって、俺は感動すらした覚えがある、編集さんってこんなに言葉が通じる人なんだ、なんて思った覚えがある、それが、俺がデビューしてから二年後の話、二十二歳の頃の話だ。
今は俺が三十歳、吉野さんとの付き合いもなんやかんや八年位になる、当時は新人で右も左も分からなかったって言う吉野さんが、部下を持つ事になったって言うのは、凄い事だと思う。
吉野さんと俺は同い年、って言っても、当時新人として入ってきた吉野さんと、ある程度作家として経験を積んでた俺、っていう関係値は、向こうにとっては有難い、って言ってたっけ。
「それで、新人さんはどんな方で?」
「はい、二十四歳の年下でして、大学を卒業後は別業種で働いていた、という話です。それが、どうしてか編集者になりたいと、わが社の門を叩いた、と本人は言っていましたね。詳しい理由は聞いていませんが、何かわが社を目指すきっかけでもあったのでしょう。人間性としましては、私の所感では実直で謙虚なタイプ、ですね。私の所感でしかないので実際に動いてみてどうなるか、についてはわかりませんが……。坂入さんになら、任せられるかと思いまして。」
「了解です、吉野さんには良くしてもらってますし、俺にとっては居心地が良い環境なので、それを手放す可能性、については少し怖いですけど、でも、新人さんを育てる、後進育成って言うのは、大切な事ですからね。俺に出来る事があれば、しますよ。」
「ありがとうございます、坂入さん。それで、明日からの行動開始になりそうなのですが、坂入さんのご予定を伺いたく。」
「そうですね、末文を今日のうちに書いちゃえば、明日は空きますね。いらっしゃるか、俺の方から出向きましょうか?」
「そうですね、道に慣れてもらうという意味でも、こちらから赴かせて頂きましょうか。明日の午後三時頃、いかがでしょう?」
「了解です。」
それなら、今日中に末文を考えて、明日に備えておいた方が良さそうだ。
俺は基本的に予定が入るとそこまでの時間が埋まるタイプって言うか、予定が入ると何かをするって言う選択肢を取れないタイプ、だ。
だから、予定が入った日は大概それだけで一日が終わる、マルチタスクが苦手どころか、シングルタスクですら危うい始末だ。
「それでは、明日。」
「お待ちしてます。」
電話を切って、煙草に手を伸ばす。
悩む時には一服するに限る、って言うのが俺の信条って言うか、悩んでる時に瞑想めいた事をする時に、煙草の本数が多くなる傾向がある。
煙草が剣山めいた何かに変貌して、それを捨てる時は一本書き上げた時、すっきりするって言うか、そう言う一連の流れが俺の中では大事なんだろうと思ってる。
「ふー……。」
新しい編集さん、か、どんな人だろう。
吉野さんの言葉を信じるのであれば、関わりやすい相手だとは思うけど、俺の人間関係の壊滅的な下手くそさに辟易されたりしないか、そう言う意味では、俺が最初の担当になるって言うのは、大変だし困難な事じゃないかな?とは思うけど、向こうには向こうの事情があるんだろし、仕方がないのかな。
にしたって、俺を選ぶ理由がわからないとは思う、他にも編集に良い顔をしてる作家なんていくらでもいるだろうに、俺を選んだ理由がわからない。
吉野さんなりに何か考えがあってのことなんだろうけど、その考えがわからない以上、俺は何とも言えない、ただ、困らせる様な事をするのは違うとは思ってる、二十四歳って言ってたし、年下をからかう趣味もないし。
さて、末文をどうしたもんか、そこに悩みながら、時間はどんどん進んでいく、寝る時間までに書き上げたいけど、はてさてだ。
「ふあぁ……。」
朝、結局末文を書き上げてすぐに寝て、今日は一月二十日、新しい編集さんがやってくる日だ。
お茶かココアかコーヒーか、用意しておいて、茶菓子を買いに行こう。
朝飯にインスタントラーメンを湯がく為にお湯を沸かして、鍋にインスタントラーメンをいれて待つ。
「……。」
思えば、三十歳。
三十になるまで、ビジネス以外で碌な縁を築いてこなかった俺が、今更になって人間としての縁を結べるんだろうか。
両親は、俺に対してはまさに放任主義だった、俺が何をしていようが怒りもしない、しつけもしない、ただ、感傷をしない人達だった。
だから、じゃないけど、両親が事故で死んだ時、何も思わなかった、親子らしい事をしてこなかった俺にとっては、少しだけ縁があった遠い親戚でも死んだ、って言う感覚しかなかった、それ位の縁だった。
それからも、それまでも、俺は碌に人間関係の縁を結んでこなかった、学校の先生には困られてたと思う、扱いづらい子供だった自覚はある、ただ、大人になって、最低限ビジネス関係だけはしっかりしよう、と思って、マナーだけは頭の中に入れておいた。
そこに関しては、厨房で働いてた頃、ウェイターをしていた子達の所作が参考になってた、ファミレスって言っても厳しい所だったし、礼儀作法の類はきちんとしてる人が多かったし、年下でもそう言う子が多かったから、それを元に学んだ覚えがある。
だから、じゃないけど、園枝さんにぶつかった時、それが通じない相手がいる、って言う事に困惑した覚えがあった、モンスタークレーマーっていわれる類の人達にも通じる処世術だと思ってたから、それが通じない相手、なんていうのがいるとは思わなかった覚えがある。
そこから二年、めんどくさいけど慣れてきた頃に、担当編集が今の吉野さんに代わって、それ以来八年間、吉野さんとやり取りをしながらやってきた。
それなりのビジネス的な関係値は築いてきた気がするけど、でも向こうがどう思ってるかなんてわからない、俺には他人の心なんて読めない、だからわからない、が正解だ。
「ん、出来た。」
インスタントラーメンが出来て、ゆで卵と刻みのりをトッピングして、それが俺の朝飯だ。
たまに外に出かけて食べる事もあるけど、それはごく稀にであって、普段の食生活は散々なもんだ。
一応食後にバナナを食べたり、ジムに行く時はプロテインを飲んだりするけど、まあ体重は減らないし、デブはデブのまま、な感じだ。
体を動かしてるって言っても、普段はデスクワークが殆どだし、数日に一回ジムに行く程度じゃ、運動はまかなえてないんだろうな。
とはいえ、今の生活をやめるのか?って言われると、今の生活がもう何年続いたか、習慣って言うのは、中々取れてくれない。
「ふー。」
ラーメンをすすりながら、どんな人が来るのかを想像する。
って言っても、人間関係が希薄すぎて、実直で良い人、って言う姿の想像が出来ない、年下って言う事は、俺の方がリードして関わるべきなんだろうけど、生憎と俺はそこらへんが難しい人間だ。
思い出すと、高校時代に両親が死んで、一年ちょっとだけだけど、施設にいた頃の事を思い出す。
あの頃は、俺はもう今の状態になってたから、あんまり他人と関わろうとすらしなかったけど、でも、そんな俺にも愛想をつかさずに声をかけてくれた子がいた、その子も確か、今は二十四歳になるはずだ。
なんていう名前の子だったか、どういう容姿をしていたか、確かあの子も、素直で実直なタイプ、って周りから評価されてた覚えがある。
なんでその子の事を覚えてるのか、って言われると、俺がなんとなく気になってたから、としか言い様が無いんだけど、どうしてか気になる子だった、今まで関わってきて、壊滅的に合わない人達だらけだった俺に、そんな事をお構いなしに構ってくれてたから、って言うのもあるのかもしれない、ただ、それ以上の感情、については俺は分からなかった、あの頃は特に、生きていくのに必死だったって言うか、何もかもがくだらなくて、何もかもに呆れてて、そんな心境だったから、あの子の顔すら思い出せない。
なんとなく、薄眼で見た感じは覚えてるかもしれない、ただ、当時はスマホなんて無かったし、施設に行くにあたって、資産は持ったままでもよかったけど、携帯なんかは持ち込まないでくれ、って施設の人達に言われてたし、写真を取っておくタイプでもなかったし、本当にぼんやりと薄目で覚えてるか覚えてないか、って言うレベルだ。
「ふー。」
ラーメンを食べ終わって、食器と鍋を洗って、バナナを食べて、朝の習慣はお終い。
茶菓子を買いに行かないと、ストックが無い気がする、そもそも誰かが訪ねてくること自体が稀なんだから、茶菓子なんて気の利いたものを常備してるの?って言われたら、俺が自分で食べる用に買ってあるのがある、それがなくなってるって言う話だ。
軽くシャワーを浴びて、坊主頭から少し伸びた髪の毛を乾かして、さて出かけよう。
「さてと。」
近所のモールに来て、まだ開いたばっかりの店に足を運んで、茶菓子を選ぶ。
普段は紅茶かココアを飲む事が多いから、それに合わせてクッキーかビスケットか、って言う乾き物が多いんだけど、今日はお客さんが来るわけだし、ケーキの一つでも買っておいた方が良いのかな。
ケーキ屋は……、確か一階の隅にあった気がする、普段いかないからあんまりわからないけど、何時だったか散策した時に、ケーキ屋があると思った記憶がある。
「シュークリームか……。」
途中、シュークリームの専門店に目が行く、そこのは俺は食べた事が無いけど、美味しいとは評判の系列店で、一回食べてみようか、なんて思ったけど、シュークリームで喜ぶ年齢でもないしな、なんて思って控えてた。
「すみません、シュークリームを四つ程頂きたいんですが。」
「四つですね?お持ち帰りですか?」
「はい。」
持ち帰りじゃなくて食べていく人用と、持ち帰りで税率が変わったのは何時の事だったか、それ以来そう言う質問を良くされる様になった、仕方のない事だし、アルバイトのお嬢さんに文句を言ってもどうしようもない事なんだろうけど、煩わしさは消えてくれない。
ただ、それを表に出す程幼稚でもない、とも思ってるから、そこに関しては何も言わない、それが俺の主義だ。
「では、お会計八百円になります。」
「カードで。」
「かしこまりました。」
デビットカードを財布から出して、タッチ式のクレジット決済機に通す。
デビットカードって言うのも、俺達が学生時代にはまだまだ普及してたかしてなかったか、学生が持てる様な代物ではなかった覚えがある、施設に行った時、キャッシュカードで引き下ろしをしてた覚えがあるし、二十歳超えてからデビットカードの存在を知った、って言う感じだった気がする、その頃には、デビットカードもだいぶん一般的になってきてて、手続きは楽だった。
「こちらお品物になります、お気をつけてお持ち帰り下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
こういうコミュニケーションだったら、何の苦も無く取れるのに、と己を恨まなくもない。
どうしたって、人間関係の構築に必要なリソースが足りてない、決定的に、俺の中でどうすれば人と仲良くなれるのか、がわからない。
そう言ったって仲の良い子の一人でもいたんじゃないの?と問われると、それこそ誰も思い当たらない程度にはそう言う繋がりが無い。
ラインだって、吉野さんから進捗の質問か、新刊が出たかどうかとか、ちょっとしたやり取りをする以外には何も動かない、宣伝の為に何かをやってるのか、って言われると、インタビューを受ける事があったり、サイン会で人と会う事はあっても、仲良くなる、って言う関係値になれない、どうしたって、だ。
シュークリームを受け取って、取り合えず今は冬なんだから、すぐに傷む事もないだろう、と思って、車にシュークリームの袋を置いて散策。
昼飯を食べる時間にしては早い、まだ腹も減ってない、だから、どうするわけでもないけど、なんとなく店を見て回る。
最近入った店とかをチェックしながら、でも俺には殆ど関係がないし、なんて思って、フラフラと時間をつぶす、今の時間が午前十一時、吉野さんが新人さんを連れてくるのが午後三時、まだ時間はある、家に戻ってもやる事がない、っていう訳でもないけど、集中できないからやらない、が正解だ。
「あ、あそこ行くか。」
氷と原液をミキサーで砕いた、所謂フラッペが飲める店に足を運ぶ、腹が減ってないとしても、フラッペ程度なら飲めると思うし、あそこのフラッペは酒類が多いのと、季節限定で色々とやってるから、時々来ては飲んで帰る、それが俺の時々の気晴らしだ。
「ふむふむ。」
今の時期は苺がそろそろって言う感じらしくて、それに関する飲み物が多い。
苺のフラッペを飲んで、ちょっとスコーンでもかじって、それで帰るか。
「ふー……。」
煙草を吸い始めたのは、かれこれ十八の頃から、誰かが吸ってたって言うか、誰かの真似をして吸い始めた覚えがあるけど、誰の真似だったかを思い出せない。
俺が子供の頃は、まだ未成年が煙草を買いに行っても、親のお使いで済まされてた時代だったから、親父が煙草を買いに行くついでにお菓子でも買ってこい、って言ってくれて、それでカートンを買ってた記憶が、うっすらと記憶の底にある、その頃はまだ、親子として縁が会った覚えがある、本格的に放逐されたのは、小学校に上がった頃からだった気がする、その頃から、怒られない代わりに何もしてくれない親、が出来上がってて、それが当たり前だと思ってた。
だから、十六の頃に両親が事故で死んだ時、俺は何も思わなかった、何もって言うとちょっと語弊があるかもしれないけど、大きな感情の変化はなかった。
感情の機微がないタイプと言われたらそこまで、って言う話でもある、ただ、学校で同級生が事故にあって亡くなった時、もう少し感情が動いた覚えがあったから、それに比べても感情が動かなかった両親の死、って言うのは、俺の中では不思議であると同時に納得が行く事でもある。
同級生が事故にあった時は、まだ未来のある子供が死んでしまった、って言う点で感情が動いた、まだ未来のある少年が、事故という不慮の出来事で亡くなってしまった、未来があったはずなのに、将来の夢がどうのって話を小耳にはさんだ事もあったのに、そんな無垢な少年が、命を落とさなきゃならない理由はなんだ、って言う感情の揺らぎ方をした覚えがある。
それが中学生の頃、一年生だったか二年生だったか、その頃には、今の考え方になってた、って言うよりも、今の考え方でいなかった時間の方が短いくらいだ。
「……。」
煙草の煙は、吹いて何処かに行ってしまう、それは俺に似た環境なのかもしれない。
吹いたら何処かに行ってしまう、まるで、そこには居場所が無くて、ありもしない居場所を求めてる状態で、ふわふわと霧散するしか方法が無くて、そんな煙が、俺に似てると思うんだ。
今の時間は十二時過ぎ、さっきフラッペを飲んだから、腹は膨れてる、後三時間くらい、何をしていようか。
煙草の煙を燻らせながら、暫し考える時間だ。
俺は、どうしたら友達って言うのを作れるんだろう、孤独なヒーローを気取ってる訳じゃない、孤高な狼のふりをしてる訳でもない、ただ、友達という存在の作り方がわからない、それが全てだ。
子供の頃からそうだったのか?本当に友達がいなかったのか?って言われると、そうだとしか言い様がない、俺は、友達って言う存在を、一回も構築した事がない。
覚えてる限りでは幼稚園生の頃から、俺は遊ぶって言う事をするタイプじゃなかった、休み時間とか、皆で遊びましょうっていう時間には、隅っこの方で人を眺めてるのが趣味だった覚えがある、そう言う人間観察って言うのかな、そう言うのを趣味にして、遊ぶって言う事をしなかった。
幼稚園の先生には、それこそ気味悪がられてた覚えがある、俺みたいに、遊ばずに隅っこで何かをジーっと見てる子、なんて殆どいなかっただろうし、そう言う子を見るのは珍しい所じゃないだっただろうし、そう言う意味で、幼稚園の先生は俺をどう扱えば良いのかが分からなかったんだろう。
あんまり幼稚園の先生と話をした覚えもないけど、そう思われてたんだろうな、って言うのは、後々に思い出した事だ。
そこからずっと、人間観察を趣味にして、人間と関わる事を拒絶してきた、どうでも良いとは言わない、ただ、俺は決定的に人間としての欠落がある、それが俺自身の出した結論だった、俺は、人間として決定的に欠落している何かがある、それがあるから、友達や普通の人間関係を築けない。
欠落、その結論に至ったのは、かれこれ何年前の話か、まだ迷っていたって言うか、まだ戸惑いの中にいた頃に、作家になったから、それからの事だったのは覚えてる、作家になったのは、その欠落を見つけるきっかけになっただけで、当時はまだ、どうして友達が出来ないのか、どうしたら人間関係を成立させられるのか、って言う事を頭の隅で考えてた覚えがある。
って言っても、その頃には半ば諦めてた、作家になったのも、ある意味それを確立させて、俺の中で諦めをつけさせる為にだった、って言う感じだったから、一般的な社会人として生きていく事を諦めて、作家として生きていく、って決めたのは、その頃の話だ。
今は有難い事に、吉野さんが好き放題やらせてくれる人だし、って言う言い方も変なのかな、出すか出さないかは置いておいて、一旦書いてみたらいかがでしょう?って言ってくれるタイプの編集さんだから、余計な口出しをされなくて快適ではある。
前の担当さんだった園枝さんは、くだらないリテイクを幾つもしてくるタイプで、ああいう手合いは、自分の方が偉いと思ってる手合いだ、って言うのは、嫌という程理解してた、感情に任せてその時その時で違う事を言って、機嫌が悪ければ人格否定、機嫌が良ければ俺のおかげだ、なんていうタイプの人間だったから、壊滅的に相性は悪かった。
ああいう手合いは誰とでもい相性が悪そうだけど、腰ぎんちゃく的なポジションだった面々はそれに恩恵があったんだろうな、とは思ってる、ただ、退職したって言うのは、後進育成の為にも安心だ。
後進育成の話に携わる、と思うとドキドキする、俺見たいな人格破綻者と関わって、編集の仕事が嫌になったりしないか、そもそも俺と相性が良いのか、それともまた壊滅的に合わない人になるのか、そんな不安が首をもたげてくる。
「ふー……。」
煙草の火を消して、吸殻を二週間ぶりに捨てて、準備をする。
煙草の匂いが駄目な人だったらどうしようか、なんて事も考えて、俺の仕事部屋には入れられないな、そもそも誰かをいれる様な部屋じゃないし、企業秘密っていう程ではないけど、俺にとっては企業秘密に等しいメモなんかが転がってる部屋だ、安易に人をいれるべきじゃない、とは思う。
「さて。」
どんな人が来るか、楽しみでもあって、ちょっと怖くもある。
そわそわしながら、暫し待つ時間だ。
ピンポーン
「はーい。」
「坂入さん、吉野です。」
「ん、時間通りって言うのは素晴らしいですね。」
午後三時、インターホンがなったから、二階から一階に降りて出ると、吉野さんと知らない青年が一緒になってる、その青年が、新しい編集さんだろうな。
どっかで見た事がある様な、そうでもない様な、そんな感じの見た目をした青年との邂逅、果たしてどんな関係値になるのやらだ。
「どうぞ、寒いでしょう?紅茶かコーヒーかココアか、どれにしましょう?」
「や、私はコーヒーを頂きましょうか。坂崎君、君は紅茶が好きだったって言っていたね?」
「あ、はい!坂入先生!坂崎浩介です!よろしくお願いします!」
「坂崎君ね、よろしくお願いします。……。何処かで会った事がある?かな?俺の勘違いかな、君とはどこかで会った事があるような……。」
坂崎君、って紹介された子と吉野さんをリビングに通して、紅茶とコーヒーを淹れながら、坂崎君の事を何処かで見た事がある気がする、なんて思う、どこで出会って、どんな関係値だったか、を思い出せないけど、この子とは初対面じゃない気がする。
「あの!僕の事、覚えてませんか……?」
「あ、じゃあやっぱり何処かで会った事があるんだ。うーん……。俺、人の名前とか覚えるのが大の苦手でさ、人間関係っていうのも、今じゃ吉野さんだけだから、覚えてないんだ。ごめんよ、君は俺の事を覚えてくれていたんだね?」
「……。僕は、松戸児童養護園の出身なんです。当時、高校生だった悠介さんとは、同じ施設の出身ですよ。」
「……、あー!あの子か!あの時、俺に構ってくれた子だね?顔を思い出せてないけど、そう言う子がいてくれたのは覚えてるよ。俺に構っても意味が無いって言うか、俺に構っても得をしないのになー、って思ってたけど、そうだね、あの時の子が今二十四歳になるって言う話だったかな、なら君とも年齢が合致するね。そうか……、あの時の子が……。って言う事は、施設を出てから大学に通ったのかい?出版社って、基本的に大卒しか入れないはずだろう?」
「や、坂入さんは坂崎君の事をご存じでしたか、坂崎君から、もしかしたらというお話は伺っていましたが、それが合っていたとは。これはまた、数奇な出会いですな。」
「そうですね、数奇というか、偶然なのか必然なのか、あの頃コロコロとしていた子が、こうして大人になっている、と言うのは、少しばかり感慨深いですね。」
紅茶とコーヒーを淹れて、リビングのテーブルに座ってもらってた二人に提供する、改めて坂崎君を見てみると、なんとなくだけどあの頃の面影が思い出せなくもない。
坊主頭にくりくりしたぱっちりした瞳、二重に少し薄目の唇、って言うのは、あの子が小学生だった頃から持っていた素養だったと思う、思い出せないって言うか、思い出しきれないだけで、なんとなく覚えてる部分で、似てるなとは思う。
「悠介おにい……、坂入先生は、施設を出られてからどうされていたんですか?」
「そうだねぇ、その前に、シュークリーム食べるかい?吉野さんも良かったら、俺も食べた事がない所のなので、味はわかりませんがね。」
「頂きましょうか、坂崎君。」
「はい!」
元気のいい子だな、って言う印象、それは昔と変わらない、と言うか、俺と同時期か少し前位に施設に入ったはずだったけど、両親がどうしただとか、そう言う話も聞いた事が無かった、あの頃は、親の話っていうのは施設ではタブーだったし、自分の不幸自慢をする様なタイプでもなかったし、じめじめした空気が苦手だったから、あんまり記憶に残ってない、ただ、坂崎……、浩介君は、あの頃と変わってないと思う、そんな気がする、気がするだけなんだけど、気がする。
あの頃、二人っきりになった時に聞かれた両親がどうしていなくなったのか、って言う問い、それだけを覚えてる、擁護園の裏で、二人っきりになって話がしたいって言われて、その時に聞かれた事、俺は素直に事故で死んだって言った覚えがある、その時に、浩介君がどう答えたのか、が思い出せない。
「これ、あそこのですか?僕、好きでよく食べるんですよ!」
「そうだったのか、それは良かった。……、ん、美味しい、二百円ってわからない位に美味しいな。」
「頂きますね、坂入さん。」
「どうぞどうぞ。」
吉野さんはブラックコーヒーに甘いお菓子を合わせるのが好きだ、って言ってた、それは覚えてる、だからこうしてコーヒーと甘いものを用意してたんだから。
浩介君がどこのシュークリームかを当てた、って言うのは驚きだ、それ位特徴的なシュークリームなのかもしれないけど、それを一発で当てるって言う事は、それなりに甘党なのかもしれない。
売ってる場所までわかっちゃうんだから、ここら辺に住んでるのかな?とも思うけど、そう言う話をする事が今までなかったから、どう切り出せばいいのかもわからない。
「それで、浩介君は大学を卒業したのかい?」
「はい、去年通信制の大学を卒業して、今は一人暮らしです。坂入先生に憧れて、って言っても良いのかな、そう言う感情があって、そしたら、求人があって……。」
「悠介で良いよ、浩介君。俺だけ浩介君って言うのも変じゃないか?」
「坂入さん、坂崎君とは仲がよろしかったので?坂崎君は面接の時に、坂入さんの文章が好きだと言っていましたが、こういった繋がりがあるとは私は想像も出来ませんでしたよ?」
「って言っても、あの頃の俺って、人間関係を構築する気がなかったですから、なんとなく覚えてるって言うか、施設にいた頃に話しかけてくれてた子がいたな、程度の認識ですけどね。」
その話をすると、浩介君は少し悲し気な顔をする、あの頃から変わらないって言うか、俺にとっては印象に残ってるだけでも凄い方なんだけど、浩介君からしたら、ずっと構っていた後輩が自分の事を忘れてた、的な感情なのかも知れない。
「ただ、浩介君の事は、不思議を忘れなかったね。色んな人と関わってきてた、はずだったんだけど、俺も大概記憶力が悪くてね。関わった人の殆どを覚えてないんだ。ただ、浩介君の事は、頭の片隅には残ってたかな。」
「そ、そうでしたか……!それだけでも嬉しいです、悠介さんはずっと、心を塞がれていたと思っていたので、そんな中で覚えてもらっていたなんて……。」
「ごめんよ、それ以上の感想が出てこなくて。」
「いえ!」
浩介君は、嬉しそうな悲しそうな、そんな表情をしてる、ただ、今はプライベートじゃない、仕事ではある、だから、仕事の話もしないといけないな、とは思う、頭を切り替えて、吉野さんの方を見る。
「それで吉野さん、浩介君を育てる手伝いをして欲しい、そう言う話で良いんですかね?」「はい、わが社の出版の方の中で、好きだと面接などで言っていた方に付いて頂く、それがわが社の方針ですからね。坂崎君は坂入さんの文章が好きだと言っていましたから、坂入さんにお任せするのが一番かと。」
「了解しました、まあ知らない仲でもないですし、やりやすいと言えばやりやすいかもしれませんね。」
「よろしくお願いします、悠介さん!」
「はい、よろしくね。」
浩介君はとにかく元気な子で、その印象は昔から変わらないって言うか、あの頃から変わらない素養なんだろうな。
家族がどうしていなくなったのか、どうして児童養護施設にいたのか、についてまでは思い出せない、浩介君は何かを言っていた様な気がするし、何も言っていなかった様な気もする、だから、思い出せない。
ただ、何かを言っていたら、それが印象としてあった気がするから、言ってなかったのかもしれない、俺には言えない事だったのか、それとも誰にも言わなかった事なのか、それもわからない。
「それじゃあ、これからの話だけど……。取り合えず、今は俺は一本書き上げて、提出する所だね、吉野さんからこれからの動きについては聞いているかい?」
「はい!社で会議にかけて、発売なら修正と訂正、なければリテイク、だったと聞いてます!」
「坂崎君は勤勉だね、よくわかっている。では坂入さん、データを頂戴しても?」
「はい、これです。」
執筆データ、この受け渡しに吉野さんは拘りがある人で、データなんだからメールででも送ればいいんだろう、って思ってた俺に対して、吉野さんは毎回受け取りに来る、必ず時間を空けて、データを受け取りに来てた。
それが吉野さんなりの儀式めいた事だ、とは言ってた、吉野さんの指導者だった先輩に影響をされた、って言ってて、どんなに遠くの作家でも、例えばここが千葉で、会社が東京で、北海道だろうと沖縄だろうと、執筆データとなると取りに行く、って言う位、それを徹底してる人だ。
作家から受け取るデータ、それは魂の欠片だから、って言ってた様な気もするけど、俺達にとって作品って言うのは子供、って言う認識はあったから、そう言う扱いをしてる人がいてもおかしくはないんだろう。
扱いとしては困る方だろう、って吉野さん自身が言ってて、それはそうかもしれない、データでやり取りをできる現在において、直接のやり取りは時間の無駄、って言う認識も間違ってはいない、だから、出張費が余計にかかるタイプだ、とも言ってた。
ただ、そこに関しては経費で出してもらってないんだとか、自分の財布からそれは出してるって言ってた気がする、興味本位で聞いた時の話だから、うろ覚えではあるけど、そんな事を言ってた気がする。
「それでは坂入さん、協議の進捗に関しては、坂崎君の方からさせていただきますので、連絡先の交換はどうしましょう?」
「あ、ちょっと待ってくださいね、今スマホ持ってくるので。」
スマホを二階に取りに行って、ふとため息をつく。
知ってる相手って言っても、ほぼほぼ覚えてない相手との会話って言うのは疲れる、し向こうが何を考えてるのか、どう思ってるのかがわからないから、そう言う事に対して余計な詮索って言うのか、そう言う事をしちゃうから、余計に疲れる。
ただ、それは我儘であって、正当な権利ではない、とも思ってる、それは我儘で、皆はそうやって生きているだ、って言う認識はある、ただ、俺がそれについて行けないって言うだけで。
「……。」
早めに戻らないと、待たせる事になる。
深呼吸をして、一階に戻る。
「戻りましたよ。浩介君、連絡先はラインで良いかな?それともメールアドレスの方が良いかな?」
「両方お願いします!」
「了解。」
浩介君とラインとメールアドレスを交換して、これでラインの友達欄が二人に増えた。
って言うか、それ以外の人と一切合切やり取りをしてない自分に衝撃だ、SNSで宣伝、は出版社がやってくれてる事だから、俺が個人で何かをする事もないし、そう言う意味でも、俺は人間関係が希薄すぎる位には希薄だ。
というのも、俺がスマホを持ち出したのが高校卒業してから、って言うか、その頃はまだスマホって言うのが出たてで、出てから普及するまで、の間だったから、持ってる人と持ってない人との半々だった、物珍しさに買ってみたは良いけど、連絡先を交換する相手がいなかった、が俺の中での現実だった。
「それでは、本日はこれで、坂崎君、道は覚えているね?」
「はい!」
「またおいで、電話をする用事がある時は、ラインで電話を掛ける事を言ってからにしてくれると助かるかな。集中したい時には、電話掛けられても出ないから。」
「了解です!」
今日はそれでお終い、浩介君と吉野さんは、コーヒーと紅茶を飲んで、次の担当さんの所に向かう為に、車に乗って去って行った。
「ふー……。」
煙草が吸いたい、煙草を吸おう、俺は仕事部屋でしか煙草を吸わない、って言って、リビング含めて四部屋あって、一部屋は寝室、一部屋は仕事部屋、一部屋は物置、って言う風に一軒家を使ってるから、独りでは少しあぶれる位だ。
人が訪ねてくる事、って言うのも、吉野さんがデータを取りに来る位しかないけど、煙草の煙が苦手な人もいるって言うのはわかってるから、リビングや寝室では煙草を吸わない、それが俺の信条だった。
「坂崎君、坂入さんとは上手くやれそうかな?」
「……。悠介さん、ずっとあの頃のままなんですね、そこが変わってなくて安心って言うか、なんていうか……。悲しいとも思いますけど、悠介さんにとってはそれが当たり前なんですもんね……。上手くやって行けるか、はわからないですけど、頑張ってみたいです。ずっと憧れていた人と仕事が出来るんだから、頑張らないとですよ。」
「そうか、それは頑張らないといけないね。」
「はい!」
出版社のオフィスに戻りながら、浩介は悠介がずっと変わっていなかった事、について考えていた。
出会いは小学生の頃、浩介が施設に入ってすぐに、高校生で一年半程度お世話になる、という悠介が入ってきて、誰かと関わるでもなく、誰かと仲良くするでもなく、ずっと独りでいようとしていた悠介の事が気になって、悠介お兄ちゃん、と言ってずっと話しかけていた記憶が、浩介の中には色濃く残っていた。
あの頃、もう自分がそう言う属性の人間だ、小学生ながらにそれを自覚していた浩介にとっては、好きだった相手、と言い換えても良いのだろう、悠介の事を、誰かと重ねていたのか、それとも悠介自身が好きだったのか、それに関しては浩介自身わかっていない事だが、悠介の事を好いていた、それは事実だった。
同じ、交通事故で家族を失った身としても、浩介は両親と弟を、悠介は両親を、同じく交通事故で失ったもの同士としても、傷のなめ合いではないが、悠介を特別視していた、それは間違いではないだろう。
浩介は、弟の悠治を両親が病院に連れていく途中に交通事故にあった、悠介は、両親が悠介をおいて旅行に行く途中に交通事故にあった、それぞれ違いはあれど、同じ「交通事故がきっかけで、引き取り手もおらず施設に行った」という属性として、同じ人種だと浩介は認識していた、だからではないが、悠介を特別視して、悠介に憧れていた、それがかつての浩介の感情だった。
悠介に対する憧れ、と言うのは、悠介は浩介にとってはお兄さんであり、飄々として群れる理由がない、という顔をしていて、孤独だったとしても良い、という風に浩介には見えていた、それに憧れていたのだ。
施設の人間としては先輩だったが、年齢としては年下だった浩介が、同じ事故で家族を失った身であった悠介が、泣くでもなく打ちひしがれるでもなく、ただそこにあるだけだ、という態度を取っていた事、それが素敵だと浩介は感じていた。
結果として、悠介は孤独になれているのではなくて、孤独が当たり前で、人間関係を構築するのが壊滅的に苦手だから、孤独でいるしかなかった、という結論を得たのは、悠介が施設を出た直後だった覚えがある、と浩介は思い出す、しかし、それでも憧れはあった、当時から原稿用紙を買ってはそれに私小説を認めていた悠介、その文章に魅了されていた、という意味合いでは、出版社に言った言葉も嘘ではない、浩介は、悠介の書く文章に憧れていた。
「坂崎君、そこ左行った方が近いからね。」
「はい!」
車を運転しながら、浩介は少し考える、これからの事を、昔憧れと恋愛という感情を持っていた、そしてそれが現在でも心に残っている身として、悠介とどう接するべきか、と。
基本的には作家と編集者という前提があるだろうが、個人的にも仲良くなっていきたい、と。
「さて、次は何書くか……。」
作家になって十年、書き始めてから十五年、施設にいた頃は、パソコンを持ち込めないから、って言う理由で、原稿用紙に書いてたけど、その縛りがなくなってからは、ずっとパソコンで執筆をしてる。
って言っても、当時の文章って言うのは、別に作家になりたくて書いてたっていう訳でもなくて、ただ単に書きたいから書いてた、が正解だ、中学校を卒業する位から、小説っていうものに興味を持って、高校に入った頃に、今まで貯めてた金をつぎ込んでパソコンを買って、それを使って私小説を書いてた、って言うのが俺の遍歴だ。
それをリテイクしたのが売れた、って言うのが一つ、作家になろうと思った頃、昔書いた小説をセルフリテイクして、修正して修正して、原型が留まってるか留まってないか位まで書き直して、それを賞に応募して、それを二年間続けてたら、賞に受かって、それで作家として食っていく覚悟をした。
幸いな事に、両親は沢山の遺産を遺してた、別に俺の為に残したわけじゃなくて、って言うのはわかってたけど、でも相続人が俺しかいない以上、俺が相続するのが筋だろう、って思って、施設にいた頃からずっと、周りには金がある事を黙っておいて、高校卒業したのと同時に、当時実家だった土地の資産と、遺された遺産を使って、家を立て替えて独り暮らしを始めた、って言う経歴がある。
良い記憶も忌々しい記憶も残ってなかった、ただ実家として持っていた建物、だったんだけど、一年半住んでないだけで傷んでしまったって言うか、それなりに古い家だったし、まっさらにして建築し直す、それは間違った選択肢ではなかったんだと思う。
高校卒業、十八歳で施設を出て、そこからすぐに家を立て替えて、なんやかんや十年以上住んでるけど、今の家は気に入ってる、というよりは俺が住みやすい様に立て替えたんだから、当たり前か。
「ふー……。」
紅茶を飲みながら、残しておいたシュークリームを食べて、一息。
夕飯は寒いから鍋にしようか、今は午後六時だから、今から作って八時前には夕飯にありつけそうだ。
浩介君、覚えてる気がするって言うか、覚えてるって言うか、基本的に俺が人と関わる気がないって言うのを知ると、大概の人は離れて行って、それで関わらなくなって、って言うのが当たり前だったんだけど、浩介君は違った、俺と同室だったのもあって、俺が私小説を書いてるのを知ってから、それを読みたいってせがまれた記憶がある、その頃は、確か悠介お兄ちゃん、って言われてた様な、そうでもない様な。
縁があったのは事実、そこから十二年、俺が施設を出てから一度も顔を出してないって言うのもあるけど、よく覚えてたもんだ、って感心する、俺が他人の事を覚えているのが苦手で、って言うのを差し引いても、向こうが小学生の頃に一年半関わっただけのはずの相手、を覚えてるのは、あの子が記憶力が良いから、なのか、それとも俺の記憶力が壊滅的に悪いのか、はてさて。
「買い物行くか。」
夕飯の買い物に出ないと、そろそろ肉がセールで安くなる時間だ。
作家として食っていける程度には金はあるし、投資とかで貯金が無い訳でもないけど、でも、節約生活って言うか、節約できる所では節約する、が俺の癖だった。
上着を着て、玄関に出る、浩介君があそこの児童養護施設の出身だって言う事は、もしかしたら近くに住んでるのかも?なんて思いながら、俺は買い物に出かける。
「うーん……。」
「坂崎君、早速残業かい?」
「あ、違うんです、ちょっと読んでて、こういう風に作品って原型が出来るんだなーって、思ってた所です。」
午後六時半、浩介は、悠介から吉野に渡されていた原稿を読んでいた、浩介は速読な方で、三時間程度あれば小説を一冊読み切れる程度、ではあるのだが、初めてみる原稿、未完成の作品という事もあって、つぶさにそれを眺めていた。
もう終業時間は過ぎているのだが、基本的に編集者と言うのは残業が常だ、と吉野が言っていて、新人である浩介が残っていたとしても、誰も茶々をいれない、所かそれを推奨されているまである、と吉野が言っていた、浩介が入社して二週間、ある程度の事を教わっていた浩介は、残業に対しては否定的ではなかった。
むしろ、沢山の作品に触れたい、という願望があった浩介は、これを機に、色々な作家の担当編集として動ける様に、と速読のスピードを上げる特訓をしていた程度には、仕事に対する熱意が高かった。
悠介の原稿、ワードファイルを読みながら、熱心にこれを協議するのか、これをこれから自分達が手を貸して作品として仕上げていくのか、と、初めて触る原稿という物に感動をしていた。
「あんまり新人が根詰めすぎても駄目だよ?適度な所で帰りなさいね。」
「あ、はい!」
「それじゃ、私は次の下読みがあるから。お疲れ様。」
「お疲れ様です!」
浩介は、あまり残業をするな、という意見だと取った、水を差されたわけでは無いが、確かに新人で入って数週間の人間が、うろうろと残業をしていては、他の先達達が帰るに帰れないだろう、そう思い至った浩介は、荷物を纏めて会社を出る。
「ふー……。」
駅に着く前に、夕食を食べていきたい、このあたりの美味しい食事屋さんと言うのをリサーチしていた浩介は、そこに向かって歩いて行く。
雪が降った翌日、とっても積もらなかった今日、カラッとした冬の空、マフラーと上着を着ていないと寒い寒空の中、浩介はコンビニでホットの紅茶を買い、目的地に向かう。
目的地はイタリアン、浩介は悠介よりも施設にいた時間が長く、そして実家も裕福という訳ではなかった、だからではないが、こうして自分の金銭で食事に行く事、を趣味にしていた。
毎日外食、という訳にはいかない、週に一度か二度の外食ではあるが、そこに関して惜しまないというべきか、その店選びやそこに掛ける金銭を惜しまない、それが浩介のやり方だった。
「ふー……。」
寒空の下、悠介の原稿を久しぶりに見た、と思い出す、あの頃は、まだ悠介が原稿用紙に書いていて、それを知らない漢字を教えてもらいながら読んでいた、というのがせいぜいだったが、こうして未来の担当編集、にまでなった、と言うのは、浩介にとっては僥倖とも言える事だったのだろう、もしも個人的な関りがあると吉野に知られたら、担当にさせてもらえない可能性もあった、それを吉野は是としてくれた、そこに浩介は感謝していた。
「ここだ。」
今日の夕食のイタリアンは、一食三千円程度という触れ込みだった、浩介が同世代の中でも食欲がある方だ、とっても、三、四千円程度で済むだろう、という試算は立ててあった、その程度であれば、転職をしたてだったとしても払える、今までの仕事をしながら通信制の大学に通って、その支払いをして切り詰めて、という生活からしたら、贅沢が出来ると思っても良い方なのだろう。
浩介は混み始めているイタリアンの店に入って、何を食べようかとメニューをつぶさに眺めていた。




