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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第1部 再会編 ※工事中。上から順に読んでいただいて大丈夫です
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12章 (3)

 かすかに聞こえる規則的な呼吸音。

 そうして柔らかに瞼を伏せる様子を見ていると同じ心地になれそうだった。


 いつも己を見る瞳が隠れているのは惜しかったが、こんな風に緩んだ表情も悪くない。ずっと気を張り続けた彼女が少しでも安心感を持てたようで。


 そう考えながら眠る姿にそっと上掛けを被せていると、背後から声がかかる。


「相当お疲れのようですね」


「ああ。今日は朝から大捕り物だったからな」


 きっと昨夜も眠れなかったのだろう、とライナスは答えた。


 今朝ゾエグ邸で再会した時の様子を思い出す。

 逸ってテッド達を通りすぎ、物置にしか見えない簡素な扉を開けた瞬間。


 驚くことに彼女しか見えなかった。

 これは誇張ではなく事実だ。


 鮮やかな瞳が視界へと飛び込んできて安堵した。薄暗い中、まだ強い意志を持って輝いていることに。


 そうして彼女の無事を確認し終わり、ようやっと見渡した室内はやはり酷い環境だった。一階北奥のほぼ素材剥き出しの造りに淀んだ空気、陽射しさえ避けるような位置に小窓が一つ。

 部屋の中央には小さな背に守られる姿があり、顔しか見えずともすぐに分かった。


 痩せこけてなお、目の前の少女と確かな血縁を感じさせる姿。

 きっとこの女性も目覚めれば遜色ない美しさを発揮する、そう知りながらも、予断を許さない状況なのは変わらなかった。


 これは覚悟せねばならない、手を尽くしても今日明日でどうなるか分からない、と。あの時の危機感は今でも変わらない。

 けれどそこで己が医師を派遣すると言った、それだけのことに彼女は喜んでいた。


 また、(ここ)に来てからも意外なことが起こった。


 瞳が零れ落ちそうなほどに涙を溢れさせ、それでも真摯にこちらを見つめて。


『私、貴方を信じて良かった』


 …と、思いがけぬ言葉が始まって驚愕させられたのだ。

 以前実習の終わりに見たよりもはっきりと示された感情に。揺さぶられた。


 わずかに緩んだ赤い目元と、確かに弧を描く唇。

 泣き濡れながらも示された……拙い笑顔に。


 見惚れた。


 どこまでも深く澄んだ色にただ一人が映る様は、幻想に囚われたように美しく。

 白い頬を辿る雫は煌めいて、言葉では到底伝えきれないものをこちらへと訴え続けた。

 たどたどしくも響く一音一音はその意味を教え、聴く者の心を離さない。


 彼女に告げた通り、ずっと強引に引っ張ってきた自覚はある。それなのにどうしてそこまで思えるのか。

そこまで考え、すぐに一つの結論に行き着く。


(…どこまでも素直、か)


 彼女はライナスが気付かせてくれたと言ってくれたが…。自分は特別なことは何もしていない。


 自他の言動を受け止め思考し、どう行動するかは己次第だ。

 だから今日の結果を生み出したのは彼女自身によるものが大きい。邸内の構造や使用人についての情報提供もあり、むしろ踏み込む側としてこちらこそ感謝すべきだった。


(君が自分で考え選択したんだよ。よく頑張ったな)


 本当に勇気があり強い娘だと、賞賛せざるを得ない。

 まさかあんなに感謝されているとは思いもしなかった。この秋の始まり、学院にて再会した時は自分へも警戒しきりだったのに。


 そういえば。あの時は頑なに動かない瞳を少しでも動揺させたくて、少し意地の悪い言い方をした。

 すると思惑通り平坦だった表情がかすかに波立ち、多少気持ちが浮き立ったのは否定できない。まるで人に気付いた猫がピャッと毛を逆立てたような……これは心中だけの秘密だが。


 …とまあ、始めはそんな有様でも、自分達の関係はちゃんと進展していたらしい。

 結果、遅くも追いついた己を振り返って不思議そうに、それでもちゃんと話を聞いてくれたのだ。


 ついには「感謝致します」とまで言ってくれ、切々と説く様は一時の幻のようで…。今にも消えてしまいそうに見えた。だから。


 いつの間にかその頬に触れてしまった。彼女は確かにここにいると確かめたくなって。

 案の定驚かれ、滂沱の勢いが弱まったのは良かったのだが、そこでぽつんと呟かれた欲のなさにもまた驚かされることになる。


 けれど、彼女を見ていればそんな瞬間はまだまだたくさんあるのだろう。


 例えば、素直でこちらの言葉を吸収しやすい一方で……少し自分を信じ過ぎているのではないか、と思う。

 折に触れて言わねばなるまい。条件を確認せず提案に乗るのは危ないから慎重になれと。


 しかしそれを先送りにしそうな自覚はあった。


 今はただ、そうした彼女の信頼が心地良い。少しの間でもと、優越に浸りたくなってしまうから。

 掌に残る滑らかな頬の感触、それを許される充足感を。


(後は……さっき抱き上げた時も思ったが、全体的に小作りだな)


 彼女の身長は平均的、それに日々訓練しているので脆弱とは言わないが、直接抱えてみると見た目以上に軽い。

 二年前よりは多少良いものの、恐らく肉が付きにくいのではなく、運動量に対して食が細すぎるのだ。数度見た限りだが…そもそも一般女性にも満たない量しか食べていなかった。


 しかしそれであんなに動けるとはもっと驚きだ……と、そこでまた思考が続きそうになったところで。

 延々と繊細な寝顔を眺める己を見かねたのか、また家令から声がかかった。


「旦那様……、そろそろ…」


「…ああ、分かった。もう行こう」


 その控えめな促しに苦笑する。


 意識を現在に戻し、改めて眼下で眠る少女を見た。

 その吐息は穏やかで…とても安心しているように見える。欲目だろうか。だが今はそれでも良かった。


 ふと、立ち上がりつつ思い出すのは彼女と交わした最後の会話だ。


(…あれはどういう意味だったんだ?)


 言葉通りなのだろうが…、いや。そうではなくて。

 似ていると言われた人物は姿を消して久しい。けれど変わらずその胸の内に刻まれているのだろう。

 そうして懐かしむ声と共にまた覗いた微笑みを、己はどう捉えるべきなのか。


 そうやって思い悩むこと自体が答えを示しているとは気付かずに。

 ゆっくりと屈んだライナスは、羽が触れるような優しさでそっと頭を撫でると優しく声を落とした。


「おやすみ、フェルシア」


 願わくは良い夢を。次に目を開けた時、君にとって世界が幸せなものであるように。


 そしてそれを己も支えたいと。

 これからも決して一人ではないと、そう祈りながら。


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