1.王都正門隊、新任下士官たちの日常
チッ
突然、目の前からいつもの音が響く。
続いてバサッと乾いた音がして、最後には予想通り吐き捨てられた。
「おい。お前ら、―――ふざけてんのか?」
あ?と脅すような声が場の静けさを打つ。
「ガキの落書きか?こんなつまらん書き損じは要らねぇんだよ」
「落書き」「書き損じ」。きっといつもの一言で表すなら「ゴミクズ以下」だ。
そう言って荒く机に投げられた紙束。様々な筆跡で埋め尽くされた中には丁寧で女性らしい文字もある。
「そろいもそろって今日まで何してやがった。ああ?こんな意味の分からんもん作らせるのに給料払えってか」
まただ。また舌打ちが鳴った。
目の前の人物と接して三ヶ月あまり。いかにも獰猛なそれに数える意味はなく、ここに直立する四人ともが同じ考えだ。
「何とか言え。全員だんまりか?…おい、そこのお前」
「はっ!」
睥睨された一人が即座に答える。
「この行軍二日目。村の西にある道路整備について記したのはお前だな」
「はい」
「だがこれはお前の案じゃないな?誰に入れ知恵された」
「あ、それは……」
早々の指摘に室内へサッと緊張が走る。一瞬、場に落ちる静寂。
まずい、と思った彼女はわずかに白銀の髪を揺らし素早く手を上げた。
「自分が提案しました」
そう言えば眇められる瞳。
「チッ、やっぱりお前か。グローリーブルー」
次いでぎろりと睨まれ、フェルシア・グローリーブルーも赤青の瞳で見つめ返す。
レガード・ウォルフ中佐。己の直属の上官を。
鋭い容貌にこちらを見すえる鳶色の瞳。短い髪は赤く、歳は二十八らしいがまとう雰囲気には歳以上のすごみがある。
端的に言って強面だ。
(…この人、本当に侯爵家の方なのかしら…)
着任時と同じ感想を抱きつつ、フェルシアは射抜くような視線を真っ向から受け止める。
「お前いい加減にしろっつったよな?毎度毎度、俺がお前のつまんねぇ案で遊ぶ暇があるとでも思ってんのか」
その「つまんねぇ案」はおそらく、今彼が投げた士官学院の教えに忠実な作戦案のことだ。
呆気にとられそうになるが、ここからが肝心だ。黙れば余計叱責される。
「…ウォルフ中佐、お言葉ですが。道路の修繕は必要かと。森へ迂回するとなると日程に影響がありましょう」
先週に指示された行軍演習の作戦立案。フェルシア達新任の准尉四名で話し合っていた途中のものだ。作りかけだが、多少の説明はさせて欲しい。
「自分も同じく考えました。森には魔が潜んでいるやもしれませんし、足場が不安定では…?」
フェルシアの右側からも声が上がった。ロイ・レイマン准尉。彼も同じくウォルフのもとへ配属された一人だ。
すると鳶色の瞳が迫力を増す。ああ?と言わんばかりの剣呑さ。
「うるせえ。それを考えるのがお前らの仕事だ。それすらも習わずに卒業したなら大したもんだな。帰って新入生とやり直して来いや」
ささやかな反論を一蹴され、だがフェルシアは食い下がった。
着任から今日までに学習した。この上官はすぐに諦める部下を好まない。
「順調に森を抜けてもそこは岩山です。ですからやはり、道を整備する方が手早くかつ、兵士を無事輸送するという目的を達成できましょう」
「違う。お前らは土台から違ぇ。…無事にたどり着くだと?」
「え……?」
無事にたどり着くのがいけない?それが主目的ではないか。
表情を動かさないつもりが、フェルシアは小さく零してしまった。また、同じく周囲の同僚もポカンとしたのだろう。
「…面倒臭ぇ。つまらん。話にならん。もういいからお前らさっさと出てけ!」
再び盛大な舌打ちと最終宣告が下り、執務室にビリビリと反響する怒鳴り声。
それを受け、彼女らは一斉に敬礼した。
「失礼します!」
だが全員が退室し始めれば、またフェルシアに声がかかる。
「おい。お前は残れ」
そう言われた彼女は、同僚の背を横目にぽつんと机の前に立った。
ウォルフは何やら書記官に言いつけている。その横顔は今日も相変わらずいかつい。
彼とはここ―――ロドグリッド王国、王都正門の守備隊に着任して初めて会った。しかし整った顔のつくりと青の制服がなければ、初対面では正直、ごろつきかと思っただろう。
また、年齢に見合わぬ階級も特徴だ。
着任時など、新任下士官一同「俺の邪魔はするな」と言われたが、それが「俺の(出世の)邪魔はするな」に聞こえるほど、彼は見目相当の野心家でもある。
そのため今度は何かと身構えていれば、向き直ったウォルフは一枚の封筒を机に投げた。
白地に押された封蝋は己らの隊のもの。
「これを渡しておけ」
「はい。…どちらに、でしょうか?」
机上を見つめ、答えは分かっていても念のため確認する。
「決まってんだろ。お前の彼氏だ」
(………この人は)
まただ。また言っている。…そう思ったフェルシアは淡々と返した。
「恐れながら閣下。現在、私に恋人というものは存在しません」
「あ?いるだろ」
「…毎度ながら、オリヴィエ少佐を前提にされるのはおやめください」
まどろっこしくて早々に名前を出す。するとなぜか溜息を吐かれた。
「あいつ以外に誰がいる。はぁ…お前らまだ結婚しねぇのか?ついでに伝えておけ。お前で良いからさっさと嫁でも取って隠居しろ、とな」
今話題に上った人物を「あいつ」呼ばわりする人間は珍しい。
だがこれも耳慣れたもので、たまらなくなったフェルシアはハッキリ言うことにした。これ以上放置して吹聴されでもしたら迷惑だ。尊敬するあの人に。
「おそれながら閣下。私は事実無根を主張致します。…確かにお世話になってはおりますが、彼のお方とそういった事実は今も昔もございません。憶測の流布は少佐のご威光に障ります。どうぞお控えくださいますよう」
多少強気でも譲れない。崇高な善意を下心と履き違えるなんてありえなかった。
そう思ったことも伝わったのかどうか。なぜか目の前の顔が俯いて…今度は肩を震わせている。
「……あの、中佐?」
「…………っ…ふ…」
答えはない。どうやら笑われているが、理由が分からずフェルシアはきょとんとした。
(…?私、間違ったことは言っていないわ…?)
疑問しきりで反応をうかがう。すると。
「…は……。…あー面白ぇ、ふっ……ああ…」
やっと顔を上げたウォルフは片手で腹を抱えていた。
「お前、つまんねぇけど妙に面白いとこあるよなぁ。あー……、笑うわ…」
「面白い」。
初めて与えられた評価につい相手を凝視する。しかしここで動じては相手の思うつぼだ。
今、自分はこの上官にからかわれている。
ライナスと旧知の上、去年の作戦に加わっていたウォルフは己の事情と、フェルシアがなぜライナスと同居しているのか全て知っているはず。
「…楽しんで頂けたようで何よりです。ご用は以上でしょうか?」
言いたい事は言った。もうさっさと退散しようかと尋ねれば、口調が気に入らなかったのか相手も笑いを収める。
「…チッ、似たようなつまらん顔しやがって。やっぱりあいつに似てやがる」
今度は暴言が始まった。
あいつとはもちろんオリヴィエ少佐、ライナス・オリヴィエ公爵のこと。現在フェルシアが世話になっている邸の主だ。
着任して知ったが彼らは何かと因縁があるらしく、ウォルフと話していると頻繁に悪口を聞かされる。
だが「嫁」だの「隠居」だの、さっきから聞いていれば、もしや自分は間接的にウォルフの出世道具とみなされていやしないか。
彼が結婚すれば多少は出世競争から退くと仮定して?
普通逆ではないだろうか…。
「…少佐は、ご結婚されたところで務めを疎かにするお方ではありませんが…」
フェルシアがつい口を挟めば相手は眉を上げた。
「へぇ。どうだかな。あいつもいずれは結婚する。その時が見ものだな」
どうしてここで自分にニヤリと笑うのだろう。
「あの、私にそう言われましても…」
「お前、それ本気で言ってんのか?」
「はい…?」
不可解だった。もしや既婚者の勘でも?とは思うが、やっぱりよく分からない。
戸惑っているとウォルフはまた笑み、こちらを払うように手を振る。
「なるほど、無関係か。…ああ、もう行け。それはあいつに渡せよ」
「はい。確かにお預かりしました」
あっさり解放され、意外に思いつつもフェルシアは退室した。
最後のやりとりはよく分らなかったが、しつこい上官に事実を述べるいい機会になった。そう思うばかりの彼女は気付かない。
その上官が「次に使える言質が取れた」と考えていることなど。
「あ、フェルシア。大丈夫だったか?」
執務室を出て廊下を歩いているとフェルシアへ話しける者がいた。ロイだ。さっきウォルフの執務室で一緒にいた下士官の一人。
「ええ、問題ないわ」
「そうか。君だけ残れって言われたから皆気にしていたんだ」
どうやら心配したらしく、ロイは立ち止まると眉を潜めてみせた。
ここにきて早数ヶ月。彼とも少しは打ち解けたと思う。在学中は話すこともなかったが、いざ接してみると真面目で素直な青年だ。あのライナスと又従姉弟というのも頷けた。
「そうなの?でも少し話をしただけだから大丈夫」
だがロイは性格ゆえか、ウォルフの前で緊張していた一人でもある。今だって、早くこの執務室付近から離れたいのかやや早足だった。
彼らしい、と思いながらフェルシアが視線を落とせば、その手は何やらメモを持っている。
「何か指示が?」
「もちろん。さっきのを明日終業までにやり直して提出だ。後、一週間訓練追加の罰な」
「明日?それは……今日も遅くなりそうね」
それどころか、皆帰れないかもしれなかった。
訓練はともかく例の作戦計画が問題だ。自分達新人だっていつも暇なわけではない。
この午前だって普段の課業を終わらせてなんとか机に向かっていたのに。
「急に呼び出して進捗を見たと思ったら、だな」
「ええ…。とりあえず、普段の務めを終わらせましょう」
同じように考えたのだろう、諦めをにじませるロイの瞳。それへフェルシアも頷きながら、二人はとりあえず他の同僚と合流しようと歩き出した。




