11章 (2)
「私達は問題ありません。少尉に助けて頂きました」
なんとか衝動をこらえ、そう伝えた。
手を伸ばせば届く距離に彼がいる。それだけでとても気持ちが浮き立った。
「本当に良かった。……彼女がリーシャ嬢だな」
「はい。とりあえずは…大丈夫そうです」
フェルシアは再び背後へと数歩近付いてしゃがむ。そっと手を伸ばし弱々しい脈を確認しながらそう答えた。
すると、驚いたことにライナスまでもが自分の隣に膝を折った。信じられない思いでその姿を見つめる。
「少佐………?」
「…確かに息をしているが。かなり危険な状態だ」
目を丸くする己を他所にそう呟いた彼は、手を触れずともその重篤さを把握する。そして「可能な限り早く医師を寄こす」と言ってくれた。
ああ、と。その思い遣りに満ちた声を聞いて。
ここまで側で守ってくれたテッドの存在も振り返って。
自分達姉妹を見る彼らの目に傷ましさはあれど、驚きや怪訝はなかった。
(―――…ちゃんと言っておいて良かった)
思い直し、リーシャの状態をありのままライナス達へ告げたのは実習最終日の朝のことだ。
八年も眠り続ける彼女についてどう説明したものか悩んだ。ずっと見守っていると言っても、施されている治療や薬剤どころか、正確な病状すら分からない。伝えられるのは素人目のわずかな情報だけだ。…それでも。
全部任せると約束したのだから隠し事はしたくない。
信じてくれる心に、自分もちゃんと報いたい。
彼の言葉を聴いた翌日には、すでに姉について話したくて堪らなくなっていた。
初めてだった。他人にそう思えたこと、そして実際に話したことも。
結果脱出を先んじるのではなく、狭い病室へ籠るための手筈を整えてくれて助けられた。
自分の想いを理解した上でこの作戦の要所から遠ざけず、敢えて一員として飛び込ませてくれた。
(だから最後まで、しっかりと役目を果たそう)
足手まといにはならないように。
フェルシアがそんな決意を新たにしていると、一瞥して場の概況を確認した彼が音もなく立ち上がった。離れて行く身体を目で追いかければ、ほぼ真上にきたその瞳と見つめ合う。
その静かな瞳が染まるは、決心と…。
「私も上を見てくる。…君はここで彼女に付いていてやれ。すぐに終わらせるからテッド達と待っているように」
ポン、と肩を叩かれて。
ハッとした。
振り返って見れば、もう閉じかけるその隙間から光が漏れるところだった。
すぐに遠ざかる靴音と大声で、相手が上階の指揮に戻ったのだと知る。
(今、私……)
……見惚れていた。返事すらもできずに。
いつも穏やかな人が魅せた瞳の変化。
気付かぬほどのわずか、引き結んだ唇に。…あれは気迫と呼ぶものだ。
美しい青を纏う身体の周囲にそれが視えた気がしたのだ。
言い添えておくと、もちろんフェルシアの眼にそのような機能まであるのではない。これは目に見えるはずもない、とても抽象的な表現だ。
しかし見間違いなどではないと振り返ったまま確信する。
彼はやはり怒りを感じていると。
それも、―――激怒という表現が正しいほどに、だ。
それから、二十分程が経過して。
制圧完了の伝令が届き、剣を降ろしたフェルシア達の元へ軍医が一人派遣されてきた。
横たわるリーシャを診たその医師は、やはり信じられないという顔をする。そしてフェルシアへと向き直ると厳しい表情で当然の台詞を述べた。
『…予断を許さない状態だ。搬送が必要だがその道中でも急変の可能性がある。…それでも良いか?』
…と。その確認に迷わず「はい」と答えた。
このまま姉をここには置いておけない。始めから覚悟はしている。
そうして、ライナスほか複数の立ち合いの許、慎重に慎重を重ねた移動が始まった。
担架が運ばれてきて、いよいよだと無意識に呼吸が浅くなる。
これも正念場の一つだ。
いかに衝撃を抑えて療養先まで運べるか。そして、着いた先で彼女がどこまで永らえるのか。
邸にいた研究者をどれだけ捕らえられたかはまだ聞いていない。どれだけ憎かろうが、結局のところ病態について詳しいのは間違いなく彼らだ。今後はその協力を引き出せるのかも治療の鍵になるだろう。
「大丈夫か…?」
フッと耳に入って来た低音につられて顔を上げた。
傍らで心配そうに自分を見る一対の紺藍。
「はい。覚悟はすでにしています」
「そうか…。俺も同乗するから何かあればすぐに言ってくれ」
意志を持って見返したのが伝わったのだろう。慰めなどではなく、確かに側にいると明言してくれたことへ安堵が滲んだ。
少し息がしやすくなる。
「ありがとうございます。心強いです」
「ああ」
勇気づけるように見せてくれた微笑み。それへ今日初めて見た、と少しどきりとしていると、ちょうど担架がベッドへと横づけられる。
それを手伝うためフェルシアも彼と一緒になって壁から離れた。
* * * * * * *
薄暗い廊下に踏み出せば、カツンカツン…と小さく反響する音。
人気や調度品も最小限のそこは、灯りは置かれていても冷たく硬質な雰囲気がある。
相変わらずその役目に応じた…いや、もっと実用的でも良いくらいだ、と思いつつライナスは幾つかの角を曲がり、目的の場所へと辿りついた。
そこには複数の人物が控えていて、こちらが姿を見せると同時に直立不動となり右手を額にかざす。
皆、軍人だ。
「彼は?どんな様子だ」
「こちらです。聞き取りのみ行いましたが、未だ回答すら拒否しております」
「分かった」
お互いの間にあった黒塗りの扉を解錠させ、迷わず入れば。
そこには…。
「……なんだ、君か」
置かれた椅子に凭れる、気だるげな青年の姿。その金眼はこちらを一瞥し即座に逸らされる。
それを見たライナスが黙って近付く間もその音は流れ続けて。
「さっさと弁護士を呼べよ。こんな所すぐに出てやる。捕まった時の怪我もあるし―――がッッ!!」
瞬間、ゴッと鈍い音が響いた。
その耳障りな嘲笑は最後まで聞き取れなかった。聞く必要もない。
ガタン、と椅子ごと倒れ男の身体が地に伏す。しかしこの場へ外の隊員が入ってくることはなかった。何故なら、この程度なら誰も止めやしないからだ。
その派手な音を立てた本人…ライナスは腕を降ろしながら入室して初めて口を開いた。
「痛いか?」
「は……な、…お前……っ……!」
散らばる濃い金髪を踏みつけてやりたくなる衝動を耐え、その場に踏み止まる。
こんな事をするなんて不敬だ、父上に報告してやる…。そう言いたげなアランの姿を見降ろし睥睨する。
「だがそれはお前が与えたものに比べればわずかなものだ」
「は………?」
もはや思い出せないのか。
それとも記憶に留める価値すらないという意思表示なのか。
どちらにしろ、今ここで己の沸点を越えるには充分だ。
切れて流血する口元の下、赤い隊服の胸倉を掴んで無理矢理立たせる。そうして激しい音を立てて壁に押し付けた。
衝撃に一瞬意識が飛んだのか、眼振が見られる。
「ッつ……う…!」
「聞くが。フェルシアにもこうしたのか?」
「…は……?お前、まさか…」
その不愉快な両眼が驚きを示し、ようやっと思い出したと知る。己が度々いたぶった娘のことを。あの白い首へ痕をつけたおぞましさを。
この男は今まで似たような真似を繰り返している。
思い出したくないのか話し難いのか、フェルシアは詳細を語ろうとはしないが、絞首された件だけでも平素を推し計るには充分だった。あんなことをされて平然と振る舞うなど…常人には無理だ。あの振る舞いに慣れていると考えるほかあるまい。
そう考えるとますます腕に力が入った。
「思い出したなら吐け。公爵家の所業について証拠は揃っている。もう言い逃れはできない」
「………なんだよお前…。本気であの化け物を庇ってるのか?……ははっ…笑え…」
「化け物」。
その発言を聞いて、顔を見た時から高まり続けていた衝動が天高く突き抜けた。
また振り被る右手は、音もなく空を切って。
ドゴッッ
「!!」
今度は激しい衝撃音がした。
わずかに部屋全体が揺れるような振動と、息を止めるような悲鳴。
宣告する。
「次はない。己が可愛ければ全て正直に答えるのだな。黙秘を貫いたとしても極刑が近付くだけだ」
「あ……ひ………」
脱力したのかストンと落ちる両手に、己も掴んでいた左手を離せば。当然それは膝を折って、再び床に倒れ込んだ。以前とは打って変わった無様を一瞥し、身を翻す。
貴人用にと敷き詰められた絨毯を静かに踏んで扉を開いた。
外に立つ彼らは相変わらずで……否、一人見覚えのある姿が加わっていた。壁に凭れたままのその人が呟く。
「何だ、もう終わりか?」
「…はい。お待たせしました。後はお願いします」
もっとやれと言わんばかりだ、相変わらずの気性を感じる。そして。
「お前がやらなくていいのか?」
次なる問いも最もだった。
しかしそれを予期していたライナスは用意してあった答えを返す。
「私では手加減できかねます。そちらにお任せするのが最善でしょう」
そう躊躇いなく言い切って見せれば。
果たして、明快な言葉を得た彼は頷く。さも「面白いものを見た」と言わんばかりの表情で…ニヤリと。
「……そうかよ」
短い返答。しかしそこからは確かな了解の意を感じ取れる。
この人には借りができたな…と自覚しながら、改めて敬礼を交わしライナスはその場を後にした。
己が今し方出てきた扉の、反対に軍人達が入室していく先。
たった今アランを押しつけた壁へ、拳一つ分の凹みとひび割れを残して。
参照:8章(4)




