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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
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2.穏やかな夜

 ガラガラ…と規則的な音を聞きながら、フェルシアは流れる景色を眺めていた。


 目の前には夜更けの街並み。暗いが、大通りにはぽつぽつと灯りがともっている。


(もう真っ暗ね…)


 昼間のウォルフとの一幕から。あの後、下士官四名でなんとか力を合わせて仕事が一段落つき、フェルシアもようやく帰ることができていた。


 現在の自宅、王都内のオリヴィエ公爵邸にこうして馬車で帰宅するまで。何気なく常夜灯を見ていれば、ふと最近の出来事が思い出される。



 己が巻き込まれていた謀略をライナスと共に暴き、早いもので半年経つ。



 その間にフェルシアは士官学院を卒業し、今背にした王都正門部隊へと着任した。また、一月には十九歳となり、ライナスから専用の剣を贈ってもらっている。


 銀細工のあしらわれた柄と鞘。刃だって初めて抜いた瞬間、一目で名工の作と分かった。感嘆すれば嬉しそうにしてくれた彼の笑顔も忘れられない。


 この剣を身に着けていれば、いつも彼が見守ってくれるようで心強い。今も。

 そっと白い鞘を撫でながら彼女は目を細めた。


 目標にし続けるなと言われたが、目標にするなとは言われていない。となればフェルシアにとって追いたい背中はただ一人。

 そのためにまずは少しでも腕を磨き、今の上官にも納得してもらえるよう努めなければ。


 思いふければ時間はあっという間で、やがてフェルシアを乗せた馬車は大きな邸の玄関へと停まった。

 車のタラップを降りれば空色の瞳に迎えられる。フェルシアの侍女、リリィだ。


「お嬢様、お帰りなさいませ。お待ちしておりました」


「ありがとう。あの…リリィ、起きていたのですね」


「はい。少し所用もございましたし、きっとお帰りになると思いましたので」


 入隊してから己の生活時間は不規則だ。それで振り回していないか心配になったが、リリィはこんな時間でも元気そうで少し安心する。


 荷物を預けたフェルシアが玄関ホールへ入れば、上から男性の声がした。


「おかえり。フェルシア」


 ライナスだ。階段の上で煌々(こうこう)とシャンデリアに照らされる姿は目にも鮮やかで、朝と変わらず凛々しい。


「はい。ただいま戻りました。……まだお仕事ですか?」


 フェルシアは温かな微笑みを見上げる。紺藍の瞳と漆黒の髪、端整な容貌の美しい人。


 彼の背後は書斎に続いていた。きっと休日の朝から今まで机に向かっていたのだろう。


「そうだな。そろそろ休もうかと思っていたんだが、君が帰ってくると聞いたから」


「それは…ありがとうございます。ですが遅くまで大変お疲れでしょう」


 みやびやかな内装を背景に、大理石の階段を降りる様は一枚の画のようだ。なぜかやや緊張して、そういえばライナスと会うのは二日ぶりだと気付く。


「君こそ。こんな時間まで疲れただろう。今日はどうしたんだ?」


「皆で課題の調整をしていまして。一段落したので帰ってきました」


 また上官に舌打ちしながら叱責されました、という実情はせる。


「課題か。皆とは変わりないか?」


「…はい。親切な方々ばかりで、日々助けていただいております」


 優しい声に感じる、えも言われぬ充足。これは彼といる時にしか感じないものだった。


 そこでフェルシアは例の手紙を差し出す。


「…こちらを。ウォルフ中佐からお預かりしました」


「ああ、ありがとう。中佐もお元気かな」


 受け取り、封蝋を確かめる彼に向かってフェルシアは「お元気です」と即答した。すると。


「…その反応は、今日も『ご指導』されたと見たが?」


 しまった、と彼女はハッとする。咄嗟の返しが不自然だったらしい。


 おそらく、「今日も舌打ちを繰り返し、睨みつけた私達へ怒鳴るほどの元気はおありでした」ともとれたのだ。そう気付いたフェルシアは訂正を試みる。


「いえ、全く問題ありません。日々中佐から頂きます貴重なお言葉を胸に、下士官一同、全力で励んでいるところです」


「……ふ。そうか、分かったよ。…分かったからそんな顔をするな」


 するとなぜかポン、と頭に手を置かれる。驚いて見れば、頭上には変わらぬ笑みがあった。

 言葉の意味を考えていると、表情と同じく優しい声がかけられる。


「頑張るのはのはいいが、何か悩むことがあればいつでも言ってくれ」


 穏やかな夜空色。その表情の眩しさに彼女は思わず目を細めた。


「はい…」


 返事をすれば、今度は良い子だとばかりにそっと撫でられる。柔らかな感触なのに、かすかにぞくっとする独特な心地よさ。それに気を取られていると何気なく問われる。


「特に伝言はなしか?」


 言われて思い出す。昼間、「あいつに言っておけ」に続いた奇妙な台詞を。だがあれは真面目なものではない。


「特にありませんでした」


 例外は除き、フェルシアは淡々と答えた。


「そうか。では俺はもう寝るよ。おやすみ」


「はい。おやすみなさいませ」


 邸の奥へ消えるライナスを見送ると、彼女は己も自室へと向かおうと歩き出した。思いがけず、一日の終わりにライナスと出会えた幸運へ感謝しながら。



* * * * * * *



 ふと手を伸ばせば、開いた窓から涼しい風が吹き込む。外の空気は春ごろ独特の香りがした。


 それを心地よく感じながらフェルシアはパラパラ…と手元の日記帳を眺める。初めて数ヶ月の習慣だが、すでにたくさん記した。


 備忘録びぼうろくとして去年のあらましと、ライナスにしてもらった数多のことも書き留めてあるため、たまに読み返すと悲しくなったり、逆に恥ずかしくなったりもするが。


 ここにも書いてある通り、去年の一件以来、フェルシアは始終やることに追われている。


 いまだ拘留中のゾエグ公爵を裁くための事情聴取はもちろん、グローリーブルー領を己の管理下に置くための手続きもある。そのための勉強だって、入軍すれば休日を使うしかない。


 領地管理は初めてだが、ライナスとオリヴィエ家家令の指導が分かりやすく、一歩一歩進んでいるとは思う。それでも早く自立しなければと思うばかりだ。


(いつまでもライナス様を頼れるわけではないのだから…)


 去年の秋、とある教会の前にて。


 ライナスと二人きりの会話で「嫌だと言うまで側にいる」と言われ、自分は「良いと言うまでいて下さるのですか?」と返した。

 だがあれはたとえ冗談でも首を振るべきであったと、今なら分かる。


 なぜなら、あのやりとりがずっと頭から離れないのだ。もしかしてと、密かに期待する自分がずっといる。


 ゾエグ公爵家が失脚したことで繰り上がり、上流階級のまとめ役を継いだのはオリヴィエ家。名目上は元王弟が大公だが、連綿れんめんと続く家としてはオリヴィエ家が頂点となる。


 その家長のライナスはとうとう貴族として最高位となった。

 

 そんな人物に支援させて順調に独り立ちできないなどと、逆に難しいだろう。

 ましてや自分が求める限り側に…なんて、ありえない。確かに彼がいればいつも安心できて、万事上手くいきそうだが。


 日記の新しいページを開き、サラサラ…と手を動かしていたフェルシアは、一通り書き終わって伸びをした。すると、ふと窓辺の青い花が目に入る。


 夜風に揺れるセランの花。

 故郷のグローリーブルー領を象徴する花だが、邸に来た当初よりこの部屋に置かれていたものだ。

 きっとライナスが采配さいはいしてくれたもので、こんなところでもその気遣いに心が温かくなる。


 花の色は自分の左眼と同じで、九年前に自領を襲った悲劇をも思い返され、彼女は目を伏せた。

 一夜にして両親や兄をうしなった、その原因が夢物語のような神話だったことも。


(…まだ信じがたいけれど。私達に神の血が流れているなんて)


 正直、疑っている。


 己ら一族の能力を思えば、半分証明されているようにも思えるが……それでもよく分からない、と考えていたフェルシアはそっと紙面に触れた。インクはもう乾いている。


 明日も仕事なので早く寝なければ。そう思い、大切な日記帳を閉じたフェルシアは立ち上がった。

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