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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第1部 再会編 ※工事中。上から順に読んでいただいて大丈夫です
56/143

14章 (4)

 その帰り道。

 尖塔を一本構えた優美な建物、中規模の教会を背にしながら二人で石畳を歩いていると。


 ライナスが静かに立ち止まった。


「なあ。…聞いても良いか?」


 声に合わせて足を止めれば彼が振り向く。


「はい」


 見上げれば、思った通りの真剣な表情があった。

 こちらへと俯いた頬で黒髪がサラ…と流れている。


「君はこれからどうするんだ?」


 フェルシアはわずかに瞠目した。

 それは今からどこに行くとか、何をするといった単純な問いではない。


 己の未来についてだ。


 沈みかける陽が遠い稜線りょうせんから辺りを照らし、二つの影に沈黙が落ちる。


「私は……」


 まどう。

 彼には早く言わねばと思っていながら、まだどう切り出すべきか決めていなかったのだ。


 しかし聞かれたからには示さなければ。そう思い向かう姿を真っ直ぐに見つめた。


「もし学院で学んだことに責任を感じているのなら気にしなくていい。これからを姉妹で穏やかに過ごしたいのなら尊重しよう。負担金は君にかからないよう調整するし、事件が明らかになった今、異議を唱える者などいまい」


 いたとしても許さないと言わんばかりの口調に、赤青の瞳が瞬く。


 今の内容は確かに考えていたことだ。公金を費やした学生生活であった以上、軍か近衛に属さねばならない。そうでなければ通常返済義務などが発生する。

 それなのに原則に逆らっても良いと、戒めるべき立場の人がそう言ってくれるなら…。


 思いがけない提案へ少しだけ、それもいいなと思ってしまった。


「…ありがとうございます」


 フェルシアはふわりと浮かんだ想像にそっと一息吐いて答える。


「確かに私が近衛に入ることはもうないでしょう。推薦者があれでは意味をなしません」


 元々望まなかった話だ。通常大層な栄誉とされる地位だが個人的には一切惜しくない。


「…そうだな。すでに白紙と考えて良いだろう」


 静かにこの耳へと触れる声。

 相槌を聞きながら彼女はやや首を傾ける。


「それにいずれはライナス様のお邸を出ていき、姉を病院などへ入院させねばなりません。それまでにかかる費用は、うちの口座が使えるようになり次第お支払いさせて下さい」


 例のクローネ家とは当然絶縁状態であり後見人登録も取り消す予定だ。これからは残された遺産を頼りに衣食住を確保し、全てを自立して考えていく必要がある。


 出ていけとは言われずとも、だからこそ。


 今回の一件でライナスには様々に心を砕いてもらった。加えて事後の面倒を見てもらおうなどと、とても思えない。

 事件解決と被害者の救済は全く別の話だ。


 また、帰る先といえば北の自領が一番に挙がるところだが…。


「しかしこれから私に領地を任されるかは未定ですし、例え相続できても上手く扱えるかどうか」


 今後自分をグローリーブルー家の嫡子としてどのように扱うか、王城で検討中とのことだ。

 全てがそのまま戻ってくるとは楽観していないし、継承できても当面は領地収入をあてには生きられまい。

 

「…そうなると、ひとまずは手に職を付けるのが最善かと。ですから」


 スッと、突如挙がった掌にフェルシアは口を噤む。

 気付けば紺藍の瞳が訴えるような輝きを湛えてこちらを見ていた。


「待て。…待ってくれ。まず資金面については全く気にするな。言ったろう?君達は王家をも狙った陰謀に巻き込まれたんだ。それに君の一族は今までに我が国へ多大な貢献をしてきた。その恩返しができるとなればぜひ公爵家うちに支援させて欲しい」


「そう言って頂けるのは大変光栄ですが…」


 彼の申し出には公人として、国を支えてきた古き家門としての誇りが感じられ、返す声が揺らぐ。


「それに君のご先祖の件もある。いつまた狙われるか分からないだろう?」


「………!」


 急に事件の核心に触れられて戸惑う。

 未だ飲み込めていない、自身に流れる血の真相へと。


「…あれは推測の域を出ません。ずっと外には秘められていましたし、知っていてもとても信じがたい内容で…」


「そうかもしれないが、公爵を焚きつけた存在も気がかりだ。また企みに巻き込まれないとも限らない。…二人ともうちにいてくれれば警備の面からも安心できるんだが?」


 確かにそうかもしれないが…。それよりも今、聞いていて引っかかったのは。


「あの……ライナス様。もしかして信じていらっしゃいますか…?あの話を」


 己が神の末裔だという幻想のような話を。


「…ああ。あり得なくはないだろう?」


 驚いた。確かに魔への能力については不可解だが、さすがに神力を語るのは傲慢がすぎる。当人でさえ非現実的だと思うばかりの内容を、よほど大人な彼が何故…?


 目を瞠っていると、今度は気まずげにつけ加えられる。


「あ…いや。…信じたくなる、というのかな。そんな感覚的なものだよ。今は」


「感覚……?」


 やはりよく分からない。そう言わんばかりに見上げれば、見返す瞳はどこか…眩しそうにも見えて。


(…ああそうだ、この見た目が神様とそっくりだって…)


 白銀の髪に青い両眼。


 記述にあった描写によると、例の(フィ)(ール)は我ら一族と同じ色を持っていたらしい。


 性別を考慮するなら父や兄が近いだろうか。

 思い返せば、幼心にも陽に照らされたその姿はきらきらとして見えた。血統の始まりはずいぶん昔の話であるから、姿形は随分変わっているだろうが…。


 そこまで考えてハッとした。

 こればかりは彼の言う通りに思い込めやしないと、回想を止める。


「すみません、私にはまだあまり…」


「いや。良いんだ」


 ふっと緩む表情は気負いなく、いつもの穏やかな態度であることに安堵する。


 ですが、とフェルシアは切り出した。

 これでは懸念が残るかぎり彼と離れられなくなってしまう。


「私は今日までにたくさんのご支援を頂きました。前にもお話しましたが、もう充分過ぎるほどなのです」


「…充分、か」


「はい。幼きより学んだことを活かし、後はこの身一つくらいどうとでもなりましょう」


 保証はない。己の運と努力次第だが、すでに土台は過ぎるほどに整っている。

 だから己も見つめて返し訴えた。大丈夫だと。


 家族、そしてライナスとの記憶があるのだから…強く生きて見せる。これ以上を彼へ望むべきではない。

 そう思うのは全くの本心だった。あの時だって。


 「相変わらず、欲がないな」


 そっと返される、呆れるような微笑み。


(あ……)


 きっと相手も同じように思い出している。そう気付けば嬉しいような…、気まずいような。

 姉を助け出した日の夜、自分はすっかり感情を溢れさせてしまったから。


 フェルシアはコホン、と小さく咳払いをした。


「…あの、ですから。ライナス様には露ほども責はありません。きっと姉もそう考えるでしょうから…」



「では、あれは嘘だったのか?」



「え。……はい……?」



 唐突な糾弾に目を剥く。


 「あれ」とは?


「うちの邸に来た日、君は確かに同意したな。『目指す所まで一緒に来てくれる』と」


「……?あの、それは…事件の調査に関してだったかと記憶していますが」


 当然忘れていない。

 けれど、どうしてここで例の宣言が持ち出されるのかが分からなかった。



「ああそうだ、これも同じ話さ。君の今後を支えることが此度の大事件を防げなかった我が家の、俺の責任だと思っている。だからせめて成人し、自立して生きられるまでは全面的に支援させて欲しい。……そのつもりで言ったのに、君は中身も聞かず返事をしていたと。こちらはそう記憶しているが?」



 最後に強調するように尋ねられる、その一字一句を余さず聴いてから。



(……………私、簡単に頷いてはいけなかったのだわ)



 フェルシアは愕然とした。あまりにも壮大だと。


 あの話はただ、関係者の処罰といった事態の収拾についてだと思っていた。そこにまさか……この身の処遇までもが含まれていたとは。


 全く気付かずに、彼が言うのならと。即座に頷いてしまった己が出すべき答えは。


 そう、一つしかない。



「………今後は、しっかりと相手の説明を聞くようにします………」



 数拍して、深く決意する姿へと朗らかな笑みが向けられる。


「納得してくれて良かったよ。そうしてくれると俺も安心だ」


 約束を違えるわけにはいかず、そう言わざるを得ないことが情けない。けれど。

 …彼の笑顔を前にすればどうしてか、正しい選択をしたように思えた。


「…でもまあ、あまり深刻には考えないでくれ。本音を言うと君の成長を側で見ていたいだけだ」


「成長、ですか?」


「君は才能に溢れていて…とても素直で、心身共に強い。そんながこれからどんな人生を送っていくのか、俺はとても興味がある」


 今日だって快挙を成し遂げただろう?

 そう示す嬉しげな瞳に見惚れる。


「だからどうか、もう少しだけ見守らせてはくれないか?」


「………はい、そうおっしゃるのなら喜んで。何も保証できるものはありませんが」


 覗き込むように促され、フェルシアはいつの間にか頷いていた。

 低い声と表情は温かみに満ち、この心地良さがこれからもあるのだと知って喜びが湧き上がる。


「保証など必要ないさ。君が君であればそれで良いんだよ」


 ……本当に彼は、何度自分を感動させるつもりなのだろう。



「あの」



 そこで、フェルシアは思い切って口を開いた。

 ここしばらく考えて、考え抜いて。やっと出した結論を伝えるために。



「ライナス様。どうか二ヶ月前のお言葉をもう一度頂けないでしょうか?」



 始めは何事かと見つめられたが、ややあって美しい両眼が瞠られてゆく。


 躊躇した。

 彼がたった一言で察してくれたことよりも…その表情に。


「失礼は重々承知です。もしもまだ間に合うのなら、あの時の答えを撤回させて頂きたいのです」


「それは……。確認するが、再会した日のことかな」


「そうです」


 二ヶ月前などまだ最近なのにすっかり遠く感じる。

 あの日の放課後、呼び出された応接間で対峙した衝撃と落胆。そこで慄きながら下した己の選択を変えさせて欲しいと。


「さっきも言ったが、義務感を感じているなら忘れてくれ」


「…いえ、それだけではありません。私自身がそうしたいのです」


 やはり説明せねばなるまい、とフェルシアは息を吸い込んだ。


「今回の件で皆様の背中がとても頼もしく見えたのです。子供の頃に見た父と兄のようで…。それを見ていて、私も同じように誰かを、この地を守りたいと思いました」


 世の中には色んな人がいて、出来事や考え方があって。…こんなにも素晴らしい人がいる。


 静謐な夜に、賑やかな白昼に。

 「いつか」と「誰か」のために努力し続ける姿勢は、幼い頃からずっと憧れ、フェルシアにとって最も馴染み深いものだ。


 そしてずっと思い描いていた家族の背に、いつしかもう一人の姿も並んでいる。


「どうか私にも居場所を頂けないでしょうか。まだまだ未熟ですが、いつかは人々に頼られる存在に。…ライナス様のようになりたいと願うのは…おかしいでしょうか…?」


 言っていて俯きそうになる。

 人へ夢を語るのは初めてかもしれず、そわそわと逃げ出したくなるようで、とても落ち着かなくなって両手を握った。


「待遇はお任せします。一度お断りしてしまった身ですから、下士官に満たない始まりでも。ですからどうか……そこに、貴方様と同じ世界にいさせては頂けませんか?」


 口を挟まれないのを良いことに、心の内を全て告げる。


「ライナス様と同じように尽くし、皆が大切にする景色を私も守っていきたい…。そう在れたなら…私は一生満足でしょうから」


 「一生」は言い過ぎただろうか…、しかし後悔はない。そう思いながら口を閉じ、改めて彼を見上げたのだが。


 夕焼けで影の濃い中、黒髪の隙間に浮かぶ感情は読めない。


 ちゃんと伝わったのだろうか?


 緊張で支離滅裂になり、ろくに説明できていなかったかもしれない。

 ではもっと補足がいるだろうかと。そう焦ってまた口を開きかけた時だった。


「……駄目だ」


「え……?」



「入っただけ、守っただけで満足するな。どうせやるならもっと高みを目指せ」



 はっきりとした声に、彼女の瞳がぴくりと揺れる。

 自分よりも高い位置にある表情は……厳しいものだった。


「何度も言うが君はもっと貪欲になれ。目標や憧れも大事だが、自分自身の望みや可能性も取り零さずに、己の成長した姿を想像することだ。…数年後、数十年後にどんな自分になりたいのかを」


 鋭い声。けれど、これは。


「志望動機ならそれでも足りようが、すぐに立ち行かなくなって何をすべきかが見えなくなる。…君は思い悩む性質だから容易に想像できるよ」


「あ…申し…」


「謝るよりもそう考える自分を振り返れ。どうすれば内面の脆弱性を克服できるか考えろ。確かに戦闘力は同世代でも抜きん出ているが、まだまだ粗削りだ。自覚があるなら具体的に対策を練り実践しろ。………と、入軍すればもっと容赦ない指導を受けることになるが、それでも良いのか?」


 一転、穏やかに戻ったその口調を聞いて。

 黙り込んだフェルシアは目の前の姿をまじまじと見つめてしまった。


(…これは……まだまだ言いたいことがある、という顔よね…?)


 ごくり、と小さく息を飲む。


 実習中に見かけたそれよりは大層違う。学院で叱咤する教官や、現場での怒号のような指揮よりもよほど温い。

 

 けれどこれまでの自分を観察してとうとう放たれた言葉だ。

 それも彼が相手だからこそ、余計に感じるものがある。


 信頼し、尊敬してやまない人に言われるからこそ。理解されていると知っているからこそ。


 内心たじろぎつつも彼女は瞳を逸らさず見返した。

 すると静穏な紺藍は確かにこちらを映している。ああそうだ、自分はこの眼差しにいつも背中を押してもらった。


「…はい、ぜひ。望むところですから」


 強く感謝する。君ならできると、そう言われた気がしたから。


 これからもっともっと成長すれば、わずかでも彼に近付けるだろうか。追いついてその背を見つめていても良いだろうか。それまでは。


「ではライナス様は…私が成長する姿を側で見ていて下さいますか?」


「約束しよう。君が嫌だと言うまでで良いか?」


 気付けば頑なな唇はほどけ、その軽口に言い返していた。


「ということは、私が良いと言うまでいて下さるのですか?」


「…ああ、もちろん。どっちが根を上げるのが先だろうな」


「負けません。私は『頑固』ですから」


 うたうようなやりとりに一層笑みを深めたところで、再び引き締まった目元を見て姿勢を正す。

 そうして緩やかに風吹く中、くっきりと向かい合う影の上で。


「では」


 短い一声を皮切りに、あの日の台詞が厳かに響いた。



「フェルシア・グローリーブルー。学院卒業後は我が軍に来ないか?」


「はい、閣下。どうぞよろしくお願い致します!」



 笑み交わし、通じ合った瞳は真っ直ぐにお互いを認めている。

 彼がいてくれて良かったと、心からの想いを溢れさせながら。フェルシアは差し出された大きな手を握り返した。

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