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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第1部 再会編 ※工事中。上から順に読んでいただいて大丈夫です
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12章 青に揺蕩う(1)


 ―――……しとしと…と。かすかな音がして。



 ……なんだろう…。ずっと…当たる音、みたいな……。


 それは何かに触れて小さく跳ねる、広がる、吸い込まれる。

 徐々に満ちる中でまた、新しいものが加わって。辺りを包み込む…止まないやさしい音。


 ちがう…あの時とは、全然違う……。


 ゆっくりと身体がそれに覆われるような感覚を覚えながら。ゆらゆらと揺蕩(たゆた)う意識の中で。

 …ふと、気付けば誰かが右手を握っていて。


 ……だれ…?


 姉様か……と考えるが、どうも違う。

 目を閉じていて、見えないけれど確かに感じる暖かさ。人の手だろう、とは思うけれど…。


 兄様……?ううん…父様でもないし……。


 自分の片手が収まってしまうほど大きくて、けれど憶えのあるものだ。どこか…懐かしい。


 暖かい………。


 とても安心する。

 例えこれが家族のものでなくとも、関係ないと感じるほどに。


 ここにいてもいいと繋ぎとめてくれるようで、…もう一人ではないと言われるようで。

 ゆったりと、その温もりを感じているとまた意識が遠ざかってゆく……。

 

 …このままが、いいな…。


 ずっとこうしていたい。穏やかな場所で、ゆるやかに包まれながら。


 そうして…それから……。



* * * * * * *



 ……ふと、意識が浮上するのを感じて。


 瞼を開けたフェルシアは、異色の瞳を覗かせながら顔を上げた。


(今…なんじ……?)


 そっと首を巡らせれば、適度に灯された蝋燭により、まず見慣れない絨毯や家具が目に入る。

 一つ一つ辿れば綺麗な壁紙が照らされていて…、昼間に大きな窓を見た位置には深色の帳が降ろされていた。

 とある部屋の中、その落ち着いた色彩を眺めてすぐにここがどこであったかを思い出す。


(私…いつの間にか、寝てたのね…)


 ぼんやりと、起き抜けの頭ははっきりしない。


 無意識に目前へと焦点を合わせれば、そこには直前の記憶と何ら変わらない姿があった。

 ベッドの上で、呼吸に合わせ、青い掛布と共に上下する動きはまだまだ弱々しい。それでも確かな姿がこの心を幾分か安堵させた。

 そうして姉の眠りを確かめてから。立ち上がろうとしたフェルシアはやっと気付く。

 己の両肩に何かが掛けてあることを。


 するりと落ちかけたそれへ手を添える。毛羽だった柔らかなそれは薄い毛布で、淡い水色へと落とし込まれた白い花柄が上品だ。


 不思議に思いそれをまじまじと見た。

 こんなことは初めてだと、どこか夢見心地を残しつつ。彼女は徐々にはっきりする眼差しで再び辺りを見渡した。


 厚布の向こうから控えめに響く雨音の中、優しげな灯りに浮かび上がる室内を。


 四面を囲む薄青い壁紙に、繊細な銀刺繍のカーテン。

 視線を落とせば足元には重厚なブラックウッドが整然と並んでいる。その光沢の上へ敷かれた紺碧の絨毯は厚みがあり、膝をついていても痛くなかった。

 ともすれば硬質な印象を持つが、所々配された白や水色の花柄により柔らかみが加わり、全体として静謐で優美な雰囲気に整っていた。


 その青系統を基調としたとても上品な(しつら)えを眺めて。


(やっぱり綺麗すぎるわ……)


 フェルシアは再び目の前のシーツに頬を乗せた。

 布地一枚でさえ最高級品と分かるし、そのほかなど言わずもがなだ。本当にこんな所を借りていて良いのだろうかと落ち着かなくなる。



 あれから。皆の協力を得てリーシャを連れ辿り着いたのは、とある大きな鉄門だった。


 あらかじめ聞いてはいたものの、慄く自分を察して隣の人が言う、「ここが最適なんだ」と。

 念押しのような台詞へぎこちなくも頷けば軽く笑まれて…、後は速やかな開門と同時に真っ直ぐな道を抜け、庭園を過ぎ、ここに至る。


 それにしてもここって本当に……と、思いに耽りそうな意識を控えめな音が遮った。

 コンコン、と鳴ったのが聞こえてフェルシアは立ち上がる。


「はい。どうぞ」


「失礼する。……どうだ?姉君は大丈夫か?」


 この部屋の端、ゆっくりと開いた扉から現れたのは一人の男性だった。ラフなシャツ姿で、艶やかな黒髪に静かな紺藍の瞳を瞬かせた。

 そう、ちょうど…この部屋の印象そのままのような、美しい人。


「はい、少佐。…オリヴィエ公爵様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」


「何でもいいさ。好きに呼んでくれて構わない」


 ここでは相応しくないかと尋ねるが、相手は全く気にしていないようだ。立ったまま出迎えたフェルシアへ「座ってくれ」と声をかける。

 そう言われてもこの状況ですんなり楽にするのは難しい。この部屋、ひいては邸の主である彼を目の前にしては。



 ここは王都にある彼、オリヴィエ公爵家のタウンハウスだ。



 王城近いここは、前にいたゾエグ邸から数十分の位置にある。

 当然の如く好立地かつ広大な敷地らしく、塀の角から門、そして玄関までかかる時間には既視感があった。さすが貴族邸でも有数の面積を誇る場所だ。


 普段接していると静かで優しく、しかし業務上では厳しい上官と捉えるのみだ。

 しかしこうして確固たる権勢を目の当たりにすると、やはり遥か高みの存在だと実感する。そんな恐れ多い方から仕事の一環とばかりに面倒を見てもらうことへ、尻込みするのは間違っていないだろう。


 捜査に協力する形になったとはいえ、自分達は圧倒的に救われた側だ。しかも一時は謀る素振りすら見せたというのに。

 そんな体でありながら、一言くらいで楽にすることは……と躊躇うのが正しく伝わったのか。


「では…、そこに座ってくれるか?」


 穏やかに指示されれば逆らうべくもなく、フェルシアはベッドの横に置かれた椅子へと腰かけた。


 すると皺のない絨毯へふわりと揺れたスカートが落ちる。それは部屋のカーテンに似た青で、彼女が今朝着ていたものとは真逆の色だった。

 上衣には控えめなレースのついた淡い水色のブラウスを着て、明るめの青いリボンを締めている。汚れたからと、全てはここに到着してから借りた衣装。


 懐かしく好ましい、領地を出てからは纏うことのなかった色味たちだ。

 子供時代に親しんだものとは違うが、この邸と調和した落ち着きのある上品さが美しい。


「その服で大丈夫だったみたいだな。よく似合っている」


 そう言って隣の椅子にかけた彼も白いシャツと紺地のスラックスに着替えており、同じくこの場に馴染んでいた。


「ありがとうございます。お借りしてしまいました」


「もう出て行った妹のものだから気にしないでくれ。まだ置いてあるとは思わなかったが」


 長女のステラ・オリヴィエは数年前に嫁ぎ、前代夫妻も領地に生活を移している。そのため普段この立派な邸に暮らす一族は彼一人。

 …という事前情報とは裏腹に、訪問からほどなくして女性用の服が出てきたのはそういう事情だったのか、と知ったところで。


フェルシアはハッとした。


「!……申し訳ございません。大切なお洋服が皺に…」


 そういえば。今の今までの数時間、自分は床に座り込んでスカートを下敷きにしてしまっていた。


「大丈夫だよ。その程度すぐに戻るし、もうその服を着るのは君くらいなものだ」


 布地を持ち上げ確かめていると「気にするな」と手を挙げてくれ、取りなす彼を見上げる。

 怒っていないのだろうか、本当に?さすがのライナスとて、家族のものを粗末に扱われれば嫌悪するのでは……と、じっと向かう端整な顔を伺っていると。


 ふ、とその口元が動く。


「気にしすぎだ。服に皺がつくなんて当たり前だろう?それよりも、もう一度着てもらえたことをその服は感謝していそうだ」


「……少佐は、やはり不思議なことをおっしゃいますね」


 感謝。……服が?

 そういうものだろうか、と思わず漏らせば思わぬ続きがあった。


「そうかな?でも俺も嬉しいよ。また綺麗に着てくれる人がいたからな」


 嬉しい、という言葉にぱちりと一つ瞬いていると。

 …いつの間にか相手の視線は二人の正面へと移っていた。


「ああそうだ。さきほどあの邸宅の調査について新しい報告が来た」


「はい。ぜひお願いします」


 重要な話題への転換に同じく気を引き締める。改めて視線を合わせ注意を傾けた。


「やはり研究の本拠地はカントリーハウスだろうということだ。あの邸には資料などはほぼなく、あったのは彼女の経過記録と状態維持のための指示や処方薬剤のみだった」


「姉様の、ですか」


「押収した記録の束を医師も含めて分析しているところだ。明日からは、それらを加味した治療を始めることになるだろう」


「!」


 はっきりとフェルシアの両目(オッドアイ)が丸くなる。

 予想と違う言葉が飛び出て来たからだ。今のは…。


「治療を始められるのですか?あの…、本当に……?」


「…すまないが断言はできないんだ。しかし医術に関して最も任せられる人に来てもらったから、多少は安心して欲しい」


 明日以降その先生を紹介しよう、と口調を正して述べる様には誠実さがあった。


 今この瞬間にも誰かが姉を助けてくれようとしている。生を模索しているのは自分だけではない。

 真っ直ぐに落ちてきた声は事実としてすんなりと信じられ、心の中で確かに明滅し始める。


 彼が言うなら、と。


 成すが全てではないと気付かせてくれ、こうして己の夢を引き寄せてくれた人ならば。例えその光がどんなに小さくても構わないとすら思える。


「はい。分かりました、お待ちしております」


 輝く瞳を真っ直ぐに見上げる。


「……ああ。ありがとう。進展があったらすぐに知らせるよ」


 するとそのことへ、どうしてか彼は一瞬驚いたような表情を浮かべ、けれどすぐに嬉しそうに微笑んでくれた。

 一瞬、どうしてお礼を言われるのだろうと。この目に映った変化を不思議に思っていると。


 そっと伸びてきた何かが己の頭上にかざされた。

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