10章 実習最終日(1)
その翌日。ついに訪れた実習最終日。
この日フェルシアはいつも通り隊を手伝って訓練場で作業をしていた。
乾いた砂地を滑る風はいつかより涼しくて、秋の深まりを実感する。頭上の太陽はやや傾き、今が正午過ぎであることを示していた。
結局、昨日から今日の午前までをライナスとの協議に費やしてしまった。そのぶんしっかりと仕事をしないと…と、気合いを入れていると。
「お、良い感じだ。次は出入り口に回ってくれ」
「はい」
指示役の隊員が来てそう言われる。手元で設置していた柵を振り返り、我ながら完璧にできたと自負してから走った。
視界に入る青い袖を見れば感慨深い。
たった一ヶ月。それだけでもうこの服を着られないことが惜しくて堪らないなんて。
ただの学生なのに手間をかけてこれを用意してくれた。あの時は少しでも歓迎の意を示そうと努力してくれたのだと気付けば、また胸が苦しくなった。
服だけではない。色にまで配慮して誂えてくれた剣帯だって。
作業を終える度に「ありがとう」と与えてくれる思いも。
いつもこちらが渡したものをしっかりと受け取ってくれる手も
木に登った自分へ「心配した」と俯き零れた涙も。
膝に乗りぴたりと寄り添ってくれた柔らかな体温も。
静かに話を聴いてくれて、心から向けられる言葉も。
……「信じる」と言って、真っ直ぐ向けられた瞳も。
(ぜんぶ…全部、ここに来なければ知らなかった)
なんて贅沢なのだろう。
確かにライナスやルルリエの存在は大きいけれど、もちろん二人だけではない。
日々接してくれた人達だって、積み重なる確信をフェルシアに与えてくれる。
自分を一人の存在だと認めて。ここにいていいと、そう思ってくれている。そんな世界があるともう一度思えたことがまだ信じられない。だけどちゃんと存在した。
そうして居場所をもらったような気持ちになれば、不思議と一歩が踏み出せるようになった。
今までの成績や他者の評価を意識するだけでない、突き動かされるように能動的なそれは心にまで循環して。自分から他人へ話しかけてみよう、何かできることがあればいいのに、と思えるようになった。
だから最後の日を迎えた今や、何でもやらせてもらいたいと、そう思うばかりなのだ。
「できることは全てさせて欲しい」とライナスが言った瞬間を思い出す。彼もこんな気持ちだったのだろうか?
確かめるように反芻しその内を理解できたと感じれば、知らず気分が高揚した。少し胸が高鳴る。
でも最後に失敗だけはしないように…と気を引き締めていると、ちょうど次の目的地に着く。
「手伝います」
「おお早いな、助かる。じゃあ右を頼む」
「はい」
サッと手伝いに入れば話しかけられる。
「…なあフェルシア。お前、本当に軍には入らないのか?」
不意打ちの言葉に驚く。
「軍に、ですか…?」
「ああ。こうして今日が最後だと思うとな。ちょっと言ってみたくなるだろ?」
そう問われても…、そういうものなのだろうか?
「せっかくこんなに仕事を覚えたんだ。といっても雑用ばかりだったかもしれんが」
「そんなことはありません。全て大切な仕事でした」
「…そうか。そう思ってくれてるなら良かったよ。なあ」
いつの間にか、お互いに手を止めて目線を合わせていた。続く言葉がとても気になる。
「いつでも戻って来いよ。お前は近衛に入るって話だが……絶対にここの方が楽しいぞ?」
真剣な顔だ。……と思っていたらニヤリ、と笑われて驚いた。
(それは………戻って来ても、いいの……?)
楽しい。そんな感覚で職業を捉えているのも意外だが。
もっと衝撃なのは、彼自身がそう言ってくれることだった。この大規模な基地の中、少なくとも一人はそう思ってくれていると。それは、もうここに働く人々を疑わないフェルシアにはすんなりと入ってきた。
「ありがとうございます。……私もここの皆さんにご指導頂けて、本当に良かったです」
躊躇わずに心からそう言えた。
居場所は空けておくからと、そう言われたようでまた胸が詰まるような感覚がして。
「…何が楽しいって?おいっ」
「うわっ。何だお前か」
「その言葉、上に聞かせるか。ああ良かったなぁ。あと十年は配置換えされないぞ」
「止めろ。おい…本気で止めろよ?こんな訓練のキツい隊体が持たん」
すっと割って入った別の隊員に揶揄われながら。
楽しいとキツいは同じような感覚なのだろうか…?と。
聞こえたものを信じ込み、一人誤解するフェルシアを知る由もなく、わいわいと一時の光景が繰り広げられて。
その後速やかに作業を終えた彼女らは、最終点検のため立ち上がった。
* * * * * * *
「フェルシア…じゃあ、またね」
「またね」。それは再会を願う言葉だ。
次にも機会はあると、そう思うから口にするもの。社交辞令以外で聞いたのは久しぶりだ。
それに込められた想いを感じるのも……と思いながら、相手を見返す。
夕陽を受けて輝く瞳が、噤んだ唇が震えている。決して自分がそう思いたいだけではあるまい。
「はい、ルルリエ先輩」
初めてこの黒い門を潜った時には想像も付かなかったこの呼称。戸惑って、色々試しては拒否された時が懐かしい。最後に渋々ともらえた笑顔に応え、この一ヶ月間ずっとそう呼ばせてもらった。
「…これからも身の回りに気をつけてくれ。万が一こちらの動きが気取られれば、何をされるか分からない」
彼女の手前から静かに送る声。目の前に立つ凛々しい姿を見つめた。
副隊長が不在とは言え、わざわざ大隊長自ら見送ってくれるなんてやっぱり厚遇にもほどがある。
「はい、充分注意します。お二人もお気をつけて」
「ああ、ありがとう。あれはちゃんと預かっておくからな」
「はい…どうかお願いします」
ライナスが微笑み示唆した「あれ」とは。
実習の総括として彼との面談を終え、執務室からこの大門前に至る道中で。
少しずつ、この両腕の中には色とりどりのものが乗せられていった。小さな花束や菓子折り、一言のメッセージカードやら…今まで関わった隊員達の気持ちが。
始めは辞退していたのだが、その笑顔と勢いに、いつしか「ありがとうございます!」を連呼しながら受け取っていた。少しでも目に見える形で伝えたい…そんな暖かな想いを感じるほかなかったから。
訓練場で「いつでも戻ってこいよ」と言われたが。あの声は一人だけのものではなかったのかもしれない。
学生として全てを学ぶ気持ちで。
目的は不純でも関わるからにはちゃんとやろう。そう思って日々臨んではいたし、案の定、多くを学んだのはこちらだと言うのに。
やるべきことをやって、お世話になりましたとお礼を述べて。後は静かに去ろう…そう思って何も用意してこなかったことを酷く後悔した。
こんな事態が待ち受けているとは思いもしなくて。
まだまだ、他者の気持ちを読み取ることは苦手らしい。
しかしやはり持って帰れないので、ライナスに依頼し預かってもらうことになった。
花や菓子類は早めに活用してもらうとして、カード等は事態が落ち着いてから渡してもらう予定だ。じっくりと温かい謝辞や激励を感じる日は少し先になってしまうだろう。それでも。
(私が大切にしたいものを、誰かが大切に持っていてくれる。こんなことが…あるのね)
例の雛を預かってくれている彼には、もう驚くことでもないのかもしれないが。…そういえばあの子は無事オリヴィエ邸の飼育係に渡り元気にやっているらしい。
ふと、やっぱりここが好きだと、改めて気付く。
世界などと壮大には言わずとも。少なくとも彼らのいる場所が羨ましい。
全ての感慨を込めて、スッと右手を挙げた。
「…では、短い間でしたが大変お世話になりました。オリヴィエ少佐を始め、以下隊の皆様に多大なる感謝を申し上げます。大変勉強になりました。また学院へ戻り、励みます」
「こちらこそ。フェルシア、君が来てくれて皆も良い経験になった。これからもより一層、後進の育成に励む意識を持てるだろう。私も楽しかったよ」
夕暮れの中、三つの影が向かい合って敬礼を交わす。返された言葉はしっかりと気持ちの籠った一言一句だと分かり、また一つ心に暖かみが灯った。
上官の口上を見守るルルリエもしっかりと己を見返していて。彼と同じ気持ちなのだと、そう伝えてくれる。
その気遣い溢れる見送りに最後まで礼を尽くしたい。
「失礼致します!」
最後に声を張り上げた。
学んだ通り鋭く響いた声に安堵しながら。
彼らへ背を向けると、きっちりと振り向かず帰路に付いた。一歩一歩がやけに重く感じられる。
(本当にありがとうございました。この気持ちは忘れません。頂いたもの全て)
これがあれば怖くない。どこにいても大丈夫。
もうここを訪れることは二度となくても。全てを失っても。…失ったと、そう感じたとしても。
形ない心へ刻まれたものは、忘れない限り生涯失うことはない。
昔の記憶もそうだ。そして、この一ヶ月で新しく得たたくさんの経験や、想い。
気付かなかっただけで、自分はすでにたくさんのものを持っている。そう信じて前に進む。
大門の敷居を跨ぎ、受付の衛兵にまで見送られながら大通りに出て。
そうして歩き続け、フェルシアの長いようで短かった「特別実習」は日没と共に幕を閉じた。
参照:7章(7)




