八、異端聖典〈にっき〉強奪計画
村人たちがどうにか新たな信仰を受け入れたように見え、フレイヤにも新たな神力が流れ込んだ後、村人たちはいつものように散っていった。
しかしその顔には、不満と疑念が色濃く残っており、前の村のような熱狂はまるでない。
トールもまた、布教成功の歓喜が落ち着くと、前回との違いを真剣に考え始めていた。
そしてフレイヤは思った。
——今こそ好機だ。
女神としての威厳を見せる時だと!
彼女はトールの前へ進み出ると、片手を腰に当て、もう片方の指をびしっと突きつける。
鈴のような声が高らかに響いた。
「トール! これから先、暴力で布教するのは禁止よ!」
トールはきょとんとした顔をした。
「私は暴力など使っていないが?」
「魔法の杖で人のお尻叩いてたでしょ! それが暴力じゃなかったら何なのよ!」
「それは必要な罰であり、当然の裁きだ。」
トールは厳然と言い返した。
「神術を使うのよ!」
フレイヤも負けじと反論する。
「女神の奇跡を見せれば、人間たちだって心から敬服するんだから!」
トールはぱちぱちと瞬きをした。
「神の奇跡……なるほど、理解した!」
フレイヤは「ようやく話が通じた!」と満足しかけたが——
次の瞬間。
トールは大きく腕を振り上げ、手にした『純潔の聖典』を再び魔法の杖へと変化させた。
しかも、その瞬間に「尻叩きモード」の圧が一気に放たれ、周囲の村人たちはさらに足早に立ち去っていく。
「ちょ、ちょっと!? 何する気なのよ!?」
「お前の言った通り、奇跡を見せるのだ。」
トールは再び大きく杖を振るい、砂煙を巻き上げる。
どう見ても尻叩きの素振りだった。
「お尻叩きは奇跡じゃないの! 神術を使えって言ってるのよ!」
「神術? それは何だ?」
トールは首を傾げた。
フレイヤはその場で転びそうになった。
「……あ、あんた布教してるくせに、神術も知らないの!?」
彼女は深呼吸し、「こいつを殴りたい」という衝動を必死に押さえ込みながら、辛抱強く祈祷の方法を説明し始めた。
「両手を合わせて、心から女神に祈るの! 信念も魂も全部捧げるつもりで!」
トールは以前から憧れていた儀式であるかのように、猛烈な勢いで頷いた。
彼はすぐに片膝をつき、両手を合わせ、目を閉じて、自らの至高の敬虔さを低く唱え始める。
その瞬間、フレイヤは強烈な信仰の力が祈りを通して流れ込んでくるのを感じた。
その力の感触は、どこか妙に歪んでいて不安を覚えたが、それでも少なくとも確信できた。
——トールは間違いなく、自分の信徒だ。
「成功した!」
フレイヤの目が輝く。
「これで神術を授けられる……!」
だが。
彼女が手を伸ばし、トールと神術の繋がりを築こうとした瞬間——
信仰の力が、ぷつりと途切れた。
まるで何か見えない原因が遮断しているかのように、接続できない。
フレイヤは額に汗を浮かべながら何度も試したが、全て失敗。
やがてトールは目を開け、自分の身体に何の変化もないことを確認すると、小さな女神を見下ろした。
その岩のように硬派な顔には、「……それだけ?」と言いたげな疑問符が浮かんでいた。
フレイヤの顔は一瞬で真っ赤になる。
「この大バカぁーーーっ!」
彼女は勢い余って、トールが胸に抱えていた『純潔の聖典』へ神力を行使した。
日記は瞬時にトゲ付き鉄球へと変化し、トールを痛めつけようとする。
しかし。
トールはまったく動じなかった。
トゲ付き鉄球は何のダメージも与えられず、彼はむしろ指でトゲをつまみながら言う。
「ほう? 痛くないな。」
「痛くないわけないでしょーーーっ!!」
フレイヤは顔を真っ赤にして飛び跳ねながら絶叫した。
信徒:68
領域:幸運
神術:造水術、武器変化、軽傷治療、幻影変化
*
フレイヤはぷんすか怒りながら鉄球を解除した。
胸が激しく上下している。
彼女は目の前の、妙に落ち着き払った大男を睨みつけながら、ある結論に至る。
——神術の接続ができないのは、こいつの信仰が歪みすぎているせいだ!
「トール!」
彼女は腰に手を当て、授業中に居眠りした生徒を問い詰める教師のような口調で言った。
「『正しい信仰』って何かわかってるの?」
トールの目は揺るがなかった。
山のように不動である。
「もちろんだ。女神の聖典は絶対に誤りがない。それこそが正しい信仰だ。」
そう言うと、彼は『純潔の聖典』を開き、高速でページをめくり始めた。
「ちょ、ちょっと待って! 開かないでぇぇぇ!」
フレイヤは飛びついて奪おうとしたが、どれだけ跳ねても届かない。
トールは大真面目にページをめくりながら、まるで辞典でも読むように語る。
「例えばここには、『汝の敵を愛せよ』と書かれている。これぞ至高の教えだ。」
フレイヤは一瞬目を輝かせた。
(おっ、これはまだまとも……!)
そう思った瞬間——
パタン。
トールは別のページを開く。
「だが別の箇所には、『逆らう者は処刑せよ』ともある。」
「そんな矛盾あるわけないでしょぉぉぉ!?」
トールは真顔で頷いた。
「敵を愛することと、逆らう者を処刑することは矛盾しない。愛しながら処刑すればいい。」
「説明しなさいよその思想をぉぉぉ!!」
トールはフレイヤの悲鳴を無視し、さらにページをめくる。
「それにここには、『働かざる者食うべからず』ともある。これは勤勉に働けという教えだ。」
フレイヤはぱっと表情を明るくした。
「そうそう! そういうの! それが正しい理解——」
パタン。
「だがこちらには、『施される飯ほど美味いものはない』とも書かれている。つまり他人に食べさせてもらうのが最高ということだ。」
「全部そのまま受け入れるなぁぁぁ!!」
フレイヤはついに爆発した。
「疑って! 少しは疑いなさいよぉぉぉ!!」
しかしトールは岩のように揺るがない。
「聖典は誤らない。」
「この石頭ぉ……!」
フレイヤは地団駄を踏み、泣きそうになった。
だが、これで彼女にも理解できた。
真正面から否定しても無駄だ。
なぜならトールは、この「日記」を、どんな正統教典よりも狂信的に信じているのだから。
「うぅ……」
フレイヤは頭を抱えながら、必死に冷静になろうとする。
(真っ向から否定してもダメ。教義を説明しても頑固すぎる。なら——発想を変えるしかない。)
彼女はちらりと、あの忌々しい日記を見た。
(もし、あいつがその日記を手放さざるを得ない状況を作れれば……!)
ぎりっと歯を噛みしめる。
(その時、私は神力で本物の正統教典を作り直して、それをあいつに渡す! そうすれば今度こそ、正しい方向へ信仰させられるはず!)
フレイヤは小さな拳をぎゅっと握りしめた。
その瞳には希望の光が宿っている。
「うん! それしかない! それが信仰を、そして私自身を救う唯一の方法よ!」
一方その頃。
トールは相変わらず、日記をうっとりと見つめながら呟いていた。
「ああ……何度読んでも、この教えは至高の知恵にして真理だ……」




