第6話 チェックリストと、見つかった三冊
「チェックリストを作る」という、それだけの仕事。
しかし、それだけの仕事が、十年探されてきた一冊を見つけることがあります。
雇われて、六日目の朝だった。
朝陽は宿舎を出て、裏口へ歩く。
雑巾を絞り、第二書庫の机を拭く。
その日は、いつもより、早く手帳を開いた。
——チェックリスト草案(蔵書点検用)
昨日の余白に書きかけた一行を、新しいページに書き写す。
ペン先が紙の上で止まった。
——前職でも、点検作業は人によって精度がばらついていた。
——でも、チェックリストを作れば、誰がやっても同じ精度になる。
朝陽はゆっくりと、書き始めた。
——一、棚番号の確認
——二、登録番号と書名の照合
——三、背表紙の状態
——四、内部目録ページの有無
——五、紛失リストとの突合
書いてから、もう少し書き足す。
——六、誤配架の有無
——七、貸出記録の最終日
——八、虫食い・水損の確認
——九、上下巻の対応
——十、修繕履歴の確認
そこでペンを止めた。
——多すぎると、守られない。
朝陽は十項目を読み返した。
数えて、ちょうど十。
それで、止めた。
***
しばらくして、マルクスが第二魔導書庫に顔を見せた。
朝陽はお茶を淹れて運び、手帳を抱えたまま、机の脇に立っていた。
「あの、すみません」
「ご相談が、一つ」
マルクスは椅子の背もたれに体重を預けて、ため息をひとつ吐いた。
「言ってみろ」
「蔵書点検用の、チェックリストを、作りまして」
朝陽は手帳を開いて、マルクスの机に置いた。
マルクスは目を細めて、一覧をなぞる。
茶色のぼさぼさ髪が、湯気の向こうで揺れた。
「ふぅん」
「これを、使えってか?」
「いえ、私が使うだけです」
「点検作業を、一人でも、進められるようにと」
「お前一人でやるのか? 二千冊以上あるんだぞ」
「一日、百冊くらいなら、三週間で終わります」
マルクスは天井を一度、見上げた。
(……こいつ、本気か)
(いや、本気そうだな)
「まあ、いいだろう」
「やりたければ、やれ」
「ただし、無理するなよ」
マルクスは肩をすくめて、机の書類の山に視線を戻した。
朝陽は手帳を閉じて、頭を下げた。
「ありがとうございます」
***
点検、一日目。
朝陽は第一書庫から始めた。
棚の前に立ち、一冊ずつ手に取る。
手帳のチェックリストを上から順になぞっていく。
棚番号、登録番号、紛失リストとの突合。
淡々と、繰り返した。
午前で五十冊。
五十冊目を手に取ったとき、朝陽は手を止めた。
その本の登録番号は、紛失リストの中にあった。
朝陽は本を抱えて、マルクスの机へ歩いた。
「すみません」
「これ、紛失リストに、あるようなのですが」
マルクスはお茶のカップを置いて、本を受け取った。
表紙を見て、目を見開く。
「『初級魔導陣の解説』」
「五年前から、行方不明扱いだぞ」
「これ、見習い司書の、教本だ」
「なんで、第一書庫にあるんだ……」
「分類が、間違って入っていたようです」
朝陽は淡々と答えた。
マルクスは深いため息を吐いて、本を抱え直す。
「正規の場所に、戻しとく」
「ご苦労さん」
朝陽は頭を下げて、第一書庫へ戻った。
***
点検、二日目。
朝陽は第一書庫の残りを午前で終え、午後から第二書庫へ移った。
書架の中段。
埃の積もった奥に、革表紙の薄い一冊が斜めに挟まっていた。
朝陽は手袋をして、それを引き抜いた。
『中世王国魔導史 補遺巻』
紛失リストと照合する。
二十年前から、紛失扱い。
朝陽はマルクスの机へ運んだ。
「すみません、これも」
マルクスは本を受け取って、しばらく沈黙した。
「これ、五年前に、司書総括長が探してたやつだ」
「あ、では、お渡しすべきでしょうか」
「俺から、伝えとく」
「ありがとうございます」
朝陽は頭を下げて、第二書庫の続きに戻った。
マルクスは本を抱えたまま、廊下の方へ視線を投げた。
(……二冊目だ)
(二日で、二冊)
(こいつ、何なんだ)
マルクスはしばらく、机に戻らなかった。
***
点検、三日目。
朝陽は第三書庫に入った。
第三書庫は、館内で最も古い書庫だった。
天井が低く、棚の木が暗く湿っていた。
担当の老齢の司書が、奥の机で黙々と書類を扱っていた。
朝陽は会釈をして、棚の点検を始める。
最下段。
棚と棚の隙間に、何かが挟まっていた。
朝陽は屈み込んで、それを引き抜いた。
革の表紙はぼろぼろだった。
しかし、中身は無事だった。
書名を確認する。
『アシュフィールド魔導理論』
紛失リストにあった。
十年前から、紛失扱い。
朝陽は本を抱えて、奥の机へ歩いた。
「あの、この本」
「紛失扱いで、第三書庫の最下段に、挟まっていました」
老齢の司書が顔を上げた。
机に置かれた本を見て、息を呑む。
しわの寄った手が震えながら、本に伸びた。
「これ……」
「これは、私が、十年、探していた本だ」
「お役に立ててなにより——と、言いたいところですが」
「私はチェックリストに従って、点検しただけですので」
老司書はゆっくりと、朝陽の顔を見上げた。
「君、名前は?」
「森田です」
「雑用係 兼 見習い司書の」
***
老司書は本を両手で抱えていた。
しわだらけの指先が表紙の傷をなぞる。
目に涙が滲んでいた。
「これは……長く『失伝書』と呼ばれてきた、一冊だ」
「司書なら、誰もが、一度は探して、諦める本だ」
「私は、この本のために」
「十年、毎日、この書庫を、整理し続けてきた」
「だが、見つからなかった」
「諦めかけていた」
朝陽は立ったまま、両手を体の前で揃えていた。
——そうですか。
——お疲れさまです。
そう返そうとしたが、口には出なかった。
老司書がゆっくりと首を振った。
「君が」
「たった三日で」
朝陽は頭を下げる。
「いえ、チェックリストの効果です」
老司書は本を抱えたまま、何も言わなかった。
薄暗い天井のあたりを目で追っていた。
しばらく、沈黙が続いた。
それから、もう一度、首を振った。
「違うよ、若いの」
「チェックリストを作ったのは、君だ」
「君は、何かを変える人だな」
朝陽は——
言葉に詰まった。
「いえ、そんなことは」
「私は、ただ、項目を、書き出しただけで」
老司書は微かに笑った。
涙が一筋、頬を伝った。
第三書庫の入り口で、マルクスがその様子を見ていた。
(……また、誰かが、救われたな)
マルクスは何も言わず、踵を返して、廊下を戻っていった。
***
夕方。
朝陽は第二書庫の自分の机で、手帳を開いた。
業務日誌のページに書く。
——本日、特に何もできず
——点検、四十冊
——紛失本、一冊
——お茶、四杯
書き終えて、ペンを止める。
——点検三日目、紛失リスト三件、解消。
——チェックリスト効果あり、続行。
——明日も、点検を続けよう。
マルクスが朝陽の机の横を通った。
「お前さん、また誰かを泣かせたな」
朝陽は顔を上げた。
「えっ?」
「誰が、泣いていましたか?」
「私は、何もしていませんが」
マルクスは肩をすくめた。
何も言わずに、自分の机へ戻っていった。
第6話をお読みいただき、ありがとうございました。
チェックリストの十項目――前職で当たり前にやっていたことを、ただ書き出しただけ。それだけの行為が、紛失リストにあった三冊を浮上させ、十年探していた老司書を泣かせてしまう。
「君は、何かを変える人だな」――老司書のこの一言を、朝陽は「チェックリストの効果です」と返してしまいます。それでいいんです。それが本作の彼です。
次話は、マルクス視点で「最近、なんか仕事が楽なんだよな……」とつぶやかれる回です。本作の3視点乖離構造が、初めて読者に手触りとして届く回になればと思っています。
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