12章 (6)
その後卓上の皿が片付けられてから。
ライナスの指示によりメイドも下がると、温室には自分達以外誰もいなくなった。外から従者が一人こちらを見守るのみだ。
最後に残されたティーカップを持ち上げていると、改まった表情の彼が口を開いた。
「ここに来てもらったのは…昨日話す、と言ったこともあるんだ」
だからもう少し時間をくれ、と続いてフェルシアは頷く。
「…はい。どうかお聞かせください」
ずっと気になっていた、非常に重要な話になるとも、先ほどの疑問の答えについても。
聞かせて欲しい。
「まず。昨日ゾエグ公爵家邸宅を確保した時にだが。同時刻アラン・ゾエグも王城で拘束し、容疑者として拘留中だ」
「!アラン様が……」
ハッとする。予想はしていたが、すでに昨日の出来事であるのにも驚いた。大胆にも勤務中の姿を捕えたのだろうことにも。
「父親の容疑とその関与については現在取り調べ中であり、今朝から少しずつ喋り出したと聞いているよ」
「もしやお会いになられたのですか?」
「…昨日少しだけな。調査については慎重かつ速やかに進めているから、任せて欲しい」
彼はまだ腐っても貴族令息だ、取り調べにも注意を要する。それについても心配はいらないと言われ、何とはなしに黒い手元へ視線を落としていると。
わずかに視線を感じ、見れば一瞬の差でその目が逸らされた。……きっと今彼は首元を見ていたのだろう。
話のはずみで思い出させてしまっただろうかと。思わず手を添えてしまいそうになり膝上で拳を握る。
「また…領地にいるゾエグ公爵へ、質問状と王城からの召喚要請を届けたがまだ返事はない。一日もない距離で抗議を送る手間は割いたようだがな。全てが陰謀で自分は無実だという弁明だったよ」
しかし彼らはすでに確たる根拠を提示したという。
また、いつからかあの家に入った使用人は行方不明になり、新しい者が雇われ続けているらしい。それでも人手が足りない状況にあると、これらが意味するのは。
「……まさか……」
「ああ、きっと彼らさえも…。あとは出入り業者とその納品、廃棄物の搬出記録も入手した」
凄い。それがあれば被検体のものと併せてより正確に追及することができる。
後は主犯格を捕えて吐かせれば…。
「例の抗議文にはほかの件についても書かれてあったよ。陛下とリチャード様の暗殺未遂についてだ」
はっきりと言い切る言葉にフェルシアは息を呑んだ。
あまりに衝撃的過ぎる話だが、あの男は本気でやろうとしていた。
「やはり守るべきお方すら、手にかけようとしていたのですね…」
何を思ってそこまでするのか。ゾエグ家当主は評議員のまとめ役としても機能し、代々近衛騎士の排出も多い。
「未遂」と言うからには両者無事だったのだろうが…、もはや職務放棄の状態だ。
「……そういう人物だよ、昔から。君も良く知っているかもしれないが冷酷な性質だ。王政を支えるよりも己の権威を確立することに必死さ」
珍しく彼が感想を述べる。鋭く寄せられた額は心中を表わしていて、その怒りはどれほどだろう。幼き頃より国防を説かれる者にとって、頂く存在を失うのは窮地を意味するから。
そして、それを経てあの男が得るものとは…。
「……だとすれば、王妃様は……」
ぽつり。小さな独白はしかし確かにテーブルの向こうへと届いた。
「ああ。昨日まではそのつもりだっただろうな」
さらりと述べられた答え。ああ、やはりと。
答え合わせだった。いつも金色の窓枠から見たのはあのお方だったのだと。
大雨の日や新月の闇夜に。その人は質素な馬車を後にして必ず裏庭から邸を訪れていた。この目で容易く視認できてしまったことが、今でも複雑である。
「ゾエグ様は…リチャード様の後ろ盾……『摂政』として、居座るつもりだったのでしょうか?」
「だと踏んでいる。…それが実現すれば、恐ろしいことになる。国法も制度も思いのままだ」
第二王子のリチャードは御年十四歳。成人まであと四年ある。
それまでに後見を勝ち取れば、彼は摂政として国王の如く振る舞い全てが思いのままだ。そもそも摂政の仕組みさえも力ずくで改変できる。どのようにも。
そのため元も障壁となるのはその他の王族、特に現王と第一王子だったのだろう。
「そう、ですね………」
それ以上は何も言えず俯いた。
まがりなりにもリチャードを探すと宣言した身だ。それが国家転覆の企みに繋がっていたことに……否、分かっていて利用したことが、とても。
(罪深い…)
幇助罪で罰せられると怯えるのではない。
考えが甘く利己的な奴だと、目の前の人に失望されたのではないか。その瞳によぎる暗雲を見てしまえば、先ほどのような穏やかな時間はもう永遠に来ないと気付いてしまったから。
「フェルシア、顔を上げてくれ。ミラブル男爵家は知っているだろう?」
促されて前を見れば、深い紺藍は相変わらず真摯なままだ。
語る声だって力強くとも、少なくともフェルシアを断ずる気配は感じられない。不思議に思いながらも話は続く。
「…はい、もちろん。アラン様も親しくいらっしゃいましたから」
「リゼッタ・ミラブル嬢のことだな。彼女はアランとよく話していただろう?男爵も時々顔を合わせていたようだ」
ミラブル家の家業はもちろん知っている。近年は大陸中にまで進出しようと動いている流通商の国内最大手、である。
『死の商人』と呼ばれる理由も。…とそこまで考えてやっと、話題に上った理由に気付く。
「………!」
見つめ返せば、小さく頷き返される。
「調べたら武器に関する契約が主だったよ。公爵は自分に歯向かう者を潰すための準備も欠かしていなかった」
気付かなかった……いつも―――と言っても二回だけだが―――茶会やガーデンパーティで、彼女と婚約者候補がべったりとしている様を呆れて眺めるばかりだった。
「その注文書の写しも手に入れた。これだけでも謀反を疑うに充分だな」
さらりと告げられて、唖然とする。
さすがに、本当にどこからどうやって入手してくるのですか?と問いたくなった。
「…それで、ここからは俺の考えなんだが」
「はい」
透徹と続いていた声音が変わったとフェルシアは気を引き締める。
「事件が一段落した後も、しばらくは君達姉妹にこの邸へ滞在してもらいたい。リーシャ嬢の治療もあるし、重要人物として君達は保護される必要がある。その間に今後の方向性を決めると良いし、自立に向けた手続きや支援が必要なら可能なかぎり協力しよう。…どうかな?」
「………分かりました。大変恐れ入りますが、少しの間よろしくお願い致します」
先ほど青い廊下で言われたのはこのことを指していたのだ。そう思いつつ、一拍考えたフェルシアは頷いた。参考人の一人として管理下になければならないのは当たり前だ。
…それがオリヴィエ邸であるのは申し訳ないが、しばらくは世話になるべきだろう。
その返答を見届けた彼が続ける。
「分かった。……次に、これからゾエグ公爵及びその関係者は徹底的に糾弾するつもりだ。ここまでの通り、主に非倫理的かつ無許可の人体実験や王族暗殺未遂、リチャード様の暗殺計画、大量の武器購入の痕跡について、だな。…国を意のままに操ろうとしたとして、全てを白日の下に曝し裁きを受けさせるつもりだ」
「はい」
つらつらと並べ立てられた容疑目録は、この内一つでも充分な処罰が見込める。
判例を鑑みれば領地剥奪や終身刑、極刑など様々だが、それらを一度に犯している事実は敵ながら見事だ。
その内実験に関しては八年以上前からと断言できるので、決して短期的な行いではないこともまた不気味だった。客観的に、危険思想をもつ一家なのではないか?と疑われても文句は言えまい。
そうして両手をテーブルへと置いた彼女が、事態が落ち着くまでは大人しく過ごしていよう…とかすかに溜息を吐いていると。
「でだ。それについては、君はどうしたい?」
「私…ですか?」
突然の問いに目を瞠った。
正面の彼は真っ直ぐに己へ問うている。
「こちらは相手側の確保と拘留に充分な材料を用意した。そのためあと三日待ってあちらの返答がなければ…」
そこで言葉が切られる。けれど分かる、彼が言いたいことは。
「翌日には彼の地に、公爵領の邸に踏み入る…でしょうか?」
「そうだ」
見つめる瞳は間近に迫った目標をも見据えている。その上で今、問われていた。
「……どう、とは」
まさかとは思うが、これは……。
「私も連れて行って頂けるのですか?」
「ああ。君がそう望むのなら」
当然のように返されて信じられなかった。自分の容疑はまだ検証されていないはずだ。
「…私は『関係者』かもしれないのですが」
「まだそうと決まってはいないだろう?それに、俺はそう踏んでいないからな」
「そんな……」
戸惑っているのが伝わったのだろう。
ふ、とその形良い唇が緩む。
「あまり自分を過信するな。俺から見れば…いや、誰から見ても君達はただ脅かされた側だ」
今まで自分は指示に従って過ごし、研究にも協力してしまった。
まだ、それに罪はないと言ってくれるのか。
「君が言ったんだろう?公爵が領地を襲った真犯人ではないかと。確かにあの日の出来事には不可解な点が多い。それに研究所にあるものが何なのか、その目で確かめたくないか?」
「……良いのですか?」
彼の言う通りだと思った。
グローリーブルー邸にあった書籍や家史資料ほか、自分も知らぬ様々なものが持ち込まれているはずだ。そんな悲劇の元凶であろう場所を。この血筋を示す瞳で確かめることが。
(被害の現状を聞くのと同じくらい、大事なことではないかしら)
むしろ自分が行かなくて誰が行くのだと、心が囁きかけてくる。
「とても危険だが、ついて来るか?」
「はい。危険は自分で払います。決して捜査のお邪魔は致しません。……オリヴィエ公爵様。どうか、同行させて下さいませ」
サッとドレスの裾を払い、立ち上がる。
そうしてフェルシアはテーブルの横に並ぶと膝を曲げ、静かに懇願した。
燦燦と陽光溢るる間で、優雅に白銀を流しながら首を垂れる少女。
それはまるで陽を内包するかのような存在感があった。ガラスや鉄枠がそれぞれ反射し合う中、無数の光が弾けるように煌めいては落ちる。
美しい。それはまる朝日に輝く新雪のようで。…そう深い感嘆があるとも知らずに。
「分かった。……だが、全てを一人で何とかしようとするな。必ず俺を頼ってくれるな?」
返答へ顔を上げれば赤と青の宝石が瞬く。
「…分かりました。必ず相談します」
「よし。約束だ」
そう微笑まれ、瞬く間に逆転する身長差。
彼が立ち上がる。その姿を見ながらフェルシアは手を差し出していた。
求められて重なり合う。お互いの手と手が。
降り注ぐ光よりも温かな気持ちが伝わってくる。しっかりと繋がれる力は頼って欲しいと訴えてくれるようだった。
確かな思いを感じながら決意する。
全てを終わらせるために彼へ協力すると決めた。だから自分がすべきは待つことではないと。
(この人と一緒に行きたい。そして…)
この目で確かめるのだ、事態の全てを。
そうして握った手を放そうとした時だった。
「なあ、こちらからも一つ頼みがあるんだが」
「はい…?」
ぎゅっと固く交わしたままの手を、見つめながらも不可解に思っていると。
「名前で読んでくれないか?俺のことを」
固まる。真っ直ぐ見返す瞳も声音も、とても冗談には聞こえなかったから。
「…公爵様をですか?あの、それは」
名前を呼ぶのは友人や恋人など一定の親交を持つ証だ。それが今の自分達に当てはまるというのだろうか?
以前名を呼んだのは例外であり、この一件でもなければ彼とは話すこともなかったのに。
「なんだ、駄目なのか?昨日も散々そう呼んでいただろう」
今更他人行儀で違和感がある、とも言われて。
えっ、と目を剥き、思い当たる節がないと彼女は固まった。
「昨夜君が泣いた時に。何度も言っていたが…やっぱり気付いてなかったのか」
「!」
「泣いた」と口に出されるのも恥ずかしいが、今のは聞き逃せない。まさか…いや、彼がそんな嘘を言って何になるんだろう…と、慌ててまた頭を下げる。
「そんな、申し訳ありません。気付かずに失礼致しまし…」
「…というのは冗談だよ。そんな風には言っていなかった」
「………………」
どうしてこの人は…とフェルシアはその感心といった表情をじとっと見上げた。もう気のせいではない。
ここでやっと。ライナスには自分を揶揄う傾向がある、とはっきり認識した。
不躾なのは分かっていてもさすがに据わった目で見つめてしまう。
「……悪かったよ。俺はただ普通にそう呼んで欲しいだけなんだ。どうか頼む。君にはそう呼ばれたいから」
苦笑し言い直されるがフェルシアはやはり戸惑った。
一瞬呆気に取られたが、彼が言うのであればすぐには断れない。
本当に良いのだろうかと迷えば、目の前では夜空色が期待するように輝いていた。とても好きなその色が己だけを映している。
待っていると。そう示すような視線に、繋がれたままの手に観念して。
彼女は意を決して音を紡いだ。
「…………ライナス様」
「どうした?フェルシア」
呼べば応えてくれる声はとても優しい。…全てを肯定してくれると勘違いしそうなほどに。
思ったよりすんなりと口に馴染む響き、そしてついに己へ許してしまったと気恥ずかしくなりながら。
俯いてもう一度その名を呼んだ。
「ライナス様。……あの、手を離しても…?」
自分達を繋ぐ点をじっと見降ろして告げる。すると。
「…手を離せと言われたのは初めてだ。分かったよ、これでいいか?」
ぱっと、しかし何事か呟きながらも解放された。
やっと戻ってきた手を降ろしその瞳を見上げれば。
(あ………)
その笑顔を見た瞬間、気付いてしまった。
彼が本当に喜んでいると分かる、とても自然な表情だった。
これは…自分が名を呼んだからだろうか。それだけが、この感情に繋がったと?
「フェルシア」
一言で誰かを喜ばせるなんて、まるで目の前の彼みたいだ…と瞬いていると。
「呼んでくれてありがとう。前から思っていたが君はとても素直だな」
反射的に警戒しそうになったが、すぐ真面目に言われているのだと気付く。そうして少し前に言われたことと真逆だと思い尋ねた。
「そういえば以前、私のことを頑固だと…」
「…ああ。確かに言ったな」
思い出したように。しかしすんなりと肯定されますます謎が深まる。一体どっちなのか。…また揶揄われている?
フェルシアのきょとんとした目が疑念を持ち始めたと知り、やや早口な言葉を付け足される。
「もちろん、いつも何でも言ってくれると嬉しい。だけど昨日からそんな君をよく見るなと思って…」
いつの間にか屈んだ彼と並ぶ目線。近く吸い込まれそうな深い青がどうしようもなく綺麗だ。
さっきは褒めてもらったが、やはりどう考えても彼の色の方がこの上なく鮮やかに見える。
すると、ぽん、と頭にその手が添えられた。
ハッとする。この優しい重みは…。
「できるだけそうしていてくれると助かる。無理にとは言わないが」
「どうしてですか…?」
「そうだな…。その方が嬉しいから、かな」
頼めるか?と優しく尋ねる彼に。
いつの間にか、こくっと頷いていた。この人が望むのであればと。
「……はい」
すると、頭に乗っていた手がゆっくりと優しく髪を滑った。
昨日ぶりの感触へフェルシアは無意識に目を細める。良い子だと褒めるように、愛でるように与えられるそれが。とても懐かしくて……。
そうして意外にも黙々と撫でられる姿を眺める一対の瞳。そこにふと宿った考えに彼女は全く気付かなかった。
そう、この穏やかな一幕の中で相手が…。
(…やっぱり白猫に似ている。猫も可愛いな…)
と、しみじみとしていたことなど。




