表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気づいたら王国の知の頂点に立っていた件 〜元ブラック企業の俺、議事録を書いてただけなんですが〜  作者: タクミ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

第11話 正規司書、お断りしようとしたんですが

昇進の打診を、本気で「行政上のミスでは」と疑ったことはありますか。

朝陽はあります。今日です。


 雇われて、十七日目の朝だった。


 朝陽は雑巾を絞り、第二書庫の机を順に拭いていく。


 桶の水は、もう冷たくない。


 窓の外は白い光で満ちていた。


 昨日よりも、また少し明るい。


 お茶を淹れて、司書たちの机にカップを置いていく。


「森田さん、お茶お願い」


「森田、これ運んでくれ」


 頼まれごとが自然に飛んでくる。


 朝陽ははい、はい、と順に返事をしていく。


 書架の前に立ち、手帳を開いた。


 昨日の続き、命名規則統一。


——今日も、課題を一つずつ。


 マルクスが机の上で頬杖をつき、カップに口をつけた。


「ふぅ……最近、本当に楽だわ」


 ぽつり、と独り言のように呟く。


***


 午前の半ばだった。


 廊下から館長秘書の伝令が顔を出した。


「森田さん。館長がお呼びです」


「あ、はい」


 朝陽は雑巾を置いて頭を下げた。


 マルクスがぽかんと顔を上げた。


「お前さん……最近、呼ばれすぎだろ」


「すみません。何か粗相をしてしまったかもしれません」


 朝陽は手帳とペンを持ち、廊下へ出た。


——昨日も、お呼びがあった。


——おとといも、お呼びがあった。


——今日も、お呼びとは。


——昔話の続き、だろうか。


——それとも、また、何か。


 朝陽は廊下の角を曲がる。


 胃のあたりがひんやりとした。


***


「お入りなさい」


 朝陽は深々と頭を下げて入室した。


 ベルナルドの執務机の上に、書類の束が一つ置かれていた。


「お座りなさい」


 昨日と同じ椅子だった。


「失礼いたします」


「本日は、業務指示が一つあります」


 ベルナルドの声はいつもの低くゆっくりとした調子だった。


「はい、何でも仰ってください」


 朝陽はペンを構えた。


 ベルナルドは机の上の書類に、しわの寄った指で軽く触れた。


「あなたを『雑用係 兼 見習い司書』から、第二魔導書庫の正規の司書見習いに登用いたします」


 朝陽の手が止まった。


「……はい?」


「給料は五割増し。住居は職員寮の中棟へ移ってもらう」


「第二魔導書庫の正式な所属となります」


 ベルナルドはゆっくりと言葉を切った。


 朝陽はペンを持った手のまま固まっていた。


***


「あの、すみません」


 朝陽はペンを置いた。


 手帳を膝の上で両手で包んだ。


「それは……私のような者には、とても」


「私には、魔法も、学識も、ありません」


「正規の枠に入れていただきましても、皆様のご迷惑になるかと」


「雑用係のままで十分です」


 朝陽は深々と頭を下げる。


 頭を下げたまま顔を上げない。


「申し訳ありません。せっかくのご提案、ですが」


 ベルナルドは口を開いた。


「あなたは……」


 ベルナルドの言葉がわずかに途切れた。


 ベルナルドは息をひとつついた。


 朝陽は頭を下げたまま考えている。


——館長のご厚意を無下にするのは心苦しい。


——だが、雑用係でも図書館に貢献できるなら。


——それで十分なはずだ。


***


 ベルナルドは深く息を吐いた。


「これは、決定事項です」


「は……?」


「書類はすでに整えてあります」


「ヴィルヘルム総括長を通して、王宮へ上げる手筈になっています」


「あなたが断っても、もう変更できません」


「えっ……」


「拝命していただけますかな」


 朝陽は数秒、黙った。


 頭の中で業務指示として整理し直す。


——指示は決定事項。


——変更不可。


——拝命するほかはない。


「あ、はい」


「すみません、ご面倒をおかけしまして」


「ありがたく拝命させていただきます」


 朝陽は深々と頭を下げた。


***


 朝陽が館長室を出る。


 扉が、ぱたん、と閉まった。


 廊下の角に、マルクスが立っていた。


「どうだった」


「あの、正規の司書見習いに登用されました」


 マルクスのカップを持つ手が止まった。


「……は?」


「ヴィルヘルム総括長から王宮へ、書類が上がる手筈だそうです」


「館長権限で決まっていることらしくて」


 マルクスは天井をぼんやりと見上げた。


 (……こいつ、本気で『なんで自分が』って顔してる)


「いや、お前さん」


「これは、喜ぶところ、だぞ?」


「いえ」


 朝陽は首を振った。


「館長代理が体調を崩されたか、何かで」


「人手が足りないのだと思います」


「一時的なものでしょう」


 (……いやお前)


 (館長は『決定事項』と、はっきり言ったんだろうが)


 (『代理が体調崩した』なんて、一言も)


 マルクスは深いため息を吐いた。


「まあ、いいや」


「とりあえず、おめでとう」


「ありがとうございます」


 朝陽は深々と頭を下げる。


 顔は本気で困惑していた。


***


 場面が変わる。


 王立図書館の上階、奥まった執務室。


 窓辺の机に痩身の男が座っていた。


 銀混じりの黒髪を後ろで束ね、灰色の鋭い目を書類に落としている。


 ヴィルヘルム・ヘンドリック。


 司書総括長。


 机の上にベルナルド館長から回ってきた登用書類が一枚。


 ヴィルヘルムは書類の文面を静かに読んだ。


 (——森田朝陽。雑用係から、正規の司書見習いへの登用。)


 (——王立図書館史上、前例のない人事である。)


 (——文書管理大臣府は、我々の人事介入と取らぬよう動くであろう。)


 (——宮廷魔導師団派は、おそらく、笑うであろう。)


 (——エディス王女側は——読めぬ。)


 ヴィルヘルムは印を書類の右下に押した。


 粛々と、迷いなく。


 (——私は政治的な解釈をしない。)


 (——閣下の決定を行政的に執行するのみ。)


 ヴィルヘルムは印を置く。


 机の引き出しから自分の手帳を取り出した。


 ペンを走らせる。


——森田朝陽:正規司書(見習い)に登用。


 短い一行だった。


 (——だが、あの男は、観察を続けねばなるまい。)


***


 文書管理大臣府の応接室。


 書類の写しはすでに大臣の手元にあった。


 脇に控える秘書官が静かに頭を下げた。


「閣下のご指示通り、『ベルナルド独断』として伝わるよう、手は打っております」


「そうだ」


 大臣は書類を軽く指で叩いた。


「引き続き、観察せよ」


***


 宮廷魔導師団の詰所。


 ロドリゲスは窓辺に立ち、王立図書館の方角を見ていた。


 報せはすでに耳に入っていた。


「魔法も使えぬ者を、司書、か」


 口元がわずかに歪む。


 (……ベルナルドめ、何を、考えている)


「ベルナルドも、耄碌したものだ」


***


 王宮、エディス王女の私室。


 女官が扉の外で静かに頭を下げた。


「殿下。森田朝陽が、正規の司書見習いに登用されたとの報せが」


 扉の向こうから王女の声だけが返ってくる。


「興味深いですわね」


「次の図書館訪問が楽しみになりましたわ」


***


 夜。


 まだ古い宿舎の机の上。


 朝陽は蝋燭の前で手帳を開いた。


 今日のページにペンを置く。


——本日、特に何もできず


——机拭き、八卓


——お茶、四杯


——命名規則統一、十三冊


——もらった書類:一件


——見習い司書に、昇格


——雑用係の業務:継続


——明日の予定:命名規則統一、続き


 書き終えてペンを止める。


——肩書きが変わっただけで、やることは変わらない。


——それで十分だ。


 朝陽は手帳を閉じた。


 蝋燭の火がふっと消える。


第11話をお読みいただき、ありがとうございました。


雑用係から、正規の司書見習いへ。給料は五割増。住居は職員寮の中棟。王立図書館史上、前例のない人事です。


ですが、朝陽は「館長代理が体調を崩されたか、何かで」「一時的なものでしょう」と本気で受け止めてしまう。マスター文書の「凡人自認装置」十箇条のうち、四番目(昇進打診を断るが上司権限で就任させられる)と九番目(『代理が体調崩したから一時的に』と思い込む)が、今回まとめて発動しています。


司書総括長のヴィルヘルム・ヘンドリック殿が初登場しました。各派閥の動きが、ここから少しずつ表に出てきます。


次話、朝陽は新たに着任する第二魔導書庫主任のために、二百ページの「業務引き継ぎ書」を作り始めます。本人にとっては、ただの引き継ぎです。

★評価・ブックマーク・感想、引き続きよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ