13章 朝陽射す(1)
カサリ、それを捲るたびに。
『お疲れさま』『卒業後も頑張れ』
と短いものもあれば。
『もうすぐトーナメント本戦だな。絶対勝てよ』
と言ってくれるものもあり。
『木登りを始めた時はどこの猿かと思った!無事に実習が終わって良かったよ』
『夜間演習では助けてくれてありがとう』
『いつも文字が綺麗で助かった。これからも頑張れ』
細かく評してくれるものまであって、とても温かい気持ちになれた。文末にはもちろんサインがあって、いくつかは見覚えのあるものだ。
(皆さん、お元気かしら…)
こうして実習の終わりにもらったメッセージに触れていると、あの日々が思い返される。
最後に隊員達から受け取った数々やそれに頭を下げるばかりだった自分。送り出してくれたライナスとルルリエの顔も。
今振り返っても得難い体験ばかりの一ヶ月だった。
そうやって一人与えられた室の椅子に座って。フェルシアがこの手に帰ってきた全てのカードを読み込んでいると…。
ぶわり、と。
麗らかな陽射しの中、窓から突風が吹き込んだ。
窓際に留められたカーテンも大きく膨らむ。
カツン…
「あ……」
一瞬目を見張る。
かすかな高い音が真下で鳴った。髪から手を離し見降ろせばテーブルの下に落ちたいくつかの紙片が。
中でも厚い絨毯の上で歪に分かたれたそれは小さくて薄くて、長方形の…。
(割れちゃった…。栞みたい)
カードに同封されていたと気付かず、机上から風に煽られてしまったようだ。どきりとしながら屈もうとしていると。
「大丈夫でございますか。…お嬢様、危ないですのでお待ち下さいませ」
側に寄ってきたリリィに制された。頷き待っていれば、手袋をつけた彼女が全てを拾い上げてくれる。
「ありがとうございます。机の上に置いてくれますか」
「かしこまりました。お気をつけ下さい」
そっと元の場所に戻され、ハンカチの上に並ぶのは二枚のガラス片。どちらも同じ、滑らかに光る薄色の花柄が可愛らしい。
きっと運悪くテーブルの足に当たってしまったのだろう。
誰がくれたのか、申し訳ないことをしてしまった。
心の中で広がっていた気持ちがしゅんと縮む。もっと注意を払っていれば良かったと。
そうして見つめながら、フェルシアがどうするべきか考えていると…。
「…お嬢様、よろしければ修繕を手配致しますが。いかがでございましょう?」
そう尋ねる声に、ハッとした。
「あ、……それは……」
願ってもない申し出だ。けれど。
すでにライナスを筆頭に邸の人々には多くの手間をかけてしまっている。その上不手際まで面倒見てもらうなど……、けれど確かにこれを使えるようになれば嬉しい。
迷い、目を伏せるフェルシアへと重ねて声がかけられる。
「ぜひ手配させて頂けますと。旦那様から日常にご不便のないように、と仰せつかっておりますので」
「…分かりました。では、お願いできますか?」
その流れるような言葉かけへと、躊躇いながらも頷く。きっと仕える者として義務的な申し出なのだろうし、固辞するのも不自然だ。
そうして例の栞は丁重にトレーに乗せて下げられていった。次に出会った時、元の形に戻っていたらちゃんと使いたい。
すると視界の端でその様子を見送るフェルシアの背に、静かで優しい響きが届く。
「…大丈夫ですよ」
「……?」
「すぐ職人に渡り綺麗に直して頂けるかと思います。せっかくの頂きものですから、早くお使いになれる日が待ち遠しいですね」
瞠目した。リリィの言葉は先ほど心の中で思ったことと同じであったのだ。
その声音で気付く。栞が割れたと知って思案する姿を相手がどう感じたのかを。
…まったく自分は成長しない、もっと素直に考えるべきだったと。思い直し、昨日教えてもらった言葉をさっそく実践する。
「…ありがとうございます。そう言って頂けると、嬉しい…です」
またしても流暢に言えなかったと悔やんだが、果たして、リリィは己と違い言葉通りに受け取ってくれた。
振り返ると、驚いた表情が微笑みに変わってゆくところで。ああちゃんと口に出して良かったと、フェルシアは心から思えた。
…本当は何かが壊れたことを予兆じみて感じてしまったが、その親切と控えめな笑顔を見ていると安心できた。
フェルシアは改めて座すと、再び手元に踊る激励の数々を眺める。まるで己を鼓舞するように。
突入まで、あと二日。
* * * * * * *
その日は朝から天候が怪しかった。
ゴロゴロ…と遠くから雷鳴が聞こえ、遠目には暗雲の塊が迫っている。どうにも不穏な始まりだ。
そう思いながら瞳を細め、空を仰いでいると…。
「オリヴィエ少佐。恐らく使者かと」
傍で望遠鏡を覗いていた者が告げる。自分も視線を飛ばせば、確かに黒っぽい影がこちらへ向かってくるところだった。裸眼ではまだとても小さい。
「急ぎ迎えろ。決して危害は加えるな」
それへと答えるのは隣で立っていた彼、ライナスである。
フェルシアもそのやりとりを聞き、去って行く隊員の背を眺めた少し後。
自分達が待つ場へと現れたのは、赤い騎士服をまとった使者だった。そうして携えられた書簡が開かれる瞬間、ちらりと見えたが…文章は簡潔なのだろう、ほとんどが余白だった。
内容を確かめていたライナスが囁けば、横にいた総指揮役の人物も小さく頷き口を開く。
「『承知した。通告通りに行動開始する』…そう伝えるように」
静かに、しかし厳かに告げられた声。
使者を筆頭に場の全員がサッと緊張を走らせた。いよいよだ。
例の使者は一礼し去っていったが、すれ違う際、勇ましい色とは真逆の心情にあるのが分かった。主君の無謀な態度をよく理解しているのだろう。
その後すぐ、同じく衆目を集めていたライナスがこちらに戻ってくる。
「…予定通りだ。あの使者が敷地内に戻り次第攻勢を開始する」
「分かりました」
敷地。それはフェルシアが過去数年滞在したゾエグ領地、巨大なカントリーハウスのある場所だ。今人が出てきて、そしてまた戻っていく門の内側。
そこは今、数多くの軍隊によって包囲されていた。
先ほどの場面は両陣営の最終的なやりとりであり、こちら側としては投降要求を頑なに拒否されたところだ。
そして向かうフェルシア達が立つのは領内にできた町のただ中、領主邸正門前である。
走って数分の距離を空け敷かれた包囲網。町民には一週間前から危険を宣告してあったらしく、昼間であろうが通りには人一人見られない。
ひしめく建物を縫って、冷たい風がもの悲しく吹き遊ぶ。隊の間をすり抜ける伝令の足音と、各々が態勢を確認する様子も密やかであった。
それさえも終わり、周囲が一斉に無音に包まれた瞬間。
「―――全ての先遣隊に命ずる。突破しろ。容赦するな」
周囲へと広く響いたのは、開門し道を開くための指令だった。
伝令がなくとも届く命に、バッと敬礼し揃って駆ける集団。その後列で重たげに押し出されていったのは門を打ち破るための大道具だ。
実際に使うところを見るのは初めてだったと、興味深く見つめていると。
「きっと突破は予定よりも早いだろう」
隣からかかった声に含みを感じる。
「…そうなのですか?どれくらい、でしょう?」
「裏門と西門からも攻めるが、破るだけならこの正門が最も……一時間も持たないと思う」
聞き間違いかと思ってしまう。なぜならそれは早い、早すぎる。
「確かに砦のような大門ではありませんが、籠城の準備はしているようです」
規模によるが、通常は数時間から数日が一般的だ。
ここはただの私邸だが、見やれば…太い鉄柵の補強や土嚢を詰むなどの基本的な対策は施されている。腐っても規模の大きな騎士団だ。技術と資材の限りを投じて防衛に備えたのだろう。
それに対して一時間はとても…。
いくらこちらが準備していても、彼の予想通りに行くだろうか?
「そうだな…。まあ待っているといい。出る準備だけは常にしておくように」
「はい」
やや疑問は残ったが気に留めないことにした。
すでに争いの怒声と悲鳴、地鳴りのようにぶつかる音が響き始めている。正門が突破されれば次は自分達の番なのだから。
出立前に見た姉の顔を思い出す。
昨日の朝、彼女を訪れ相変わらずピクリともしないその手を握り祈った。
自分が戻るまで無事でいて欲しい。そして成功を信じていて欲しいと。
今日の出来事で何が明らかになるのか…未だ予測が付かない。過去を含め事件の全容が分かるかも不明だ。
けれど、真犯人と思しきゾエグ公爵を捕らえれば終止符を打てる可能性は高いのだ。
正直最前線でどのような光景が繰り広げられているのか、気にはなるが…自分のことに集中しなければ。
そう思って軒下で密かに深呼吸をしながら、時々通っていく負傷者の担架を眺めていると。
ドオンッ…と一際大きな音がした。
「正門、破りました!」
「!」
驚く。時計を見れば…確かに要したのは一時間にも満たない。
その報告にライナスも頷く。
「俺達も前に出る。ついて来い。離れるなよ」
「はい!」
即答しその背に続いた。前に出れば、それはいつ矢などが飛んできてもおかしくない位置だ。
ワアッと号令が波打つ中、即席の防護壁の影に立った。そこでまた待機する。
目前では先遣隊が追加され次々と敷地内へと駆け込んでいる。目指すはそびえる建物の出入り口、豪奢な玄関の突破だ。
胸が逸る。けれど隣を見れば静かに事態を計る姿があった。
(落ち着かなければ。ライナス様と一緒なら…大丈夫)
自分も見習おう。頼りない様子でいては彼も、周囲も危ぶんでしまうから。
無意識に左腰へと手を添える。そこにはここへ来て渡された一振りの重みがあった。
ライナスが持つ形とも違う、フェルシアのためにと彼が手配してくれた剣だ。
一般的な刃渡りのまま細めの体部はシンプルで取り回しやすい。複数から選んだそれを持ちやすいように突貫で改良してもらったためだ。
本当に感謝である。この場面で真剣は欠かせないから。
一人でも確実に身を守ることができるし、精神的な支えにもなろう。
…もちろん宣言通り彼から離れるつもりはない。それぐらい頼りに思っているのだ。
するとまた響いた、派手な音と怒声の数々へと。
「入ったな。…これより、本隊も続く!皆進め!」
振り返った彼の声が綺麗に張り上げられる。
それへ一斉に続いた鋭い返答と共に、瞳を交わし合ったフェルシアも走り出した。目の前の青い背目がけて。




