七、異端ケーキ派
フレイヤは物陰に隠れてなお、激しく鳴り続ける心臓を抑えられなかった。
周囲を取り囲む黒岩の戦士たちは皆、屈強な肉体に重厚な鎧を纏い、斧と長槍をぎらつかせながら、じりじりとトールへ迫っていく。
フレイヤは思った。
いくらトールが筋肉だらけの怪力男でも、こんな包囲を受ければ、さすがに不利になるはずだと。
しかし次の瞬間。
「来るがいいッ!!」
トールが咆哮した。
同時に地面を蹴り、その巨体が一瞬で残像へ変わる。
バシィ! バシィ! バシィッ!!
疾風のような速度。
雷鳴のように振り下ろされる魔法ステッキ。
次々と戦士たちの尻へ炸裂した。
轟音が広場へ響き渡る。
屈強な男たちは高々と吹き飛ばされ、空中で何回転もした後、地面へ叩きつけられて転げ回った。
「ぎゃあああっ!!」
「尻がァァァ!! 真っ二つになるゥゥ!!」
ほんの数瞬のうちに、既に数人が悲鳴を上げながら空を舞っていた。
フレイヤは、まるで暴風に吹き飛ばされるボロ布のように戦士たちが宙を舞う光景を呆然と見つめる。
ついさっきまでトールの敗北を心配していたのに、今では逆に戦士たちの方が心配になっていた。
「人間って、魔法なしでも飛べるのね……っていうかあいつ、もしかして本当に人を殺しかねないんじゃ……?」
その時だった。
吹き飛ばされた数人の戦士が、痛みに耐えながら立ち上がり、ついに目の前の大男の正体へ気づく。
「ま、待て……この振り方……!」
「それにこの尻の痛み……!」
「思い出したぞ……! あの時、俺たちはこの神速の不意打ちで尻をやられたんだ!!」
「くそっ! 貴様、修道服なんか着て変装してやがったのか!」
「最初は全裸だったんだから、今はまだ服着てるだけマシでしょ……!」
フレイヤは心の中で叫んだ。
記憶が蘇る。
戦士たちは、目の前の男こそが自分たちの“尻の仇”だと理解した。
瞬間、怒りと羞恥が同時に燃え上がる。
「全員聞け!! 円陣を組め!!」
ハッ!!
武装した村人と戦士たちは即座に陣形を形成した。
盾を連結し、
長槍を森のように四方へ突き出す。
これなら、トールが背後へ瞬時に回り込むことはできない。
フレイヤはその隙のない陣形を見て、再び緊張した。
「まずい……! 今度こそトールも打つ手なしじゃ……?」
だが円陣の内側にいる戦士たち自身は、依然として恐怖に震えていた。
彼らも理解しているのだ。
トールの速度と怪力なら、力ずくで防御陣を引き裂いてくる可能性が十分にあると。
しかしフレイヤの認識は彼らとは違っていた。
彼女にとってトールは、ただの筋肉馬鹿でしかない。
統率された軍勢相手に勝てるはずがない。
しかも相手には人数差まである。
「このバカが負けたら、私までここから逃げられなくなるじゃない!」
彼女は小さな手を伸ばし、神力をトールの魔法ステッキへ注ぎ込んだ。
本来は武器を長槍へ変化させ、敵陣を突き崩させるつもりだった。
だが——。
「……え?」
魔力が何か未知の干渉を受け、魔法ステッキをどんどん引き伸ばしていく。
伸びる。
さらに伸びる。
まだ伸びる。
そして最終的に完成したのは——異様なほど長い“超ロング魔法ステッキ”だった。
武器へ流れ込む神力を感じたトールの目が輝く。
「おおおっ! 女神の加護ッ!!」
「方向性が違うのよぉ!!」
フレイヤは即座にツッコんだ。
しかし次の瞬間、トールは両手で長大なステッキを握り締め、猛然と円陣へ突撃する。
ドゴォォン!!
その姿は雷光のように駆け巡り、
回転し、
暴風と化した。
長大な魔法ステッキは唸りを上げ、
先端のハートマークは高速回転しながら発光する。
速度が速すぎるせいで熱を帯び、
まるで焼印のようになっていた。
「女神の御心を疑う者どもよ! 首謀者には顔面打擲の刑を与える!!」
トールが高らかに宣告する。
「ぎゃあああっ!!」
「顔がァァ!!」
「熱ッ! 熱いぃぃ!!」
振るわれるたび、
ハート型の焼印が戦士たちの顔面へ叩き込まれる。
武装村人たちは尻を焼かれ、
皮膚から焦げた煙が立ち上る。
悲鳴が広場に満ちた。
鉄壁だった円陣は一瞬で崩壊する。
「陣形が崩れた! 退けぇぇ!!」
「化け物だァァァ!!」
ついに黒岩の戦士たちは耐えきれなくなり、狼たちと共に村の外へ敗走した。
だが“処刑”を終えたトールは、追撃しようとはしない。
残された武装村人たちは、戦士たちの撤退を見て一気に戦意を失った。
慌てて武器を捨て、その場へ跪く。
広場は再び静まり返った。
時折、痛みに耐えきれない村人たちが、尻を押さえながら呻き声を漏らしているだけ。
そんな中、トールだけが堂々と立っていた。
超ロング魔法ステッキを高々と掲げ、
力強い声を響かせる。
「覚えておけ! 純潔は、必ず勝利する!!」
村人たちは顔面蒼白のまま、誰一人声を出せなかった。
その横でフレイヤは、完全に呆れ顔になっていた。
「どこが布教よ! ただの脅迫じゃない!!」
*
黒岩村の広場には、なお恐怖が残っていた。
空気は重苦しく、異様だった。
吹き飛ばされた武器の残骸。
砕けた盾の破片。
村人たちは地面へ座り込み、高台の上に立つ大男を直視することすらできない。
トールの手にあった超ロング魔法ステッキは、徐々に元の形へ戻っていく。
まるで先ほどの“尻と顔への大虐殺”など、大した出来事ではなかったかのように。
彼の顔には汗ひとつなく、
純白の衣服にも埃一つ付いていない。
まるで悪夢だったかのようだ。
——ただし、尻の痛みだけはあまりにも現実的だった。
トールは厳かな表情で深く息を吸い込み、その声を広場へ轟かせた。
「よし! では改めて、女神の理想的な生き方を説こう!」
「……また始まった。」
フレイヤが小声で呟く。
完全に嫌な予感しかしない。
トールは胸を張り、彼女が最も焼却したい“理想の生活表”を、一字一句違わず堂々と読み上げ始めた。
「一、自然に目覚めるまで寝る!
二、昼はケーキ!
三、午後のお茶もケーキ!
四、夕食もケーキ!
五、夜食——当然ケーキである!!」
村人たちは再び顔を見合わせる。
笑いそうになる者。
しかし必死で堪える者。
「俺はいったい何を聞かされてるんだ……」という顔をする者。
反応は前回よりほんの少しだけマシだった。
少なくとも、直接嘲笑したり、途中で帰ったりする者はいない。
——怖くてできないだけだが。
しかしトールは、その空気を全く察していなかった。
反論されない布教。
それだけで彼の目は輝き、自分が偉大なる聖業を成し遂げた気分になっていた。
「素晴らしい! 皆、ついに受け入れてくれたのだな! やはり先ほどは、一時的に迷っていただけだったか! 女神の加護に感謝を!!」
「アンタの目は飾りなの!?」
フレイヤは飛び跳ねながら怒鳴った。
「見なさいよあの疑いの目を! あれ完全に“勝てないから我慢してるだけ”の顔じゃない!!」
しかしトールは聞く耳を持たない。
ただ、自分の成功に酔いしれているだけだった。
フレイヤは頭を抱え、その場にしゃがみ込む。
だが心の奥では、もっと深刻な不安が膨らんでいた。
教義がどれほど滅茶苦茶でも、
信仰の力そのものは確実に自分へ流れ込んできている。
つまり——。
トールは間違いなく、人々に「信じさせる」ことには成功しているのだ。
方向性が致命的に狂っているだけで。
「このままじゃダメ……」
フレイヤは心の中で呟く。
「異端が異端でいられるのは、少数派だからよ……。でもこのまま広がったら、いつか正統派を飲み込んでしまう……。私の本来の信仰体系が、“この日記教団”に乗っ取られるかもしれない……!」
そこまで考えた瞬間。
彼女はぎゅっと歯を食いしばり、決意した。
「もうこのバカを好き放題させちゃダメ! 絶対に信仰を正しい方向へ戻さなきゃ!!」
信徒:67+1(?)
領域:幸運
神術:造水術、武器変化、治療小傷、幻化形象




