12.デート(仮)その三
そうしてちょっとした騒ぎを挟み、ほとんどの予定を済ませてから。
最後に二人はとあるカフェを訪れた。
川辺にせり出したテラス席。棚雲の下、座って斜めに向かい合う。
爽やかな風の中、視界いっぱいの眺望へライナスが口を開く。
「綺麗だな。風が気持ちいい」
「…はい。そうですね」
フェルシアはその声へ顔を向けたが、彼の端整な横顔に目を奪われそうになり、慌てて視線を目の前へ戻した。
手すりの先、穏やかに流れる大河へと。
王都を横断するそれは清々しくきらめき、砂浜で水鳥がぽつぽつと羽を休めている。その上にはもう茜色が滲んでいた。
一日の終わりを知らせる夕焼け。早いもので、街歩きもこのカフェで最後だ。
川沿いの風に、さらさらとフェルシアの髪も揺れる。
「ライナス様。今日は本当にありがとうございました。ここまでお付き合いいただきまして…」
「いや、俺も楽しかった。むしろ感謝しているくらいだよ。君と来られてよかった」
そう微笑むライナスは相変わらず眩しいほどに優しく、美しかった。
こうして彼と過ごしたことがたとえ夢でも、フェルシアは驚くまい。
「そんな…。感謝すべきは私なのですから。それに、これも」
そう言って彼女は耳後ろへ手を回した。すると髪の合間に、丸く硬いものがあって目を細める。
白い帽子の下、きらりと輝く青い輝石。
指先ほどの大きさの深く濃いブルーサファイヤ。これはプラチナのピンに嵌った宝石で、先ほどフェルシアが自ら選び、ライナスが購入したものだ。
暴漢騒ぎの後、二人がもう一度手を繋いでから。
フェルシアは彼に連れられ、いつの間にか宝飾品店に入っていた。
入店する前は全く気付けなかったのだ。扉を抜け、ずらりと並ぶきらきらしい陳列に、フェルシアは雑貨店とは違う意味でおののいた。
店内でライナスから「髪を伸ばすなら使うだろう?」と言われたことにも、である。
そこで、フェルシアはすぐに「一旦出ませんか?」と言おうとした。
自分が買うにしてもこんな高級店は敷居が高すぎるし、彼に買ってもらう筋合いだってない。
だが……結局は断れず、最終的にライナスにこのピンを買わせてしまったのである。
(…それもこれも、ライナス様がもの凄く高そうなのを見始めるから…!)
焦る彼女をよそに入店後、二人は個室へと通された。
そこで店員によって繰り出される金銀宝石の数々。その中から、なんと彼は大粒の宝石をいくつもあしらったバレッタをフェルシアの髪へとかざし、「これも良さそうだな」と呟いたのだ。
おかげで、彼女は咄嗟に机の隅を指さし、「これを見せてもらえますか?」と言うはめになった。
もう何か決めるまで店を出られそうにない。
早くもそう諦めたことと、このピンが場で最も安価に見えたからだ。
そうして購入証書にサインするライナスを冷や汗を滲ませて見守り、他にはないかとの尋ねをなんとか断って。
ようやく外に出た時、フェルシアはひどくホッとした。久々に息をした気分で。
あれは間違いなく今日一番の安堵だった。
故郷の花にも似た青。それを彼女は早速身につけている。
キラリとした輝きは控えめながらも鮮やかだ。デザインもシンプルなので普段使いもしやすいだろう。
焦って選んだ上、結局ライナスに買わせてしまったが、一目で惹かれたのは本当だ。
「ありがとうございました。大切にさせていただきます」
本心から言えば彼も嬉しそうに笑んでくれる。
「君の瞳のようでとても似合ってるよ。どうか気軽に使ってくれ」
気になるところはあるものの、ライナスが喜んでくれるならば、これでよかったのだろうか。
フェルシアはそう思いつつ、ティーカップを手に取った。一口紅茶を含み、しみじみと今日の出来事を思い返す。
ライナスと初めて街に出て、これまた初めての買い物をした。その後は意外な人と出会い、つい自分が騒ぎに飛び出したりと…予想外の展開もあった。
けれど、だからこそ思い出深い。
ライナスに誘われて選んだ一冊や、この青いきらめきも。
思い出とともにガラスの箱にしまって、毎日眺めていたい。奇跡のようなひと時の証として。
今日についての日記は長くなりそうだ。この、指先まで浮き立つような喜びを表現できるだろうか。
フェルシアがそう考えつつ、楽しさの余韻を味わうように、二人で夕焼けを眺めていた時であった。
彼女はふと、あることに気付く。
(あれは……?)
視界の端、席を仕切る茂みの向こうにて。たまたま空いた枝葉の隙間から、フェルシアに一組の男女が見える。
時折聞こえる、密やかな笑声。しかも二人の顔が重なれば、いちゃついているのは明らかだった。
「…………」
しかしそれはフェルシアからすればまさかの光景だった。瀟洒で品のよい店だと思っていたが、ああいった客もいるのか、と。
それに仕事中は何とも思わないのに、今はなぜだか気まずい。ライナスといるからだろうか。
(でも…ライナス様は振り向かないと見えないし大丈夫よね?)
例のカップルは彼から見て背後の席だ。この角度なら問題はなかろう。だが。
「どうした?何かあっ…」
「ライナス様。あの、あちらの。…左の小さな鳥達は何という名前かご存じですか?」
振り向こうとしたライナスに、フェルシアは咄嗟にその正面を指さした。それから即席の質問を投げかける。
「鳥?」
「はい。ちょうど夕陽の左下辺りでしょうか」
彼女が示す先には川岸で遊ぶ鳥達。
「あれは…ああ。多分ナチィじゃないかな。少し色が薄いが…」
「なるほど、ありがとうございます。さすが博識でございますね」
間もなくの返答にフェルシアは頷く。
(あ、あぶな…!)
己の目線を悟られてもまずい。もうすでにライナスには「フェルシアが何かを気にしている」と気取られてしまった。
慌てたフェルシアが他の話題を探し、また風景を凝視していると。
「そうだ。フェルシア」
美しい低音に振り向き、フェルシアは息を飲んだ。先ほどよりも近く彼の瞳がこちらを見下ろしている。
斜めに向かい合う隣席は、少し体の向きを変えるだけでこんなにも近付く。
「前から思っていたが君の瞳は本当に稀有な美しさだ。…少し見ても?」
「は、はい。どうぞ…?」
フェルシアはぎこちなく頷いた。彼ならば好きなだけ見てもらって構わない。
だが「ありがとう」と言われつつ、彼女は己への違和感が拭えなかった。
おかしい。さっきから自分は妙に狼狽えている。
少し疲れてしまったのだろうか?しかし、彼とかつてなく近い距離にあって緊張するのは当然ではないのか。
「…うん…光の加減かな…。ほんの一瞬、オレンジ色が混じる時があるんだ」
ゆっくりと迫る、星空のごとき双眸。気を抜くと吸い込まれそうだ。
「そう、なのですか…?」
「今が少し似てるな。…この夕陽の中で見ていると、思い出すよ。とても鮮やかでハッとさせられる」
すると、そっと羽が触れるような力加減で。左頬を取られ、フェルシアは更に瞠目した。
大きな手の温かさに彼女の白い肌がかすかに震える。驚き、クイ、と顔を傾けられてもされるがままだ。
(え…えっと。…ええと…?)
もはやフェルシアの目にはライナスの顔だけが映っていた。
至近距離でもあらのない美貌。目元の絶妙なライン、睫毛の細やかさがハッキリと見え、彼を本当に同じ人間かと疑いそうになる。
ほとばしる夕陽を背に、きらきらと星が降るような瞳に見つめられて。
今にも顔に触れそうな黒髪や優しい掌の熱。それら全てに。
鼓動の高鳴りはどんどん大きくなり、ついに耐えきれずフェルシアが口を開く。
「で、でもっ……ライナス様の方がよほどお綺麗で…!」
すると相手がぴたりと動きを止める。
「俺?そうかな」
「はい。私も前から思っていましたが……特に目が。真冬の夜空に似ていて…どこまでも、穏やかで美しくて…」
ぱちりと黒い睫毛に縁取られた瞳が瞬く。
いつ見ても、それは故郷の静謐な色と瓜二つだ。
「うちの領にいた頃を思い出します。私の…大好きな色です」
今こそと、思い切って心のままに述べる。彼から褒めてもらうたび自分だって伝えたかった。
するとそこで、フェルシアはまた意外なものを見る。
「あの……?」
なんと…ライナスが固まっている。基本的に悠然とした人だからこんなことは初めてだ。
もしかして変なことを言っただろうか?と彼女が不安になっていると。
「…ああ、いや。驚いたな。…ありがとう、君がそう思ってくれてくれて光栄だ。とても嬉しい」
ふわりと目の前で咲いた美しい笑み。
溜息も出ぬほどだ。まやかしか背後には花びらが吹雪いて見え、一瞬フェルシアの時が止まった。
これはだめだ。眩しい。眩しすぎる。
いつものライナスとの適度な距離は間違いでなかった。間近に見ると尊すぎて破壊力すら感じた。
目を見開くフェルシアへ、ふと降りてきた流麗な唇。彼は白い耳に囁く。
「俺も君の瞳が大好きだよ。許されるなら永遠に見つめていたい」
耳朶を撫でるかすかな吐息。彼女はそのたびピクッと震えそうだった。
まるで秘めた告白のような台詞。他人に聞かれれば誤解されかねない。
しかし、「それと…」とつけ加えられてフェルシアは更に驚愕した。
「そろそろ出ようか。ここは少し落ち着かないんだろう?」
驚き、パッと彼から身体を離す。
そして辺りを見渡せば、いつしか空は黄昏れ薄暗くなっていた。蝋燭の灯りが目立つほどだ。それはいいとして。
日が暮れたせいか…垣根の向こうでべたべたと、いちゃつく男女の気配のまあ多いこと。漏れ聞こえる「ふふ…」「…まぁ、だめよ…?」といった声はいかにも妖しげだ。
背の高いライナスからはそんな睦み合いがもっとよく見えているはず。ということは。
(き、気付いていらしたんだわ…!)
一体いつから、とフェルシアの背を冷や汗が伝う。つい「…あの。ここは…」と零せば、呆れたような声が返ってきた。
「…この店をステラに勧められたんだったな。気をつけた方がいい。君が同じことを望むのなら話は別だが」
ステラは間違いなくライナスの気分転換にと言っていた。それがまさか、恋人達の集うような店を紹介されていたとは…。
フェルシアはおののいた。相手が自分だったからいいが、他の令嬢なら例の「あなたのような娘が家に来てくれれば…」が現実になりかねない。
「…………以後注意します」
気が遠くなり、フェルシアはまた風景へと目をやった。
遠くには小さな黒点となって遠ざかる鳥の群れ。それを見ながら彼女は固く誓った。
このカフェでの顛末も日記にしっかり記しておかねば……と。




