二十六、ゴブリン討伐でなぜか信者が増えました
フレイヤにはまだ拭いきれない疑念が残っていたが、二人の旅は続いていた。
ぬかるんだ街道を進みながら、彼女は自分へ流れ込む信仰の力をはっきりと感じていた。さらに四人の伝道少女たちからの祈りも絶え間なく届き、神力は少しずつ増している。
だが、そのことよりも気になることがあった。
(……ガイルが言っていた全面戦争とはまるで違う)
周囲はあまりにも静かだった。
戦神アレスとの全面対決が始まるのなら、街道は兵士で溢れ、各地で戦火が上がっていてもおかしくない。しかし実際には、行き交う旅人や農民の姿すら見える。
その不自然な平穏さが、逆に彼女の警戒心を刺激していた。
隣を歩くトールは胸を張って堂々と進んでいた。
だが突然、その足が止まる。
首がぴくりと動き、まるで風の中の匂いを嗅ぎ取るように周囲を見渡した。
次の瞬間。
「少女の助けを呼ぶ声だ!」
叫ぶと同時に地面を蹴り、疾風のように走り出した。
「ちょっ、待ちなさい!」
フレイヤは慌てて神力を使い、その後を追う。
やがて視界の先に見えたのは、一隊の商隊だった。
荷馬車を囲むようにゴブリンたちが群がり、剣戟の音と獣じみた叫び声、馬の悲鳴が入り乱れている。
トールは雷鳴のような勢いで戦場へ飛び込んだ。
その圧倒的な存在感に、ゴブリンたちは一斉に後退し、群れを作って威嚇し始める。
商隊とゴブリンの対峙。
その中央へ、トールは堂々と歩み出た。
「我が名はトール! フレイヤ女神の忠実なる僕! 《純潔》の聖典の導きに従い、民を守るために来た!」
彼は《純潔》の聖典を高く掲げる。
直後、それは見慣れたピンク色のハート型魔法ステッキへと変化した。
「聖なる女神よ! 我に力を!」
「女神万歳……でいいのかな?」
商隊長は戸惑いながらも叫ぶ。
「そうだ! 女神万歳だ!」
「それ、完全に正体バレてるじゃない……」
フレイヤは思わず額を押さえた。
しかしゴブリンたちは気にしていない。数で優位だと判断したのか、再び騒ぎ立てながら襲い掛かってきた。
「うおおおおおっ!」
トールが咆哮する。
ハートの魔法ステッキが唸りを上げる。
一撃。
二撃。
三撃。
ゴブリンたちは紙切れのように吹き飛び、統率のない陣形はあっという間に崩壊した。
悲鳴が響き渡り、やがて生き残ったゴブリンたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
商隊の護衛たちは希望を取り戻し、その視線と感謝が自然とトールへ向けられる。
フレイヤはその様子を見ながら、新たな信仰の流れを感じ取っていた。
戦いが終わると、商隊長が深々と頭を下げた。
小規模な商隊だった。
荷馬車は二台。
商隊長ジョニー。
娘のジェニー。
そして護衛たちは全員戦死していた。
フレイヤは地面に横たわる遺体を見つめる。
かつてなら吐き気を催していたかもしれない。
だが今は違った。
不思議なほど冷静だった。
(……私、慣れてしまったの?)
その事実に小さな恐怖を覚える。
一方で兵法領域は即座に結論を出していた。
――情報収集の好機。
「助けていただき、本当に感謝します」
ジョニーは疲れ切った顔で頭を下げる。
「もし行き先が同じなら、一緒に旅をしませんか?」
護衛を失った商隊にとって、トールはまさに命綱だった。
トールは胸を張る。
「もちろんだ! 民を守るのは私の使命だからな!」
「女神の栄光が我が身に宿る!」
「女神……ですか?」
ジョニーは困惑した表情を浮かべる。
戦神の領地で突然現れた謎の宗教戦士。商人としては理解不能だった。
「護衛費用のほうは……」
「必要ありません」
フレイヤが柔らかく微笑む。
「祈りを捧げてくだされば十分です」
「私が守る! 栄光の女神の光があなたたちを護る! 信仰さえあれば、この私が邪悪を打ち払う!」
トールは豪快に胸を叩いた。
「ゴブリンも闇の骸骨も、決してあなたたちを傷つけさせはしない!」
「女神万歳!」
ジョニーは娘のジェニーと共に祈りを捧げる。
フレイヤは視線を逸した。
その裏で兵法領域が冷静に計算を続けている。
(商隊という偽装……悪くない)
護衛の代役として同行すれば、潜入工作はさらに容易になる。
彼女は静かに頷いた。
これもまた戦略の一つだった。
*
護衛たちを埋葬し、祈りを捧げた後、一行は再び出発した。
たとえ信徒でなくとも、不死者となる可能性を減らすための祝福は惜しまない。
馬車は山道をゆっくりと進む。
フレイヤは地図を広げながら、隣に座るジェニーへ話しかけた。
「最近、戦神の兵士たちはどこへ行ったの? 駐留や巡回の跡はある?」
「へいし?」
ジェニーは首を傾げる。
あまりにも無邪気な反応に、フレイヤは思わず笑ってしまった。
久しぶりに兵法や戦争のことを忘れられる時間だった。
その一方で、トールはジョニーから情報を聞き出していた。
「栄光の女神の光があなたたちを護る! 信仰さえあれば、この私が邪悪を打ち払う! ゴブリンも闇の骸骨も、決してあなたたちを傷つけさせはしない!」
トールは熱心に語りかける。
「最近になって街道が危険になったんです」
ジョニーは語る。
「戦神の兵士たちが前線の城へ集められたとかで……」
フレイヤの目が細くなる。
兵士がいない。
巡回も少ない。
その結果として、不死者や怪物たちが各地で暴れている。
(アレスは何をしているの……?)
馬車の外には黒い瘴気をまとった骸骨が時折転がっている。
さらに人型怪物の群れまで現れ始めていた。
あまりにも異常だ。
「純潔の女神の信仰の光は大地を照らす! 心に畏敬を忘れるな!」
トールは続けて説く。
やがてジョニーの応答はひたすら「女神万歳」になっていった。
(全面戦争は避けられない……)
(でも、少なくとも被害は減らせる)
フレイヤは改めて潜入作戦の正しさを確認する。
その時だった。
トールが突然立ち上がる。
「戦場の匂いがする!」
「え?」
次の瞬間、彼は馬車から飛び降りていた。
「純潔女神の栄光のために!」
雷のような勢いで前方の村へ突撃していく。
「た、大丈夫なんですか!?」
ジョニーの顔から血の気が引く。
「心配ありません。前方に何かあったのです。私たちはそのまま進みましょう」
フレイヤは微笑んだ。
遠ざかるトールの背中を見送りながら。
(どれだけ変わっても……)
(あの人はまだ、誰かを守ろうとしている)
それだけが、今の彼女にとって唯一の救いだった。
馬車はゆっくりと進み続ける。
地図。
情報。
兵法領域の予測。
それらを統合しながら、フレイヤの中で一つの戦略が形を成していく。
――奇襲潜入。
――信徒の獲得。
――犠牲の最小化。
――戦神の信仰基盤の切り崩し。
彼女は静かに目を閉じた。
(どれだけトールが変わっても……)
(信徒たちだけは守る)
それが純潔の女神としての使命だった。




