表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気づいたら王国の知の頂点に立っていた件 〜元ブラック企業の俺、議事録を書いてただけなんですが〜  作者: タクミ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/12

第1話 死んだ社畜と、特別な力をくれない女神

「お前は普通だな」と、今までに何回言われてきましたか。


その一言にうっすら傷ついた経験のある方へ――本作をお届けします。

戦闘なし、魔法なし、議事録あり。ある社畜の異世界転移譚です。

「あなたに特別な力は差し上げません」


 最初に聞こえたのは女の声だった。


 俺は目を開ける。


 真っ白な空間。床も天井も壁もない。重力だけが、ある。


 正面に女がいた。


 整いすぎている。人形みたいな顔。冷たい目。


 ああ、これは神とか、そういう類いだな。


 そう思う。


「あなた、特別じゃないでしょう?」


 女神はもう一度、同じ声で言った。


 俺は自分の胸に手を当てた。


 動いている。


 死んだはずなのに。


——死んだ?


 意識が一瞬、過去に飛んだ。


***


 深夜二時の会議室。


 俺は、明日の役員報告に使う議事録を打ち込んでいた。


 蛍光灯が、ジジ、と鳴る。


 視界がにじむ。


 心臓のリズムがおかしい。


 それでも手は止まらない。


 この議事録だけ書き終わったら休もう。


 いつもそう言って休めなかったけれど。


 親には、三年連絡していない。


 友達と呼べる相手は、たぶん、誰もいない。


 同じ部署の同僚でさえ、俺の名前を正しく覚えている人間は半分くらいだろう。


——思えば。


 誰の人生にも、俺は登場しなかった。


 キーボードを打つ音がふっと遠ざかった。


***


——ああ、そうだ。


 俺は、死んだのか。


 視界が白い空間に戻る。


 女神がじっと俺を見ていた。


「お気づきですか。あなたは過労によりお亡くなりになりました」


「あ、はい。お手数をおかけします」


 女神の眉がわずかにひそめられた。


「あなたには、異世界『ロイデン王国』に移っていただきます。魂の循環の都合で、今回ばかりは私の采配では避けられません」


「なるほど、了解しました」


 業務指示を受けているような気分で俺は答える。


 女神は何かを確かめるようにこちらを見ている。


「通常、転生者には特別な力をお授けします。例えば、剣聖になれる才能。神級の魔法適性。あるいは、賢者の知識……」


 俺は期待せず聞いていた。


「ですが」


 女神の声から温度が抜けた。


「あなたには差し上げません」


***


「あなたに特別な力は差し上げません」


「だってあなた特別じゃないでしょう?」


 白い空間が少しだけ深くなったように感じた。


 反論が湧いてこなかった。


 怒り、悲しみ、悔しさ。普通なら出てくるはずのものが、何ひとつ出てこない。


 ああ、そうだ。


 俺はたぶん、ずっと前からそう言われ続ける側の人間だったのだ。


 死んだはずなのに心臓が動いている。


 なんでだろう。


 それでも、女神の言葉はちゃんと聞こえていた。


「あなたの記録を見ました。三十二年間、何ひとつ突出した記録がありません」


「学校では平均。職場では中の下」


「特技なし。趣味なし」


「あなたは本当に、ただの——『その他大勢』なんです」


 知っている。


 それは俺が一番よく知っていることだ。


***


 俺は女神の言葉を頭の中で数秒反芻した。


 それから——静かに頭を下げた。


「分かりました。普通でいいです」


「……は?」


 女神が初めて人間らしい声を出した。


「ありがとうございます」と俺は静かに続ける。「私のような者に、貴重なお時間をいただきまして」


「普通の人として普通に生きさせていただきます」


「あなたは——悔しくないんですか?」


 女神の声から温度がさらに抜けた。


 俺の答えを理解したいのではなく、分類しきれないものとして観察している。そういう声だった。


「他の転生者は皆、嘆願したり激怒したりしましたよ」


「『なぜ自分だけ』『せめて剣の才能を』『せめて魔法の適性を』」


「私の知る限り、あなたのようにただ受け入れて頭を下げた人は、誰もいません」


 俺はほんの少しだけ、笑った。


 たぶん、女神には見えなかっただろう。


「三十二年間、言われ続けてきたので。『お前は普通だな』と」


「慣れてます」


「……」


「それに、特別じゃないというのは事実ですから」


「事実に文句を言っても仕方ないですし」


 白い空間に沈黙が流れた。


「ただ——一つだけ、お願いがあります」


「……なんでしょう」


 俺は頭を上げて女神の目を見た。


「向こうで、議事録を取らせていただける仕事があれば紹介してもらえると、助かります」


 女神が絶句する音が聞こえた気がした。


***


 数秒、女神は俺を見つめていた。


 何かを言いかけてやめる。


「……分かりました」


 女神はやがてそう言った。


「あなたのご希望は、特別な力ではなく『普通の仕事』ですね」


「ご希望に添える場所をご用意します」


「ありがとうございます」


 俺はもう一度頭を下げる。


 視界が再び白く溶けていく。


 最後に見えた女神の顔は——


 よく、分からなかった。


 ただ、最初に向けられたときよりは、ほんのわずか、人間に近づいていたようにも見えた。


***


 視界が定まる。


 石畳の路地裏。


 空には、見たことのない二つの月。


 冷たい、夜の空気。


 遠くから、人の話し声と馬の蹄の音が聞こえる。


 俺は、ゆっくり自分の体を確かめる。


 手も足もある。動く。


 生前と同じ服のまま。靴も同じ。


 ポケットには何も入っていなかった。財布も、社員証も、定期も、消えている。当たり前、と言えば当たり前だ。


 心臓はまだ、動いていた。


——ロイデン王国。


 女神はそう言っていた。


 その地名が、目の前のこの石畳と二つの月と結びつくのにはしばらくかかった。


 知らない場所に放り出された、と考えるから頭が止まる。


 知らない部署に異動した、と考え直すと少しだけ気が楽になった。


 最初の出社日。最初の打ち合わせ。最初の挨拶。


 そういうものは、何度もやってきた。


 女神は「ご希望に添える場所をご用意します」と言った。


 信じすぎず、疑いすぎず。いつも職場でやってきた配分と同じだ。


 俺はゆっくり、立ち上がった。


 路地の向こうから、男が二人肩を並べて歩いてくる。


 深い色のマント。腰に金属の鞘。すれ違いざまに、香辛料の混じった嗅いだことのない匂い。


 二人の男は、こちらをちらりと見て何かを言い合った。聞いたことのない単語が、二つ、三つ、混じる。


 でも、語気と目線で、何を言っているかはなんとなく分かった。


——「酔っ払いか」「迷子だろう、知らんが」


 その雑な扱いの感触が逆にありがたかった。


 ここは、本物の誰かが誰かを面倒くさがっている、生きた街だ。


 俺は深呼吸をひとつ。


 声をかけるのは苦手だ。それでも議事録を取らせてもらう仕事にたどり着くには、まず道を聞かなければならない。


——とりあえず、状況を聞かせていただこう。


「すみません」


 声を張ってみる。


 久しぶりに、自分の声をしっかり出した気がした。


第1話をお読みいただき、ありがとうございました。


特別な力を授けないと告げる女神に、「分かりました。普通でいいです」と頭を下げる――そんな主人公・森田朝陽の物語が、ここから始まります。


多くの異世界転移ものでは、ここで剣聖の才能や神級魔法が授けられるところですが、

本作の主人公はそのどれも持ちません。最後まで、持ちません。

代わりに彼が手にしているのは、議事録用の手帳とペン一本だけ。


次話は、王都に放り出された朝陽が、王立図書館にたどり着く話です。明日同じ時間に更新します。

★評価・ブックマーク・感想で応援していただけますと、明日もペンが進みます。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ