19.あなたがいるから
その数時間後、フェルシアは森の横にある田舎町にいた。
目的は夕食をとるため。魔獣狩りの間、彼女はゾエグ家の邸より出入りを禁じられている。
だが彼女はまだ、一人ではなかった。
「そういえば、トーナメント予選はどうなってるんだ?」
「先日、全ての予選試合が終わりました。本戦に進めると思います」
フェルシアは向かいからの声に答えた。森を出てすぐ別れるかと思いきや、ライナスはまだ自分の側にいる。
あの話の後、「せっかくだから一緒に食べにいかないか?」と誘われたからだが、なにが「せっかく」なのかフェルシアにはよくわかっていない。だが公私共に上位の相手を断るわけにもいかず、二人して適当に小さな酒場へ入った。
(…この方がここにいると、もの凄く違和感があるわ)
周囲のざわめきを背にフェルシアは改めてライナスを見る。
だが彼が目立っているのではない。二人は屋内でもフードを取らず壁際に座っているだけだ。しかし正体を知るフェルシアの目に彼はきらきらと輝いて見えた。
その一番の原因、美しい紺藍の瞳を細めライナスが頷く。
「そうか。君なら今年も優勝できるだろう」
さらりとした口調に彼女はつい聞き返した。
「どうしてそう思われるのですか?」
「君は実戦慣れしているだけでなく、基礎がしっかりしていて、立ち回り中も軸のブレが少ない。他にもあるが…まあ、同年代でそんな芸当ができる者はまずいないよ」
「……ありがとうございます」
おそらく、先月の予選試合の風景を評価してくれている。そう気付きフェルシアは素直に礼を言った。
ライナスは自分よりずっと強い。同じ剣士として憧れていた人に褒められ、自然と、その言葉に報いたいたくなる。
同時に先ほど、協力を断った自分に声援をかける、その心を問いたくなった。こんなに普通に話しかけてくることも。
ライナスもさすがに気を悪くしただろうに、それとこれは別なのか。よくわからぬままフェルシアが目を瞬かせていると。
「おまちどう!」
ゴトッと重い音を立て、給仕が狭いテーブルへ料理を並べて去っていった。
スープやパンに始まり、ミンチと野菜入りのオムレツやチキンステーキなど。全てライナスが「適当に注文してくる」と頼んでくれた料理だ。それらはほかほかと湯気を立て、温かそうだった。
「食べよう」
そう言われ、フェルシアもスプーンを手に取る。彼と食事をするのはこれが二度目だが、彼女はまた「これは食べられるものだろうか」と少し緊張していた。
だが生きるためには食べなければいけない。そう思い、なんとなくスープから口にする。
そこでフェルシアは眉を寄せた。
(…………あれ?)
変だ。すぐさまそう思い、フェルシアはまた一口、食材の溶けた汁を啜る。だが疑問は深まるばかりだった。
そうして彼女が神妙な顔で三口目を含んだところで、そっと声がかかる。
「…どうしたんだ?」
「あ………いえ、その……」
コクン、と飲み込みフェルシアは顔を上げた。またライナスを怪訝にさせてしまった。彼女はそう気付き、迷いながら口を開いた。
「これ………………ちゃんと味がしますね」
ぽつりと卓上に落ちた声。それはフェルシアの率直な感想だった。
だが、さすがの彼女も変なことを言ってしまったと、次ぐ言葉を探し前を見る。
そこにあるのはいかにも平凡な見た目のスープ。いくつかの具材が煮込まれ、少し濁った色のハーブ香る一品だ。特におかしいところはない。
魔獣狩り期間中、いつもフェルシアが野外で作るシチューに比べればよほど豪勢だ。
「あ、いえ…すみません。ここに来るのは初めてなので、少し驚いてしまいました」
フェルシアは店に入るのも初めてだ。だからそう思うのかもしれないと、慌てて口を開けば……なぜか、ライナスが真剣な表情をする。
「前から気になっていたんだが……君は普段なにを食べてるんだ?いつもは味付けをしないという意味か?」
「い、いえ。そうではないのですが…。食事は普通のものだと思います…?」
彼女は説明に困った。
いつも邸で出される料理、それが塩味と甘味の二択なのはもちろんわかる。
だがなんというか、このスープは個性的な風味がある。調味料を駆使して食材の旨味を活かして作られており、美味しいと思えた。
まるでライナスに昼食を誘われ、サンドイッチを食べた時「これはサンドイッチだ」と思ったみたいに。
いつもは味の濃淡しかわからないのにと、急激な味覚の深化にフェルシア自身も戸惑う。そんな彼女のぎこちない反応にライナスが目を伏せた。
「…そうか。君みたいな細い娘がまた倒れては危ないよ。食べられる時に、しっかり食べるといい」
「…?ありがとうございます……?」
それが上官としての指導だけには聞こえず、フェルシアはひどく気になった。彼の表情がどこかもの憂げなのも。
「そんなに警戒しないでくれ。やっぱり私の言うことは信用できないか?」
「い、いえ。そのようなことは。すみません。…あまり、そのようにおっしゃる方はいませんので」
「いない?…そういえば二年前、君が倒れたことを家の人間は知っているのか?」
彼女はきょとんとした。昔の話だが、今更どうしたのだろうと。
「はい。あの、それが…?」
「それでなんと言われた?クローネ伯も聞いたんだろう?」
(えっと………どうだったかしら…?)
フェルシアは記憶を探った。だが思い出せるのは家庭教師が交代したことと、邸で倒れるフリをせずにすんだことのみ。他に話はなかったはず。
ここは適当に誤魔化すべきかと、口を開きかけたフェルシアは目を瞠った。
「…俺は本当に心配したよ。君は今よりもっと顔色が悪く、やせ細っていて。このまま目覚めないかと不安になったほどだ」
告げられたのはただ案じる言葉だった。あの日、彼女が邸に帰ってもいっそ聞かなかったもの。
「起きるまでついていたかったが、都合で離れざるをえなかったことを心から後悔している。あの時もっと事情を聞いていればよかった」
ひどく沈んだ声音だ。それが演技かどうか、フェルシアには判断がつかない。
けれど。
(どうしてそんなに悲しそうな顔をするの……?)
不思議だった。自分は彼の家族でも、友人ですらない。死んでも特に困らない人間だ。
ドクンと締め付けられるように疼くフェルシアの胸へ、穏やかな声が響く。
「正直、今も君がどこかで倒れてもおかしくないと思ってるよ。睡眠はちゃんととれているか?」
「…はい。二年前は色々あって眠れなかったのですが、それよりは」
我に返りフェルシアは答えた。
あの出来事を、死ぬところだった、と気にした人は初めてだ。助けた者のその後を憂う自然な言葉は、冷え切った心を温かく揺さぶる。
そうだ、ライナスには人としての優しさがある。…あの残酷な親子とは違う。まじまじと見つめるフェルシアへ彼はホッと息をついた。
「よかった」
その笑みを見てやっと、フェルシアは「ライナスは本心から自分を案じたのではないか」と気付く。
根拠はない。だが、目の前の笑顔は穏やかで、温かくて…そして少し悲しそうで。
そっくりだ。昔、自分を心配し声をかけてくれた兄の表情に。
(……もしかして、ライナス様といるから……?)
料理を美味しいと思えて、いつもより量を食べられるのは。…こんなにも、心が動かされるのは。
まさか、と動かない表情筋が笑いそうになる。
それでもほんの一瞬だけ。そうだったらいいのに、とフェルシアは思った。
* * * * * * *
「少し歩かないか?」
ライナスにそう言われ、道の上でフェルシアは口籠った。
二人は食事を終え酒場を出たところだ。もう外は暗いが、通りへずらりと並ぶ夜市は明るく、人々で栄えている。そこを通っていこうと誘われ、彼女は「結構です」と答えそうになる。
だがそれも読んでいたのだろう、ライナスは最もらしく口にした。
「この町にくるのは初めてなんだろう?色んな景色を見るのも、今後の勉強になるぞ」
「……わかりました」
容易く折れたフェルシアは彼の後ろについて人混みへ踏み出す。
大きな背を追いながら彼女は新鮮な気持ちになった。今日、ライナスがいなければ自分はいつも通り森で洞穴でも探し、一人で焚火の前にいただろう。人里に混ざろうなんて考えなかった。
彼といると意外なことばかり起きる。
(でも、それも……嫌じゃない…かも……?)
はっきりしない感情にフェルシアは戸惑った。けれどそれすらどこかふわふわと心地よいまま、前を行く姿に尋ねる。
「…その、ライナス様はこういった、市などにはよく来るのですか?」
「仕事ではたまに。後は、定期的に領内を見て回るかな」
なるほど。それでこの混雑を歩くのも、店での注文も慣れていたのだ。フェルシアが納得していると反対に尋ねられる。
「君はこういう所にはあまり来ることがなさそうだ」
「はい。いつもは…学院と邸を往復するだけなので」
「買い物に出ることもないのか?」
それにフェルシアが答えようとした時。グイッと腕を引かれた。
「ぁ……!」
それはライナスの手で、彼女は目を丸くして広い胸へつんのめりそうになる。
一体なにを、と思っていると真上から声が落ちた。
「…悪い。後ろからぶつかりそうだったよ」
そう言われフェルシアが振り返れば、ちょうど体格のよい男性が通り過ぎてゆく。あれに押し退けられれば、転んでいたかもしれない。
「大丈夫か?」
「あ、はい。ありがとうござ……」
パッと手を離され、慌てて振り仰いだフェルシアは言葉を止める。
間近に輝く夜空色の双眸。真っ直ぐに見降ろされ、フェルシアの胸が高鳴る。
(きれい……)
思わずじっと見つめた。こんなに近くで彼を見たのも初めてで、今までで一番、この瞳が美しく見える。けれどそれはただ形のよい目元に感心したのではない。
この静謐な藍が表わす篤実さ、優しさに見惚れた。
フェルシアが瞬きも忘れていると、ふと溜息のような声がした。
「人が多いから危ないな…。ほら」
目の前へ差し出されたライナスの手。それをフェルシアは「お手…?」と訝しみ、数拍の間、凝視する。
だから気付かなかった。きょとんと無防備にする自分を見て、相手もまた似たような表情をしたことに。
「…ああ。右手を出してくれるか?」
彼女が言われるがまま手を出せば、二人の指先が触れ合う。
「また離れるとわからなくなるだろう?歩く間だけこうさせてくれ」
「えっ、………!」
いつのまにかフェルシアはライナスと手を握っていた。
右手を軽く引かれるが、フェルシアは唖然とし動揺を隠せない。
優しくも力強い感触はとても温かかった。家族以外の男性と手を繋ぐのは初めてだ。
(アラン様とだって、いつも腕を組むだけで…)
はずみで嫌な顔を思い出す。だが自分に最も近しい存在よりも親しげな接触に、フェルシアは目を白黒とさせた。
するとさすがに強張る自分に気付き、ライナスがそっと手を離す。
「フェルシア?…悪い、嫌だったか?」
フェルシアは道の脇で顔を覗き込まれる。
温もりと入れ替わるように、白い掌へ触れる夜気。瞬間、その冷たさがスゥッと心を撫でた気がして。手を離されホッとしたはずなのに変な心地だ。
「そういうわけでは…。すみません、少し驚いただけです」
怪訝そうなライナスの声にフェルシアは俯く。
婚約者でもない相手と手を繋ぐなんて、と思うのはおかしいのだろうか。けれど今は、ライナスがそうしたいのなら、と思ってしまう自分もいた。
「…じゃあ、やっぱりいいか?君とはぐれたくないんだ」
そう言われ、また差し出された掌を彼女はじっと見つめた。
全ての指がすらりと優雅なのに、所々胼胝のある様は武人らしい。自分より一回り以上大きくて節々の目立つそれは、いつも縋った兄の手よりもしっかりとして、とても頼もしく見えた。
「ご令嬢、お手をどうぞ?」
「……やめてください」
躊躇っていると、柔らかに降ってきた声。その揶揄う響きに観念しフェルシアは思い切って手を伸ばす。
きゅっとライナスの手を握り彼女は目を逸らした。それを頭上で笑う気配に、またそわそわと落ち着かなくなって。でも……今だけはこうしていてもいい。
これは彼が誘ったことだ。だから仕方ない。そう己に言い訳し、穏やかな温もりを選んだフェルシアはライナスに導かれ歩き出す。
その後、にぎやかな夜市の中で二人がはぐれることはもうなかった。




