二十二、また領域が増えたんですが!?
フレイヤは、一人だけ人々の輪の外に立っていた。
村に響く喧騒も、信徒たちの歓声も、まるで自分とは無関係な遠い世界の出来事のように感じられる。
胸の奥は重かった。
目には見えない巨大な岩を抱え込んでいるかのように。
彼女には分かっていた。
戦神アレスが、「純潔の聖戦」の拡大を黙って見過ごすはずがないことを。
全面衝突は、もはや避けられない。
それは嵐の前の静寂にも似ていた。
フレイヤは唇を強く噛みしめる。
どうすれば信徒たちを守れるのか。
どうすれば訪れる嵐の中で、彼らを無辜の犠牲者にせずに済むのか。
無数の問いが頭の中を駆け巡っていた。
その時だった。
葛藤と無力感の狭間でもがく彼女の神格の奥底から、突然、強烈な震動が湧き上がる。
それは純潔を象徴する白い光ではない。
豊穣を表す温かな輝きでもない。
全く新しい領域。
戦争と美が融合して生まれた、新たなる力だった。
――兵法領域。
その瞬間。
フレイヤの脳裏から、純粋な信仰や愛のイメージが消え去る。
代わりに現れたのは、整然と並ぶ部隊。
寸分の狂いもない配置。
攻撃と防御の絶妙なリズム。
地形を最大限に活かす戦術。
花が咲き乱れるように華麗な戦略図が次々と広がり、その全てが驚くほど鮮明だった。
彼女は無意識に指示を出す。
すると、自分でも驚くほど落ち着いた声が自然と響いた。
「東側に防壁を築いてください」
「見張りは三班に分けて交代制で」
「食糧と医療品は分けて保管しましょう」
それだけで村人たちは整然と動き始める。
即席の防衛施設が築かれ。
巡回警備が編成され。
物資管理まで組織的に行われていく。
誰一人として混乱しない。
まるで最初から訓練された軍隊だった。
村人たちは夜闇の中に立つ小さな女神を見つめた。
その瞳には、かつてないほどの敬意と信頼が宿っている。
これほど冷静で。
これほど的確な指揮を。
彼らは見たことがなかった。
フレイヤの一つ一つの指示は、安全と生存へと真っ直ぐ繋がっている。
だからこそ、荒廃した村の中で彼らは久しぶりに安心感を得られたのだ。
だが――。
当のフレイヤは、背筋を冷たいものが這い上がる感覚に襲われていた。
「兵法……」
胸元をぎゅっと掴む。
「兵法は……敵を滅ぼすために生まれたものなのに……」
まるで見えない沼へ引きずり込まれるようだった。
彼女は守りたいだけだった。
それなのに。
いつの間にか戦争の論理へ足を踏み入れている。
兵法の原則はすべて、
――どう敵に勝つか。
を教える。
――どう信徒を救うか。
ではない。
それは純潔。
愛。
美。
彼女が大切にしてきた全てと相反するものだった。
魂の奥が震える。
そんな不安に飲み込まれそうになった時だった。
トールがやって来た。
彼は急ごしらえの粗末な鎧を身にまとい、一冊の『純潔』聖典を手にしている。
その歩みには、かつての迷いや戸惑いが微塵もなかった。
絶対的な自信。
揺るがぬ確信。
そして、その瞳には狂信にも似た光が燃えている。
まるで自らを「戦争の化身」と認識しているかのようだった。
周囲に漂う威圧感すら以前とは別物である。
「フレイヤ様!」
トールは集まった村人たちへ向けて声高に叫んだ。
「女神が授けてくださった兵法こそ、我らを勝利へ導く道だ!」
彼は聖典を掲げる。
「女神の指示に従えば、いかなる敵であろうと打ち砕ける!」
その言葉に、
村人たちは大歓声を上げた。
「おおおおおっ!」
「女神万歳!」
「聖使様万歳!」
人々は熱狂しながら跪く。
歓声は夜空へと響き渡った。
フレイヤは呆然とその光景を見つめる。
胸の奥に広がるのは喜びではない。
苦さだった。
これは本当に。
自分の知るトールなのだろうか。
あのボロボロの日記帳を聖典だと思い込み。
滅茶苦茶な解釈ばかりしながらも。
どこか憎めなくて。
妙に真っ直ぐだった大男。
それとも――。
彼はもう信仰と戦争の奔流に飲み込まれ。
誰もが崇める象徴へと変わってしまったのだろうか。
フレイヤは小さく呟く。
誰にも聞こえないほど弱々しい声で。
「私は……」
唇が震える。
「私はね……」
目を伏せる。
「日記を聖典だと思い込んでいた頃の、あの馬鹿なあなたの方が良かったよ……」
そっと手を伸ばしかける。
だが。
その指先は空を切った。
届かない。
もう届かない。
なぜなら彼女は知っているからだ。
この変化はトール自身の選択だけではない。
信仰。
領域。
そして戦争。
それら全ての流れが、彼をここまで押し上げたのだ。
そして。
その始まりを作ったのは――
他ならぬ自分だった。
信徒:358
領域:幸運、純潔、復讐、暴力、狂信、戦争、聖戦、兵法
神術:水生成、武器変化、小治癒、変装、花火術、精神安定、聖典創造、聖戦術、鑑定術




