15.あなたが笑ってくれるだけで
華燭に照らされたオリヴィエ邸の食堂にて。
フェルシアは銀のカトラリーを手にライナスと夕食を囲んでいた。
ステラは所用にて不在で、二人での静かな食卓は先月に戻ったよう。しかし。
(…何かあったのかしら?いつもならもっと話をしてくださるのに…)
先ほど帰宅してから、ライナスは妙に口数が少ない。
配膳が始まればいよいよ会話もなくなったので、試しにフェルシアも話しかけてみた。
だが結局は二、三言のやりとりで終わり、彼女が、もうやめておこう。彼にも色々あるはずだ、と諦め、目を伏せた時。
向かいで口を開く気配がした。
「…フェルシア。少し話があるんだ。この後時間をいいだろうか?」
「はい。もちろんです」
フェルシアが頷けば、返事を確かめたライナスは食事を再開する。
夜の約束は珍しくて、彼に遅れまいと、フェルシアは残りを食べるのについ急いだ。
* * * * * * *
「実は先日、テュリエールから和平の提案があった」
食後に移動したティールームで、ライナスから告げられた内容にフェルシアは息を飲んだ。
夕食時からの慎重な態度にも納得である。まさかこんなに大きな話だとは思わなかった。
北の大国、テュリエール。好戦的で有名かつ、長年ロドグリッドと睨み合ってきたあの国が、突然の翻意とはどうしたことか。
「それは…大変なことです。ですが実現すれば我が国にとっても利となりましょう」
過去数回、ロドグリッドからも和平を打診したことを念頭に、フェルシアはそう返した。
「ああ。詳細な対応についてはこれから協議する。それでなんだが…」
テーブルの上に置かれた紅茶に、揺らめく灯りと緊張したフェルシアの顔が映る。
一体なぜ、それほど重要なことをフェルシアに説明したのか。
「交流のための使節も検討されている。その際…使節団の一員として君も候補にあがっているんだ」
瞬間、彼女は強い疑問を感じる。
それでもまずは話を聞くべきかと、いっそう居住まいを正した。
「あちらの王が、…特に王太子殿下がぜひ君に会ってみたいと仰っているらしい」
だが、聞くほどにわからなくなる。フェルシアはあちらの王族と面識も、呼ばれる覚えもない。
疑問ばかりで目を瞬かせれば、ますます不可解な話が続いた。
「書簡には『我々と縁ある血族のご息女と、ぜひ語らいたい』とあった。それ以外はわからないが…」
(縁……?)
ピクリ、とフェルシアは膝上の指を震わせる。
「何か心当たりがあるか?」
「…いえ。あちらとは争っていたのに、血縁だなんて。とてもありえません」
実家が隣国の王族と縁戚など聞いたこともない。私的な交流すらなかったはず。
「俺もだ。…だがこれは滅多にない機会だ。きっといい勉強になる。君が望むなら、陛下も席を用意してくださるそうだ」
フェルシアはいずれ、テュリエールと国境を接する領の主として立つ。
ライナスの言う通り、貴重な体験になるのは間違いなかった。
「使節派遣は今年か来年の八月ごろだ。行き帰り含め二ヶ月はかかる。だから…帰ってくるのは秋の始めだな」
その意味に気付いてフェルシアは口籠った。
もし派遣が今年なら……ライナスと夏にグローリーブルー領に行く計画はなくなる、ということだ。
これは年末に決め、ずっと心待ちにしていた予定だ。
九年ぶりの故郷はもちろん、彼の同行もこの上なく楽しみにしていた。
だが使節参加はまたとない機会。普通に考えれば選ぶべきは当然だ。でも…。
「ライナス様。私は……」
「…気になるんだろう?」
静かに、だが制するような声。
「正直に言ってくれ。本当に行きたくないなら、それで構わない。陛下からも君の意志に任せると確認したからな」
だが、と彼は続ける。
「もし少しでも気になるなら行った方がいい。テュリエールはまだ内紛もあるが、君ができる限り安全に過ごせるよう努めよう」
寛大な彼の言葉にフェルシアは瞠目した。
…偶然か必然か、テュリエール王国は例のセラン神が描かれた地だ。
北方の男神、グローリーブルーの祖先とされる神。そう考えれば、フェルシアからしても「縁」があると言えよう。
正直、大いに気になっている。
「…フェルシア。君はどうしたい?」
その問いに彼女はコクリと息を飲んだ。
進むも留まるも自由。
進む先は危険でも、国内では得がたい経験ばかりだろう。あちらの王族と自分に何か関係があるなら知りたい。
…自領に帰るのはその後でもできる。
心を決め、フェルシアは口を開いた。
「…では、ぜひ参加させていただきたく思います。ライナス様、この意向を陛下へお伝え願えますか?」
「わかった。では予定が決まり次第また話そう。来月には返事ができるはずだ」
一瞬、ライナスの紺藍の瞳が揺らいで見えた。
しかしそれはフェルシアの願望が見せた幻だったのだろう。すぐに返ってきた声に彼女は深々と頭を下げた。
「はい。お手数をかけますが、よろしくお願いします」
頭を上げれば徐々に高まる鼓動。
大きな決断をした緊張だろうか。それとも初めて外国へ行くことや、外交という重責ゆえか。
それとも…彼との予定がなくなった喪失感ゆえか。
フェルシアは冷めたカップを手に取った。そっと深呼吸をすれば多少は落ち着く。
けれど彼女は知らず意気消沈していた。
「…ああ。俺はまだ一緒に行けるかどうか分からないんだ。もしもの時は、皆とともに必ず無事に戻ってきてくれ」
フェルシアはハッとした。そうだ、彼も国の重鎮であり、使節として参加しても不思議はない。
だが併せて未定だと言われ、「そうなのですね…。分かりました」とますます気落ちする。
彼女はつい、ライナスは己との計画が消えてどう思っているのか、と考える。以前は彼も楽しみだと言ってくれたはずだが…。
するとこちらの内心を読んだのか、偶然か。彼はすぐに新たな言葉をくれた。
「それと…君との約束が延びたのはとても残念だ。だが、できるだけ早い時期に調整し直そう」
「残念だ」。そのたった一言で。
重かった心がフッと軽くなり、フェルシアは反射的に顔を上げていた。
よかった、彼がそう言ってくれて。
よかった……そう思っているのが自分だけではなくて。
現金な子供みたいだ、とは思ったが、ふわふわと気持ちの浮き立つまま彼女は伝えた。
「はい…!あの、楽しみにしています…!」
「ああ。俺もとても楽しみにしているよ」
すると、ライナスは柔らかく笑んでくれる。
それを見てフェルシアは直前の落胆なんて忘れてしまった。彼がこうして笑ってくれるだけでひどく嬉しい。
そうして湧き上がる喜びのまま、フェルシアも彼に同じ表情を返した。




