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気づいたら王国の知の頂点に立っていた件 〜元ブラック企業の俺、議事録を書いてただけなんですが〜  作者: タクミ


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4/12

第4話 これ、私宛じゃないですよね?

自分宛の表彰状を、行政の手違いだと思い込んだことのある方、いらっしゃいますか。

いない。普通、いないですよね。今回はそういう話です。

 翌朝。


 書庫の床に、朝の光が斜めに差し込んでいた。


 昨日、応接室で大臣の前に立っていた件は、朝陽の頭の中ではすでに『処理済み』の欄に格納されていた。


 朝陽は箒を動かす。


 遠くの廊下から、司書たちの会話が漏れ聞こえてきた。


「昨日のあれ、夢みたいだったな」


「文書管理大臣の閣下が、こんな所にお見えになるなんて」


「あの新人——まだ命名規則の整理を続けてるよ」


 朝陽は箒を握り直した。


 廊下の声は、朝陽の耳には届いていた。


 ただ、自分のことを言われているという結びつけが、頭の中では起きていなかった。


——昨日の件は、たぶん、一段落したのだろう。


——あとは粛々と、続けよう。


 手帳の課題リストを頭の中でなぞる。


 残り、千八百冊。


 一日二百冊で、九日。


 雑用係の合間でやるなら、もう少しかかる。


 朝陽は雑用係の朝の業務に戻った。


 お茶を淹れ、書類を運び、また床を掃く。


***


 午前。


 王立図書館の正面玄関に、王宮の伝令が一人、訪れた。


 胸に紋章のある若い男だった。


 革張りの書状箱を抱えていた。


「文書管理大臣府より、感謝状をお届けに上がりました」


 受付の司書が、ぴたりと固まった。


 しばらく、何も言葉を返さなかった。


 それから、廊下を小走りで駆けてきた。


 マルクスは机の上の書類を半分ほど整理し終えたところだった。


「ヘルダーさん、王宮から、書状が」


「……書状?」


 マルクスは顔を上げた。


 受付の司書の手の中に、革張りの書状箱があった。


「宛名が、その、ですね」


 司書は書状箱をマルクスの前に置いた。


 箱の上に、宛名の紙片が貼られていた。


 マルクスは目で文字を追って——


 ……動きを止めた。


——『王立図書館 雑用係 森田朝陽 殿』


 (……雑用係宛の王宮感謝状?)


 (王国史上、聞いたことがあるか? こんなもの)


***


 マルクスは廊下の奥にいる朝陽を、自分の足で呼びに来た。


「森田。王宮から感謝状だ」


「あ、はい。すぐ館長にお渡ししてきます」


「いや」


 マルクスは深いため息を、ひとつ吐いた。


「お前宛だ」


「……はい?」


 朝陽は箒を持ったまま、廊下に立っていた。


 マルクスが書状箱を差し出す。


 封蝋に、王宮の紋章。


 中身は、白い羊皮紙だった。


 朝陽は宛名を見た。


——『王立図書館 雑用係 森田朝陽 殿』


「あの、すみません」


 朝陽は宛名をもう一度、目で追った。


「これ、私宛じゃ、ないですよね?」


「お前以外に誰がいるんだよ」


 マルクスの声が、わずかに上ずった。


「王立図書館の雑用係なんて、お前だけだ」


「ですが、王宮の方々は、私の名前を、ご存じないはずでして」


「昨日、自分で名乗っただろうが! 大臣の前で!」


「あ」


 朝陽は数秒、思い出すような顔をした。


「言われてみれば」


——だが、雑用係の名前を、わざわざ書状箱の宛名にされるとは。


——これは何かの行政的な手続きの間違いではないか。


——後で、正式に問い合わせをしておこう。


 朝陽は頭の中の優先度Cの欄に、新しい一行を書き足した。


***


 マルクスは両手で頭を抱えていた。


 (こいつ、何だ)


 (魔法も使えない)


 (剣も振れない)


 (特技なし)


 (なのに、文書管理大臣府が、わざわざ正式な感謝状を、雑用係宛に出す)


 (『すごい人すぎて評価される』のではなく)


 (『普通すぎて評価されている』のか?)


 (……これ、政治的に何か意味があるのか?)


 マルクスは天井を、しばらく見上げた。


「森田。お前さん」


「はい」


「これは、喜ぶところだぞ?」


「はあ」


「ふつう、雑用係に大臣府の感謝状なんて来ない」


「いえ、ですが」


 朝陽は宛名から目を上げる。


「誰でもできることをしただけ、ですので」


 マルクスの背筋に、寒気が走った。


「……お前」


「はい」


「見つけたのは、百年前の極秘実験記録だぞ」


「命名規則を統一していたら、たまたま」


 (……『たまたま』じゃ、ないんだよ)


 (お前さんの業務手順そのものが、あれを浮上させたんだよ)


 (百年、誰も気づかなかったものを)


 マルクスは口を開きかけて——


 やめた。


 代わりに、肩をすくめて、机の書類の山に視線を戻した。


***


 館長室。


 机の上で、ベルナルドはゆっくりと書類を見ていた。


 文書管理大臣府からの感謝状の写しだった。


 左下に、王宮の紋章。


——やはり、こうなりますか。


 ベルナルドは口の中で低く、つぶやいた。


——大臣府は、彼を取り込みたいのか。


——あるいは、ただ、最低限の礼を尽くしたつもりか。


 どちらにせよ。


 彼に政治を持ち込んでも、おそらくは、振り切るだろう。


——気づかないまま、振り切る。


——三十年前の、あの男のように。


 暖炉の中で、薪が一本、ぱちんとはぜた。


 扉が、控えめに叩かれた。


「館長」


 マルクスの声だった。


「お入りなさい」


 マルクスが入ってきた。


 書類を一枚、机の脇に置く。


「あの、館長」


「うむ」


「森田は、感謝状を、その」


「ふむ」


「……『行政的な間違い』だと、思っているようでして」


 ベルナルドは口をゆっくりと開いた。


——ふっ。


 短い笑い声だった。


 マルクスが目を見開いた。


「マルクス君」


「は、はい」


「これ以上、説明しなくて結構です」


「……はあ」


「彼は、彼のままで、よろしい」


 マルクスは何かを言いかけて、やめた。


 肩をすくめて、館長室を出ていった。


***


 朝陽は第二書庫の作業机で、感謝状を広げていた。


 宛名の文字を、もう一度、目で追う。


 森田朝陽 殿。


 前職では、自分宛の正式な書状を、一度も受け取ったことがなかった。


 それがたぶん、慣れていないことの正体だろう。


 手は止まらなかった。


 朝陽は感謝状を丁寧に折りたたんだ。


 手帳を取り出して、最終ページを開く。


 そこに、新しい一行を書く。


——もらった書類:一件(大臣府感謝状)。後で館長にご相談する必要あり。優先度C。


 優先度はC。


 館長にご相談すれば済む話だ。


 書き終えて、感謝状をその手帳の最終ページに、丁寧に挟んだ。


 手帳を閉じる。


 朝陽は雑用係の業務に戻った。


 書庫の床を掃き、書架の埃を払い、本を運ぶ。


——やるべき課題は、まだ百以上ある。


——ひとつずつ、片付けよう。


***


 その日の夕方。


 朝陽は作業机で、手帳をもう一度開いた。


 今日のページに、進捗を書き込む。


——本日の進捗:命名規則統一、十五冊。残り、千八百冊。


——明日の予定:朝、第三書庫の点検。午後、第二書庫の続き。


 朝陽はペンを置いた。


 窓の外で、夕日が書架の背表紙を金色に染めていた。


 手帳を閉じる。


——明日も、課題をひとつずつ、片付けよう。


 第二書庫に、夕方の薄い影がゆっくりと伸びていった。


第4話をお読みいただき、ありがとうございました。


王宮の文書管理大臣府から、わざわざ正式な感謝状。それを受け取った朝陽の反応は――「これ、私宛じゃ、ないですよね?」。


本作は「読者だけが朝陽の偉業に気づいている」という共犯構造で成り立っています。マルクスは気づきました。館長は最初から知っていました。読者の皆さまも、もちろん気づいています。


ですが、本人だけが気づかない。気づかないまま、優先度Cの一行として手帳の最終ページに記録される。

この乖離を、楽しんでいただけますと幸いです。


次話は、朝陽の「何もない一日」を淡々と描く回です。連載5回目の小休止。ですが、朝陽が次の章でやらかすチェックリストの種が、ここで蒔かれます。

★評価・ブックマーク・感想、引き続きよろしくお願いいたします。

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