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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
70/143

11.デート(仮)その二

 ふわりと側を駆け抜けた春風。

 それにサラ…となびいた銀糸が目についたのだろう、ふとライナスが言う。


「そういえば、髪が伸びたな」


「あ…はい」


 フェルシアは鎖骨の上で揺れる毛先へ触れた。そういえば、彼の家に滞在してからまだ髪を切ったことがない。


「やはり切るのか?」


「そうですね…。そろそろでしょうか」


 いつもの耳下のショートボブ。これは士官学院に入る前からだ。とくに惜しくもなく、邪魔だと思ってばっさり切った。

 するとそこでライナスが零した呟きに、フェルシアはぱちりと目を瞬かせる。


「…せっかくの美しい髪が、もったいないな」


 さらりと放たれたのは真っ直ぐな賞賛。

 それにどう返すべきか考え、フェルシアは一瞬沈黙する。


 彼は時々、こうして己の容姿を褒めてくれる。きっと親切からくるものだ。しかしそのたびにフェルシアは、少しはそう思ってくれているだろうかと、期待したくなった。


(だって、ライナス様に言われると何だか変な感じで…)


 低い声そのままに、じんわりと心に残る。

 何気ない彼の言葉。だがそれは不思議といつまでもフェルシアの中で反響した。


「では、このまま伸ばしてみます」


 考えた末、フェルシアはそう述べる。

 もし彼の目を楽しませているならば、これからもそうありたい。


「いいのか?」


「はい。ライナス様にそう言っていただけるのならば、このままに。これからは結う機会もありましょう」


「…そうか。ありがとう、嬉しいよ」


 心からだと分かる優しい声。また胸が温かくなるのを感じる。

 そういえば雑貨店でもこのようなやりとりをした。ライナスの気遣いで思い出深い一冊を選べて、彼の存在は自分にとって本当に大きい。


(ライナス様を信じているから、動かされてしまうのかもしれないわ…)


 もしかして、再会した時からそうだったのだろうか。


 ふと去年の出会いを思い、、フェルシアがそう考えた時であった。

 「なら…」とライナスが口を開くと同時、通りに高い拒絶の声が響いたのは。



* * * * * * *



「…ちょっと!止めてって言ってるでしょ!」


「おい、黙れよ!ちょっと付いてくりゃあいいだけだろうが!」



 荒々しく言い合う男女の声。それは野次馬らしき幾人かの向こうから響いていた。

 それを目指して人輪を抜ければ、フェルシアはちょうど、少女が肩を怒らせ「いい加減にして!」と叫ぶ場面に出会う。


「あの。落ち着いて下さい」


 ヒュッ、と振り上げられた少女の手。フェルシアはその手首を背後から摑んで止めた。

 すると当然、突然の闖入者ちんにゅうしゃへ男女二人が驚く。


「な、何…?離してよ!」


 言われるがままにフェルシアはパッと手を離した。そこで少女は一歩下がろうとして…またかたわらの大男を睨みつける。


「アンタも離しなさいよ!」


「離してあげてください。そろそろ警邏けいらが通りますし、こののままだとあなたは拘束されてしまいます」


 すかさずフェルシアも言い添えるが、男は「はあ……?」と訝しげだ。


 警邏とは治安維持に街を巡回している軍人のことだ。事情は不明ながら、こんな騒ぎを起こしては、きっと会いたくはなかろうと思ったのだが。果たして。


 すると男はフンと鼻を鳴らし少女を解放した。ここまでは良かったのだが、何故か今度はフェルシアへと踏み出してくる。


「なんだ嬢ちゃん。やたら綺麗ななりだが…代わりにあんたが相手してくれるってか?」


 相手は完全に標的を移したのか、ニヤリと笑み、今度はこちらへと手を伸ばす。

 それがフェルシアには不可解だった。


(『なり』?…恰好が気になるの?…もう去ってくれると思ったのに…)


 フェルシアの所属する王国軍が王都正門部隊は、正門とその周辺の守護、治安維持を担っている。

 そのため彼女も日常的に警邏として出かけており、いつもはこういった悪漢から逃げられる側なのだが…。

 職務中と同じ調子で仲裁に入り、逆に己へ向けられた舐めるような視線に、フェルシアは戸惑った。すぐに逃げていくと思いきや、男がまだ場へ留まっていることにも。


 例の少女はもう人混みへと逃げおおせたのかもう姿はない。それを確かめ、フェルシアは迫りくる相手と向き合う。


「あなた…これ以上騒げば本当に捕まってしまいますよ」


 ちなみに自分は軍人で、手を出すならばそれこそ連行する。続けてそう言おうとしたのだが。


「はあ?さっきから何様のつもりだあ?…女の癖にうるせえんだよ!」


 男はフェルシアへバッと掴みかかってきた。言葉は聞かぬとばかりの勢いである。

 それを見た彼女が、サッと不躾な手をかわそうとしたところで。



 パシッ



 フェルシアの耳元で乾いた音がした。

 荒々しい手を、赤青の目前で小気味よく遮られると同時に。


「止めろ」


 頭上から響いた、いつもよりずっと低い声。振り返れば思った通りの姿があった。


「ライナス様……」


 フェルシアは息を飲む。まさか彼までここへ現れるとは思わなかったのだ。


 いつしか周囲はより一層ざわめいている。巷の騒動への相次ぐ乱入、それもどう見たって貴族の二人は注目の的だった。


「な…あ、いててッ……うわっ!」


「大人しくしろ。暴行未遂の容疑でお前を拘束する」


 ぎりぎり…と容赦なく締め上げる動きに、察したフェルシアは黙って一歩引く。

 するとどこからともなく縄を取り出したライナスが男を後ろ手に縛り上げた。瞬く間の早業。さすが、鮮やかだ。

 しかし一体どこから縄を?と思うフェルシアへ、ふいにライナスの目が向けられる。

 その視線はもういつも通り穏やかで、先ほど大男を見据えた厳しさはない。


「怪我はないか?」


 フェルシアはすぐに頷く。


「問題ありません。すみません、お手数をおかけしました」


「いや…。おい、これを引き渡しておけ」


 「これ」と示した暴れる背中は、すぐさま飛んできた従者に引き取られた。

 そしてどこからか野次馬を散らす声がする。誰かが警邏を呼んできたのかもしれず、大男は間もなく連行されるだろう。


 間もなくライナスが体ごとフェルシアへと向き直った。


「後は大丈夫だ。さあ、もう行こう」


「…!は、はい」


 彼は身をひるがえし、己の手を取って歩き出す。

 二人そろって人混みを抜け、フェルシアは一歩先の背中へ呼びかけた。


「あの、ライナス様。ありがとうございました。私…」


 フェルシアは、この騒動直前の己の行動を思い返す。


 少し前、少女の金切り声が上がった直後。自分は「すみません。少しお待ちください」と言い残し彼を置いて走り出したのだ。それは職種ゆえの反射だった。

 だがいざ現場に来れば思うようにいかなくて、一つ分かったこともある。


(やっぱり制服ってとても効果があるのね…)


 ワンピースという今日の女性らしい装いは逆効果だった。服務中ならもっとスムーズに事が運ぶ。

 

「もっと迅速に収めるつもりだったのですが、予想外に話がつかず…力不足でした」


「……君は、いつもああなのか?」


 だが返ってきた声に、フェルシアはきょとんとした。いつも整然とした彼にしては曖昧な言い方だ。


「仕事中はあの対応で問題ないのですが…。今日の格好は悪手だったようです」


「…いや、そうじゃなくてだな」


 これまた珍しく口籠る彼。しかもその視線はなぜか空を…いや、辺りの屋根を見ているような。気のせいだろうか。


 すると、きゅっと手を握られてフェルシアは目をまたたかせた。


「そうだな…。…君は今日もとても可愛らしい。男なら寄ってきた君に目を付けるのは当然のことだ」


 突然の褒め言葉だった。フェルシアが驚く間にも、その台詞は続く。


「仕事上はともかく、どうか私的な場では自覚してくれ。何か騒ぎがある時は俺か、従者などに言って対処させて欲しい。…こう言えば、分かってくれるか?」


 そう微笑みつつ首を傾げるライナスの仕草に。

 ああ自分は彼を困らせてしまったのだと、そう思う以外ないはずなのに。


「…フェルシア?」


 彼女は伺うような声にハッとした。


「…は、はい。了解しました。以後注意します…」


 たどたどしい返答。動揺を表してしまっていたたまれない。


 彼の憂う表情に見惚れた?何と反応すればいいかわからなかった?

 自らの反応もよくわからぬまま、フェルシアが狼狽うろたえていると。次いでライナスはそっと片手を上げた。


「まあでも。君らしい行動だったよ。堂々としていて立派だったな。仕事もその調子で頑張るといい」


 動かずにいると、近付いた彼の指先はフェルシアの左耳後ろへと回る。向かい合うようにして近付く距離。

 そうして思いがけず彼を近くに香りながら、髪飾りを直してくれる感触とやわらかな笑顔。


 これは上官や保護者としてだろうか。それとも。


(…ライナス様自身の言葉、かしら…?)


 フェルシアは無意識にそう願った。だがどれであろうと、目の前の人が喜んでくれれば自分も嬉しい。


「…はい。ありがとうございます」


 心からの感謝を告げる。すると頭上の瞳がみはられて…ハッとした。いつしか自分も頬を緩めている。

 彼と過ごすようになってから稀に浮かべる表情だ。これを見せるのもいまだに気恥ずかしい。


「さあ行こうか。ほら、またどこかへ行かれては心配だからな?」


 揶揄からかい交じりの言葉に、またぎゅっと握られる手。

 その確かな体温にふわふわとした心地になりながら、フェルシアも「はい…!」と返事をする。

 

 今度は引かれるのではなく、いつも励ましてくれる彼の横に並べるように。

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