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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第1部 再会編 ※工事中。上から順に読んでいただいて大丈夫です
52/143

13章 (5)

「もう良い」


「……!」


 突如反響する力強い声。


 振り向けば変わらぬ距離でこちらを見つめる双眼があった。

 背後では遮られた研究者がびくついているが…今はきっと己の瞳も酷く揺れている。


「フェルシア、君も。…後で説明してくれるか?」


 そっと大きな手が背に添えられた。すると強張りが解けるようで、かすかに息苦しさが緩む。


 ライナスはまだ例の本を読んでいないし、八年前について説明してはあるものの、己らの会話の全ては分からなかったはずだ。

 それでも緊迫したやりとりから大体は理解できたのだろう。もちろん、兄の死とその最期が穏やかではなかったことも。


 震えるばかりの己へ、慰めを言うでもなくただ与えてくれる温もり。

 未だ手足の感覚すら不確かであったが、なんとか返事をした。


「…………はい」


 静かに深呼吸をする。

 ここへ来た目的を思い出さなければ。忘れるな。


 自分の存在を認めて支えてくれた人達を想う。


 今回の摘発は現王を始め、想像もつかないほどに多くの協力があって実現した。

 まさに今、隣にいる彼が舞台まで押し上げてくれた。せっかくの好機を自分の浮沈ふちん一つで滞らせている場合ではない。


 この激情は後で感じるべきだ。

 例えそれが家族の大事であっても。


「…すみませんでした。もう大丈夫です」


「ああ。行こう」


 しっかりと合わさる赤青の瞳を確かめライナスが頷く。


 速やかにその元凶を捕まえ、真実を確かめなければ。その思いだけでなんとか己を奮い立たせた。



 そうしてフェルシアが我を取り戻し、拘束される研究者を背に小部屋を出た時だった。


 聞き知ったばかりの高音が響く。


「今のは…」


「銃か…?まさか」


 小さくとも二人の耳ははっきりと音を拾った。

 聞こえた方向へと、二人して天井を見上げる。そこにあるのは当然…。


「邸内に戻るぞ」


「はい!」


 短い間だったがリゼッタはもう邸を去ったはずだ。彼女がもう発砲する必要はない。

だとすれば残る人物はただ一人。


 通り過ぎ様に下士官へ指示を出す背を追い、フェルシアも急ぎ階段へと引き返した。



* * * * * * *



 一階は地下同様すっかり悲惨な有様であった。



 しかし明るいぶん、地下よりも酷く見えるだろうか。倒れた調度品に割れた花瓶や窓ガラス、耳を立てれば上階では止まない喧噪がある。そして床に伏して苦しむ両陣営の人々。

 衛生兵がこれらの合間を縫っては忙しそうにしていた。


 そんな中目が慣れてくると外の様子も分かる。

 天候は怪しいまま、窓の向こうは雨雲で占められ今にも降り出しそうだ。いさかいにて蝋燭の多くは消えてしまっているから、実は邸内が薄暗いとも気付く。


 混沌とする現場を横目に階段を二つ上がった先、三階最奥のホールには青い人だかりができていた。

 それを見つけた瞬間。



「お前ら近付くな!こいつがどうなっても良いのか!」



「ヒッ………!!」


 必死さを思わせる大声と息を飲むような悲鳴が聞こえた。

 まさか、と思いフェルシアも人垣の間を確認すれば。


 いた。ゾエグ公爵その人が。


 ジャケット姿の黒い腕の中には……人質なのだろう、一人の女性を捕えている。

 対するは大理石の床上の中央、二つの人影。それをずらりと並んだ隊員達が剣を構え囲っていた。

  

 また、事態が膠着しているのは誰の目にも明らかだった。


「…少佐。ご覧の通りです。先ほどから説得していますが変わりません」


「通せ」


 どこからともなくの報告を受け、包囲の前面へと彼が進む。迷いつつフェルシアも後に続いた。


「…お邪魔していますよ、ゾエグ公爵」


「お前は…!さっさとこいつらを退かせろ!こんなのは越権行為だ。軍の侵略として陛下に上奏する!」


「ではその前に、こちらを確認して頂かねばなりませんね。そちらにも届いたはずですが」


 そう言ってライナスが懐から取り出したるは一枚の羊皮紙だった。


 しかし、パラ…と広げられれば分かる。それはただの書きつけなどではなく、どうやら証明書だ。

 しかも仰々しい玉璽の押された…王城のものだ。


「これが何かお分かりでしょう。貴方を拘束し、領内を隈なく調査するという陛下のご意志が記されております」


 だから今更どれだけ吠えようが、抵抗しようが運命は変わらないのだと。

 躊躇なく告げる声は透徹としていて無慈悲だった。


「もう貴方は引き返せない。王族を害し、違法な実験を繰り返した罪の容疑がかかっている。今すぐ投降した方が御身のためでしょう。…速やかにその女性を解放することだ」


「くそっ……!小僧如きが偉そうに………!!」


 唸り、忌々し気に歪んだ顔に後悔や反省は微塵もない。

 それへ堪らなくなって。フェルシアは咄嗟に踏み出していた。


「…いい加減にして下さい。もう貴方の勝手で犠牲者を増やさないで」


 お前は…と呟く声。一歩進み出て彼と並ぶ。


「八年前…愚かにも私は貴方の手を取りました。これで助かるのかと…そう思って。でも」


 あの瞬間、姉に訪れるはずだった絶命を止めたのは確かにこの男だ。それでも。


「始めから私達を貶めていただけだったなんて…!私がそう気付いた時の気持ちを想像しろとは、言いません。貴方には絶対に分からない」


 理解も納得も。変わってとも願えない。


「その自分勝手な目的のために多くを私達から奪いました。永遠に……!」


 その仕打ちに絶望し、姉をよすがに耐え続けた。それが全て一人の欲望のためだったなどと。

 だからこの男は今こそ責任を果たすべきだと、そう言いたくて。


「貴族として一門の当主として、…それ以前に人として。自分の取った行動の責任は取って下さい。このたびは恐れ多くも陛下をも含む大勢の命が危険に晒されました。貴方は今一度それを正視するべきです」


 言葉を切ってその顔を見返した。フェルシアが喋るほどに相手の形相は歪みを増し、すでに憎悪とも屈辱ともつかぬ醜いものになっている。


「黙れ…!チッ、ガキが。そもそもお前らがその能力を隠していたのが悪いんだろうが!」


「それは……!」


「俺は騙されただけだ!けどな、あの研究が続けば将来とんでもない発見に繋がるんだ!」


 叫び、メイドに向けられていた右腕がこちらへと向かう。その指先に握られているのは、もちろんあの鉄塊だ。


「!」


「フェルシア!」


「逆らうならばお前もいらん!」


 切迫した声がしたけれど、当然動けない。


 突然矛先の変えられた銃口に現場は一層ざわめいた。


 全員が動向を見守る中、ゾエグ公爵の荒い息遣いだけがその場に響く。

 一方フェルシアは、たじろぎながらもその銃身にかかった指先に神経を研ぎ澄ませていた。わずかな動き一つでこの体に穴が空く。


 そして激動する局面は熟考の間を与えるはずもなく。数拍も数えぬまま、また怒声が放たれた。



「死ね!!」



 聞こえた瞬間、フェルシアが駆け出す。そして。



 パンッ



 集中して縮瞳する異色に映るは、ぽつんと向かいくる黒点。



 確実に捉えたそれから身を翻せば擦れ違う。小さな鉄球と己が。



 響いた発砲音の後、瞬時にチュンッと音がした。床に当たった音だろうか。

 それを聞きながらフェルシアは左腰から一瞬で柄を引いた。跳躍の中、シャッとかすかな音が鳴る。


「取り押さえろ!」


「くそ、……このっ…!」


 こちらを見て、慌ててゾエグ公爵が銃身を下げようとするが、もう手遅れだ。


「……ッ!」


 引き金にかかった手が止まる。

 ひたりと喉仏に感じる違和感と、その冷たさに。


 …男が目だけで見降ろせば、見返すようにして同じ顔があった。まるで細長い鏡のように。


 その鏡、白刃の切っ先を突き付けた少女は無言で睥睨する。


 万感の想い。

 自分だってこの男を憎み、苦しみ、屈辱に塗れた。何とかせねばと足掻あがいても、枷のはまった足ではどこにも行けなくて…無力で虚しかった長い年月を。


 ふと、瞼を閉じる。


 今この手を引けば終わりだ。

 鼓動する仇の命が。


 自分達一族の歴史を穢した、一夜で数多を殺めどこまでも愚弄した。

 愛しい兄姉をただ実験の糧として扱った、憎悪の元凶が。


(私は……)


 ぐっと、せり上がる気持ちで両手に力が籠る。冷汗の滲む肌をつぷり…と割けば、線のように流れる紅で刃が汚れた。


「あ……ッ……」


 かすかな感触と、視界に映る人の輪。

 この利己的な貴族が求めた、赤と青の瞳が映す世界。



それを見て、心が決まった。



「私は」



 シン…と無音の満ちる空間。見られている、皆に。


 目の端には一人のお仕着せ姿。例の女性は無事に引き離されたようだ。


 だから現在ホールの中央に立つのは自分とゾエグ公爵ただ二人。

 

 けれど見えずとも聞こえずとも、黙って見守る理由だって分かる。自分の背後にいる彼のことが。

 その姿勢に…判断に応えたい。そう思ってフェルシアは、スゥ…と大きく息を吸い込んだ。



「ゾエグ公爵。私は貴方の事を一生赦しません」



 強い意志を孕んで、しかし淡々と述べた。



「――――――国法に則って、正当な裁きを受けなさい」



 短い宣告が終わるとすぐ、彼女は近くにいた隊員へ「お願いします」と声をかけた。

 はっと我に帰りゾエグ公爵を拘束する手を見て、やっと剣を引く。突き付けていたものを鞘に納めると、いよいよ決断したのだと実感する。


 一息吐きながら振り返ると、そこには思った通りの姿が立っていて。


「…良かったのか?」


「はい。…私情ではなく、全ては司法にお任せします」


 すみません、お待たせしました。そう向き合う己を眺める瞳は労りに満ちていて、やっぱり好きな色だと、もう何度目かの感想を抱く。


「君が手を下したとしても責められまい。…きっと俺がそうはさせなかったよ」


「ありがとうございます。ですが、私は貴方様にも甘えてばかりもいられませんから」


 その気持ちだけ受け取りたい。


 どんな因果関係があったとしても私刑は法治国家の秩序を乱す。仇と同列に堕ちてしまう、そんなのは嫌だった。

 自分はきっとそんなことをするために生かされたのではない。


(自分で言ったことだもの。貴族としての責任があるって)


 これからも生き、家名を背負い続けるならば。

 一時の感情で世間に恥じるような行動は取りたくない。命を握ったあの瞬間、慎重に剣柄を握りながら、心で、全身でそう思った。


 後ろにこの人がいたからこそ。


 自分の動きに合わせて人質を保護しながら、確かに感じた強い眼差し。

 振り返ればそこにいる。そんな絶対的な安心と固唾をのんで見守る人々を見て、大丈夫だと思えた。


 ゾエグ公爵への憎しみが消えることはない。


 けれど…命を奪うことだけが復讐ではない。身柄を引き渡し、ちゃんと法の下で罰して欲しいと。

 躊躇なくそう思えたから決めた、この手を離すと。


 そうして二人穏やかに見つめ合っていて、ふと思い出した。


「リゼッタ様には感謝せねばなりませんね」


「…ああ。『一発毎に弾を込めないといけない』んだったな」


 あの時、銃口を向けられた時に。

 フェルシアは考えた、一発さえ避ければ懐に入り込めるのではと。


 そして集中すれば、初見よりも明確に見えた銃弾。本当に小さなそれを間一髪で避けて…、後は皆が見た通りである。


「ですが、やはり読みとは外れた位置に打たれました」


「扱いには練習が必要だからな。それよりも、俺は完璧に避けた君が信じられないよ」


「…?確かにいつになく集中できました。確実な自信はありませんでしたが…」


 きょとんとしてしまいながら答えると、何故か諦めたような顔をされた。


「あのな……。いや、もういい。そういうことにしておこうか」


 不思議だったが、苦笑する顔には責める気配などない。

 それに今こうして普通に会話していることこそ信じられない心地だ。二月前、入軍を勧められた時とは真逆の雰囲気がここにある。


 振り返り、すっかり項垂れた男が連行されるのを眺めてフェルシアは静かに感嘆した。


 結局現場で分かったことと言えば、グローリーブルー領の襲撃へ確かにゾエグ公爵が関係していたことと、己らの血とセランを利用した実験が行われていたという供述のみだ。

 後は追い詰められた公爵が最後に口走った言葉の数々も検証が必要だろう。



 けれどやっと前に進めた。

 ずっと暗澹としていた視界が晴れた気分。


 …これも全て、隣にいるライナスのおかげだ。

 一人では何年かかったか知れず、きっと望む結果は得られなかった。



 当然これからだって分からないし、兄のことも全く整理がついていない。ここで何が行われていたのかは、少しずつ解明されていくだろう。

 けれどこの一時くらい、事態が動いたと噛み締めても良いのではないだろうか。


 窓から光が降り注ぎ始める。

 気付けば立ち込めていた雲の隙間から、白い陽が姿を現したようだ。


(綺麗……)


 暗雲から漏れた光が地表を照らす様は、とても希望に溢れて見えて。

 まるで冷え切った体を包むよう。


 夜明け前が最も暗い。そんな言葉が思い浮かんだ。


 昔は大好きだった冬の夜空。

 くっきりと星座の輝く美しさにいつだって目を奪われて、…いつの間にかただの闇だと手を伸ばすのを止めていた。


 けれど、もう怯える必要はない。


「フェルシア?どうした」


 振り返れば、…こんなにも温かみに満ちているのだと。彼がもう一度教えてくれたから。

 どんなに先が見えなくても、その向こうは必ずあると知ったから。怖くはない。


「いえ、何でもありません」


 言いながらも唇が緩んでしまうのを自覚する。


 なんとなく、それを見られまいとした彼女は、珍しく率先して階下へと踏みだした。


 その踊るような軽やかさに驚く気配と、益々上がってしまう口角を感じながら。


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