12章 (4)
目が覚めた。夜明けと共に。
「………!」
飛び起きる。正にその表現が似合うほど、バッと上半身を起こしたフェルシアは呆然とした。
「わたし……」
ここはどこで…ああ、たぶんオリヴィエ公爵邸だ。
…と、既視感のある問いを終わらせて今いる場所を見渡した。
床面こそ重厚さがあるも、天井へ向かって徐々に水色の爽やかさと美しさが感じられる、可愛らしい内装。
周囲を認識するにつれ、寝起きのぼうっとした頭も徐々に明るくなってくる。
見たことのない部屋だ。
自分で寝た覚えはないので、きっと誰かが連れてきてくれたのだろうが…。
手間取らせてしまった…、と上質なシーツに触れながら思う。
(誰が連れてきてくれたのかは分からないけど…後でお礼を言わないと)
そうして、再び一番の疑問について考えながらベッドサイドに降りようとしていると。
コンコン
「おはようございます。お嬢様、お目覚めでしょうか?」
「…はい。どうぞ」
くぐもって響いたのは若い女性の声だった。
けれど知らない声だ。反射的に返事をしてしまったものの身構える。
寝乱れていた髪を手櫛で整え、衣服―――昨夜着ていたままだ。…結局すっかり皺になってしまった―――を払い。
じっと目の前の扉が開くのを待った。
「失礼致します」
そこへ、カチャリ…とノブを押し、滑るように現れたのは黒髪の女性だった。
左右に分けられた前髪と後頭部で一つに纏めた後ろ髪。
こちらを映す瞳は明るい空色で、彩度の低いデイドレスを着ている。
自分よりはいくつか年上に見えるし、瞳の印象で涼やかさはありつつも落ち着いた雰囲気の人だ。続いて述べられた口上を聞けば、ますますその印象が強まる。
「おはようございます。初めましてご挨拶申し上げます、グローリーブルー伯爵令嬢様。私はリリィ・ルーランドと申します。当主様の命により、本日より我が邸へ滞在の間、お嬢様の侍女として勤めさせて頂くこととなりました。どうぞお見知りおきをお願い致します」
「…おはようございます。フェルシアです。私のことはどうぞ名前で呼んで下さい。こちらこそ、これからよろしくお願いします」
フェルシアは内心多大に戸惑いながら、頭を下げる相手に応じた。
なにせ、侍女役からこんなに畏まって挨拶されるのは初めてである。子供時代はともかく、以前の邸では「よろしくお願い致します」以外聞いていない。
それに専属の侍女まで付けてもらえるなんて、なんて過分な待遇だろう。
自らの身分を考慮すれば妥当性はあるが…、時々メイドに用を聞いてもらえれば充分だったので驚愕している。
それなら彼女にも手間をかけさせないようにしないと…。そう決意しながら逸る気持ちを抑えて、待つ。
相手の次の言葉を。
「恐縮でございます。どうか私のことも名前でお呼び下さいませ。ではフェルシアお嬢様、これから身支度をお手伝い致しますが、よろしいでしょうか?」
「分かりました。お願いします、リリィ」
使用人にあたる存在とこんな風に会話するのも久しぶりである。といっても名字からしてリリィは恐らく貴族だ。
公爵家ほどの上位貴族であれば同じ貴族階級から雇う上、名鑑で見た覚えのある男爵家の名字だった。
そうして速やかに準備を始める彼女と、後ろに続いたメイドを静かに見守る。
密かに様子を探るものの、テキパキと働く表情は淡々としていて、その内は不明だった
その後少ししてから。着替えまでを終えたフェルシアはやっと一息をつく。
粗相をしないように、妙な客人だと思われないように…と、朝から少し緊張した。
それと同時に、早く姉の顔が見たくてうずうずとしていたのだが……支度中にそれを尋ねることはとてもできなかった。「落ち着きがない」「仕事が進まない、迷惑だ」などとわずかでも思われたくない。
そうして、今やっと。全ての道具を纏めたメイドが出ていくのを背にして。
一人残りクローゼットを閉めるリリィへと、フェルシアはようやく尋ねてみた。
「あの…」
「はい。何でございましょう?」
即座に反応されたことに驚く。
「私、できるだけ早く姉の所へ行きたいのです。迷惑はかけません、道を教えてもらえれば自分で行けます。…今彼女はどこにいますか?」
一拍、間が空いた。
気のせいか、やや呆けた表情をされているような…。
その反応を目の当たりにし、もしや今はそれどころではなかっただろうか…とフェルシアが不安に襲われたところで。
「…申し訳ございません!」
「!」
パッと突然頭を下げられにさらに慄いた。それへピクッと反応したのに気付いたのだろう、すぐ面を上げた彼女は眉を下げたまま釈明した。
「重ねて申し訳ございません。驚かせてしまいました。…リーシャ様はこの部屋の隣にいらっしゃいます。夜間のご様子は穏やかなもので、変わりないと聞き及んでおります」
こちらです、と素早く彼女が移動する先には白い扉が。
なんと病室はこの部屋の続き部屋らしい。
「あ……ありがとうございます…?」
朝から驚きの連続だ。きっと自分の気持ちを汲んでライナスが采配してくれたのだろう。
(凄い…ライナス様、ありがとうございます…!)
あまりにも意外すぎて返事がおぼつかず、とりあえずは心の中で両手を握り合わせながら。
フェルシアはようやっと開かれた先へと踏み出した。
すでに朝日が昇り始める時刻だ。
記憶と違い蝋燭を消し、カーテンを上げた室内は白い光に照らされているのが見える。
断ってから入室し首を巡らせると、そこには。
(姉さんは……。……??)
誰かが己の視線の先に立っていた。その人はまさに姉のベッドの横にいて…背を向けていたかと思えば、くるっと振り返る。女性だ。
「あ。……貴女がフェルシア…、だよね?」
次に、突然名を言い当てられ瞬く。
また知らない人が自分を知っている。一体誰?いや、それよりもどうしてこの部屋に…?
疑問ばかりですっかり固まる己へと。淡い金の短髪を揺らめかせ、その人は軽やかに歩み寄ってきた。長い白衣のような裾をなびかせ、目の前で立ち止まる。
そして、じいっ…とこちらを覗き込んだ。
すると同じく自分も相手を見ることになるが…、丸い双眼に敵意は感じられず、興味津々といった風で。
「………あの………?」
「…あ、ううん。やっぱり綺麗だわ」
(きれい?)
「噂には聞いていたけど、間近に見ることはないだろうなって思ってたから。……特に貴女のこの瞳、とってもきらきらしていて…美しくて不思議。まるで宝石のよう…」
「……………」
ぽかんとしてしまった。こんなに真正面から賞賛されたのは初めてかもしれない。
うっとりと。やはりこちらを凝視するのは夕焼色の温かい色…と思っていると。
軽くも硬質な音がして。
「…アマル。君は彼女を口説くためにここに来たのか?」
「!」
ぱっと振り返ると、開いた扉を背にして一人の男性が立っていた。フェルシアは慌てて礼をする。
「おはようございます、オリヴィエ公爵様」
「…おはよう、フェルシア。よく眠れたかな」
「はい。ご配慮を頂きましてありがとうございます」
昨夜の恥ずかしさと、この場に他者がいることで口調が硬くなってしまった。それへ優しく返答してくれた彼は違和感を持たなかっただろうか。
挨拶を交わしながらゆっくりと入室した彼は、すぐにこの場の大きな謎を解決してくれる。
「すまない、朝食の後で紹介するつもりだったんだが。…彼女はアマル、これからリーシャ嬢の治療を任せる予定の医師だ。うちの前代の侍医をしていたから、腕は確かだよ」
「突然ごめんなさいね。どうぞアマルと呼んで。これからよろしくね」
「初めまして、フェルシア・グローリーブルーと申します。アマル先生、どうか姉をよろしくお願い致します」
フェルシアも丁寧に述べればやっとお互いの自己紹介が終わる。
公爵位の彼を前にしても、アマルはかなり気軽な態度だ。しかし、ライナスの父親を治癒に導いた功績や彼に信頼される様子といい、有能であるのは間違いないだろう。
自分だって今後協力できることがあれば良いが…と考えていると。
アマルといくつかやりとりを交わしていたライナスがこちらに向き直る。
「朝から騒がしくてすまなかった。体調は本当に大丈夫か?」
「はい。あの……公爵様、もしかして私が今日過ごした客間をお借りしていて良いのでしょうか?」
「その予定だ。何か問題があれば私かリリィか、誰でも良いから教えてくれ」
やっぱりそうだったのだと、確認できて深く安堵した。
「そんな…問題などあるはずもございません。姉の隣で過ごさせて頂き、誠にありがとうございます」
これでいつでもリーシャと面会することができる。
彼女の側にいたいと、いつか夢見たことがあっさりと叶ってしまったことに、また彼へと感謝すべきことが増えてしまった。
「そう言えば、昨夜は…」
ふと、フェルシアが尋ねたかったことを言いかけたところで。
自分達二人へやや改まった声がかけられる。
「じゃあ―――揃ったし、説明を始めましょう?まずは彼女の状態からね」
はっきりとした言葉に強く引かれ、フェルシアは一心にアマルへと注目した。
背後で穏やかに眠る姉を背にして。
* * * * * * *
しん…と静謐な室内で。フェルシアは限りなく寄せた椅子に座り飽きもせず姉を見守っていた。
今はこの部屋に自分一人…ではなく、リリィとメイドが壁際に立ってはいるが。ライナスは仕事で、アマルは治療準備のためと退室しており不在だ。
だから見舞い客は自分一人。
(ここでは時間に制限なんてないと言われたから…いいのよね)
処置やケアの際以外は自由に付いていていいと言われた、それを信じ自分だけはここに残った。
こうしていると落ち着くという、己の心情を慮る彼の言葉に甘えている。その親切心にまた涙が出そうだった。
自分は昨日からどうしてしまったのだろう?
箍が外れてしまったように。一つ考えれば胸に詰まったものが溢れ、いつでも泣けそうだった。
先ほど、医師として真面目な顔をしたアマルから多くの話を聞いた。
想像通り優秀な彼女は現状や治療方針について事細かに説明してくれ、フェルシアの多くの疑問に答えてくれた。
それを聴き、隣にて同席してくれたライナスの存在にも勇気付けられて。自分でも彼女に任せたいと思えた。
まだ治療はこれからなのに、その明朗な説明と溌剌とした笑顔に。その腕を信じようと。信じたいと思ってしまったから。
(私も出来る限りのことをしたい)
以前と違って今の状況を管理しているのはライナスだ。
とりあえず、後で姉の世話を手伝っても良いかどうか聞かなければ…。直接使用人へ頼むと困らせてしまうから。
そうつらつらと考えながら、フェルシアは細い指を飽きず握り続けた。




