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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
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3.自分ごと、他人ごと

 振り払った腕の先、衝撃とともに飛び退る姿を見てライナスは両手を降ろした。


「フェルシア、そろそろ終わろうか。着替えて来るといい」


「…はい。分かりました」


 答える声はやや沈んでおり、自ら今の動きに不足があったと分かっているようだ。

 その直感力へ感心しながら己も木剣を従者に預ける。代わりにタオルを受け取って、わずかに滲んだ汗をぬぐっていると。


 ライナスは己をじっと見上げる視線に気付いた。


「どうした?確かに今のは惜しかった。反応速度は及第点だが」


「あ…、はい。あと一歩が足りませんでした。精進します」


 稽古けいこ内容についてかと思ったが違ったらしい。では何だろうか。


「今日もご指導いただきましてありがとうございました。では行ってきます」


「ああ。また後で」


 だがその心は明かさず、きっちり礼を述べるとフェルシアは去っていった。

 その背を見届け、ライナスも庭の芝生の上を歩む。あのもの言う瞳にはまだまだ謎が多い。そう思案しながら。



* * * * * * *



 そのすぐ後、庭先に伸ばされた日除ひよけの下にて。


 初春の風が流れ、花壇の花もぽつぽつと咲く中、ライナスはフェルシアと向かい合い座っていた。目の前のテーブルにはティーセットが並び、紅茶の香りが馥郁ふくいくと漂う。


「仕事の方はどうだ?最近ゆっくり聞くこともできなかったな」


 正面の彼女は水色のブラウスと青いスカートという涼やかな装いになっていた。手元に置かれた宝石のように色とりどりのケーキも似合っていて、ついこの間十九歳になったというのに、信じられないくらい愛らしいだ。


 だが本人はこちらの賞賛などつゆ知らず、やや首を傾げる。


「えっと…順調と思われます。毎日皆で話し合いを重ね、指令に応えられるよう務めております」


 語られたうち、「皆で話し合い」の部分にライナスは感心した。塞いでいた去年と比べれば大きすぎるほどの進歩だ。


「そうか、同僚とは仲良くできてるか?」


「…どうでしょう…?ロイはよく話しかけてくれますが…彼がどう思っているかは分かりません…」


 自信はないらしい。普段聞いていると仲は良さそうだが、線引きが難しいのだろう。

 しかしまだ入隊して二ヶ月半、話す相手がいるだけでも良いことだ。


「大丈夫だよ。あの子の言動はそのままに受け取ってやってくれ。真面目な性格だ」


「はい。そう努めます」


 又従兄(ロイ)弟とは定期的に会うが特段警戒する相手でもない。むしろ人懐っこい性格なのでフェルシアも馴染みやすいはずだ。

 来年デビューして成年貴族になる準備も兼ね、彼女には少しずつ交友関係を増やしていってもらわねば。


 だがそのためには一つ言っておくべきことがあった。


「ところで、昨日は何をしていて遅くなったんだ?」


 夜勤明けのはずが正午過ぎに帰宅したと聞いている。何となく原因を察したライナスは、一応確かめておこうと尋ねた。


 すると、ぱちりと目をまたたかせ、数秒して彼女は言いにくそうに答えた。



「…………崖を登っていました」



「崖?それは訓練か?」


 さすがに驚きが口をつけば「そうです」と返され、一瞬間が空く。


「……また、唐突だな」


 詳細を尋ねれば案の定ウォルフの指示で、それも現場は正門近くの建物四階はあろうかという高い崖であった。なぜそんな訓練を思いつくのか、同じ佐官としてまったく不思議でならない。


 だがそれによりライナスは、ウォルフがいまだに彼女へ構っていると再確認できた。


 一番に素手で登りきったと、楽しさを隠しきれていない彼女には感服するが、その危険訓練はどう考えても一般兵向けではない。十中八九フェルシアの著しい身体能力を面白がったウォルフの遊びだ。

 今も毎日何かと弄られているのだろう。


「最近もウォルフ殿と二人で話すことはあるのか?」


「あ…はい、時々ですが。最後はあの手紙をお預かりした時です」


 あれか、と頷く。今年に入りウォルフとは中々話ができないため助かった。

 だが念のため言っておこうとライナスは口を開く。


「フェルシア。これは冗談ではなく言うんだが。…あの方から、俺に関して何か言われているだろう?手間をかけるが、全て適度に流しておいてくれ。昔から何かと縁のある方なんだ」


 学院時代の初対面から今まで、ウォルフには何度嫌味を言われたことか。

 …理由の最たるはウォルフが四年生の時、彼の剣術トーナメント連覇を止めたこと。それからは基地だろうが社交場だろうが、顔を合わせるたび何かしら絡まれる。


 そして予感が的中し、この年始からは己に近しいフェルシアまでもが被害に遭っていた。これまでの彼女からの報告や、親族の集まりでロイに会った際「フェルシアは…中佐から何かと目をつけられていますね」と聞いて確信している。


 言い聞かせれば戸惑うような表情があって、ライナスはもう一度尋ねる。


「いつも何と言われるんだ?良ければ教えてくれ」


 被害の確認をしようとして水を向ける。

 するとややあって聞こえた呟きに、ライナスはつい復唱してしまった。



「『さっさと嫁でも取って早く隠居しろ』と。…そう伝えておくように、とは」



「嫁?」


 唖然とした。この二人は普段どんな話をしているのだろう。


「どうしてそんな話に?」


 すると瞬間、ピタッと向かいの姿が固まる。それに違和感を覚えていると、またぎこちなく小さな口が開く。


「あ…いえ。実は、中佐が思い違いと言いますか。…いつもご冗談をおっしゃるのですが…」


 何故かしどろもどろといった口調にますます謎が深まる。


「冗談?それは?」


 あのウォルフが冗談を?いや、言うかもしれないが。これほどまでに彼女を戸惑わせるとは何事か。


 はやる己を抑えて促せば、フェルシアはコクリと息を飲んでこう言った。



「ご気分を悪くなさらないでください。―――ライナス様と私が恋人関係ではないか、という()()()()()()です」



 シン……



 途端、周囲が静かになった。背後にいる給仕さえ息を止めている。

 それに気付かないらしく、耳を通り抜けてゆく焦った釈明。


「初めは驚きましたが、何度も言われてやはりご冗談だと気付きました。近ごろは誤情報の拡散を防ぐため訂正をお願いしているのですが…」


 一次情報の速やかな修正。それも軍属なら尚更肝要(かんよう)だとばかり、美しい赤青の瞳が使命感にキッと光る。


「すみません。お耳汚しを。私ごときが恐れ多くも、ライナス様のご威光を損なう行いは、例えどなたであろうと見過ごせません」


 珍しく熱の籠ってきた弁。止められるのはこの場にただ一人だけ。


「しかし…なぜ『嫁でも取って』になるのでしょう…?そもそも私などにそのような大役は到底不可能です」


 ライナスはそれを聞きながら知った。

 これだけ日々フェルシアで遊んでいるあのウォルフが、例の手紙で彼女について一切触れなかった理由を。


(なるほど。次に会った時の俺への嫌がらせ材料か…。これは豊作だろうな)


 あの人は自分にとってフェルシアがどういう存在か気付いている。特に、先の一件でアラン・ゾエグの尋問を依頼した場面は分かりやすかっただろう。

 その後は先遣隊として見事な働きをしてくれたことは感謝しているが…。


「…ですから申し上げました。ライナス様は婚姻により仕事を疎かになさる方ではないと。するとまた笑われてしまって」


 そろ…と給仕達が目配せを始める気配。彼らも薄々己の想いに気付いていたのか戸惑っている。

 溜息を抑え、ライナスは声を割り込ませた。


「分かった、分かったよ。フェルシア」


 充分に理解できた。これ以上言われるとえぐられる。自分の何かが。


「あ…すみません」


「いや。良いんだ」


 しゅんと悔やむ表情に笑んで見せるが、こちらは複雑な思いだ。



 相変わらずフェルシアは自分の気持ちに気付いていない。



 昨秋、夕暮れに染まる教会の前で交わした約束。


『…ということは、私が良いと言うまでいて下さるのですか?』


 その瞬間の微笑みは見たことがないほどに柔らかく、繊細な美貌も相まって夢のようであった。

 無防備に寄せられた全幅の信頼。あれで傾きかけていた心が完全に落ちた。


 ようやく逆境から立ち上がったばかり。それでも真っすぐにこちらを見つめる赤青の瞳。


 その言葉に全力で応えたくてライナスは覚悟し頷いた。しかし夕空を背に天使もかくやの無垢な笑みに感動したのも束の間、ふと疑問が生じる。



 ―――彼女に恋愛感情というものはあるのか?



 その後は話題が変わり、慌ただしい日々にもあって数日様子を見ていた。だがその間で分かったことがある。


 フェルシアは自分を異性として意識していないし、あの時の告白じみた台詞に一切の他意はなかった。


 …まったく無自覚とは恐ろしい。

 こちらはすでに心を決めたというのに。こうして近しく向き合っても、彼女は不思議そうな顔で見てくるばかり。今だって結婚相手なんてありえないとにべもなく断られた。


「…いつも何を言われているのか良く分かったよ。本当にすまない。迷惑をかけるな」


「い、いえ。滅相もありません」


「次に会った時には話をしておこう。悪いがもう少し耐えてくれるか?」


「いえそんな…。はい…」


 彼女が気まずげに俯けば、この瞬間でさえその瞳に映りたくてたまらなくなる。そんな己へ呆れつつ、良い機会だと思いライナスは尋ねた。


「結婚といえば、君はどうしたいんだ?領地を運営するなら婚姻した方が何かと効率的だろう」


 結婚し子を儲け、領地を継がせるのも領主の役目だ。


「それは…。考えたことがありませんので何とも…」


 消極的な答え。だが分からなくもない。


 激動の半生を過ごした彼女だ。一時は不本意な相手に嫁がされそうになっていたし、下手をすると結婚自体に嫌気がさしていてもおかしくない。

 すると、頼むからそこまで嫌悪していないでくれと、ライナスの勝手な願いとは少しズレた答えがあった。


「しなくて良いのであれば、恐らくしないかと。今のところそういった方面に割く労力がありませんので」


 「労力」。


 令嬢にしては率直かつ現実的な表現だ。嫌いとはいかずとも、絶対的な魅力を感じていないことが分かる。


「確かにこれからも君は忙しい。領地経営や社交、軍士官として。…だからこそ支え合う存在は助けになると思うんだが」


「…そうなのです。なかなか一人だと手が回らない事もありましょうし…」


 それならと、うっかり期待してしまった。



「ですから、いずれは信用できる補佐役を採用するつもりです。何とか経営を立て直し、正式な手続きであの地を治める次代を……ライナス様?」



 いつも彼女の何気ない一言で振り回されている。

 そして勝手に落胆し、頷くこともできなくなった己を不思議がる顔も可愛い。


「…いや、そうだな。信用できる人間を探すなら力になるよ。困ったらいつでも声をかけてくれ」


「そんな。ライナス様もお忙しいですし…ここはちゃんと自分で探そうと思います」


 それまでは引き続きお手数をおかけしますが…とまた遠慮されてしまった。


 これは重ね重ね振られたのだろうか。

 だが諦められない。少なくともその愛らしい口で頑と宣告されるまでは。


 この通り彼女は恋愛すらまるで頭にない。ここは驚かせないようゆっくりことを運ばねば。

 急かして怯えさせたり、逃げられるのは論外だ。今までの助力の見返りのように思われるのも耐えがたい。



 夫婦になるには心から望んでこちらを受け入れて欲しい。


 自分は彼女と生涯をともにしたくて約束に応えたのだから。



 そうして静かにカップを傾けるフェルシアと、まだまだ先は長そうだと覚悟するライナスの間に一瞬の沈黙が落ちてから。

 「そういえば…」と切り出そうとした彼へ従者が何やら耳打ちをした。

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