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気づいたら王国の知の頂点に立っていた件 〜元ブラック企業の俺、議事録を書いてただけなんですが〜  作者: タクミ


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2/12

第2話 すみません、と何度か言ったら、館長に拾われた

知らない街に放り出されて、最初にやることは何でしょう。

朝陽の答えは「道を聞く」でした。前職で覚えた、新しい現場での挨拶と同じ要領で。

 二つの月がいつのまにか薄くなっていた。


 夜が明けかけている。


 路地に人の往来が戻り始めていた。


 最初の三人は振り返りもしなかった。


 四人目でようやく足が止まった。


 いや、止まったというより、止めさせてしまった、という方が近い。


 商人らしき男が面倒くさそうに振り返る。


「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」


「……は?」


 男は俺の頭から足の先まで一度目を走らせた。


 俺の服。スーツ。靴。


 石畳の路地に明らかに合っていない。


 男は何も言わず、首を振って足を速めた。


「あ、すみません。お時間取らせてしまって」


 遠ざかる背中に俺は頭を下げる。


 これで四人目だ。


 ポケットの中の手帳とペンだけが俺の持ち物だった。財布も、社員証も、定期も、ない。


 手帳の表紙の角を指でなぞる。


——議事録用の手帳とペンだけは女神様が残してくださったらしい。


 ありがたい話だ、と思った。


 空には二つの月。


 ロイデン王国。


 その固有名詞だけはしっかりと頭に残っている。


「すみません」


 もう一度声を張ってみる。


 今度は女性。朝市に向かう途中らしく空の籠を抱えている。


「すみません、道を聞きたいんですが」


 女性は俺を見て、籠を抱え直し足早に去っていった。


 五人目。


 俺はもう一度頭を下げる。


 遠くで誰かが俺を指さして何かを言っていた。


「不審者がいるぞ」


 その単語だけは、なぜかはっきりと頭の中で日本語に組み替わって聞こえた。


 他の言葉はそうではなかった。


 聞いたことのない単語が半分。残り半分はなぜか意味だけが頭に届く。


 女神様の手配なのか、魂の循環の副作用なのか。


 考えても分からない。


 たぶん慣れていけば何とかなる。


***


 衛兵は二人だった。


 胸当てに紋章。腰に長剣。鋭い目つきの方が若い。眠そうな目つきの方が年配。


「お前、どこの所属だ」


 若い方が俺の前に立ちふさがった。


「すみません。所属はありません」


 若い方の眉が跳ねる。


「は?」


「今日、こちらの世界に来たもので」


 二人の衛兵が顔を見合わせた。


 年配の方がため息をひとつついて、俺を上から下まで見る。


 俺は深呼吸をして、できるだけ簡潔に状況を説明した。


 日本という国にいた。過労で死んだ。女神シルヴェリアという方に会った。ロイデン王国に送られた。


 一文一文、なるべく短く。


 前職で新しい現場に異動した時に最初の挨拶でやっていたのと同じ要領で。


 話し終わると、若い方が何かを言いたそうに口を開けた。


 年配の方がそれを手で制した。


「……酔っ払いか、頭がおかしいか、本当の話か」


 年配の衛兵は自分に言い聞かせるように呟いた。


「とりあえず、詰所まで来てもらおう」


「分かりました。お手数をおかけします」


 俺は頭を下げてついていく。


 年配の衛兵が振り返らずに言った。


「お前、変な奴だな」


「すみません」


「謝るとこじゃない」


***


 詰所の机の上に手帳とペンを並べる。


 他には何もない。


 年配の衛兵は奥の部屋に書類を取りに行ったらしかった。


 しばらく誰も戻ってこなかった。


 俺は椅子の縁を指で軽く叩く。


 戻ってきた若い衛兵が、念のため、と言って俺の手帳をぱらりとめくった。


 ぱさり、と何かが床に落ちる。


 古めかしい紙。


 銀色のインク。


 年配の衛兵がそれを拾い、灯りにかざした。


 わずかに眉が動いた。


「持参者を王立図書館・ベルナルド館長宛に届けるべし」


 声が低くなる。


「——女神シルヴェリア」


 詰所の空気がひと拍止まった。


 若い衛兵が俺を見た。


 年配の衛兵は紙を見たまましばらく動かなかった。


 それから紙を丁寧に折って俺に差し出した。


「……行こう」


 敬礼はなかった。


 ただ、声の温度が一段だけ変わっていた。


「あ、女神様、お手配ありがとうございます」


 俺は紙を受け取って、誰にともなく頭を下げる。


 若い衛兵が何かを言いかけてやめた。


***


 王立図書館は、想像していたよりずっと大きな建物だった。


 石造りの正面玄関。柱が四本。彫刻のあとが、いくつか欠けている。


 看板は煤で汚れて文字が半分読めなかった。


 応接室に通される。


 暖炉が低く燃えていた。


 その前の革張りの椅子に一人の老人が座っていた。


 目が合った。


 白い髭。しわだらけの手。


 年齢は七十をいくつか過ぎたぐらいに見えた。


「ベルナルド・カインツです。当館の館長を務めております」


 声は思っていたより低くてゆっくりだった。


 俺は頭を下げる。


「森田朝陽です。ご面倒をおかけします」


 ベルナルド館長は、衛兵から受け取った紹介状をゆっくりと開いた。


 左手の中指に古びた銀の指輪がはまっていた。


 しばらく黙って文字を追っている。


 それから紙を机の上に置いた。


「女神様の紹介状ですな」


「はい」


「本物のようです」


 館長は俺を見た。


 目は、優しいというより、よく見ている、という感じの目だった。


「あなたは、何ができますか?」


 単刀直入だった。


 俺は少し考えた。


 剣は振れない。馬にも乗れない。魔法は、たぶん論外だろう。


 商売の知識もない。職人の技もない。


 ある、と言えるものをできるだけ正直に並べた。


「えっと……強いて言えば、人の話を最後まで聞けます」


「ほう」


「あと、議事録を取れます」


 ベルナルド館長は何も言わなかった。


 暖炉の薪が、ぱちん、とはぜた。


 館長の右手がゆっくりと左手の中指の指輪に触れた。


 触れてすぐ離した。


 俺はその指輪をちらりと見た。


 古い銀の指輪だった。


 俺は黙って待っていた。


 返事を急かしてはいけない


 ——それが前職で覚えたことの中で、たぶん一番役に立っていた。


「結構です」


 ようやく館長が口を開いた。


「雑用係として雇いましょう。給料は出します。住まいも用意します」


「ありがとうございます。精一杯務めさせていただきます」


 俺はもう一度頭を下げる。


 顔を上げると、館長はもう書類の方を見ていた。


***


 応接室を出ると、館長が自ら館内を案内してくれた。


 第一書庫の扉が開く。


 本が床に積み上がっていた。


 棚の半分が傾いている。中身がこぼれそうになっている棚もある。


 次は第二魔導書庫。


 古文書が無造作に棚の上に重ねられていた。


 埃が窓から差し込む光の中で舞っていた。


 司書らしき男が二人、すれ違う。


 お互いに目も合わせない。会釈もない。


 索引室、と書かれた札の下で若い見習いが必死に何かをめくっていた。


 札の脇に補足の紙が貼られていた。


——『最新版 三十年前』


 俺は思わずその紙を二度見た。


「お分かりかな」


 ベルナルド館長は廊下の奥を見ていた。


「ここは『知の宝庫』と呼ばれています」


「実態はご覧の通りです」


 俺は館長の横顔を見る。


 怒っているのでも、嘆いているのでもない。


 ただ、長く見続けてきた人の顔だった。


「なるほど」


 俺は手帳とペンを取り出した。


 書いた。


——課題リスト ver.1


 一行目にそう書く。


 第一書庫の床に本が積み上がっていたこと。


 棚が傾いていたこと。


 第二魔導書庫の埃。


 司書同士の無言。


 索引が三十年更新されていないこと。


 それから——もうひとつ。


 歩きながら棚の表記をちらちらと見ていて気づいたことがある。


 登録番号の書式が棚ごとに揃っていない。


 頭文字のつけ方も桁数もばらばらだった。


 俺は十二項目目にそれを書き足す。


——登録番号の体系、棚ごとに不統一(要・命名規則統一)


 ペンを止める。


 顔を上げると、館長はまだ廊下の奥を見ていた。


「明日から君は雑用係です」


 館長の声が低く響く。


「具体的な仕事は追って指示します」


「分かりました。よろしくお願いします」


 俺は頭を下げる。


 手帳を閉じる。


——とりあえず、現状把握から始めよう。


 前職でも新しい現場では必ずそうしていた。


 今日書いた十二行は、たぶんこの世界で俺が初めて取った——議事録のようなものだった。


第2話をお読みいただき、ありがとうございました。


異世界に放り出された朝陽が、最初にすがったのは「議事録用の手帳とペン」と、

前職で身につけた「最初の挨拶」の作法でした。

ベルナルド館長に「あなたは、何ができますか」と問われ、彼が並べたのは――「人の話を最後まで聞けます」「議事録を取れます」。たったそれだけです。


ですが、このたった二行が、これから王立図書館で起こることの、すべての出発点になります。


次話、朝陽は雑用係として書庫に入り、二千冊の本に向き合います。

なお、3話は通常より少し長め(約4,000字)の山場回です。


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